第4章「千年桜 一人の女」_2
すると、森の中で人の気配がする。二人は正面に目をやり、(私たち以外に、ほかにも人がいる)驚くこともなく、その声を聞いた。歩いてきたのは、若い男だった。
「仲良くお話し中、ごめんよ」
男はそれから距離を縮めずに立ち止まると、背の低い方を見て顔をしかめる。
「うん? おまえ」
シュリは言う。「この子は、友達。知り合ったばかりの」
「友達? この小さいのが?」
「うん。友達。大切な、友達」
「まっ、いいか。そんなことよりも、ここは、子供を連れてくるようなところでは、ないんじゃねえのかな?」
「それは……。うん。ですね」
「子供ではない」
白鈴は嫌なものを感じていた。黙っているわけにもいかず、故に会話に加わる。
「へえ。子供ではない、か。子供ではないんだと」男はそう言って間を置くと、相手をシュリに代えて問いかける。「らしいが、そうなのか?」
「そう。大人。見て、わからないの? それ、ひどいと思うよ」
男は困った態度を見せる。彼は疑う余地なく「目的」があり、知りたいことがあり、曖昧にされそうなので、じれったいという目つきをしている。進展しそうなのに進展しない。
「なんの用だ」
白鈴は男が現れた理由を知ろうとした。この場から予想されるのは、シュリか、私か。
「やっぱ、おまえ。臭う。におうわ。鬼のにおいだ」
「自分のではないのか?」
「ああん?」
「おまえ。ヌエだろ」
「ヌエ? ヌエって」彼は声大きく笑う。「急に、なに言ってんだ。おまえ」
「忍びだろ、と言っている。三文芝居はやめろ。大湊お抱えの
ふうん、と男は感心した。「話が、早そうだ。でもな」
白鈴は何も言わず刀を取り出す。彼が直ちに何かをしようとしているわけではない。
だが、敵意に満ちた涼しげな表情に変わった。戦意が露骨となった。
「戦うの?」シュリもさすがに感づく。
「それしかない。下がってろ」
「そうなんだ」
白鈴は、この男の目的が自分ではないと見当をつける。シュリだ。そして、どう考えても、平和的とは思えない。私は邪魔で。
「やる気満々だ」男の言葉で、森に隠れていた仲間が姿を現した。不意打ちを狙う。短刀を抜いて、白鈴の背後を襲うが、(やれたと思っただろう)失敗に終わる。
彼女は仲間の存在は知っていたので巧みにあしらった。
「だよな。バレてるよな」男は退屈そうに言う。
「殺さないで」シュリはそれを白鈴に向けて言っているようだった。
男と、その仲間が二人。男とは違い、二人はヌエのお面を被っている。
「遠慮はするなよ。頼めるか」
「相手にならない」白鈴は勝利を確信していた。相手のほうが数は多いとはいえ、その力量はどうにも互角とは思えなかった。見通しがつき。それと、負けるつもりがなかった。
忍びとの戦いは、短く終わる。そう長くはかからなかった。まずお面を被っている二人は、例えば鬼(蜂など)と戦えるほどの力はあるようには見えても、達者と言えるほどの優れた動きをしているわけではない。闇打ちを仕掛けてきたのも、おそらく気付かれていないという判断で行われていた。
彼女に、油断するつもりはない。されど、戦ってきた鬼と比べて見劣りしてしまう。
素顔を見せる男のほうは、次々に二人がやられたのを見て、残念といった態度をする。それは、手下が生きていることも、もしかしたら関係があるかもしれない。少しも余裕のない戦闘であったら、白鈴だってそのような行為はできないのだから。殺さないでの指示に従った。相手は言われたとおりに行動したわけだ。
「せっかくだ。楽しませろ」と彼は言う。男のほうは、やはり指示する側だけあってか、「一筋縄ではいかない手ごわい相手」といえた。忍びヌエ。なるほどと納得できるだけの技術をもっている。であるから、先に倒れたほうは、『ヌエ』ではないのかもしれない。
剣術は、侍と異なり、突きを得意としているように見えた。飛び道具を使えば、火も使う。(暗殺が得意なのであり、殺すつもりのようにしか見えなかった)相手は手加減していないので、面倒なことこの上ない。
白鈴は飛び道具である手裏剣が、体に幾つか突き刺さる。武器を使用しない蹴り技などもあって、大いに苦戦した。
身軽な者同士の戦い、白鈴の攻撃で決着がつく。男は突き飛ばされ、地面を滑った。
「終わりだ」
「クソっ。『まだまだ』。と、言いたいところだが」
「続けるか?」
「いんや。もう十分だ」
男は立ち上がって、服についた土埃を手で払う。戦える余力はあるように見える。
「でもよ。これだけは言っておく。シュリ、家に帰れ」
「帰ってるところ。だった」
「そっか。そうかい。なら、それとな。好き勝手にうろつくな。余計な仕事が増える」
「それは、無理」
「だろうな。はいはい。だとよ。帰るぞ」
森のなかで唐突に現れた忍びは、目的があったようにも思えたが、不満もあるだろう、それですんなりと二人の前から姿を消した。隙を見せて、攫うのかと思いきや、そんなこともなかった。あの男は、いったい何をしに来たというのか。
白鈴はシュリに尋ねる。彼らとは、どういう関係なのか。顔見知りには見えた。それさえわかれば、
魔法使いであることと、関係があるのか? シュリは曖昧に答える。
「魔法使い」が正体を隠すのは、簡単にいえば、みんなと違うからだ。人ではないらしい。シュリの場合、魔法が使えることがヌエに知られている。
「言いたくない」彼女はそう言った。忍びヌエと知り合い。そこを積極的に話したいとは思えない。
白鈴は思う。あの感じ、家族にヌエがいるとか、なのか?
