第5章「東姫 屋水姫」
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はゆま村、シュリの家で破れた服から着替えた白鈴は、これからのことについて頭を働かせていた。はゆま村を出て、大湊の城下町を目指すにはどうすればいいか。そこまでの道が、正確にわかっているわけではなかった。方角だけはわかる。その程度である。
シュリも知ってか、それについて尋ねる。「白鈴、城下までの道、わかる?」
「大湊は山の上にある。目印となる山を見つければ、あとはそれを目指せばいい」
「山、いっぱいあるよ。迷わないようにしないと。川をたどるとか」
「わかってる」
迷いはするだろう。なにはともあれ、服は動きやすいものを選んだ。大きさの異なる服がいっぱいあった。しかし、それにしても、ここまで体に不都合が無いのは運がいい。
「白鈴」と、シュリは微妙な間を置いて言う。
「なんだ。まだ何かあるのか」
「やっぱり、出発は明日にしない?」
「私は、夜でも平気だ」
「心配、なんだよね。今からだと、どうしても真っ暗になる。夜の鬼も、出るから」
「私は強いぞ」
「わたしが、今晩、眠れなくなりそう」
シュリは息を吐いていた。白鈴はその仕草を見て、一瞬の躊躇を感じる。
安全な城下町でもない。大湊の国という環境で、人気もないような夜道を歩く者はいない。不安に思うのは当然である。気にする必要はないといえば、そうでもある。
服を着替えているときにも、同じ会話をした。シュリは言った。『出発は、明日にしないか』。今から村を出ると、夜になる。それは必ず。
彼女は決めた。「わかった。出発は明日にする」
「いいの? 急いで」
「急いでいるわけではないからな」
「よかった。それなら。ご飯用意する。お風呂も用意する。寝るとこだって」
「そうだな。頼めるとありがたい」あの姿で、外で寝るというのも。
「うん、任せて。泊まるとなれば。そうだ。少しだけ、これからはゆま村を歩かない?」
「何かあるのか? 食材の調達か?」
「森にいた、蜂のこと。鬼のこと教えておかないと。もう家に戻ってると思うから」
白鈴はシュリの家を出て、家屋集まる場所にもう一度やってくると、その家を現時点での目標として歩いた。はゆま村を離れるまでかなり時間がある。その間に、予定などない。
シュリは共に歩き、先へといくと、「ご飯、どうしようかな」と呟いていた。食べたいものはあるのか。お腹は空いていないか。
白鈴は問う。「鬼の話になる。そこにいけば、色々と話が聞けたりするのか?」
「鬼の話は。まあ、そうかな。聞けると思うよ」
「終わるまで、外で待っていようかと思ったが。私も、行こうかな。今後の参考になる」
「私の知ってることなら、私が教えようか? 明日まで、時間はたくさんあるわけだし」
「それも、そうか」
「ご飯を食べてから。それで、どうかな?」
「そうしてくれると助かる」
「といっても、白鈴が期待するほど、はゆま村に鬼が溢れているわけではないから。白鈴に話せるものはたいしたことないんだけど。あっても、馬の鬼とか?」
「それは、前に聞いたな」
「そういえば、大湊で、大きな馬の姿をした鬼を見たって人が、いたな」
「大湊に。大きな馬の鬼」
「白鈴、そこから来たんだよね? そうなの?」
「いや、私はそんな話、聞いたことがない」
「夜になると、怪物の声が聞こえるとか。とにかく見上げるほど大きくて、馬なんだけど、二本の脚で立ってるとか。馬なのに」
骸骨や猿だけではない。ああいうのが、他にもいるというのか。こうなると、強引に、城下町へと向かわないほうがよかったのかもしれない。白鈴は思う。
「あ、帰って来てる」シュリはそう言うと、目標であった家の前まで近付いて、すっと立ち止まった。ついてくるか、ついてこないか。
白鈴は後者を選ぶ。
「ここで待ってて。すぐに、戻ってくるから」
どこかへと行く。そんな言い様である。彼女にそのつもりはないというのに。
シュリがその場を離れて、しばらくの間、はゆま村に住む人は時たま物珍しそうに白鈴を見ていた。『村の人間ではないので』。シュリと一緒にいたのは知っているだろう。
