第12章「暴れ馬の悪癖」
・12
鬼溢れる国で思いを胸に一度集った者たち、それぞれの道を進むため別れの時かと思われたが、ひとりも欠けることなく彼らの旅は続いた。彼らが目にしているのは、化身封印場所より離れた池近く、深い森のなかである。空は晴れており、光の下で朝晩の寒暖差から季節の変わり目を感じていた。
彼らは一人の男と出会い、ある「村」へと向かっている途中だった。
「ならず者、白鈴殿への告白歴、常日頃の振る舞い、蛮行。これは、余罪はたくさんありそうですねえ。叩けば埃が出るとは、このことですよお」
「誰が、ならず者だ」
「あっ。ムジナ、だっけ?」
「お前らな」
街道で出会った男の名はハザン。「ことのは村」に住んでいる。彼は目黒を知っている。目黒
ハザンが彼を見て、開口一番に放った言葉。「目黒、生きていたか! 四年ぶりか?」「奥さんは元気にしているか?」
しかし目黒には、その表情から理解できるぐらいに、どうにも心当たりはないようだった。ハザンという名の男。自分は既に結婚しており、その相手、妻の名前は「キガラ」。「ことのは村」とは、城下に移り住んだとはいえ、切っても切れない彼の故郷である。
彼はその時、それらをはっきりとは否定せず、言葉を濁していた。
ハザンは笑う。「酒癖は治っていないようだな」
「治るもんではねえだろ。気を付ける以外に」
「それは。だな」
「それで、村って、近いのかな?」いなびは問う。
「ああ。コトノハ村まではもうすぐだ」
白鈴はハザンの背中を眺めてから、目黒の態度を気にした。不可解な点はいくつもあった。
彼女と似たようなもので、シュリとヒグルはあれやこれやと興味があるようだ。
「目黒、結婚していたんだね。『キガラさん』。ヒグルは知ってたの?」
ううん、と首を横に振る。「私も、聞いてびっくり。目黒、あんまり自分のこと話さないから。悪酔いするのは、うん、聞いていたけど」
本人が覚えていないものを、本人が話すことはできないだろう。しかし。それにしては。白鈴は二人の会話を聞きつつ、思考する。
「『ことのは村』は故郷らしいが、覚えていないのか?」
彼女の質問に、目黒は何も言わない。否定はしない。
彼なら「知らない」となれば、「知らない」とそう言いそうなものだが。
糸七は俯きをやめて顔を上げる。
「『ことのは村』。聞き覚えがあると思った。たしか、『四年ぶり』と言ったな」
ハザンは後ろを振り返らない。「ああ。目黒との再会は、きっと四年ぶりぐらいになるだろうな。驚いたもんだ」
「ちょうど四年ほど前に、『ことのは村で、鬼が出た』とか、そういった話を聞いた覚えがある。村人たちが、一斉に高熱を出して、倒れたとかなんとかで」
「鬼?」
「高熱?」
『鬼』と聞いて、不穏な空気が流れた。だが、彼らは足を止めることはなかった。
「その鬼とは、どんな鬼だ?」白鈴は率直に尋ねる。
「なんだったか」糸七は思い出そうとしている。答えはすぐそばまで来ているようだ。「すまない。どうしても思い出せない」
「ハザンさんは、なにか知ってる?」シュリは言う。
「詳しいことは、知らない。熱は、そうだったな。まあでも、心配はいらない。もうその鬼はいない。四年前にお侍様が来て、退治してくれました、のでね」
村に鬼が現れた。それほど珍しい話でもない。大湊の侍がやってきて、退治したというのであれば、それは過去のことであり、心配する必要性はないだろう。
ハザンの態度からも、糸七が覚えていないというのも、その頃にことのは村に現れた『鬼』というのは、大きな被害ではなかったのかもしれない。
それからしばらく歩き続けていると、前兆はあった、わかりやすい異変が起こる。
「これは……」
ハザンはそう言って、立ち止まった。急に辺りが霧に包まれ、さらに濃くなっていった。
「どうなってんだ? ――いない? さっきまでいたはず」
太陽の光も、ほとんど届かないほど。狼狽える彼と同様に、視界が悪いとしても周囲に白鈴は目をやる(慌ててはいない。背後を気にした)。彼女のほかに誰もいない。
