第12章「暴れ馬の悪癖」_2

 雨が降る日のこと、ことのは村で見て見ぬ振りは難しいちょっとした騒ぎがある。少女の名はクチバ。クチバは、この数日、体調を崩していた。昨晩にようやく、病気は快方に向かっていた。朝には、いつもの元気を取り戻し、誰もが普段の彼女が村のなかで見られるのだろうと考えていた。


 昼頃、彼女は再び苦しみを訴える。これが始まり。明らかにそれは謎の病だった。高熱、震え。


 ハザンにミツなど、村人たちは異常だと話し合う。これはありふれた病ではない。


 では、どうするべきか。クチバの看病をしていたキガラは、解熱の作用がある薬草を取りにいくべきだと主張する。助ける方法はほかにない。村にあるものでは、効果が薄い。


 作物のできが悪いことを調べに来た彼女は、そういったものにも詳しい。


 雨は止まない。村から離れる。鬼がいるだろう。キスケは言った。村人たちの意見はそうだ。それでも彼女は向かおうとする。


 目黒も、その時、キガラと共に薬草を取りにいくと述べた。二人で川辺へと向かう。


 雨は強まるなか、目黒は「キガラの過去」に触れる機会を得る。危険を冒す理由。


 彼女はクチバと似た症状を経験している。不自然な高熱。


 そしてそれは村に広がる可能性があると睨んでいる。


 いまだに揺れ動いていた。これを機に、(そうでありたいと)彼の気持ちは固まる。


 騒ぎが治まった後、二人は夫婦となった。病の原因は『鬼』。大湊の侍が来て、鬼は退治される。キガラの機転のおかげで村への被害も最小限となった。


 


 月日は流れ、虫の音がよく聞こえる、夜。


 目黒は『あの夜』についてキガラに打ち明ける。豊穣への感謝、祈りのお祭り。もとはその気はなくて、酒のせいで告白してしまったとまじめに告げる。


「ほらっ、やめとけとか、周りから言われてただろ? もちろん。いま、俺は、お前を愛している」


 キガラはすぐにとは返事をしなかった。彼には、彼女が驚いているように見えた。


「今になって、あの夜ことは、忘れてくれとは言えない。でも」


「知ってましたよ?」


「知ってたのか? それなら、なんで」


 彼にとってそれは長いあいだ疑問だった。この日に、この時間、ついに聞けると思える。


「知っていました。でも、いいんです。だって私は。いまとても、幸せなんですから」


 キガラの微笑みを見ても、彼の疑問はうまく晴れない。


 彼女は続けた。


「きっかけは、何でもいいんです。立派なものなど、いりません。些細であろうと。笑い転げるものでも」


「俺は、変わりもんだ」


「私も変わり者です」


 鈴の音が聞こえる。はい、とキガラは頷く。


「私も、愛していますよ」


 こうして目黒は、未来は輝いていると確信する。彼の心は晴れやかとなった。


「あっ。でもお酒は、ほどほどに」


 いっそう注意はしていた。しかしながら、夫婦となってからは、自宅で悪酔いしている姿はなんどかあった。


 キガラとしては、それは彼の健康を気にしての言葉だった。


 


 ある日のこと、ことのは村は霧に濃く包まれていた。多くが、終わったものだ、と考えていただろう。村人たちは今も記憶に新しい怪異に襲われる。


 最初の出来事。少女クチバが姿を消した。彼女は前日、これといって変わった様子などなかった。


 村人たちは、霧で視界の悪い森を探す。


 大人数人で探したが、クチバを見つけることは叶わない。村のなかであろうと、森のなかであろうと。


 成果得られず彼らは村へと戻る。どこに行ったと思う? 相談をしていると、新たな問題が発生する。村人のなかで高熱を訴える者がいる。それも、一人ではない。


 以前と似た症状。状況。少なくとも、キガラはそう判断した。彼らは村を襲った鬼が近くにいるのではという考えにいきつく。


 どういうことだ? 倒されていなかったのか?


