_2の3 真実のすがた

第16章「星のない夜に」

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 力の限り挑んだ魔法の壁は気持ちと裏腹に儚くも打ち破られ、球体に飲み込まれた先はといえば光のささない暗黒に包まれた。地面から足が浮き、肌にくる感覚は雲のなかのようで、それとは異なり、体中至る所、「いやな何かが蠢いていた」とわかる。呼吸はできなかった。音も濁る。


 顔に、腕と、足先と、とてつもない恐怖が襲う。助けを求める。永遠と囚われると。


 しかし、それも長くは続かなかった。


 ヒグルは眠りから覚める。


 呼吸が荒い。悪夢にうなされていた。


「やっと目覚めたか」


 ヒグルは布団の上で色々と整理する。趣ある建物、どこか見覚えのある壁際に目黒がいる。


「心配したぜ。気分は、どうだ?」


「ここは?」


「ノボリだ。村瀬ウゴウの屋敷。頼み込んだら、ウゴウが匿ってくれた」


 彼女は未だに理解できない。『あの後』、どうなったというのか? それに。


「みんなは?」


「俺が目を覚まして、西の森で見つけられたのはお前だけだ」


「――探しに行かないと」


「無理すんな。わかってる。探した。だが、お前だけ。お前だけしかいなかった」


 目黒は悔しさを噛み締めていた。見つけられなかった。少しだけとか、適当になどで、粗末に表せられるものではない。ヒグルには彼の態度でそこまで読み取れた。心配なのは、自分だけではない。


 事実、彼はなかなか目覚めないヒグルを町ノボリに運び、ウゴウに預けると、その間、その動ける体で(ひとりで)自身が目覚めた場所からできる限り漏れがないよう仲間を探し回っている。生きていてくれと願いながら。


「ねえ。あれからどうなったの? わたしたち」


 ヒグルは意識を失う前のことを思い出す。「『刀』」と、手元にないと知って焦る。


 彼女は次に目黒の顔を見て、気持ちを落ち着かせた。見えていなかっただけで、大事な刀はすぐそばにあった。


 間違いない。そこにある。白鈴の刀だ。


「動けるか?」目黒は少し安心したのだろう。縁側のほうへと歩く。


「えっ? うん」


「じゃあ。見ろよ」


 彼はそう言って、障子を退かした。


「空がおかしい」


「……なに、これ? ……夜、なの?」


 ヒグルは目を疑った。外は、明るい時間帯ではないのだろうとは考えてはいたが。


「これが、『星のない夜』ってやつなんだろうな」


 見上げる場所に、星は一つもなかった。大湊の国に移り住んで、暮らして、このような光景を見た経験のある者はいないだろう。夜空一面に光り輝く星々は探せどどこにもなく、吸い込まれそうな空に確認できるのは帯状の赤い光だけである。明らかに星の輝きではない。「川」と表現もできようが、ただの風とも思えない、目で分かる速さでそれは動いている。


「空を見て、こんな気持ちになったのは初めてだ。気味がわりい」


「どうすれば」


 火門は、『大湊の化身』の封印を解いたのだろう。でなければ。


 私たちは止められなかった。


 目黒は何も言わなかった。


 ヒグルはもう一度しっかりと「空」を確かめる。こういう時、白鈴なら。


「あいつの意志を無駄にしない」彼は呟いた。「ここにある。あいつらの意志は」


「目黒」


「とにかくだ。ゆっくり休め。腹も減ってるだろ。目を覚ましたことを、ウゴウに伝えてくる」


 色々と、隠しきれていない。彼はその場を離れていく。


 