ハザンは森の中で声を出すが、返事はなかった。
「村には、まだ時間はかかるのか?」白鈴はもう一度大声を出そうとする彼を止めた。
「もうすぐのはずだ。だいじょうぶ、心配するな。オレから離れるなよ」
二人きりとなった。頼れと言っている。しっかりついてこいと言っている。ハザンの後ろを白鈴はついていく。
「おい。隠すことが、できなくなっているぞ」
彼女はさすがに指摘した。彼女でなくとも、『普通ではない』と気付けるものだ。
「だいじょうぶだ。しんぱいするな」
彼は振り向く。頭部のかたちが、変わってしまっている。それは黒く歪だがイヌのように見える。
「にく。にく。血肉が」
「皆の居場所を吐いてもらうぞ」
これまで人の姿をしていたハザンは、人間ではなかった。正体を明かした彼はまさに鬼であり、牙を窺える口、漏れでる言葉もいかにも怪しく、今では熊よりも大きな犬のような見た目をしている。
白鈴は刀を手に戦った。言葉が通じているようすはない。
例えになる。相手は鬼である。ハザンという、男の皮でも被っていたか。
「どうして。お前だけ」「夜が、来る」「ごめんよ。ミツ」
ハザンは最後にそう言って、白鈴の前で力尽きた。
悲哀と脅威が去り、彼女は事態の整理を試みる。
村を目指し、森を歩いていた。出会ったハザンという男は、分断を目論んだ。だとすれば。
どこからか、怒号が聞こえてくる。明らかにそれは人の声ではない。獣だ。
白鈴は声のほうへと向かい、そこで「巨体」を目にすることになる。そうして、記憶がよみがえる。
『はっきりとは見えなかった。人っぽくて、大きな馬? みたいなのがいて』
彼女が目にした巨体とは、屋水にいた――あの時の『馬男』だった。
白鈴は馬男を追いかけなかった。その場を去っていくかれを追いかけるよりも、離れ離れはよくない、ヒグルたちとの合流を優先する。
ヒグルたちはすぐに見つかった。白鈴は、霧の中でかすかに聞こえる声を頼りに走った。
糸七が負傷している。ヒグルとシュリ、いなびは見た限りでは怪我をしているようには見えない。倒れている彼に駆け寄った。そんなところだ。
簡潔な説明とはなるだろう。馬男と争ったようだ。
白鈴、といなびは安堵したように口にする。
「なにがあった」
「それが、ね」
糸七は痛みをこらえている。「白鈴、気を付けろ。目黒だ」
「目黒?」
少し間を置いて、ヒグルは言う。「あれ? ハザンさんは? 一緒じゃないの?」
「ハザンは鬼だった。どうやら誘い込まれたようだ」
「そっか。ハザンさんが。ハザンさん、鬼だったんだ」
「それより、目黒が、どうした?」
「それが……」シュリは短い間に起きた出来事を述べていく。
鬼の手によって分断された後のこと、彼女とヒグルは目黒と共にいた。そこまで離れているとは思えない。探そう。そこで、目黒が突然苦しみだし、その姿を変えた。
『目黒は馬男になった。』
一度、経験している。ヒグルはそのように考えている。
二人が襲われそうになっていると、声を聞きつけてやってきた糸七が間に入った。そして糸七は負傷し、馬男は大声を発したかと思うと止めを刺さず、どこかへと姿を消した。
いなびは遅れてやってきた。姿は見ている。
「そうか。目黒が」白鈴は彼との出会いを振り返り、
ヒグルは信じたくないようだ。「白鈴、見たんだよね? あれって。その、屋水の森で」
「戦ったな」
「やっぱり、そうなの?」彼女はとにかく困惑している。「屋水で戦った『鬼』って。あれって。目黒だったんだ。でも、それなら……」
「思い出したことがある」糸七は顔を歪めた。「四年前、ことのは村を襲った、『鬼』についてだ。村人を食い、謎の病で脅かしたという鬼。その名は、――『
「馬鬼だと?」
「ああ。馬鬼だ。まちがいない」
ばき、といなびは呟く。「うまのおに? うううん? 『それ』ってさあ」
「待て。まず先に、その馬鬼は、『倒された』のではなかったのか?」
「退治した。退治された。そのはずだ」
「では、村は――。なぜ、『ことのは村』は滅んでいる?」
