第14章「枯れ谷の大蛇」_2

 白鈴とシュリは枯れ谷の奥地へと進んだ。ハユキは続けて鬼を探すつもりのようだが、鬼とはとうてい戦えない西尾と行動する。彼女一人で平気なのか。彼に不安はないのか。白鈴にもそれはわからなかった。錯乱しているアオバの手でも借りるのか。


 先程、枯れ谷の巫女によって払い除けた怪しげな霧。纏わりついていたものが恐れを感じて逃げたように見えた。しかしながら、そう単純なものではなかったようだ。それは二人の前に再び現れ、つきまとう。


 そして向かうべき道がばったり途絶える。


「枯れ谷とはこういうものなのか」周囲を確認して白鈴は言った。


「どうなんだろ。歩きにくい場所ではあるよね」


「ハユキは軽々と打ち払っていたが」


 白鈴は視線を移動させていると気配を感じて、刀に手をかける。


「こっちが当たりのようだ」


「当たり?」


 二人の背後に大きな影が見える。明らかに人ではない。


 白鈴は感覚で飛び込んだ。研ぎ澄ました感覚は、目では見えない攻撃を防ぐ。


 敵影は音もなく消えた。それから別のところで――相手の姿かたちが次第に鮮明になっていく。


「こいつは」


 白鈴は気を緩めない。観察する。一瞬であろうと、手応えをも情報にした。


 一見では、人のような見た目である。しかし、人ではないと眺めた者は口にする。たとえば森にいる動物に近いが、それでも猿や猪、鹿とも違う。熊と言われれば、そう見えなくもないが。


 普通の鬼ではない。鬼に普通などない。白鈴は、「どこにでもいるような」、そういった印象を受けなかった。


 時間はあまり経過せず、戦闘が始まる。白鈴とシュリ。二人で戦う。


 とりわけ難しいとは思わなかったのだが、彼女の想像よりも刃が通らない。分かりにくい反応。攻撃も、これまでの鬼と比べると。


 シュリの魔法が効かないということはない。


 油断見せず、最中、痛手を負わせたように思えた。すると、その鬼は自身のからだを崩し、徐々にその数を増やしていく。乾いた音を鳴らし。いくつもの白い紙が舞う。圧倒する勢いで二人を取り囲んだ。


「大きいね」シュリは目の前で起きているありさまに見上げながら言った。


「ハユキの言う、『紙切れ』ってこういうことか」


「これは、窮地かも? このままだとわたしたち」


「問題ないといえばそうだが」


 うかうかと話している場合ではない。飲み込まれる。白鈴は捨て身で反撃に出ようとする。


 シュリの安全を優先。


 すると、景色が変わった。


 白鈴は姿勢を崩す。舞いながら取り囲む紙切れが、眼前から消えた。


「なんだ?」


「あれ? 助かった?」


 何が起きたのかわからなかった。危機的状況を逃れた。どこかで経験している。そこから彼女は見当をつける。


「アオバだな。いるのだろ」


「アオバ?」シュリは周囲に目をやる。


「どこだ」


 人がいるような場所ではない。探そうと、蛇もいない。どこにも気配はなかった。けれども、アオバは決心したように静かに姿を見せる。


「助けてくれたのか?」


十八女さかり家の血は途絶えるわけにはいかない。白蛇様は『屋水姫』を復活させるため、望まない」


「ヨミ、という女を知っているな。ヨミはあの鬼に食われたのか」


 ハユキよりも枯れ谷で暮らす彼女のほうが詳しいだろう。アレはどんな敵か。


 アオバは何も言わない。


 そうか、と白鈴は言う。「倒しても構わんな」


「もしかして……」シュリはその先を口にしない。


 白鈴は熱が冷めないよう用意する。目星をつけて歩き出し、立ち止まると小さく息を吐く。


「私だけ、ここから出せるか。……アオバ。片が付いたあとでなら、この体を貸してもいい」


 シュリは表情を変えて、慌てた。「白鈴、待って」


 その調子で彼女は体の向きを変える。


「枯れ谷の白蛇は、何をしようとしているの。どうして『屋水姫』を探しているの? アオバのことお姉ちゃんから聞いてる。何か、関係があったりする?」


「白蛇様は、『屋水姫』と対話を望んでいる。大湊の亡びが近いとお考えだ」


「だから、生贄として、国中から人を集めてるの?」


「無いとは思うが誤解されないように言っておく。選ばれた者は、死ぬことはない。そのはずだった。これまで結果として死んでいるが、その者たちは枯れ谷に屋水姫を呼び出すための儀式を行う前に死んだ」


