第2章

みりか④ 恋

 祐樹にーちゃんが帰ったあと、私は部屋のベッドに寝転がり、じっと自分の手を見つめていた。実際には何も見えていないのだけれど、手のひらを顔の前にかざし、祐樹にーちゃんの手の温もりを思い出していた。


 私の手を握ってくれた……。


 祐樹にーちゃんを二階へ案内しようとしたとき、私は試しに階段とは別の方向へ歩いてみた。そうしたら彼が私の手を引いて部屋まで連れていってくれた。

 嬉しかったな。天国への階段を二段飛ばしで駆け上がるくらいに。


 しかも来週は毎日祐樹にーちゃんが来てくれることになって、ママにはもう感謝しかない。久しぶりに肩もみでもしてあげようかな。



 晩ご飯のとき、パパが祐樹にーちゃんのことについて話してくれた。


「一応、訪問マッサージで来てもらうということにしておいたよ」

「訪問マッサージ?」


 パパの謎の報告に私は首を傾げた。


「あいつ指圧師だろ? 適当に整体して、そのあとはママが帰って来るまでうちにいてもらうっていう形にした」

「なぜ、そんなことをする必要があるの」

「大人の世界では形が大事だから、ときには中身よりも。親しき仲にも礼儀があるの」

「そうなの?」

「そうなの」


 とりあえず言いたいことは分かった。

 でもそれって、祐樹にーちゃんに体のあちこちをマッサージされるということなのだろうか。さすがにそれは脳がオーバーヒートしてしまうかもしれない。


「ああ、マッサージつっても足つぼだけにしたから、別に身構えなくていいぞ」


 おのれ余計なことを。


「少しだけど、謝礼も出すからな。あいつ今仕事休んでるし」

「でも、蟹沢君が引き受けてくれてホントに助かったなぁ」


 ママは嬉しそうな声色で言った。

 来てくれるのはいいんだけど、目的が「一緒にいてくれる」から「足つぼマッサージ」に変わり、ロマンティック株価が下落してしまった。

 私は少々複雑な気持ちで残りのご飯を平らげた。


 翌日は休日ということもあり、私はまた行ったことのない病院へ連れていかれた。でも、案の定成果はなかった。

 パパとママや明るく振る舞っているけど、喋り方や声の感じに焦りや疲労の音色が混じり始めている。


 次の満月のときにまたお願いごとを試してみるという話はまだしていない。どうせ聞き入れてくれないと思うから。



 あっという間に月曜日がやってきた。

 普通の人なら学校やお仕事があってげんなりしているところだけど、私は朝からそわそわと落ち着かない気持ちでいる。


 祐樹にーちゃんはちょうど八時に来た。

 ママは改めて感謝の言葉を伝え、お仕事に出掛けていった。

 私と祐樹にーちゃんは二人きりになった。


 前回のようなあざとい手は使わず、普通に階段を上って部屋に招き入れる。

 私はベッドに座り、祐樹にーちゃんにはクッションの上に座ってもらった。


【みりか】来てくれてありがとう


「気にしなくていいよ。一応、仕事ということにしてもらえたから」


 そういうことを言われると寂しくなる。


【みりか】マッサージするの?


「足裏だけね」


【みりか】お願いします


「じゃあさっそく始めます。どこか体に悪いところにありますか?」


 悪いところ?

 そんなもの今聞かれても一つしか思い浮かばない。


【みりか】目が見えません


「それでは、視力回復のツボをほぐしたいと思います」


【みりか】そんなのあるの?


「はい」


 あるんかい。ちょっと意地悪して言ってみたつもりだったのに。


【みりか】そういうことはもっと早く言ってよ


「正直、みりかの場合は効かないと思うけどね」


 それは分かるけど、どうして大人というものは大事なことを隠したがるのだろうか。


「じゃあベッドに横になって」


 えっ!?

 いきなりそんな状態になるのはさすがに緊張する。足つぼマッサージをするのは聞いていたから、スカートじゃなくてジーンズを穿いてはいるけれど。


「その方がやりやすいから」


 私の心情を察したかのように補足してくれた。


 仕方がないので靴下を脱ぎ、ドキドキしながらベッドで仰向けになった。

 スマホとキーボードを胸の前で握りしめる。

 祐樹にーちゃんが今どんな体勢でいるのかは分からない。


 私もしかして無防備すぎ? マッサージするのは本当に足だけだよね? いきなり抱きつかれたりしないよね?