彼らがいる場所とは、それはまさしく『ことのは村』である。無音の家々、あれだけの騒ぎがあったのに、彼ら以外に人の姿はない。不自然な霧は相変わらず濃く包んでいる。
「わからない。ただ『倒した』と、私は聞いた。村人たちは病で死んだ者もいるが、そのなかで症状の軽い者は助かったと」
いなびは辺りを歩く。「人が住んでいるようには見えないよ? 家のなか。住んでたんだろうなって。形跡はあった」
「つまり、この村で、なにが起きているの?」ヒグルは思考の整理ができていない。「ハザンさんは、鬼で。言ってたことは、嘘で?」
「ここに、もう、人は住んでいない」
シュリの言葉に、彼女は静かに頷く。
白鈴は言った。「目黒を探してくる」
「追うのか?」
「これ、全部、目黒がやったんじゃないの? 四年前に現れた馬鬼の正体って」
いなびは可能性を捨てることはできなかった。
「だって、あれを見たあとだとさ。戦わないで、話も通じるようには見えなかったよ?」
「私は、目黒がやったとは思えない」
白鈴は一度戦っている。そしてその後に、屋水のお社で、人間の姿をしている目黒とも会っている。彼女の心は決まっていた。結論するのは、早計ではないか。
結果、白鈴とヒグルは馬男となった目黒を追いかけることになる。残りの三人は、ことのは村で「待機」となった。糸七は重傷ではなかったが、これまでどおりに体を動かすのはしばらく困難である。
いくら待とうと晴れそうにない霧のなかを、獣の声がたびたび轟いている。怒りを含んだ。おかげで彼を見つけるのは容易だった。
原因は不明だが、白鈴は完全なかたちで馬男となった目黒と対峙する。
ここでは手短に話す。いなびが予想したとおりとなる。
言葉は通じない。彼は正気を失っている。
白鈴はやむを得ず戦った。
猪武者。彼女の技では痛手を負わせるのは難しい。そのくらいでは。刃が通らない。
ヒグルの魔法もたいして効果はない。
彼は体の大きさを変えられる。いくらか縮んだその体は
よってまたも、白鈴は敗北する。凄まじい力で、岩壁に叩きつけられた。
「待て。めぐろ」と、彼女は意識を失いそうになりながら強い思いを声にした。
戦闘後、白鈴が目を覚ますと、そこにはヒグルがいた。無事なようだ。彼女はよかったとでも言いたげな安心した表情を見せる。
それからこの場にいるのは、彼女だけではなかった。
「白鈴、起きた?」
「いなびか? なぜここに?」
「いなびは、糸七が」
「目黒はどこに行った?」
少しとばかり眠っているあいだに、印象だけでは理解できない箇所がある。
「わからない」ヒグルはそう言って首を振る。「覚えてる? 標的を、私に変えたの」
「ああ」
「最後まで戦おうと覚悟決めてたら。目黒、急に戦闘をやめて。そのまま、どこかに行ってしまった。なんだか。何かを探しているようだった」
「探してる?」
うん、たぶん、とヒグルは頷く。
「それは、手遅れかもしれませんね」
声の主は、いなびではない。そのいなびはというと、気配なく現れた幽鬼を見ている。
「だれだ?」
生きているとは思えない。白い霧から、いかにもあやしい。幸薄い若い女だった。
「身構える必要はありませんよ。敵ではない」
彼らは大いに警戒していた。当然と言えるだろう。命が危険にさらされるこの環境下で、それぞれが信じられるものはといえば自然と限られてくる。
「わたしは、クチバ」
「なんのようだ?」違和感はありつつ、白鈴は落ち着いた態度で問う。
「手遅れって、なに?」
「……ハザンを、倒しましたね」
「あのまま食われる気はなかったからな」
「責めてはいません。あれでいい。彼は案内人として長く囚われていたので」
白鈴が静かに余所見をすると、その横でヒグルといなびはお互いに見合う。
二人は、クチバと名乗る女の真意がわからず、測りかねている。
案内人、とヒグルは小声で呟いた。
「あなたたちが、今、もっとも知りたいもの。それは、この状況を作った、『敵の正体』、ですよね」
クチバに表情らしきものはない。彼女は『それ』を教えに来たとでもいうのか?
