第17章「繋ぐ決戦」_2_千客万来【完結】
人々による、必死の抵抗が継続されているが、そのあいだも大鳥の祠では
白鈴たち彼ら次第となろうが。
とはいっても、どうにもならないことだってある。
とうとう屋水姫は姿を変えた。人の姿をやめて、これまで幾度かと戦ってきた『大湊の化身』へと状態を移す。
人間の体では、彼らは立ち上がる。
更なる力で押し潰そうと考えた。
屋水姫は戦闘を続け、しばらくして相手の隙を作ると、終幕を迎える手段を用いる。
黒色の球体が浮かんだ。それが、彼らを襲った。
彼らは経験している。上井といなび、二人は危惧していた。『あれをやられると、勝ち目がない。』それだけでなく、それ以外も、注視していた。無論、事の成り行きを見ていたのが、二人だけなんてことはない。
上井といなびは、屋水姫を妨害した。しかし、そのうえで、黒色の球体は彼らを襲う。
早い話が、痛みを軽減させるほかない。そうして彼らは力及ばず追い込まれる。球体に飲まれてもなお立ち上がるのは、白鈴一人のみとなる。
苦境に陥ろうと、彼女は矛を収めることはなかった。
消えぬ火は消えない。
希望を失わず、迷いもなく、刀は振るわれる。
以前にも増して互角とも思える戦闘を続ける。
そうした彼女の背中を見て、立ち上がるのは。
目黒は起き上がると、白鈴と共に戦った。
彼は本調子とはいかずとも、屋水姫に会心の一撃を与えることに成功する。拳を突き上げ、打ち上げる。
そこで、反撃を防ぐのはヒグルである。彼女は魔法で援護する。
屋水姫は見るべき対象があるはずだ。よそ見をするべきではない。白鈴と糸七は近付くと、更なる追い打ちをかける。
彼の黒槍は鬼を貫く。頭の半分を消し飛ばす。
満足してはならない。屋水姫に支障はない。
空中にいる彼を、複数の腕が襲い掛かる。
糸七もそれなりに対応はできようが、彼に手を貸すのは上井といなびである。
屋水姫は大鳥の祠天井から下りなかった。非常に不快であった。そこから再び黒い球体を生み出す。
地上で、白鈴は予測していた。彼女は既に用意している。
埋火蝶――猿猿猴。
黒き球体と火おびる刃の衝突。
その中を抜け出る、一人の女。――白鈴。
彼女は屋水姫の前に現れると、一太刀浴びせる。
埋火蝶――猪武者。
鬼を打ち払うのではない。亡びを望んだ屋水の神『屋水姫』。彼女は勝利を目前にして跡形もなく消え失せる。
大鳥の祠に、一時的な静寂が訪れた。その場にいる誰もが手を止める。
「倒せた?」
「倒したのか?」
ヒグルと目黒は同じ意味のある言葉を言った。状況を受け止めきれなかった。星ひとつない空を眺めた時と等しいぐらいには。
白鈴は斬ったあと、そのまま地上に着地している。彼女はひどく消耗を感じていた。
安全なのか。
彼女の火は、屋水姫が消えようと燃え続けていた。方が付いたと告げるようにそっと弱まる。
「やったな」
糸七の一言で、彼らは彼女のもとへと集まった。
「なんとかなったな」目黒は言った。
「ああ」と糸七は頷く。彼は存分に動き回れるほどの体力は残っていない。
彼らは騒ぎはできないが、ほんの軽く喜びを分かち合う。達成感を得て、それを共有できる相手がいるからだ。これまでになく苦しい戦いだった。
「白鈴?」ヒグルは声をかける。
どうしても、それは気になった。
なぜなら彼女は何も言わない。身にしみる実感でもしているのか? そうではない、とは見て取れる。上のほうを眺めていた。そこには何もないというのに。
「おい。どうした。白鈴」
目黒の声にも、彼女は反応ひとつ示さない。
抜け殻のようだ。どちらかと、燃え尽きたかのような。
「これで、よかったのかな?」
いなびは小首をかしげた後に、しばし考え、その場にいる「まごつく彼ら」に問う。
「よかったかはわからないが、国の滅亡は免れたのではないか」