 話し合いがつき、目黒とハザン、キスケは武器を携帯し川辺へと薬草を取りにいく。戦いだ。これからを踏まえると、数に余裕がなかった。


 男が三人。目黒にとって思い出のある川辺に向かうと――そこにはクチバがいる。


 少女の様子が変だ。


 ハザンは彼女を見て、思いつく。クチバは鬼に操られているのではないか?


「これ以上、鬼の思い通りになってたまるか」


 クチバの体が川の底へと沈んでいく。ハザンは咄嗟の判断で、少女と共に川へと落ちる。


「来るな。クチバは必ず俺が連れ戻す。お前らは先に村へ帰れ」


 悩みはした。彼らは責務を果たす。ハザンの言葉は、激励であった。


 目黒たちが戻ると、村は急転していた。いったい何が起きているというのか。目の前では、村人たちが倒れている。息がない。


 みんな、高熱を発症したようだ。実を言うと、目黒たちもそうだった。


 キガラを探す。動ける者は、それぞれ行動していたはずだ。この惨状が、その結果だというのなら。


 ミツがいる。彼女は屋外で、動けなくなるまで病人の世話を続けていたようだ。


 キガラは既に息絶えていた。


 ――生存者はいない。そう思われた。だが。


 隠れていてって。そこならきっと安全だからと。押し入れに、子供が一人いた。


 見たところ症状はない。村のなかで、たったひとり。


「しっかりしろ」


 彼らは鬼を恐れ、生きるため、村を離れた。キスケは振り絞り、限界だった目黒に向けてそう言った。


 逃げることは叶わない。霧からは出られない。助けを呼ぶこともできない。


 最後、彼らは捕まってしまう。


 熱を帯びた体は、石のように固まった。


 


 


「ことのは村、生き残りの男。その男こそ、あなたたちと共にやってきた彼のことです。彼は馬鬼から呪いを受けて、ここまでひとり生きてきた」


 女はこれまで過去を淡々と述べてきた。それら、ことのは村で起きた出来事は現在に繋がっているように白鈴は思えた。


「それは、『呪い』」とクチバは呟く。


「鬼ではない」


 彼はその心を利用されたのだろう。彼だけでもないのだろう。そして、最悪これからも。


 はっきりとした。馬男は、馬鬼ではない。


「倒す方法はあるか?」白鈴は静かに問う。


「馬鬼を? 倒すことはできません。ここの村人たちと同じく無残に殺されるだけ。呪われ、操られる、あの男でさえまともに傷を付けられないお前たちでは」


 白鈴は彼がいるであろう方向に視線を向けると、小さく息を吐き、歩き出した。


「どこにいく?」


「目黒を、正気に戻す。そして馬鬼を倒す」


「無理だ」


「目黒を見捨てることはできない。四年前に、倒されているんだろ?」


「倒せてはいません」


 白鈴は間を置く。「まあいい。どちらにしろ、やることは変わらない」


 ヒグルは言う。「いなびはこの事を糸七とシュリに伝えてくれる?」


「わかった。任せてくだされ。こんな霧。イナビにかかれば、ここほれわんわんですよ」


「本気?」クチバは呟いた。


「目黒は必ず連れ戻す」


 うん、といなびは頷く。


「馬鬼も倒す」


 


 馬男はあれから呼びかけに答えるように、一直線により深い場所へと向かっていた。なかなか消えない怒りや、いくぶん悲しみを含んだ声を辺りに響かせ、利用されているともつゆ知らず。


 目黒の意識はほとんどないと言っていい。


 そこに、二人。彼の行動を阻むように、白鈴とヒグルが現れる。


 白鈴は彼を止めに来た。このまま、馬鬼のもとまで行かせるつもりはなかった。


 ヒグルもそうだ。二人は、見す見す彼を失うような状況を望まなかった。


 いつもの彼と、目黒延幸という男と、もう一度、進むことをふたりは望んだ。


 戦いは滞りなく始まった。馬男との戦闘は変わらず苦しいものである。


 斬るにはそれなりの技量がいる。魔法であろうと、動きを止めるには似たようなものだ。


 相手の行動を理解してきた白鈴は、その小さな体で応戦する。見た目からわかるだろう。体の重さだけじゃない。明らかに相手に分があるにもかかわらず、彼女は腕力を弾き返す。