 突然押しかけたにもかかわらず、ウゴウは文句ひとつ言わず親切にしてくれた。食事や風呂を用意するなど、どれもどう伝えるべきか悩むぐらいには感謝の念に堪えない。


 我々は太陽を失ったわけだ。聞くまでもない。町ノボリは、今、混乱に陥っているであろう。人に食べ物を振る舞うほどの余裕があるとはとうてい思えない。


 平常心を保てるか。


 この空を見て、何を思うか。


 自棄を起こすか。


 中には空を見て、会いたい人を浮かべる者もいるだろう。


 身近な話題になる。ヒグルがそうだった。


 たとえば、温かい湯に浸かりながら、「白鈴」と口にするほどには。


 そうして時間はいくら経てど、この見上げる大空にこれといって変化はない。


「お前が眠っているあいだに空飛ぶ船を見た」


「船?」


 火照った身体に風があたる。縁側にいた彼女に、目黒が話しかけた。


 彼も縁側で不動の姿勢をとる空を眺める。


「ありゃ大国の船のようにも見えたが」


「それって……。まさか。攻めてきたんじゃ。こんな時に」


「どうだろうな。それにしては、静か過ぎやしねえか? 俺の目には攻撃をしているようには見えなかった。危機感でも覚えたか。それとも、見学にでも来たのかもな」


「『様子見』、じゃなくて?」


 星のない夜と不意に浮かんだ大国の船。そこに「救援」という言葉は出てこない。兎にも角にも彼らからしてみれば、望まない最悪の事態でしかなかった。


 目黒は考える。「この状況は、他の国からは、どう見えてんだ? 世界中が、まさか、こんなことになってるわけはねえよな」


「たぶんだけど、この現象は、この国のなかだけで起きてる」


 空を眺めれば眺めるほど不安に襲われる。規模を把握できない。逃げ場など、私たちにはもうどこにも無いのではないか。


「そう、思いたい」


 すると、屋敷内を大きな音を立てて、ウゴウが帰ってきた。彼は少しの間、屋敷を留守にしていた。


 ただならぬようす。彼はどうにも慌てている。新しい知らせを得たようだ。


「よかった。いたか」


「なに? どうしたの?」


「お前たち。無理を承知で言う。頼みを聞いてくれるか」


「なんだ? どうした?」


「カシワが危ない」


「カシワが?」


「『カシワが危ない』って、どういうこった」


 応援に向かったはずの部隊が道中鬼に襲われた。部隊は壊滅。助太刀を求むカシワに非情にも到着していない。


 つまり、追い打ちが加わったかたちだ。


『夜』の影響で、鬼の群れ、その勢いが増している。


 ウゴウの話を聞いて、二人は早速カシワへと向かうことになる。


 