歳が近い、とでも思った。村の子ではない、女の子、シュリの友達。とくに、子供の反応は子供らしく素直なものでそのような感じだった。
白鈴は、待っているのが退屈であったからか、聞こえてしまったか、立ち聞きをする。
村の住人。男と女。大湊の話だった。内容は、大湊火門真道についてである。それと、その妻。
「そういや。ねえ、聞いた」
「あ? なにをだ」
「火門様と
「婚姻したばかりだよな。そうなのか?」
「うん、聞いた話によると。その、お二人の、『夜のこと』。夜伽に東姫が火門様に短刀を向けたって」
「東姫が、短刀を? 本当か?」
「らしい。ね、これ、どう思う? お二人は、うまくいっていないのでしょうか」
「ううん。どうせ、作り話だろ」
「どうしてそう思うの?」
「笑えない話だからだよ。外に流れていいものではない。俺たちは、東姫の顔も知らないんだぞ」
「それは確かに。お顔、見たことない。とてもきれいな人だとは聞いてはいるけど」
「いつだったか、素敵なお相手が見つかったらしいと、やっとの縁談で、喜んでいたと思ったら。噂も、ほどほどにな」
白鈴はそこで二人から距離を取った。どこでもいい。動かずにはいられなかった。
大湊はいつの間にか結婚をしていた。三年もあれば、新しい相手もできる。相手の名は「東姫」という。その当時、国にとって、それはそれは喜ばしい知らせだったに違いない。
だとすると、「覚えてない」のも無理もない。多くのものが、明日を生きている。
白鈴は一人の人物を見つける。見覚えのある顔だった。男の子である。あれは。
はゆま村に訪れたばかりのことだ。村のなかを歩き回り、シュリの家に向かう途中、そこで出会った村の子供。歳はわからない。白鈴より背が低く、艶のある黒髪をしている。
彼は若い女と話をしていた。言葉を交わす女は、村人のようには見えない。
彼が女から離れていくのを見て、白鈴は声をかけてみようと考える。
「どうかしたのか」ただごとではないように見えた。
「あっ、さっきの。シュリは?」
「ここにはいない」
「あのさ、千年桜から、来たんだよな。それなら、あの人がこれから、千年桜を見に行きたいとか言ってて。やめるよう、説得してくれないか」
女を一瞥する。「ひとりか。わかった」
「おっ、そうか。じゃあ頼んだぞ、白鈴。今度さ、みんなで一緒に遊ぼうな」
お前も参加しろ。大切な用事があるようだ。彼は駆け足で村のなかへと行ってしまう。
彼女は、「明日には村を出る」それも言えなかった。村の子供と遊ぶ――。首を振る。
説得へと試みる。
「桜の木を見に行きたいと聞いた」
女は聞いて振り返ると、見詰めつつ、間を置く。「
「白鈴だ。それで、そうなのか」
「ああ。だが、さっき子供にきつく止められてしまってな。どうしたものかと迷っておる」
「私からも言おう。今はやめたほうがいい」
「そうか」
「護衛は、いないのか? 一人に見える」
「屋水から馬で来た。護衛はいない。置いてきた」
「置いてきた?」
「しかし、聞いていたとおりと言った感じか。報告だけでもしておきたかったのだが。残念ではあるが、それならしかたない」
「帰るのか?」
「屋水に戻ろうと思う。迷いは晴れた。白鈴のおかげだ。感謝するぞ」
そうして環という女は、述べたように馬に乗って、はゆま村を去った。
それから翌日、白鈴はシュリの家で早朝に目を覚ますと、ゆっくりとからだを動かして部屋のなかを見回した。昨晩も、水の体でないと眠れなかった。べつに不便とは思わない。しかし、これが当然だとは彼女は思いたくなかった。
昨日の夜、就寝する前の頃、白鈴は部屋を出る。そこで、シュリを見かける。
彼女はまだ眠るつもりはないのか空を眺めていた。手元に明かりは持っていない。もちろん生き物はいるとしても、家近く、周囲に忍びがいる気配はない。
何をしていると問えば、明日のために力を貰ってると彼女は答える。
「星にか?」
「なんてね。おやすみ」
夜だからというのもあるのだろう。シュリはお淑やかな話し方をしていた。まるでほんのりとした月の光を浴びているようで、明日の健康、鬼、または道中の無事を願っていた。
