_1の2 はゆま村の女

第4章「千年桜 一人の女」

 ・4



 沈んでいく。冷たい。暗い。いたい。


 でも、あのときより。狭苦しさはない。


 これから、どう生きていけばいい?


 何も変わらぬ。『鬼』と落ちた、わたしは。姉さん。




 一番月見櫓ユウ橋の戦いの後、彼女は頭が朦朧としていた。ひどく長い夢を見ている。


 そこで――。なんどかと声をかけては、目を覚まさせる若い女が現れる。


 あれから眠っていた正確な時間はわからない。白鈴は穏やかに、体を起こした。


「平気、かな? ねえ、自分のこと、わかる?」


 白鈴は周囲に目をやり、屈んでは反応を窺う女の顔に視線を移動させる。この状況だけでいえば、知らない相手だった。場所も、どこだかわからない。見覚えがなかった。傍では、川が流れている。


「おまえは?」


「私? わたしはシュリ。シュリって名前」


「しらすず、だ」


 彼女は自然に動いていたが、改めて自分の状況を理解する。ひとつも「服」といえるものは着ておらず、大きな布が一枚、胸元のところまで引き寄せてそれで体を隠していた。


「白鈴か」


「どうした?」


「ううん。なんでもない」


「ここは、どこだ?」


「ここ?」シュリはそう言うと、周りを見る。「ここは、そうだね。千年桜。駅馬はゆま神風大桜。はゆま村の近く」


 はゆま村。それは屋水より離れた場所にある村の名だった。焦らず慌てず、整理していくと、一番月見櫓から川に流されて、ここまでやってきたと判断できる。


 白鈴はその結果に思い至り、不安に駆られる。見られてしまった?


「見た、のか?」彼女は胸元で、布を強く握る。時間を掛けた問いだった。


 シュリは少し考えていた。「安心してください。なにも見ていませんから。お散歩のつもりが、漂流物を拾って、気付いたら女の子になってた、って感じです。だから、急いで布をかけたので」


 目覚めに至るまでの過程を説明している。聞いて、白鈴は目を逸らし俯く。


「それは私だって恥じらう気持ちはわかるよ。だから」


「見たのではないか」


「えっと。もしかして。『水みたいなからだ』、のこと?」


 白鈴は返事らしきものはしない。徐に立ち上がって逃げ出そうともしなかった。


「ああ」とシュリが声を漏らす。それじゃないと、相手の意味ありげな行動で把握した。


「なんだ?」


「ごめん。心配しないで。大丈夫」彼女は決断はやく抱き寄せて、そう言う。


「やめろ」


「ダメだった?」


「いや。助かった。取り乱していたようだ」


 白鈴は気心の知れた相手でもない思いも寄らない行動をたいそう拒んだが、おかげで冷静さを取り戻した。勝利を得られなかったこと、冷たい水に長いあいだ浸かっていたこと、ほかにも、様々な要因によって落ち着きを失っていた。


