第13章「なんのその忍び娘」_2
「間違いない。あの身のこなし、忍びの者ではあったが、あれはヌエではないだろう。どこか、別の忍びだ。『間関衆』、のようではあったが」
「間関衆」白鈴は呟く。「なぜ、間関衆とヌエである幸畑が、手を組んで襲ってくる?」
上井は間を置いた。
「いま大湊城城内では、『間関の里には不穏分子がいる』という噂がある。危険思想持つ集団をまとめ、指揮を取っている者がいると。聞くところ、尻尾は未だ掴めていないようで、誰だかはわかっていない」
「指揮を取っているのは、あのイワノメという男ではないのか?」
「イワノメではない。現状、べつだと、判断をしている。幸畑は、おそらく、『なんにもない山んなかで』、それを探っているのではないか」
イワノメではないのだとすれば、ふたたび罠にはめられたと考えるのは、軽率なふるまいか。
上井は呟く。「幸畑は、我々がここに来ることがわかっていた」
こうなると、どう考えるべきか。
「いなびを探すことに、変わりはないか」
白鈴は思考を進める。
「上井、なにか、知っているのではないか?」
「なにをだ」
「間関とヌエについて。いなびは以前に、『真文殺害』には黒幕がいると言っていた。毒殺は、はっきりと『間関衆ではない』と。間関とヌエの間にある問題は知らないが、なんの根拠もなく、そのとき、いなびが言っているようには聞こえなかった」
彼は歩みをやめる。
そして、少し休むか、と彼は言った。
「間関衆に、『ゼンノスケ』という男がいた。まだ若く、純粋な男だったと聞く。その男が、『毒』を仕込んだ者で間違いない」
「間関の里を去ったという忍びか?」
上井は頷く。「使用された『毒』は、扱いを心がける『忍び』であれば、とくに珍しくもないものだ。知らぬ者だと、己を殺める。体の大小関係なく、そのくらい確実なものだった」
「他国とのやり取り。証拠となった、手紙の主とは」
「そのゼンノスケだ。行方についてはわかっていない。勿論、死体もみつかっていない」
穏やかな風が吹く。
「まんぷくに、トドロという男がいただろ」
「あの男が、なんだ?」
「真文が死に、大湊は混沌の淵に沈んだ。身分など関係なく近いものから徹底的に調べ上げられた。間関衆に疑いの目が向くなか、間関の里のなかでいち早く、ゼンノスケを怪しんだのがあの男トドロだった。トドロはゼンノスケと親しい仲でもあった故に、日常生活の中で、不審に思えたところがあったそうだ」
彼は少し間を置く。
「あの男は口にしていただろ。『どうして、あの人が、死なないといけなかったのか』」
「友である故、でもあったか」
「今も、友であると考えているのかは怪しいがな。里を去っている。証拠の手紙もある。この一件で、間関衆はシシタケだけではなく、大事なものを失っている」
白鈴の考えは、変わらなかった。彼の言葉から彼女にはそう思えた。
「シシタケは、その当時、真文様が死んだことには変わりはないと言った。そう言って、死を選んだ」
見せしめとして間関衆里長であるシシタケは殺された。真文様が死んだことには変わりはない。白鈴は違和感をより覚える。
「ここで、下屋敷いなびの両親についても話しておこう」
「なにか関わりがあるのか?」
「いなびの両親は、当時まだ十一の娘を里に残し、裏切ったとされるゼンノスケのあとを追いかけている。父親は母親に、里に残るようそのとき説得したようだが、最終的には二人で行動することにしたようだ。二人とも、何者かの手によって殺されている」
「川にいたあの男が見せた反応は、そういうことか」
「彼らは、『死』に関しては知らないだろう。だが、あれから五年が経過している」
「いなびは、この五年」
「そのあたりは、里にいるいなびの幼馴染にでも聞けばいいだろう。それより――」
上井は悪い想像が脳裏をよぎった。
「幸畑。間関。いや、うがち過ぎでないといいが」
「なんだ?」
「いなび、彼女に危険が迫っている」