 彼女が地面に叩き落されたところ、ヒグルは間髪を容れず、魔法を打ち込む。それは「槍」だ。村のなかで使われていたものだろう。「心残りはないか」手入れはされておらず、状態は悪いが、使えるだろうと二人で考え、こうして作戦の一部として実行に移した。


 馬男は腕を盾にして、攻撃を防ごうとする。魔力を含んだ凄まじい槍は、男に傷をつけていく。だが、刺さりそうにはない。拮抗している。


「許せ。目黒」


 白鈴は近付いた。この好機を活かそうとする。


 しかし、予期せぬ事態となる。馬男はなんと「槍」を活かす。


 その攻撃を――白鈴に向けることで窮地を脱した。


 彼女の体に槍が刺さった。油断していた。何もできまいと斬りつけようとしていた白鈴は、いくらなんでも瞬時に己を守る行動まではできなかった。


 隙が生まれる。逃げるのも難しい。馬男に捕まってしまう。みなぎる太い腕、大きな手。つぎに相手は握り潰そうとする。


 白鈴は苦しそうな表情で彼の顔を見た。


「いい加減。目を覚ませ。バカモノめ」


 彼女は乱暴に投げ飛ばされる。


 


 猪武者。この戦い。意志がある。彼女の技が決め手となった。


 


「巨体」から、徐々に人の姿に戻っていく。目黒は、大きく息を吸っている。戦闘で負った傷は残りそうなものだが(そのくらい酷かった)、なにか別の力でも働いているかのようにとき短くきれいさっぱり癒えていく。


 白鈴は言った。「戻ったな。立てるか?」


「スマン」


「礼はいい。まだ、戦えるか?」


 目黒は間を置く。「俺を、信用してくれるのか? 俺は、お前を。またいつお前らを」


「その時は止めてやる」


 ブレのない言葉だった。


 彼は聞いて、何も言わない。


「馬鬼を倒せば、呪いはなくなる」


「……じつは、ずっと隠していた。俺は、お前たちの知らないところで、あの姿になっていた。説明は難しいが、自分から姿を変えると、不思議と我を忘れないんだ。だから、溜まったものを発散でもするように隙を見計らって」


 彼女は思考する。「柄木田は、知っていたと思うか?」


「どうだろうな。少なくとも、大湊に捕まる前までは、俺は人間だったと思ってるが。その頃に呪いなんてのは」


「私は、鬼だ。死人しびとだ。話しておきたいことがある」白鈴はヒグルを僅かに一瞥する。「少しずつ、昔の記憶を失っている。もし私がそうなった時・・・・・・は、お前が、私を止めてくれるか」


 目黒は少しだけ表情が和らいだ。


「お前を止めるのは、骨が折れそうだな。ああ、全力で。そのときは力を貸してやる」


「頼む」


「私も」


 白鈴は静かに頷いた。


「よそ者を、村から叩きだすぞ」


 


 最奥へと向かうあいだ、目黒は語る。「彼の記憶」についてである。ことのは村で過ごした日々、村の最後、馬男になっていた時のもの(屋水での一件など)、色々と思い出したようだ。


 そのうえで彼は警告する。不自然な高熱もそうだが、馬鬼は相手の体を奪う「力」を持っている可能性がある。


 『村の最後』、必死に逃げようとしたなかで――恐怖とかではない――追い詰められ体が石のように固まった。その際、抵抗ができなかった。


 話を聞いて、白鈴はひとつの答えにいきつく。村人に現れた症状、その謎を解く手掛かりは、「キガラ」という女性にあるのではないか。押し入れには、発症から免れた子供がいた。


 彼らは馬鬼との戦闘が長引かないよう、戦術を立てて、挑む。


 


