第14章「枯れ谷の大蛇」

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 昔々から恐ろしい大蛇が住まうという枯れ谷、そのもっとも近い街ハシロに白鈴たちは到着する。彼らが次にハシロに訪れた「目的」はというと、長生きな『白蛇』に会うためである。


 白蛇は、この三年ほど屋水姫を探し続けている。大湊から鬼を減らす方法、鬼が増える原因、物知りであるなら火門がやろうとしていること、など。彼らは教えてもらおうと考えた。


 そして白鈴は、自身のことも。


 内で、知ることができるのではないか、という僅かな思いがあった。私は、鬼。


 間関衆――。『大湊真文』殺害に関与している可能性がある『男』が、ハシロにいる。そんな情報も彼らは手に入れた。


 火門も、ハシロで一人でいるところを目撃されている。


 しかしながら到着早々、ハシロの住人はというと――別のことで――道端で時おり噂話していた。


 神頼み。選ばれた『屋水姫』についてだ。そう、話題で持ち切り、『儀式の日』が近かったのである。なかには、「儀式の中止について」言葉にする者もいた。


 あと、もう一つ。東姫の噂である、東姫が火門に短刀を向けた話。以前に白鈴がはゆま村で聞いた話が、ここハシロでも話題となっていた。それは、初耳なのだろう。シュリは誰よりも驚いている。彼女は顔色も青ざめる。


 


 さっそく白鈴たちは、『枯れ谷の白蛇』と顔を合わせる方法を考えた。枯れ谷に入るのは容易くはない。枯れ谷とは、神が住まう場所。蛇神信仰であろうとハシロの住人でも侵入を許可されていない。


 忍び込めばいい。見つからなければいい。そんな考えもあるだろう。だがそれも、枯れ谷の巫女に阻まれるのは予想がつく。とくにシュリは無理だよと否定した。


 彼らが相談していると、偶然と言えるのか、一人の男と遭遇する。白蛇の信徒。紙崎で、白鈴とシュリが世話になった人物だ。西尾である。彼は歩きながら、考え事でもしているようだった。


「お前たちは」


 悩みは、儀式についてだろう。なぜなら、枯れ谷の巫女ハユキが枯れ谷に行ったきり、いまだ帰ってきていないのだとか。


「悩みが尽きないみたいだな」


 白鈴たちは事実を確認した。ハユキの行方を。


 そして、自身の「目的」のため、そこに付け込むことにする。儀式の日は近い。


 西尾が協力するとは限らなかった。なぜなら、枯れ谷とはハシロの住人でも入れないのだから。


「何を考えてる」彼はやはり疑った。


 白鈴は本音を出す。白蛇と会いたいと述べた。この乱れた世、物知りであろう大蛇に尋ねたいことがある。


 彼は考えた。そして最後に同意する。


 提案にのらないかとも思われたが。


「巫女は三人いる。蛇神が認め、他の枯れ谷の巫女が許可してくれるかはわからない」


 彼は作戦を立てる前に、ひとつ打ち明けてくれた。紙崎、宿「たみや」で主人の息子から受け取った手紙についてだ。「火門はかしわ方面へと向かった」あの手紙の差し出し人はハユキだったらしい。たみやに届けたのが彼である。


 


 白鈴を『屋水姫』とし、枯れ谷の巫女『サザナミ』に紹介する。西尾は思惑が順調に運ぶように動いた。


 サザナミはとくべつハユキの身を案じている。


 枯れ谷で暮らしているという巫女『アオバ』からも、彼女の行方についてはわかっていないようだ。


 儀式を目前としている頃に唐突に現れた、もう一人の屋水姫。聞く耳を持たない。サザナミは「対面すらしない」とも考えられた。


 だが意外にも、サザナミは拒絶しない。西尾が言葉巧みに働きかけたか。


 白鈴は一人でサザナミと話す機会を得る。屋水姫の最終試験のようなものだろう。


「あなたが……。ハユキを」


 ハユキからもおそらく色々と聞かされている。布で目を覆う巫女は、興味を持っている。


「任せろ」


「確認します。屋水姫として、あなたは、枯れ谷に足を入れる覚悟はありますか?」


「ああ」


「わかりました。ではここで、あなたにお話ししなければならないことがあります。これは、過去の二人にも、今のように、伝えてきたものです」


「これまで散々、私たちはあなたを『生贄』とは言ってきましたが、あなたが『枯れ谷』で死ぬことはありません。あなたは、巫女と白蛇様によって守られる」


 目を細め続きを待つ。「……終わりか?」


「申し訳ございません。もうひとつ」


 彼女の雰囲気が変わった。


「こちらへこい。もっと近付け。――我の元まで必ず来い」


 