 この数年で、森は消えた。誰かがそう言った。鬼との戦で、豊かな森は死んだと。


 悲しいことに木々は減り続けているようだ。ヒグルの目にはそう見えた。以前よりも、その範囲は着実に拡大しているように感じられる。


『夜』の街道は、日々研鑽する侍であろうと気軽に通れるような場所ではなくなっていた。


 ヒグルは急いだ。目黒も急いだ。どうにかカシワに到着すると、住人たちによって温かく迎えられる。それはまさしく「古き友との再会」を喜ぶかのような。


 見知った顔。門の外からでは見えない町の中の現状。わかっていたことであっても、複雑な気持ちとなる。


「二人か? 他の奴らはどうした?」


「あの小さな子は? やかましい女の子もそうだが、あのこまいほうの」


「そうか。残念だな。まだこれからという時に」


 悲惨な光景に二人はある程度見て回り把握してから、代表シノハラのもとへと向かう。


 暗さが嫌になる。帯状の赤い光は、ノボリから移動しているあいだもずっとあの調子だ。


「まったく。お前たちときたら」


 シノハラは書物を眺めながらそう言った。音だけで、誰であるかを理解した。


「戦況は芳しくないようだな」


 挨拶は無しにして、目黒は本題に入ろうとする。


 シノハラはちらりと目をやる。


「ほかの仲間は?」


「俺たちだけだ」


 ぱたんと書物が閉じられる。「見てきたのか。ああ。見ての通りだ。直に、カシワは落ちる」


「そこまで追い詰められているのか。群れは聞く限り相当凄いらしいな」


「だから、お前たちには、来て早々悪いが」


「なんでも言って。私たちにできることなら、なんでもするから」


「嬉しいことを言ってくれる。だが、悪いが……。お前たちはいますぐカシワを離れろ」


「冗談ってわけじゃねえよな?」


「今ならまだ間に合う」


「どうして? 私たちも」


「命あっての物種。ここまで来れたんだ。お前たちなら街道を戻ることくらいできるだろう」


「どういうつもりだ。そんなんでいいのかよ。お前たちは、ここが――」


「俺たちはカシワで生まれ、このカシワで育った。最後の最後まで鬼たちに故郷を譲り渡すつもりはない」


「わっかんねえ」


「お前たちにも、成すべきことがあるのではないか」


 シノハラは固い決意を有している。鬼たちの進行が『ここ』で終わりとは考えていない。


 逃げる選択だってあってもいいはずだ。そのなかで町に残っている者たちは『選んだ』。


 沈黙が続いていると、そこに若い男がやってくる。


「報告」


「なんだ? もう、次の群れが来たか?」


 シノハラはとりわけて警戒していた。


「いいえ。男です」彼は息を整えた。「背の高い、槍を持った男が、このカシワにまっすぐ向かってきています」


「なに?」


「それって?」ヒグルは数少ない特徴でひとりの人物を浮かべる。


「まさか……。行こうぜ」


 突然の贈り物であるかのように、二人は驚き喜んだ。伝え聞いた話を確かめるべく門の外まで駆ける。


 たった一人で荒廃したカシワの大地を歩く男とは、石隈糸七、彼であった。


「無事でよかった。無事で」


「この野郎、生きてたか」


「当たり前だ。勝手に殺すな」


「これまで、どこで、何をしていたの?」


 糸七は経緯を語ってくれた。シュリは無事なようだ。彼は、彼女と共に、屋水近辺の森で目覚めた。(探しはしたが)他には誰もいなかった。


 シュリはというと、現在、はゆまにいる。


「白鈴が『屋水姫』ってどういうこと?」


 糸七はシュリから聞いた話を端的に伝える。彼女がはゆまへと向かった理由だ。


「シュリはそう考えている。白鈴があの『屋水姫』だと。白鈴がそこにいると」


「街道も鬼で溢れてるのに。一人で平気なの?」


「私たちを、あの球体から救ってくれたのはアオバだ。シュリはその枯れ谷の巫女といる」


「そうなんだ。枯れ谷の」


「シュリは自分が何をすべきかを分かってて、模索中ってわけか」


「それでカシワの状況はどんな感じだ? 危ういと聞いて駆け付けてみたわけだが。二人もそうなのだろ?」


 彼らは過程を共有する。


 話が纏まると、二人で出せなかった答えを告げるためシノハラに会いにいった。


「まだいたのか」


「シノハラ。らしくねえ。弱気となるには早いだろ」


「助け合いは、大事だよ」


「共に戦おう。我らの手に勝利を」


「べつに一緒に死のうと言ってるんじゃねえ。明日を生きようぜ。だろ?」


 


 間もなく始まる戦に彼らは気持ちを奮い立たせる。予想される次の群れまで、時間はまだあった。それまでに、それぞれができることをする。


 ヒグルは食事の支度を手伝った後、大勢いる怪我人たちの世話を続けた。このあと戦いもある。彼女は休憩を勧められた。そこで糸七に声をかけられる。


「後で話すべきかと思ったが、今話しておこうと思う。白鈴についてだ」


「白鈴が屋水姫って話?」


「大鳥の祠で、私たちは火門と争った。火門は大量の鬼を従え、最後に大湊の化身が姿を現した。そして強大な鬼の力を前に、私たちは敗れた」


 白鈴は最後まで抗っていた。鬼であることを自覚しながら最後の時まで人でいたいと。


「私たちは、大きな勘違いをしていたのかもしれない。シュリが言うには、大鳥の祠にいたのは、火門ではないそうだ」


「『大湊の化身』が火門に化けてたって言いたいんだよね?」


「そうではない」


 彼女は待つことにする。


「最初から。最初からだ。化身もそうだ。私たちが戦ってきたのは、屋水の神『屋水姫』だった可能性がある」


「屋水姫? 最初から?」


 ヒグルは理解が及ばなかった。要するに、大湊真道は『始めから』『存在しなかった』と言っているように聞こえる。


 あの時、同じ人間のようには見えなかったといえば確かにそうだ。


「白鈴が屋水姫で。火門も屋水姫だった? それって……?」


「私にはわからない。しかしシュリはそう確信している。大鳥の祠での戦いで、何か見えたようだ」


 糸七は目黒にもそれを伝えていた。目黒はそれを聞いて戸惑っていた。


 では、本物の火門はどこにいるというのか?