「可能性はゼロではなかったと思う」


 アオバは間を置く。


「屋水の巫女リュウが大湊城に呼ばれたその日、賊によって、屋水は燃やされた。男が真っ先に殺され、集められた女子供は、一人ずつ名を問われ、次々と殺された。逃れた者も、最後に捕まり死んでいる。その日以来、今、屋水に、小鈴の冷泉に、屋水姫はいない」


 彼女は姿を変える。


「大湊城では、リュウが突然倒れた。大湊は事態を知り、要求を変えた。だが、それでもリュウは、より一層と、それを頑なに断った。白蛇様が屋水姫を探し始めたのはそれからだ。あまりにも鬼の勢いが増している」


「鬼の勢いは。うん。はゆまにいた頃よりも。はゆまを離れても特に感じてる」


「鬼の増加、その勢いを遅らせるために、一番月見櫓でリュウが用意した結界も、いまや失っている。猶予などない。かしわがあるが、それも」


 彼女はそこで瞼を閉じると、まっすぐな瞳で話を続けようとする。


「大湊の要求とは何か教えてくれるか?」


「屋水姫は、目覚めている。しかしリュウは屋水姫を憑依させることができない」


「憑依。あの状態では無理だろうな」


「状態関係なく。リュウには自信がなかった。だれかを殺してまで、命を奪ってまで、実行するほどの自信はなかった」


 大湊による当初の計画。『屋水姫』。リュウは大湊に呼ばれた。リュウは誰かを殺してまで、屋水姫を憑依させようとは考えなかった。故に大湊は無理やり、屋水の住人を? よって屋水姫は目覚めた。だが、思わぬ事態が起こる。リュウが衰弱してしまった。


 はじめから大湊は、姉の思いを利用するつもりで近付いたのか?


「白蛇様は、シュリに、あなたに姉の代わりとなることを望んでいる」


「わたしに?」


「お前の姉は断ったが。大湊相手に、白蛇様相手に、やらせるわけがなかろうと」


「お姉ちゃんが……。そっか。言いそうだね」


「枯れ谷に『鈴』がある」


「カシワの?」


 屋水姫に関係する、特別な鈴のはなしだろう。災いから遠ざけてくれるという。


「カシワから『鈴』をハユキに運ばせた」


「ハユキに? えっ? うんと」


「シュリがカシワで見たのは、模造だ」


「もぞう」彼女は本物かどうかなどわかっていなかったようだ。


「シュリ、やってみる気はないか」


 決断するのは難しい。彼女は徐に白鈴のほうを見る。


「命に関わるのだろ? 姉の思いを大事にしろ。……その上で決めろ」


「考えさせて」


 しばらくしてから、「時間はないぞ」とアオバは警告する。


 


 枯れ谷に潜む怪しげな鬼。その鬼は周りにたくさんの紙切れを舞い散らせており、索敵を任せつつ、念入りに探し求めている。


 遠くまでは逃げていない。そんな経験ともいえようか、考えがあった。長居すると、薙刀を持った女がやってくると考慮しながら。


「待たせたな」


 その声は突如として聞こえた。変わらず霧は濃い。そのなかで幼げな少女がひとり立っている。


 刀を手にする女はこの時点で勝機を見出している。厄介な敵であることは十分に承知している。一気に止めをさせないと「これ以上」も考えられる。それでも女は相手を見詰め、勝ちを確実なものにできると疑わなかった。


 紙切れが白鈴に襲い掛かる。生き物のごとく動くそれはさらに数を増やしていく。


 嵐を起こし、包み込もうとする。白鈴との距離を徐々に縮め、追い込み、逃げ道を塞いでいく。


 乾いた音。恐ろしいほどに鳴る。


 彼女は逃げない。真ん中で、一点を見詰め、調和し、構えた。


「ここで、終わらせる。私とお前、どちらが速いだろうな」


 舞い散る紙切れ。瞬く間もなく白鈴の姿が消える。


 彼女は移動していた。鬼の上半身に足をかけている。首元には刃が――。仰け反るからだ、押し倒しているかのよう。身動きなどできない。


 細い腕がわずかに動き、その後にかっ切る。


 紙切れが彼女の周りを盛大に花びらのように舞った。ぴんと伸びた腕は、揺れ動くことない。ギンヤンマ。


 鬼は力を失われる。あれほど優雅であった紙切れは舞えず地に落ちていく。


 しかしながら、鬼は最後のあがきをする。紙の一枚が白鈴に近寄り、道連れにしてやろうと派手に爆発した。


 