その後は、森で凶悪な鬼と遭遇することもなく、二人はなんとかはゆま村に到着する。移動するあいだ、ときおりシュリはほがらかに笑っていた。
「ここが、はゆま村」
「ここが」
「私の家は、村から少し離れたところにあるから、それまでついでに案内してあげる」
「一人なのか?」白鈴はこれまでの会話からそのような気がしていた。
「うん。そうだよ」彼女はなんでもないように首を縦に振る。
「そうか」
「帰り、鬼に見つからなくてよかったね」
「危ないところはあった」
「でも、言ったとおりだったでしょ? もうすぐはゆま村だから、この辺りからは心配しなくても大丈夫だって」
「鬼は、確かにそうかもな」そういった場所に、村は作られる。
シュリはちょっとのあいだ考えていた。「あの人たちのこと?」
「簡単に諦めるような相手ではない。目的もよくわからなかった」
「白鈴って、戦えるのもそうだけど、そういうのも詳しい感じ?」
「詳しくはない。どこに里があるのかとか。ヌエがいつから存在するのか。聞いたことがない。だが、どんなやつらなのかは知っている」
「秘密が、多いらしいからね。当たり前だろうけど」
「シュリ、深くは関わらないほうがいい。次も同じ、とは思わないほうがいい。ろくなことにはならない」
「うんと、心配してくれてる? 白鈴」
「それ以外にあるか?」
「なんだか。嬉しい。とっても」
白鈴は彼女の表情に複雑なものを見つける。明るい印象の声色とは異なり、まったく真逆なもので厄介を抱えているように感じられた。
そこは、城下町に住む人とも変わらず、今の時代そう珍しくもないのかもしれない。
「いこ。あっ、そうだ。蜂のこと、誰かに伝えておいたほうがいいかな」
「はゆま村の人は、シュリ以外にも、あの場所に行くのか?」
「行かないよ。だけど、伝えておくのは、大事でしょ。ここで暮らしていくためには」
彼女はある建物の前までやってくると、留守にしていると判断していた。急いで報告しなければならない、ほどではない。伝えるのは、また今度にしよう、と決めていた。
「家、こっち」シュリは案内を続ける。彼女は「もうすぐ」と嬉しそうにする。
人が住んでいる家が減っていき、そうだとしても整えられた道を歩いた。男の子に話しかけられることもあったが、家屋の集合した場所からは次第に離れている。
二人は、それぞれ立ち止まる。なぜなら、そこにはテングのお面を被った男がいた。
男は腕を組んでいた。ゆっくりと体を動かす。「シュリ、元気そうだな」
「おかげさまで」
「そいつは?」
「友達。家に招待しようと思って」
「友達か。なるほどな」彼は明後日のほうを見て、それから歩いた。
「なに? ダメなの? ダメでも連れていくよ」
「ダメだ、と言いたいところだが。まず、素性の知れない相手だ」
「だれだかわからないってこと?」
「そんなところだ」
シュリが何も言わなくなる。彼は話し相手を代える。
「問おうか、白鈴。お前は何者だ。人間ではないんだろ」
鬼であることが知られている。白鈴は黙った状態でそっと刀を取り出す。この男が、大湊の人間であるという考えから出た行動である。行方を捜して、追ってきたのではないか。
「待て。争うつもりはない」
「ずっと、つけてたのはお前だろ」
「気付いていたのか」
「気付くように動いていた」
「ほう」と言葉が発せられ、テングの鼻が動く。
「お前はヌエか?」
「私はヌエではない。だが、
あの時、実はもう一人気配があった。しかし、妙に殺気立ったものは感じられず、どちらかというとひどく他人事であるかのような、森に暮らしている野生の動物の一人であるかのような態度が、それがかえって気になった。
この男は、返り討ちにあった出来事についてはどうでもいいようである。
「お前はなんの用だ」白鈴は刀を抜かないでそのまま続ける。
「用は既に済んでいる。この目で見れた。思いのほか、収穫もあった」
「なら、
「まだ話は終わっていない」
「え、まだあるの? まさかダメとか、言わないでよ」
「ロクダイ様とは、会ったか」
「ロクダイのおじさん? いや、会ってないけど。はゆま村に来てるの?」
「そのはずだ」
「それ、上井の思い違いだったりしない?」
シュリがずいぶんと疑っていると、彼女は乾いた音を聞いて顔の向きを変える。それは、白鈴もまたそうだった。先程歩いてきた道から、大柄である一人の老人が歩いてきた。