「西尾、同行について、許可します。三人だけで入りなさい」


 サザナミの助言により、白鈴はシュリと西尾の三人で『枯れ谷』に向かった。屋水姫ではない者たちは、仲間だとしてもやはり許されることはなかった。


 草木が少なく、霧の多い『枯れ谷』。「神秘的」と口にする者が多いが、そこは気味の悪い場所でもあった。


 人気のない、冷たい空気がずっと流れている。たとえ神域とされても、それは尊く壮麗である神などではなく、何が出てきても不思議ではないと感じ取れる。


 進んでいると、白鈴は若い女と出会う。明らかに、その女は人間ではなかった。


「あなたを待っていました」


 姿こそ違えど見覚えのある女だ。ここまで追いかけてきた、と考えるのは間違いだろう。


「さあ、こちらへ」女は手を差し出す。


「何が望みか聞いてもいいか。紙崎で会った。カシワでもあったな。サザナミのあれもそうだろ」


 間を置く。「人に、戻りたい。だから、あなたが欲しい」


「そんなことだろうと思った」白鈴は刀を取り出し、鞘から抜く。


「気付くことがなければ幸せだったのに。拒まなければ苦しむことはなかったのに」


「気付かなければ幸せか」


 女は姿を変えた。人間など、簡単に丸呑みにしてしまうのであろう大きな『蛇』となる。


 戦闘が始まる。


 ――長引いたりはしない。


「わかっているのだろうが、お前たちは人にはなれない。戻れない」


「どうしてそんなこと言うの?」


 願いを諦めたか。大蛇は力で負けてしまったことで、あっさりと弱気となる。


 彼らは暴れすぎたようだ。崖の上から岩塊が崩落する。下には西尾もいた。


 彼を岩石の下敷きから守ったのは大蛇だった。そして大蛇は何も言わず悲しそうに、彼らの前から姿を消す。


 


 


「平気か?」


 白鈴は西尾に問いかける。ひとまず状況は落ち着いた。くわえて崩落の危険はない。


「あれは、なんだ? あれがまさか白蛇様だっていうのか」


 彼は襲い掛かる(食おうとした)怪物を目の当たりにして、懐疑心を抱いている。


「大蛇を見るのは初めてか」


「当たり前だ。言っただろ。ハシロにとって、枯れ谷は神聖な場所だ」


「シュリ、あれがそうなのか?」


「ごめん。わたしも、わからない」


「そうか」


「だけど、そう。白蛇はもっと、山を飲み込めるぐらい、大きな姿をしているって、お姉ちゃんから聞いたことある」


「私も。これまでのことを考えると、手応えはなかった」


「つまりあれは、白蛇は全力を出しているわけではなかったってこと?」


「戻るつもりはない。先を進めば、わかるだろう」


 逃げた白蛇を追いかけるかたちとなる。戦いは避けられない。用事も終わっていない。


 西尾は動揺の色がある。「あの蛇が、長くハシロが崇めていたもの。正体。生贄。人の為じゃない。人に戻りたい? たんに飢えを感じていたってわけか? これまでの屋水姫は、餌でしかなかった。ということか」