上井はそう答えた。彼女の不安はよくわかる。自分たちが先程打ち倒したのは、長きにわたりこの国で祀られていた神様である。
屋水姫が、『大湊の化身』を復活させようとしたのは確かだ。彼女は国の滅亡を望んでいた。おかげで死んだ人は大勢いる。操られていたわけではなく。すべて自分の意志だった。しかし。
災いから遠ざけてくれる。恐ろしい鬼から私たちを守ってくれる。そう教えてもらってきた。お社まで行って、手を合わせたこともある者もこの中には少なくともいる。
どこか身近な存在でもあった。私たちの見えないところで。私たちの知らないところでといったように。屋水には今でも、住人の家には鈴がある。
この数年、屋水姫がしてきたことは。屋水姫が私たちの傍でこれまでしてきたことは。
「そうだけど。そう、だけど……」
「望んだとおりに動いたか」ヒグルは呟いた。彼女は正確に覚えていた。忘れられなかった。「屋水姫も、この国を救う気持ちがあったってことだよね」
「やる瀬無い気持ちでいたのだろう」糸七は言う。「負の塊である鬼を倒したところで、ほかに解決するすべがなかった。私にはなんだか、会った時よりもずっと人間のように見えた。屋水姫も、死を、殺されることを恐れているように見えた」
「鬼に触れ過ぎたのかもな。あるいは」上井は黙ると、彼女に目をやる。
目黒は流石に心配し、歩み寄ると肩に触れた。
「白鈴。おい。平気か? どうした?」
目が泳いでいる。「……すまない」と彼女はやっと口にする。
「びびらせるなよ」
「終わったんだよね?」
ヒグルは、そっとそう声をかけた。
白鈴は、すぐには答えなかった。考える時間を持つと、(長くはなかった)集中はできないなかどうにか見つける。
すると、大鳥の祠で大きな揺れが起こる。
彼らは事態を飲み込めない。なんでもない「揺れ」とは考えなかった。
白鈴は天井に目をやる。その先――。夜の空で、何が起きているかを知る。
その頃、空では山を二つ三つ飲み込める大きさの球体が顔を覗かしており、少しずつ地上へと迫っていた。
「揺れ」は続かず、次第に弱まり、何事もなかったかのように収まる。
「いや。まだだ」白鈴は言った。
「えっ?」
「まだ終わっていない」
「終わってない?」上井は繰り返す。
「待てよ。どういうことだ。『蓋は開いたままだ』っていうのか?」
ああ、と白鈴は頷く。
問題は解決していない。
糸七も困惑している。「あれでは、倒せていなかったのか」
「いや。倒したはずだ」
「それなら、なんで?」
「そんな。どうしたらいいの?」
いなびは不安に駆られた。それでも彼女は微かな気配にはっとして振り返る。
視線の先には、男が立っていた。
「火門?」
この場に、大湊真道がいる。立て続けとなり間違える者も多いだろうが。
「屋水姫、じゃあねえな」目黒は確信していた。
「ユウ橋以来となるな」
彼は近付くと、そう言った。
「一足遅かったんじゃねえか」
「いいや。そのようなことはない」
彼に焦りの色はないように見える。状況は理解しているだろう。でなければ。
「白鈴……。屋水姫と、呼んだほうがいいのか」
「どちらでも構わない」
「では、屋水姫。刀を抜け。橋の上での続きといこう」
「それは、どういう冗談だ」目黒は言いつつ、体に力が入る。
「いま、そんなことしている場合ではないよ? 封印が、解かれているんだってば」
いなびの警告など無意味である。
白鈴もそうだった。二人は抜いた刀を鞘に戻さない。戻せない。なぜなら。
間近と迫る、大鳥の祠で火ぶたは切られる。
戦う必要はない。相手を傷付けることができないのだから。そして、斬られることを受け入れるべきだが。
「まさか。そういうこと?」ヒグルは理解する。
「そこを退け」
容認し難い者はいる。二人の争いに、糸七は割り込む。
「なりません」
口を出そうと、彼が勝てるはずもなく。彼でなくとも勝てるはずがなく。