 白鈴を魔の手から守ったのはシュリだった。アオバと別れて、彼女は走り寄る。


「白鈴、大丈夫? わっ、すごい汗」


 それは額だけではないと判断できるほどの量だ。しずくとなり、滴っている。雨に降られたかのような。


「この体でもきついか」


「えっと、平気? なにか拭くもの。あと、喉。水」


「私は水だぞ? ああ。平気だ。ありがとう」


 疲労しているように見えた。なんでもないといった態度ではあったが、明らかにその小さな体には彼女の想像よりもそれは堪えているように見えた。


 ほんのひと時を過ごす。


 シュリはふと目をやる。そこには真っ二つにされた紙切れが残っている。


「倒せた、のかな?」


 白鈴は一瞥しただけで、もう調べる必要はなかった。


「ああ。やった。大丈夫だろう」


 煩わしかった霧も消えている。鬼が身を守るためやってたようだ。勿論、関係のない霧は晴れてはいない。


 白鈴とシュリは奥へと進んだ。枯れ谷の白蛇と会うため、彼女たちは歩みをやめない。


 そうして二人の前に子供が一人姿を現す。


「来た来た、やっと来た」


「アオバか? どうしてその姿をしている」


「アオバは忙しいんだよ。ほらっ。こっち来な」


 カシワにいた子供だ。アオバは案内を続ける。地主神と呼ばれる、白蛇までもうすぐのようだ。


 


 ――行き止まりではない。


 その者は、生きている。一見したところはただの白い岩肌のようでもあったが。


「聞いてるとおり。大きいね」


「そうだな」


「お顔、どこだろ?」シュリは遥か先を(霧で見えないが)眺める。


 白鈴にも相手の顔がどこにあるのかはわからなかった。体の一部である。大きな大きな体のほんの一部である。胴体だ。それだけはわかった。


 枯れ谷の白蛇。大蛇。確かに、山を飲み込むぐらい。そう言われるのも納得できる。谷から滅多に動くことのない大蛇。


「ぼけえっとするな。早速始めるぞ。準備はいいか」


「えっ? うん」


「これを。鈴を使え」


 アオバが渡したのは、これといって目立った装飾のない鈴だった。手のひらに乗るような大きさで、赤い紐が結ばれており、今まさにシュリの手のひらで転がると澄んだ音が鳴る。古い物だとは思えないほど。


「呼ぶだけだよね? 鈴を使わなくても」シュリは憑依させようとは考えていない。


「巫女だと言いたいのだろ。いいから使え。わざわざ運ばせたんだ」アオバにもその気はなかった。


「私はなにをすればいい?」白鈴は屋水姫を呼ぶ方法など知らなかった。神は鈴の音で寄ってくる。そのぐらいの知識しかない。


「お前は屋水姫だ。その辺でかわいらしく待ってろ」


 何もするなと言われている。白鈴にはそのように聞こえた。そこにいるだけでいいようだ。


 白蛇が働きかける様子はない。アオバも見ているだけのようだ。


 期待と緊張が入り交じり、静かな空間となる。


 シュリは赤い紐を人差し指にかけると、小指で鈴を弾いた。


 


 音色は美しい。響いた。静かな空間は続く。


 