 一方その頃、いなびは残りの二人と行動を共にしていた。彼らはことのは村の過去を知り、共感を覚え、白鈴たちの意向に沿うかたちで見えぬその後ろを追いかけている。


 彼らも村に巣くう馬鬼を倒すつもりでいた。四年程前に村を襲った、倒されたはずの鬼。


 ところが意志とは別に到着は困難となる。彼らの行く先を邪魔する「鬼」がいた。馬鬼の指示と考えるべきか。それは単なる深読みか。環境を考えれば、どうともいえる。


 急がねばならないだろう。


 彼らには危機感があった。


 彼らの前に立ちふさがる鬼たちは、黒く歪だがイヌのように見えた。


 


 白鈴の計画は端的に言えば、村人と同じ状況にはならない、というものだった。クチバから聞いた話と目黒の経験から推測できる。ことのは村に来た時から彼女は実感している。ともかく考慮すべきなのは、既に馬鬼の手中にあるということ。


 症状がいまのところ現れていないだけで、直に動けなくなる状況が訪れる見込みが高い。


 子供を守ろうとした。村人たちが次々と倒れていくなかで、キガラはなぜ「押し入れ」であれば、そこであれば『安全』と考えたのか?


 身近なもの? 足元にある『影』、ではないか?


「この地から去ってもらうぞ」


 馬鬼との戦闘は、静々と始まる。それは、黒い煙に包まれた姿。全体が見えるわけではない。馬男にやや似ている。目玉が飛び出しており、口が大きい。頭がもう一つある。舌が長い。人間らしさは薄い。


 白鈴は見破っていた。これは、やつの本当の姿ではない。


 鬼が見せる容姿――。彼女にとって、どうでもよかった。それよりも。


 彼女の力では、強大な力を持つ鬼を斬れなかった。戦略上重要だ。故に反撃も受ける。


 手こずっていると、危惧していたとおり彼らにも症状が現れる。一番初めに倒れたのはヒグルである。彼女は馬鬼との戦闘が始まる前から傾向はあった。安全な場所で休んでもらう。


 白鈴は自身の体に意識を向ける。恐れていたことが起きた。一瞬、石のように固まった。


 馬鬼に殴り飛ばされたあと、彼女は決心する。同じように、遅れて飛ばされてきた目黒にそっと語りかける。


「大事なもんを奪われちまう。どうしたもんか。どうすりゃいい。何ができる。あんときと一緒だ」


「あの手を使う」


「あの手?」


「いまの私では、斬るだけで精一杯だ。斬るだけでは駄目だ」


 彼は察しがつく。「いいぜ。のった」


「機会は一度きり。――やるぞ」


「おう」


 白鈴は立ちはだかるように馬鬼の前に現れた。たびたび、体を奪おうとする鬼をはねのけて、彼女は最後に構えを取る。


 屋水での時ほど、それはお世辞にも洗練されたものではない。しかしながら、強いられる苦しい戦い、明暗を分けるにはこれ以上のものはなかった。


 鹿角。猛然一撃をも捌く、白鈴が振り下ろした刀は、相手を切り裂いた。


 目黒が止めを刺すことで、事態は収束に向かう。


 戦いを終え、糸七たちとも再会する。彼の背には(動けないのだろう)いなびがいた。


「やはり間に合わなかったか」彼は加勢する気でいた。


「目黒、みんな、平気?」シュリはひどく心配している。


 目黒は過ちを認めており、だからこそ彼らの態度で心が動く。伝えたいことはあるが、言葉が出ない。


「どうした?」


「なんでもねえ。お前たちと、旅を続けたくなった」


 呪いは消えていない。馬鬼の本体は別のところにある。彼は落ち着いてから、過ちは過ちとしてその思いを彼らに伝えた。


 




 ことのは村に、ようやく美しい空がやってくる。そこに鼻の長いテングのお面を被った男、上井ヒユウが姿を見せる。彼は白鈴たちとこれから同行したいと述べる。「リュウは心配しなくてもいい」


 いなびは、彼が忍びヌエであると知る。


 何も告げず、彼女は彼らのもとを離れた。



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