「どういうことだ?」
「死んでいることも、本人は知らないはずだ」
長く手入れがされていない老朽化したお社、その朽ち果てた境内を黄金色の夕焼けが照らしている。一見、木々が揺れるだけで人影がないように見える。しかし静かに忍びが集まっている。そんな建物で、いなびはというと、地下にある檻のなかにいた。
彼女は忍びヌエ幸畑を追いかけて、ここまでたどり着いた。
「何が目的? トドロ。ここから出してほしいんだけど」
「見られてしまったからにはしかたない。いま、お前に下手に動き回れては困る」
身動きを封じられ、いなびは暴れず、格子の向こう側にいる相手をじっと見上げていた。
「ふうん。そう。じゃあわかった」
彼は意外だと首を縦に振る。「素直だな。里を離れているあいだに、大人になったか」
「それならさ、ここで何をしているのか、それぐらいは教えてくれない? 同じ間関衆として。悪いことしてるんでしょ? ヌエと、なんで仲良くしてるんですか?」
「あの男は協力者だ」
「協力? 答えになってない」
「俺は、ヌエを壊滅に追い込むつもりでいる」
「そんなの無理だと思うけど」
似たような質問を、いなびは里長であるイワノメにもしている。彼女は新井戸屋敷から「幸畑」が出てくるのを目撃していた。そして。
こんな状況でも、トドロの家族のような振る舞いは変わらなかった。「お前の、コソコソ嗅ぎ回るとこ、直したほうがいいぞ」「ふっ。忍びなもんで」
彼はそこで胡坐を組んで座る。
「じゃその忍びさんよ。お前はどうだ。仲間になるか」
「わたしはイヤ」
「そう言うだろと思ってたよ」
「……本気なの?」
トドロは檻の前で一度視線を外すと、彼女を見詰める。
「なに?」といなびはその目が気になり問いかけた。
「いなび、シシタケがなぜ殺されなければならなかったのか。考えたことはあるか」
「それは、ゼンノスケが里を捨てたから」
「大湊の奴らは、毒殺を間関衆の仕業として、その考えをすこしも変えなかった。そうだよな」
いなびは怪訝そうな表情をする。彼女には彼が何を言いたいのかわからなかった。
「これを、お前に見せてやる」トドロはそう言って、衣服からあるものを取り出した。
いなびは首を傾げる。
「手紙? それが、なに?」
「これは、俺が、城から盗んできたものだ。それでこの中身はというと、大湊真文殺害の計画」
「トドロ、あの城に忍び込んだの? それで。すんごっ」
「お前にはわからないかもしれないが、まあ見てみろ。これを見て、どう思う?」
そこには、文字が並んでいる。
とくべつ、おかしなところは見当たらなかった。いなびにはそうだ。
「どう? うーん」目を凝らしたところで、彼女に気付きはない。
「これは、ゼンノスケの文字ではない」
「うん? えっ? えっ? でも、たしか、やり取りの手紙って、ゼンノスケが書いた物だって話じゃなかった? ちがうの? ゼンノスケじゃなかったの?」
「決定的な証拠と、俺たちは言われたはずだ。あの日。シシタケから」
「ううん? 間違い、ないの? 本当に、ゼンノスケの文字ではないの?」
「ゼンノスケは、裏切ってはなかった。すべて、ヌエが作ったでっち上げだった」
彼は『手紙』を折り畳むと、大きく息を吐く。
「お前の両親は、里を去ったというあいつを、追いかけて行ったよな」
うん、といなびは静かに頷く。
「あれから、もう五年だ。たしか、待っててくれと、あの二人に言われたんだよな」
彼女は何も言わない。『出かける前、二人が何かを話していた。』そのことを思い出していた。
「二人の行方についても調べた。二人とも、既に死んでいる」
いなびは間を置く。現実を否定するように、彼から目を背ける。
「お父さんも。お母さんも。死んでるのはわかってたよ」
「そっか」彼は俯く。「そっか。スマンな」
トドロがどうして謝ったのか。このとき、いなびには理解できない。
「いなび。俺たちの仲間にならないか。お前がよければ、歓迎する。シシタケも、ゼンノスケも、お前の両親も、ヌエに殺されたんだ」