「ひっ」


 祐樹にーちゃんに足を掴まれ、思わず声を上げてしまう。彼の耳が聞こえなくて本当に良かった。


 それから、足指の間に小さいスプーンのようなものを突っ込まれた。くすぐったくて身をよじりそうになる。


 そして次の瞬間、スプーンのようなものに力が込められた――。


「ぎゃあああああああ」


 あまりの痛さに、すぐに足を引っ込めた。慌ててスマホへメッセージを送る。


【みりか】殺す気か!


「そんなに痛かった?」


【みりか】指がもげるわ!


「もげないよ」


 そう言って、祐樹にーちゃんは再び私の足を掴み、足指の付け根のあたりを押した。


「きゃあっ」


 またもや足を引っ込める。

 祐樹にーちゃんがまた足を掴もうとする。

 私は足をバタバタと動かし、魔の手を逃れようとする。

 彼がまたまた足を掴もうとする。

 私はまたまたバタバタする。


 そんな小さな子供みたいなやり取りをしばらく続けた。


「ぷっ」


 これ祐樹にーちゃんも楽しんでるよね? 顔は見えないけど、絶対ほくそ笑んでるよね?


「あはははっ」


 私は大笑いした。さっきまで無駄にドキドキしたり、色っぽいことを考えていたのが急にバカバカしくなって、腹を抱えた。


「はー、おかしいっ」


 祐樹にーちゃんに聞こえないことをいいことに、いつまでも笑い続けた。彼も、そんな私の姿をずっと見てくれていたに違いない。


 こういうのって、なんかいいなぁ。


 私は安らかな幸せを感じていた。

 まるで、かわいい風が吹く春の日に、クローバーの原っぱでお昼寝しているみたいに。


 結局、それ以上マッサージはしなかった。

 ようやく笑いやんだ私は、祐樹にーちゃんが使っていたスプーンのようなものについて訊いてみた。


【みりか】その棒みたいなの何?


「ただのツボ押しだよ」


【みりか】貸して


 手を出すと、手のひらの上にツボ押しとやらを置いてくれた。

 一応、手触りでどんなものなのか確認してみる。

 材質は木で、デコボコした棒状、長さと直径は太めのペンくらい、先端はへらみたいに平べったい。

 だけど、そんなことは正直どうでもよかった。


 ツボ押しを返そうと、祐樹にーちゃんの方へ右手を差し出した。

 そして、彼がツボ押しを掴んだ瞬間、左手で彼の腕を引っ張り、体を引き寄せた。

 頭の横と思われる位置に顔を近づけ、耳元で囁く。


「私、祐樹にーちゃんのことが好きだよ」


 私は初めて自分の気持ちを口にした。


 祐樹にーちゃんには聞こえていないから大丈夫。

 でも耳が聞こえないというのが嘘っぱちで、本当は聞こえていたらどうしよう。

 そんなことを考えると、胸の鼓動が激しくなって今にもバクハツしてしまいそうだ。

 でも本当の本当は、彼に聞こえていてほしいのかも。なんてね。

 

 これは一時の気の迷いなのかもしれない。

 ただの吊り橋効果なのかもしれない。

 女子高生にありがちな、年上の男性へのちょっとした憧れなのかもしれない。


 でも――。


 この想いが気の迷いだというのなら、私は一生迷いつづけたい。

 二人で手を取り合って、歩いていきたい。

 目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても、お互いに光となって、声となって、ずっと一緒にいたい。

 だって、恋は盲目っていうくらいなんだから。


 私は自分の気持ちを確かめると、祐樹にーちゃんから離れた。

 傍らに置いていたキーボードを手に取り、メッセージを送る。


【みりか】ビックリした?


「どうしたの?」


【みりか】足つぼの仕返し


「なるほど」


 それ以上は何も言わなかった。

 部屋の中では、私のハートの鐘だけが高らかに鳴り響いていた。


 いざ正直に認めてしまえば、案外あっけないものだ。

 それはごく自然で当たり前のことのように思えた。


 祐樹にーちゃんと一緒にいられるこの五日間で、私の気持ちを伝えるべきなのだろうか。この機会を逃せば、自由に会える時間はしばらくの間なくなってしまう。


 さて、どうしよう。

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