「待って。白鈴は。屋水姫は」
「知っている。だからだ」
火門はシュリの体であるというのも承知している。その上で、国を選んだ。
「私が、この手で終わらせる」
どのような因果にせよ、国の為だから斬られよとは。
屋水姫が死を恐れたのは、それはあまりにも残酷な行いであると判断したからだ。
あの夜から始まり。漸く事終わり。
安らかな時が訪れようとした。
そのはずが、すんでのところで彼らに歪みが生じる。
慌てる理由もない。白鈴は落ち着いていた。周囲を見渡すが、無人である。
「これでわかった?」
屋水姫が背後から声をかけた。その姿は、以前の自分と瓜二つである。
「ああ」
「お前は、斬られる。このままだとな。なぜ火門に潔く差し出さなかった? お前は、大湊の国を救いたいのではなかったか」
「私の中にはまだ、白鈴がいる。小花もいる」
「やはりな、結局か。お前もそうだったということだ」
「……そして、シュリもいる」
彼女は黙り込むと、徐に手を差し出した。
「手を取れ。あの男を倒そう。お前となら、やつを倒せる」
白鈴は首を横に振った。
「なぜ? なぜだ。お前だって、悩んでいたはずだ」
「己の在り方に悩むことはあっても、誰かにそれを委ねるつもりはない。その先は破滅だ。私は残したいと思った。ずっと彼らと見てきたからかもな。もっと傍で、見ていたいと思えた」
「私は認めないぞ」
「わかってる」
白鈴は彼女が拒絶するだろうとはよく心得ている。
このあと、彼女が無理やりにでも続行するのも。
鬼が、私を支配下に置こうとするのも。
白鈴は、切っ先を向ける心構えはもうできていた。
「なんの真似だ? まさか――。お前は――。一緒に死ぬ気か?」
金雲流。鬼殺し。一本刀。
それは二つに分けての太刀筋。まず一つは鎌鼬の如く、相手の急所を狙う一手。
そして、少し遅れて詰め寄る白鈴。
そして、もう一つ。さらに遅れてやってくる。
屋水姫が得意とした技。花の気、風来たる。
「やめろ」
春燕。
これにて国の命運を分ける大鳥の祠での戦いは終わりとなる。
「おっとと。何が起きてんだ。あいつらは」
「どこに行ったの?」
たった今、二人が争っていたはずだ。戦場が変わり弾き出された目黒たちは、二回目の大きな揺れにも動揺しながら、消えた彼らの行方を追う。
「もちそうにはないな」上井は天井を見る。「ここから脱出しないと、閉じ込められるだけでは済まないぞ」
「でも」
ヒグルは諦めたくなかった。自分たちだけでここを離れて、どうするというのか。
「待って」
願いが叶った。偶然ではない。彼女は居場所を見つけると、一人で先に駆けていく。
大鳥の祠内部で、光に包まれた女がいた。突然とそれは現れた。シュリだ。彼女の体は縮んでいる。
「……シュリ?」
違和を感じつつ、寄り添い声をかけると、彼女は目を覚ます。
「……ヒグル?」
「シュリ! 白鈴は? どうなったの?」
「白鈴は……。安心して。蓋は閉じられた」
「それって。火門は」
「見つかったか。お前ら急げ。崩壊する」
「シュリ。歩ける?」
手遅れと判断していいほど崩れ始めていた。だが脱出は、アオバの助けもあって、どうにか彼らは生還する。
大湊の化身は復活していない。故にすべて片付いた。そのはずだった。
「これは、終わっていないのか?」
外へと出てみれば、変わらず「空」は暗かった。どこにも星なんて呼べるものはない。それどころか、知らない間にわけのわからない球体が頭上にある。
アオバは冷静に言う。「祠の封印は解かれなかった。だが星のない夜が残っている」
「残ってる? 残ってるってなんだ? どう見ても、大丈夫じゃねえよな」
いなびは指差す。「これは、消えるの? それともこれから落ちてくるの? もうこの国はダメなの?」
不穏でしかなく、絶望感に襲われるのは当然だ。打つ手は残っているのか。