実のところ、『出かける前日』に、トドロもいなびの両親と対話をしている。あいつはどうすんだ。
彼が見つけた真実。
誘いには返事はもらえず、トドロはそれからその場を去っていった。
無言を貫く二人の見張りがいるなか、そうして時は夜となり、古いお社の地下では何者であろうと、「一人」となれる不都合のない平和な時間が流れる。
ゼンノスケは、犯人ではなかった。
誰か来た。人の気配を感じて、たくさんの思い出をしまい、いなびは首を横に振る。
「気は変わったか?」足音の正体はトドロだった。
「私は手を貸さない」彼女の気持ちは同じである。
「どうしてか教えてくれるか」
「望まないから」
わかった、と彼は言う。「それなら、しばらくそこで大人しくしていろ」
トドロは彼女にほかにとくべつなことは何もしないで、静かに去っていく。
再び孤独となり、いなびは考える。ここから脱出する方法などあるだろうか。ここで、待っているだけでは、近いうちにトドロはよくないことを実行に移すだろう。
見張りには口をきいてはもらえなかった。一か八か、隣の檻に向かって彼女は声をかけてみる。
「それで、なんであなたまで捕まってるわけ?」
隣の檻にいるのは、忍びヌエ幸畑だった。少し前、彼は拘束された状態で連れて来られた。
厚い壁の向こう側にいるのは明らかだ。ところが、幸畑から返事はない。
「雑魚」
「……辛辣きわめてるな」彼は反応した。「これは、作戦だ」
「作戦?」
「俺は、殺されることが決まってるそうだ」
いなびは聞いて、戸惑う。「なんで?」
「なんでって、おかしなことでもないだろ。情報を吐く気のない奴はいらない。まあ、俺は、戦力にはなるとは思うんだがな」
「信用されてないんでしょ」
「あの野郎は、始めからそのつもりだったみたいだぞ。つまり俺は餌ってわけだ」
トドロは、未だ謎の多い『ヌエ』と駆け引きをやろうとしている。
いなびはこの男が脱出を図ると踏んだ。殺されることが決まっているとするなら、なおさら彼は相手の思い通りにはならないだろう。
「だれ?」
いなびはどうしてやろうかと計画を立てていた。するとそこで、見張りが二人同時に糸でも切れたように動かなくなる。
女がいる。
いなびがいる檻の前に、一人の女がやってくる。女は何も言わず鍵を取り出すと、檻の扉を開けた。
身動きが取れない彼女は首を傾げた。「だれ?」間関衆ではない。
「動かないで」
彼女は縄を解いてもらう。
「立てますか? いきましょう」
手順よく運ぶ。非常に手際がいい。ここまで非の打ち所が無い。
「ミドリ?」
しかしながら幸畑は、そんな女にたいし疑問を抱いていた。彼女が(ミドリが)、そのまま地上へと向かおうとする。
「あれ。そこでなにをしているのですか。幸畑くん」
明らかに、彼の存在は知っていた。いなびには言動からそう思えた。
「ああ」幸畑は後ろめたい思いでもあるのか。「それはなあ、色々あってだ」
「いこう」
「おっと、鍵は?」
「ありません」
「行く気か?」
「あなたはそこで反省を」
ミドリはそう言って、彼をその檻から出すことはなかった。
「いいの? 仲間だよね?」
いなびは「ミドリ」と呼ばれる女の指示に従い、地上を目指す。迷いのない経路、経験を基盤とする足運び、難なく脱出は成功しそうである。
「彼なら心配いらない。それよりあなたは脱出を。ここにいてはいけない。お仲間が来ています」
「白鈴たちが? なんで?」
「急いで合流してください」
いなびは立ち止まる。なぜなら、譲れないものがあった。
「ごめん。やり残したことがある」
「はっ? ちょっと」
呼びかけがあろうと、進み続けるつもりだ。彼女は来た道を戻っていく。
「感謝してる。ありがとね」
「……急ぐか」と、ミドリは眺めてから呟いた。
「逃げていなかったのか。何しに戻ってきた」
「トドロを止めに来た」