 白鈴は聞くだけで、何も言わない。


「ハユキ様は、食べられてしまったんじゃないか? サザナミ様が、入ることを認めてくれたのも、俺たちを」


「それはないな」


「言い切るか。何か言われたか?」


「ハユキを倒すのは、難しいぞ」


 西尾から反対の意見は述べられなかった。彼はひとしきり考えを巡らしており、整理でもできたのかすっと警戒する。


「お前も、人ではなかった。……いやそりゃそうか」


「私は人ではない」


 距離を測る彼がここで別れて行動しようなどと口にしたら、そうとう面倒な状況になる。


「鬼だ。怖いか?」


 彼は黙る。


「怖いだろ?」


「お前より怖いものはいくらでもある」


 石を投げるほど態度を変えたりはしない。白鈴はここまで抱いていた疑問を取り除くことにする。


「西尾、なぜ私たちに協力した?」


「白蛇の儀式を執り行うためだ」


「お前は、枯れ谷に入りたがっていた。違うか?」


 元々は、枯れ谷には白鈴だけが入る予定だった。シュリはまだわかるが、彼についてはサザナミに自ら話を持ち掛けたように見える。熱心なだけと考えるのは些か無理がある。


 西尾はしばらく黙っていた。観念したようだ。


「俺には妹がいる。ちょうどお前ぐらいの可愛い妹がいた。白蛇様が屋水姫を探し始めて、生贄として、一番目に選ばれたのが俺の妹だ」


 最初に選ばれた屋水姫。それが、彼の妹。嘘を言っているようには見えない。


「俺は出稼ぎで、大湊を離れていた。稼ぎの一部を俺は妹に与えていた。それが、知らない間に。ヨミは『生贄』になっていた。ヨミは、何も教えてはくれなかった」


 白鈴はこの時も冷たい空気を感じている。彼女は場合によっては一度切り上げるべきではないかと考えた。


「聞いてもいい?」シュリは静かに問う。「どうしてヨミさんは教えてくれなかったの? なにかあって」


「わからない」


「枯れ谷で生きている。そう思っているのか?」


 彼が、この地へと訪れた理由。


「そう、かもな。いや、『死んだ』と思ってる。だが、あいつが」


「なんだ?」


 西尾は巾着袋を取り出す。なかにはお守りがいれてあった。「ヨミが大事にしていた鈴だ。これがヨミが死んだと知ってしばらくしたある日、俺のところに来た。ヨミはこの鈴を、形見を、誰かに渡すようなことはしない。それだけ大事にしていた。手放すはずがないんだ」


 死んだ後に届いた持ち物。誰かが彼に届けたのは間違いない。


 彼は死んだと思っている。妹が生きているとも願っている。


「あなたが『枯れ谷』で死ぬことはありません。あなたは、巫女と白蛇様によって守られる」


「どうした?」西尾は白鈴の似合わない口調に、眉の辺りにしわをよせる。


「サザナミの言葉だ。これまで生贄となった者に同じことを言っているらしい」


「それは、励ましか? 紙崎のときでも思ってたが、お前はなんだか慣れていないのか」


「知りたいのだろ。聞くしかない。あれは、人に恋しいだけであって、お前の妹を殺したわけではないかもしれない」


 引き返しはしないで白鈴は先を進んだ。すると、「怪しげな霧」に視界を包まれる。


 妙に開けた広場へと出た。そこには薙刀を持つ一人の影が立っている。


 


 草木のない大地にその美しい巫女は立っていた。枯れ谷の巫女ハユキ。このところしばらく行方がわからなかった(心配までされていた)、というのに、彼女は案外すぐに見つかる。健康そうでもある。


 この環境、ハユキとは落ち着いて会話をしたかった。いろいろと理解できないからだ。出会う前の白鈴はそうだった。彼女の望むような方向へとはならない。それは、相手がハユキだからであり、(実際その時にならないと)成り行きからそうなるとも限らない。