「みんな」
シュリの声である。彼女は脱出後、疲れをとるため休んでいた。ヒグルが付き添っているはずであり。
元気はあるようだ。「平気?」とヒグルに問われて、うれしそうに頷く。
「大丈夫だよ。信じよ。だって、ほら」
彼女が示す先。
その光景は、目に見えない力が働いているように思える。
誰かは思い起こす。そして感じる。大湊に住まう神々を。
おそらく大湊の国、皆が眺めている。
そこから例えるなら、彼らの頑張りにでも答えるかのようで。
星のない夜が、その異様な形が失いつつある。
崩れてしまえば、単なる分厚い雲であったかと思えるほどだ。切れ間ができる。
いかにも不思議な現象を見て、「空だ。空だ」と喜ぶ。「太陽だ」と口にする。
ある者は「そこにおられましたか。やみずひめ」と言った。
どんより濁っていた大湊の大地に、太陽の光が降り注いだ。風が吹く。
大湊の国の厳しい冬が去り、白い雪が徐々に減り始める頃、城下では人々の活気が戻り始めていた。市場には新鮮な野菜や干し肉などが並び、商人たちの声が響く。寒さに耐えながらも、生活のために働く姿がそこにはあった。冬の孤独感と、春の訪れへの期待が交錯する中、人々は笑顔を浮かべていた。
「桜の木に花がついた」という知らせが広まり、町は一層賑わいを見せていた。聞くところによれば、かつて鬼との戦場となり枯れた大地では、草木が芽生え、色を取り戻しているという。
鬼の影は完全に消え去ったわけではない。だが、その数は明らかに減っていた。
ある晴れた日の朝、はゆまにある千年桜の前に、ひまわり色の魔法使いがやってきた。まだ早朝の静けさの中、彼女は満開の桜を見上げていた。朝日の光が桜の花びらを照らし、枝は揺れ、まるで空に舞い上がるように見える。
「屋水で、言われてるよ」と彼女はつぶやいた。周りには誰もおらず、静寂が彼女を包んでいた。ヒグルは、一人で桜の下に立ち尽くし、心の中で誰かに語りかけていた。
「音が聞こえない。神様が、どこかへ行ったきりで、帰ってきてないって……」
彼女の声には不満が滲んでいた。答えが返ってくるわけがないと知りながらも、彼女はその思いを吐き出さずにはいられなかった。
「占いは順調にやってる。私一人でもちゃんとできてる。みんなもそうだね。時々会いに来てくれるけど……」
ヒグルは続けた。
「傍にいてって、言ったのにな。いなくなっちゃって。せめて、お別れだけでもしたかったな」
彼女の心には、友人たちの顔が浮かんだ。鬼との戦いの後、彼らはそれぞれの道を歩み出し、離れ離れになった。ヒグルはその中でも特に、神様との絆を強く感じていた。彼女は、心の底からその存在を求めていた。
桜の花びらが風に舞い、ヒグルはその一片を手に取った。「また、会えるよね」と小さく呟く。彼女はその瞬間、心の中に温かいものを感じた。桜の美しさが、彼女に希望を与えてくれるようだった。
ヒグルはそう信じ、千年桜を見上げた。
その時、彼女の耳に微かな声が聞こえた。「…………」。驚いて振り向くが、白鈴の姿はない。
遠くのほうで声が聞こえてくる。仲間たちだ。
この日、彼らは花見をするために集まった。
再会を喜んでいると、彼らだけではない、国中からこの日を楽しみにしていた者たちが次々と到着する。
彼らは桜の木の下に集まり、食べ物や飲み物を広げて花見を始める。春の陽射しの中、笑い声や話し声が響き渡る。
花びらが風に乗って舞い、ヒグルの髪にそっと触れる。その瞬間、彼女は心の中にあった孤独感が消えていくのを感じた。仲間たちと過ごす時間が、どれほど大切であるかを改めて思い知らされた。
桜の花が満開の中、彼女たちは未来への希望を胸に、笑顔で過ごすことができるのだった。
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