元お社の地下、広く開けた場所でトドロは内心驚いていた。ヌエの行動を危惧し幸畑の処刑を速めたところ、檻には幸畑だけが残され、いなびの姿がなかった。手段はともかく、『彼女は逃げた』と考えた。イワノメに助けを求めるだろうと。
彼はいなびがまさか考えを改め、これから仲間になるとは思っていない。
たった一人では。勝てる見込みなどないだろう。それなのに。
「なんで?」とトドロは言う。
「私が止めたいから。それ以外にある?」
その一言で彼は納得する。「そうか。変わらないな。じゃあ、俺を止めてみろ。手加減はしないぞ」
間関衆同士、彼との勝負、いなびにとって初めてではない。追いかけっこですら、勝ったことなど一度もない。
しかし、彼女は諦めない。
ただひたすらに、希望を抱き、真剣に挑んでいた。
勝負が決まったかと思われた。勝機は見出していたが、いなびは戦いに負けてしまう。
そこに、白鈴と上井が現れる。二人はすぐに状況を詳細に把握するのは難しい。
いなびは白鈴たちに気が取られていた。好機と考えたか。どさくさ紛れに陰から、「針」が投げられる。それはまっすぐ鋭く、彼女に襲い掛かる。
毒だ。いなびは気付けない。幸畑は気付いた。だが遅かった。「おい、避けろ」と言う。
彼女を「針」から守ったのは、トドロだった。彼もその場で気付いたひとりだった。
地面に落ちた針はその長さと重さ故に音を立てる。
「逃がすな。追え」
彼の指示が響き渡る。
すると、地面が揺れる。大きな音と共に壁が崩れた。
壁を破壊したのは、「鬼」だった。大きさはともかく、トンボのような見た目をしている。
状況は悪い。ここで鬼の乱入は歓迎されるものではない。しかし、よく観察すると、壁を破壊したのは「鬼ではない」とわかる。
そこには目黒がいた。ぽっかりと空いた壁の穴からはヒグルが出てくる。鬼は既に弱っており消滅した。
「静まれ」
この波乱に満ちた夜、間関衆代表イワノメが突如と現れ、彼が一声でその場を収めた。
まさに、上井が危ぶんでいたとおりの事態となる。先にひとつ結果を伝えると、いなびを襲った忍びを捕らえることはできない。暗殺を失敗したその男は、逃亡を図り、死んだ。
「お前たちに話しておきたいことがある」
イワノメは彼らを集めた。イワノメは始めから、トドロがやろうとしていたことについて知っていた。『間関の里には不穏分子がいる』。
互いの溝を埋めるため、先代の間関衆代表シシタケの思いが掘り下げられる。
『真文様が死んだことには変わりはない』
シシタケは、この国を、この里を守ろうとして、自ら死を選んだ。それが真実である。
真文が死に、間関衆に憎悪が抱かれた。毒殺であったことが世間に広がり、間関衆に疑いの目が向けられた。そうして後に、証拠が見つかる。
戦後間もない当時、他国と争うほどの余力など大湊にはなかった。鬼が溢れる国に、そんな余裕などない。内乱など以ての外。
今は耐える時期だ。今ははゆまの千年桜のように。どっしりと、じっと耐える時期だとシシタケは考えた。
これが、シシタケが死を選んだ所以である。
シシタケと当時の火門大湊忠文は旧友の仲である。
トドロが城から盗んだとされる手紙。それは偽物である。イワノメは本物をその場で見せた。
トドロは、認めることしかできない。偽物とは異なり、見覚えのある字だからだ。ゼンノスケである。
幸畑はやっと自由を得ると、述べた。「今、大湊に、真文様殺害に関与している可能性がある、男がいる。非常に危険な男だ」
「この件は、ヌエに任せる。我々は、我ら間関衆は、大湊でやらねばならないことがある」
その後、いなびは新井戸屋敷でイワノメから「秘密」を教えてもらう。
両親についてだ。お前の両親は既に死んでいる。
そしてここからは、いなびが命を狙われた理由でもある。
お前の母親はヌエだった。父親は、その事を知っていたようだ。
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