 ヒグルも思う。屋水の火災。賊たちに襲われたあの夜。お社に現れた男は火門だった。


 あの夜。眠っていた屋水姫が目覚めた。


 白鈴が目を覚ました。


 真相はわからず、食事の時間となる。ヒグルはかげかげを眺める。


 戦士たちが集まっている。そこにシノハラが現れ、彼は一人ずつ声をかけていた。


 


『星のない夜』。鬼の群れは想像を絶するほどのものだった。


 荒れ果てた大地は再び「森」へと入れ替わり、人を惑わせる。これまで鬼と戦ってきた彼らにとって環境の変化など慣れたものだが、(目を凝らせば上空)桁外れの勢いを弱め辛抱し切り抜けるのは容易いものではなかった。


 この群れをはねのけたとしても、カシワの被害は相当なかたちとなると予想される。


 手強い鬼との戦闘で経験を積んできた彼ら三人だけでは。


 この日を乗り越えたとしても。


 戦場はそれほどものだった。


 しかし、このような状況下で逃げもせず戦に加わる者もいた。上井ヒユウと下屋敷いなびである。二人はどこからともなく姿を見せると、第一線で活躍するのであった。


『星のない夜』の下でカシワの危機と云われた大戦は、勝利を収めることができた。空に朝日はない。


 


「で、要するに、要するにだよ? 神様である屋水姫が、大湊の化身を復活させた、ってことでいいんだよね?」


 群れが一時的に去ってから、上井といなび、彼らも事情を知る。二人については、それぞれ別々の場所まで飛ばされていたようだ。


「白鈴は屋水姫だった。なんだか信じられない話。でもなんでシュリは『はゆま』に?」


「はゆまを目指したのは、姉リュウの言葉を忘れていなかったからだろう」


 上井は行動にあまり疑問を感じていない。彼には思い当たるところでもあるようだ。


「シュリは、いま大丈夫かな?」


「枯れ谷の巫女といるつっても、安心できるもんじゃねえかもな」


 目黒は方針を定めようとする。


「話を聞く限り、国中どこもかしこも鬼だらけだ」糸七は行く先々で情報を集めていた。「私たちが次に目指すべき場所は」


「ねえ、『はゆま』に行かない? シュリのいるところに」


 ヒグルは意見を述べる。


「私、分からないままでいたくない。白鈴のことも。この国も。このままでいいとは思えない」


「お前たち、まだいたのか」


 シノハラが駆け寄る。早急に被害の大きさを調べる必要があると言っていたが。


「急がないと、ノボリから侍どもが来るぞ」


「わかってる。カシワは、もう大丈夫なんだな」


「ああ、カシワはもう心配はいらない。だから、お前たちは留まるな。進め。待っている奴らがいるんだろ」


 名前を呼ばれている。隙間を見つけてやってきたか、シノハラはそう言って去る。


「ウゴウも仕事が早いもんだな」


「シュリがこの現状に一番詳しい」上井は言った。


 いなびは思いつく。「あっ、ねえねえ、白鈴が本物の屋水姫だっていうなら、特別な鈴で呼び戻すことができるんじゃない?」


「『鈴』か」と糸七は呟く。


「でも、その『鈴』ってたしか……」


「カシワに在った『鈴』を持っているのは、雲残という男だ」


 上井はそう言うと、難しい顔をする。


「だよね。居場所、わからないよね」


 上井は俯きをやめる。


「『鈴』は、任せてくれないか?」


「居場所、わかるのか?」


 すると、いなびが声を大きくした。


「私もついていかせて。お願い」


 彼は間を置く。「いいだろう」


「よっしゃ。じゃあ俺たちは『はゆま』に行くか。シュリに会いに。あいつに会いに」



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