 白鈴は話しかける前に感じとる。指先には自然と力が入り、火が隣家に移るように沸き立っていた。


「私は非常に喜びを感じています。このような機会がまさか訪れるなんて。あなたもそうではありませんか?」


「シュリ、下がっていろ」


 彼女は刀を抜く。戦わないは、有り得ない。


「熱く、しのぎを削る」


「ああ、そうだな」


 ゆがみを存分に活かした戦闘。


 争いは熾烈を極めた。


 それからそれから。もとの地形が、どんなものだったか。


 もうわからなくなってきた頃になってようやく事態が進む。


「このくらいにしましょうか」ハユキは戦いをやめた。


「いいのか?」


「ええ。今は」


 彼女は感動の余韻にでもひたっていた。


 つかの間の休息。安全だと知り。シュリが西尾と共にやってくる。


「二人ともおかしい。どうして戦ってるのか全然わからなかった」


「この霧。これは」ハユキは少し間を置く。「あなたがやったのでは?」


「ちがう」


「そうでしたか」


 微笑む彼女を見て、心配するのは誰もが無駄だとわかる。


「それで、なぜ。シュリはわかりますが、あなたがここに?」


 ハユキは西尾に問う。禁じられているのであれば、当然の疑問だ。


「ハユキ様、これだけでいい。答えてくれ。俺は受け入れる。受け入れている。ヨミは本当に白蛇に食われたのか」


「なるほど」彼女はそれだけで理解まで至った。「ヨミは、白蛇に食べられてはいません。白蛇は食べてはいません」


「食べてない? ヨミは、生きている・・・・・のか?」


「残念ですが生きてはいません」


「やっぱり、生きてはいないのか」彼から希望が失われる。「どうしてヨミは死んだ?」


 ハユキは視線を外す。「あとになって、ヨミがあなたの妹だと知りました。あの子は。『私に、家族はいません』と言っていました」


「ヨミが、そんなことを? いや――。そうか」


 知らない間に。教えてもらえなかった。その言葉に、彼はどんな出来事よりも落ち込んでいるように見えた。


「実はヨミは、枯れ谷の巫女として呼ばれたのですよ」


「ヨミが? 巫女?」


 静寂の瞬間が訪れる。呼吸して、彼は心のなかの嵐を鎮めようとしていた。


「現在、枯れ谷には、怪しげな『鬼』がいます。私は、そのものを長く探している。その鬼がこれまでの選ばれた屋水姫を食らっています」


「鬼」と白鈴が呟くと、隣では「鬼が、枯れ谷に」とシュリが呟く。


「逃げ隠れが上手なようで。白蛇では警戒され、私も一度倒したのですが、裏をかかれました」


「二人目も、ってことだよね?」シュリは鬼の仕業であることを確認する。「ハユキが倒せないって」


「いいえ。あれは確かに倒しました。ですが」


 彼女はそこで言葉が途切れる。


「ハユキが町に戻らなかったのは」


「はい。鬼を探していました」


 白鈴は考えた。「その『鬼』とは、もしかして大きな蛇の姿をしていないか?」


「いいえ」


「違うか」


「もう、白蛇と会ったのですか?」


「会った。ここに来るまでにな。思ったより小さかった」


「それは、きっと、アオバではありませんか?」


「巫女の?」とシュリがゆっくり言う。


「ええ」


「あれがアオバ? 人ではなかったぞ」


「アオバは人ではありません。どう表現しましょうか。古い言い方で、『里巡り』とも呼ばれますが、巫女です」


 あれは白蛇ではなかった。だとしたら、アオバの目的とはいったい?


「何かあったのですか?」


「襲われた」


「それは。大変でしたね。どういうわけか、アオバはこのところ人でいたいと望んでいる。人に戻り、人であることで、実感したい事でもあるようで。だからあなたなら、それがかなえられると思い、欲しているのかもしれません。あなたからしてみれば迷惑な話ですね」


「里巡り」とシュリが呟く。


「枯れ谷に潜む『鬼』は、『紙切れ』、形容しがたい姿をしています。その鬼を追い出したい。アオバなら鬼を見つけられるはずなのですが」


「白蛇と会うにはどうすればいい」


「会う気になりましたか」


「だからここにいる」


「そういえばそうでした」


 ハユキと戦うために、ここまで来た、とでも考えていたのか。


「では、そろそろここから出ましょう」


 彼女は薙刀を一振りする。霧が生き物のように動いたかと思うと、彼らが立っているのは開けた場所ではない。


「この先です。白蛇はこの奥にいます。進みなさい」


「ハユキは?」


「私は、鬼を」


 いつでも出られたのではないか。そのくらい軽々と彼女はやってのけた。


「西尾、あなたは駄目です。それは許すことはできない」


 問題ないようにも見えたが、彼は呼び止められる。


「あなたには、ヨミについてお話ししておきたいことがあります」


「俺も、聞きたいことがある」



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