 シュリはこの状況にたいする詳細でも求めるように白鈴のほうを見る。


 とくに気配はない。ひとまず白鈴は黙っていようと考える。


「ううんと。失敗?」


 シュリは陽気な感じで今度はアオバに尋ねた。


「屋水姫、やっぱり来る様子はないな」


「ええっと」


「私が人ではないからかもな。私を、女子おなごとはいえない」


「もう一度、する? もう一回。そうすれば、今度こそ」


「いや、やめよう。実を言うと、来ないだろうというのはある程度予想はしていたからな」


「ううんと、だけど」


「一回で、十分だ。来ないとわかった」


「ではどうする?」


 彼女は何も言わない。


「こちらの用事を済ませてもいいか」


 アオバは少し間を置いた。「どうぞ」


「白蛇。私からいくつか聞きたいことがある。そのためにここへと来た。大湊の国から、おびただしい鬼を減らす方法とは、『屋水姫』であることで間違っていないか」


 アオバはちらりと視線を上のほうに向ける。


「ああ」と彼女が答えた。


「そうか。よくわかった。原因は。いや、これはもういいか。これまでの話を聞く限り、最後の希望は『屋水の巫女』ということなのだろう」


 おそらくそれは白蛇だけではない。大湊で暮らす、闘う人々にとって、きっと。


 火門が興味を持った存在でもある。人知を超えた力。役に立たないと判断されたようだが。


 鬼と戦う。私は、力となれるのか? 火門と。


「可能ならば、白蛇、私が何者であるか教えてくれないか」


「お前は、白鈴ではない」


「それは。なにを言っている?」


「では聞くが、お前の姉、その名を覚えているか」


「姉は」


「思い出せないだろ」


「それは私が」


「お前は、自分自身を救うことはできない」


「――言わなくともわかってる」


 見透かされている。


 私は、自分自身を救うことはできない。


 それなら、わたしは、どうしたら。白鈴はそっと胸の辺りに手を当てる。


 このわたしを。斬れるのは、やつしかいない。


「お前が何者なのか。知りたければ、化身の眠る封印場所に向かうといい。お前にとっても縁のある場所だ。そこで全てを知るだろう。探し物は見つかる」


「そこには一度訪れている。なにもなかった」


 旅の途中、訪れる機会はあった。国が鬼にむしばまれていると知り、一番の目的地であり、まっすぐ目指していた。しかしそこには何もなかった。向かったであろう火門さえも。


「火門の居場所は知っているか?」


「自ずと見つかる」


「やつは何をしようとしている」


 


 白蛇から回答は得られなかった。言うなら時間切れのようだ。


 白鈴とシュリは町に戻る。


 自ずと見つかる。先を進めば、いずれその時が来る。蛇は全てを伝えるつもりはなかった。


 二人が戻っていると、思いも寄らぬ再会を果たす。


 カシワにいた、ふくよかな男。特異な気配。雲残である。彼はひとりだった。


 彼も枯れ谷の白蛇が屋水姫を探していることに関心を寄せたようだ。


 サザナミが許したのか? 疑問が払拭されるまでの時間はそう長くない。


「あれ? なんだか、急に眠くなってきた、かも?」


「眠い? どうした?」


「うん? どうなされた?」


「あれれ? あれれ? えへへ。しらすず、すき」


「どういう眠り方だ。ここでは。まて」


 シュリは立ったままではいられないようで、白鈴にもたれかかった。


「これは。これはどうしたものか。その顔からして、本当によく眠っておられる」


 雲残が精査するまでもない。気持ちよさそうな顔だった。


 なんだ? 屋水姫か? そこで、白鈴は音に気付く。


「どうかなされたか?」


「いや。ひとまず。離れてもらえるか」


「それは、どういう意味で」


「近付くなと言っている。私に、近付くな」


「……そうか。睨んだとおり。『音』で、気付かれましたか」


 白鈴は目覚めないシュリを意識しながら、最善の方法を思索する。


 シュリを眠らせたのはこの男だ。間違いない。では、次にする行動とは?


 なぜ、この男は『鈴』を持っている?


「ようやく見つけた。雲残だな」


 混沌を深める。彼らの前に現れたのは忍びヌエ幸畑だった。危惧すべきとしては、大湊が屋水の巫女、屋水姫を諦めていないといったところか。


「真文様殺害について、詳しく聞かせてもらうぞ」


「なにかと思えば。人間違いでは?」


「ぬかせ。逃げられると思うなよ」


「非常に残念だ。邪魔が、入ったようですな。せっかくこうして、二人きりとなれたというのに」


「おっと。動くな」


 幸畑の警告は意味をなさない。前触れなく――地面だ――彼らの周りで爆発が起きた。


 白鈴はシュリをとにかく守る。


 幸畑も無事なようだ。しかし。


「クソっ。追うぞ」


 彼は仲間を連れて、謎の多き男を追跡する。


 白鈴は眠るシュリの傍から離れようとはしなかった。


 


 その日の夜、町ハシロに到着してサザナミと会い、彼女は約束どおりアオバに体を貸す。


『鈴』について尋ねた。あれは偽物ではないのか。


 奪われていようが、アオバに焦りの色はない。雲残の目的も知らないようだ。


 上井は雲残を知っているようだったが。その男は「雲残」と名乗っているのか? 彼らに任せたほうがいい。それが、本当であれば、相手はヌエだ。


 支度をして、白鈴は蛇の言葉を頼みとし、大湊の化身封印場所へと向かう。



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