「あなた方が現在、相手にしているのは、――馬鬼。本来、この大湊の大地にいる鬼ではありません」
「この村で、何が起きたのか、知っているの?」
「真相を、お話ししましょう。この村で、いったい、何が起きたのか」
声を頼りに、馬男は荒い息を吐きながら一人で野山を駆けていた。周囲に見慣れぬ鬼がいることを知り、それでもあるものを無いものと考えて走った。
見た目だけではわからない。馬男は傷付いていた。倒れて四つん這いとなる。苦しみや心地よさ、そのなかで彼は現実に戻り、気配を感じて顔を上げると、そこには馬がいる。首のない馬である。
彼は目を見開く。苦痛が和らいだ。
そして、瞳の奥か、それとももっと深い所からか。失っていたものを少しずつ取り戻すように、記憶が呼び起こされる。
「キガラ……」
彼女とのきっかけ。
五年ほど前。ある晴れた日のこと。
輝く太陽の下で、男は悩んでいた。男の名は目黒という。彼はことのは村で『ある夜の出来事』について深刻な悩みを抱えていた。
「無かったことにしたい」
「まあだ言っているのか、お前は」
彼を笑うのはキスケ。同じことのは村に住む、言わば幼いころからの彼の友人である。
「無かったことにしたい。なんとなくだが、覚えている。その記憶も消したい」
「消したいね。しかし、珍しいもんだ。いつもなら、なんにも覚えていないのに」
「酒を。楽しくて飲み過ぎた。そのせいだ。いつもより楽しかったんだ、きっと。そのせいで、告白を。俺はまたやってしまった」
「彼の悩み」とは、豊穣への感謝、祈りのお祭りの夜に、一人の女性へと酔った勢いで告白をしてしまったというもの。
酔った勢い。初めてではない。彼はかつてないほどに後悔していた。
「あんがい覚えてるのは、いい薬なのかもな。あとでひとから言われるより、実感できてる」キスケは分析した。
「とめてくれ」目黒は小さな声で言った。
「止めたぞ。お前は、効かなかった」
酔っていたのは、確かなものだ。
「相手は同意してくれた。これまでとは違う。いいじゃないかあ。なにが不満なんだ?」
「俺は」
キスケは待つ。「なんだ?」
「相手のことをよく知らない」
「あっちも、お前のことをよく知らないと思うぞ? この村に来て、まだ長くない」
ならどうしてと目黒は思考する。無かったことにしたい。その気持ちが先行する。
「そこまでイヤなら。本人に言ってみればどうだ。あれは酒の勢いでと」
「いえるかよ。あの顔を見てると」
口で言うのは簡単だろう。ただちに実行できるのであれば、こうして彼が村の片隅でもがくこともない。どういうわけか、相手はあの夜に同意したのだ。
やめときな、と周りが止めようとしたなかでも。現在も。彼女は。
しかしながら、彼は決心する。
「いやっ、言おう。このままでは駄目だ。行ってくる。相談乗ってくれてありがとな」
「相談だったのか? まあいいが」
彼は奮い立たせ、彼女を探しに行く。
そして、数日と経過した。目黒の悩みは詰まるところ解消されはしなかった。
キスケは大きくはない村のなかで、何も変わらない二人をなんどかと目撃する。
「おかしな人」
彼が告白した相手の女性。ある時、キガラはそう言いながら微笑む。
ここまでくると、キスケはほかに言うことがなかった。
「もう、お前ら、結婚すれば」
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