「ヒユウよ。お主のほうが早かったか」刀を腰に差す老人はのんびりした足取りで言う。
「探しておりました、ロクダイ」
「ロクダイのおじさん。ホントに来た」
「シュリも、丁度いいところに。これは、なんと、よい巡り合わせか」
「えっと。どうしたの? こんなところに」
「なに、お主に大事はないかと、ちと心配になってな。変わらず物騒な世の中よ。屋水に行ってお主の姉と会い、そこからはゆま村に寄った」
「お姉ちゃんに会いに行ったんだ」
「シュリよ。変わりはないな」
「うん。変わったことは、なんにも、ないよ」
「そうかそうか。では杞憂であったか」
白髪の老人は大柄であった。しかし、背は高いもの、肉付きに関してはよくなく痩せている。姿勢は悪くない。刀を携帯していることを考えても、端麗であり安定していた。
「して、その者は」
「名前は白鈴。千年桜のとこで仲良くなったの」
「儂のことはロクダイとでも呼べ。白鈴。ゲンキでもかまわん」
彼女は観察をやめられないでいた。雰囲気とでもいうのか、心を奪われている。
「お主、その身なりで、刀は重くはないか」
「この刀を重いと感じたことはない」
「ないと申すか。それは立派よ。その刀も、お主に使われて、さぞ喜んでおろう」
白鈴はかげかげを眺めては、言葉には出さず問いかける。
ロクダイは、その彼女をじっと見ていた。彼は話しかけてからそうだった。瞳は強く、なかなか途切れない。途切れそうにない。
「だと、いいな」
「なるほど」とロクダイは呟く。「たとえ小作りであれ、真であれば、化け物も恐れるやもしれんな」
テングの長い鼻が動く。(今更ではあるが)お面を外すつもりはないようで。
「よし。すべきことは終わった。ヒユウ、儂らは帰るとするか」
「戻られるので?」
「村に来たばかりなのに、もう帰るの? すこし休んでからでも。桜とか」
「お主のその顔が見れた。であるなら、急いで帰らないとな」
ロクダイと上井ははゆま村を去った。上井ヒユウについていえば、一足先に飛び立っていく。彼は頼まれごとがあるらしく、村で出会ったときのように。
「シュリ。忘れるなよ。しかと見定めるのだぞ」ロクダイは去り際にそう言った。
シュリの家は、はゆま村にある家々と比べると、「別物」としてあるように見えた。高さは二階建て、草花で溢れた庭があり、その内装は一人で住むには広すぎる。だが、呼び方によっては、「お屋敷」というには小さい。
「ようこそ」と彼女は明るい声で迎えた。「これが、私の家」「遠慮しないで」ひとまず客間へと連れていかれる。
ここに、ほんとうにシュリは一人で住んでいるのか。
白鈴は一人となって、そんなことを考えていた。
シュリは荷物を持って、客間へとやってくる。
「よかった。ちゃんといた」
「ここで待っててと言ったのは、シュリだろ?」
「だって、白鈴、目を離した隙に、どこか行ってしまいそうに見えたから。こうして、言ったとおり私を送ってくれたわけだし」
「それは?」
「これは、水だよ」
「水?」
「屋水の水。特別な水。神事に使われたりする。飲むと、元気になれるとか、力が出るとか、昔からそう言われている。聞いたことない?」
「屋水の。うん? 森で、涸れたとかと言ってなかったか?」
「涸れる前の。それを少しだけ持ってて。喉、渇いてない?」
白鈴は考えた。「それは、飲んでいいのか? 大事なものだろ」
「飲んでほしいの。白鈴の、その傷が、これで治るんじゃないかなって」
白鈴は、傷跡に手をやった。時間は経った。それなのに、殆ど衰えることなく熱がある。
体を人から液体へと変えてみる。とはいえ、効果があるのか。
「ずっと持ってても、役には立たないから。ね」
屋水の水は盃で出された。内側に扇子の模様が施されている。
「どうぞ」
「では、いただく」
「どうかな?」
「うん。たしかに。すぐにとは難しいだろうが。あった痛みが和らいだ気がする。感謝する」
「そっか。痛みが。よかった。それなら、あとは、そう、『服』。服が必要だね」
「服? そこまでしなくていい。これがあれば」
「破れたままというわけにはいかないでしょ。それで出歩くつもりなの?」
「それは」
「私の貸してあげる。小さい時のがあるから」
シュリは客間を颯爽と出ようとした。そして、後ろを振り返る。
「ほら。こっち来て。とにかくお着替えの時間」
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