それぞれが部屋へと戻る。
白鈴はあの時のシュリの表情を思い出しながら、自分の体に目をやる。「水の体」で「人の姿」を取ってみた。相変わらず人の肌とは思えない。この体は、どうにかならないのか。どうにもならないのか。
彼女はそこで発見する。体にあったであろう刀傷が、一晩で無くなっていた。入浴時には見た。まさか、月見櫓で、あの男につけられた傷が。ここまできれいに。
朝食の時間、白鈴はシュリに教えた。それは言うべきだという判断である。
「シュリ。今朝に、気付いたことがある。あの水。巫女が飲むとも言われる『屋水の水』、効果があったぞ」
「効果? えっ? 効果があったって」
「体にあったあの傷が、朝にはすっかりなくなっていた。斬られたのが夢みたいだ」
「あの傷が? ほんと? お願い、見せて」
「今か?『今』なのか? あとでは、ダメか?」
白鈴はいくらなんでも食事という場で素肌をさらけ出そうとは思えなかった。出された料理を食べ終わったわけではない。はしたないにもほどがある。
「ああそっか。そうだよね。あとで。行儀が悪いよね」
シュリは気付いて、十分に理解したように見えた。しかし、そんなことはない。
「ううん。いやっ、いま見せて」
「なぜだ?」我慢、できないのか。納得しかけていただろう。
「今、見たいの。箸を置いて、そこで、すこしだけなら、どう? それでもいけない?」
「あとで、好きなだけ見ればいいだろ。今は食事だ」
「……はい」
申し出をきっぱりと断ると、シュリはそれ以上しつこく言うことはなかった。
「ほんとだ。消えてる。痕がない。よかった。よかったね。痛みは?」
痛みもなかった。つるつる、すべすべ、熱もない。戦いの記憶はある。それだけである。
「体が水だから」とは、結論するには早計だ。
大湊へと出発の支度を終えて、それからシュリの家を出た。はゆま村、ここでも朝には朝の光景がある。シュリとは、家の前で別れるのではなく、村を出るまで一緒となる。
白鈴は、昨日のうちに、ある程度これからの行動を決めていた。はゆま村を去ったあと(感謝の気持ちを伝えて)、そこから大湊を目指すとすると、城下町より手前に位置する「人の暮らす場所」といえば、それは屋水である。そして、屋水に到着して、さらに城下を目指す場合、そこにもう一つ町がある。
とりあえず、屋水に向かって進むのが正解ではないかと彼女は考えていた。
彼女は、馬でもあればと思っていると、その足を止める。
「まさか、シュリ。ついてくるつもり、なのか? 村の外まで」
「うん? どうして、そう思うの?」
「そんな、気がする」お別れが近いにしては、楽しそうだとでも言うべきか。
「そっか。そんな気が。わかった。それなら、しかたないし、私もついて行く」
「なにが仕方ない。ダメだ」
「これから屋水に、行くんでしょ?」
「ああ。そのつもりだ」
「それなのに、いいの?」
「なにがだ?」
「いいんだ。それでいいんだ。私、隠れながら、ずっと白鈴の後ろを追いかけるかもしれないのに。いいんだ」
「一緒に、行こう」
「じゃ、屋水までね」
状況がさらに酷くなっている。初めは、その計画としては、家の前で別れをするつもりだった。それが『村の外』となり、(口を開けば)『村より少し離れた場所』かと思えば、最終的には『屋水』までとなった。
白鈴は彼女がどういった考えで行動しているのか時々わからなくなる。シュリは森も、山も、危ないのは理解しているはずだ。魔法が使えるのは強みである。しかし、それは慢心するほどの力ではない。彼女はそれほどまでの力は持っていない。実際にシュリは魔法が使えることによる戦えるというそれなりの自信はあるとしても、根拠なくできると思い込んで行動しているわけではない。
「これで、ふたり、寂しくないね」
「寂しいとは思わない」
「それは、ウソ。顔に書いてる」
ついでに、姉と会おうとでも考えているのか。
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