 シュリは、どこかに行くようすはない。抱き寄せはやめても、離れない。


「あれ? それっ、刀傷?」


 彼女が続けて見つけたのは、火門との戦いでつけられた傷だった。「ししこ」ではない。「猿」のものでもない。一切迷いのない刀によってできた生々しい痕である。


「気付かなかった。痛そう。い、いたくないの?」


 傷が深く、治っていない。いまでもユウ橋で戦っている。そんな、熱が残っている。


「平気だ。すまない。なにも聞かないでくれ」


「そう。じゃあ、聞かない」


 いつまでも裸のままでいるわけにはいかない。彼女は立ち上がると、魔法で服を取り出す。切り裂かれた部分はどうにもならないので、そこは布で前垂れのようにして隠した。


 仕組みなど、わからないだろう。突然、服が出てきても驚かないところをみると、シュリは目の前にいるものが『何であるのか』は理解していると思う。


 白鈴は身なりを整えて、傍らにある大樹に目をやった。


「立派な木だな」


「えっ?」


「これが、そうなのか」


「ああ、うん。そう。駅馬神風大桜。桜の木。千年だよ。千年。すごいよね」


千年・・か。ああ。そうだな」


「お姉ちゃんが言ってた。『ホントに千年?』って。もしかして、同じこと思ってる?」


「どうかな。あるいは。もっとあるかもしれない」


「また、同じこと言った」


 白鈴は話題を変えようと思う。居場所はわかった。だが、そこには疑問がある。


「散歩と言っていたが。シュリは、ここでなにをしている?」


「それは。ええっと。さんぽ」


「ここは、はゆま村から近くはないはずだ。それに、花見の季節でもないだろ?」


「花見の季節ではないね。そうなんだけど。ううん。うん。秘密?」


「一人か。聞かないほうが、よさそうだ」


「あれ? もっと、もっと、興味持ってもいいのに」


「言うつもりはないのだろ?」


「それは、そうだね」


「なら聞かない」


 目的があった。勿体ぶっているだけで、「実は散歩でした」そのような気もしてくる。「緑もいいもんだよ」と彼女は口にする。


 生き続けるその姿は。教えてくれているようで。


「この川を、ずっと流れてきたんだよね。白鈴、これからどうするの?」


「城下町に、帰ろうと思う」


「城下町か。遠いね。帰路、鬼とかいるから、危ないし、大変だ」


 信じてはもらえないだろう。「シュリ、可能なら、この体のことは、誰にも言わないでもらえると助かる。言っても、シュリに何かをするつもりはない。それに」


 シュリは首を振った。「言わないよ。言わない」


「ここに来た、目的は終わったのか?」


「えっ? ああ、うん。もういいかな」彼女は桜の木のほう眺めながら言う。


「それなら村まで送っていく」


「いいの? 急いでいるのかな、とも思ったけど」


「送っていく。ひとりは危険だ」


「ありがと。あっ、そうだ。よかったら、になるけど。私の家に寄ってかない?」


「家に?」


「もしかしたら、その傷、治せるかもしれない」


 


 駅馬神風大桜を去って、二人は森のなかへと入り込む。話はまとまり、シュリの家があるという「はゆま村」を目指した。桜の木が多いこの地帯から、はゆま村は距離がある。人が通れる道はあっても、村人が散歩で来るにはわずかに遠出だった。もちろん、名所であることには変わりないので、たびたび何かしら目的をもって訪れる者がいる。大湊城より北東にある屋水に住む人でも、この景色を見に訪れる者がいた。


 この何年か、寂しいもので「ほとんどいない」と聞く。寒い冬が終わり、春がやってきて、花見でさえも。声も、弁当も酒もない。


 二人は森の中でその理由を体感することになる。危惧していたとおり、鬼と遭遇した。


 その見た目は、一言で表すとするなら「蜂」だった。「蜂」に見えなくもない。


 大きさは、大人の「手」ぐらいあるだろう。悍ましく、豪快な羽音で近付いてきた。


 数は多くない。巣が近くにあるわけではないらしい。『逃げる』のは、できる気がしない。


 怪しい場面はあれど、鬼との戦闘が終わり、白鈴は聞きたいことが山ほどできてしまう。


「よくこんなところを歩いてきたな」助けも呼べない。危ない、としか。


「ほんと、びっくりしたね」先程まで戦ってたとは思えない反応である。


「鬼は、見慣れているんだな」


「どうして?」


「森のなかで、鬼を前にしても、たいして動じていなかった」


 出会った時からそうだった。怖がりもしない、その振る舞い、どれも不思議としか言いようがない。よかったとは言えないが、鬼との戦いで彼女は、シュリにたいしていくつか謎であった部分に納得のいく答えが見つかる。


「それにあの戦いっぷり。まさか、魔法が使えるとは思わなかった」


「すごかったでしょ。私だって、戦えるんだよ。でも、私も驚いた。白鈴、まるで侍みたいに動いててさ」


「シュリは、魔法使いなのか。魔女から『力』をもらったという」


「うんと、魔女にあったことは、ないかな。魔法はお姉ちゃんに教えてもらったというか」


「教えてもらった? 魔法をか」


「うん。そうだよ。小さかった頃に、教えてもらった」


 白鈴はそこで詳しく知ろうとはしない。重要というわけではなかった。有耶無耶にされそうでもある。彼女は、「どこにでもいる『村人』ではない」、というのは理解した。


 鬼を怖がらないわけだ。魔法使い、魔法を使った、ヒグルと一緒だ。そしてあの桜の木の場所にも、あれがひさしぶりとかではなく、おそらく頻繁に訪れている。散歩。


「それは?」と白鈴は続けて問う。「変わった。それは武器、なのか?」


「これは、扇子」シュリは見て言うと、次に首を傾けた。「扇子、知らない?」


「扇子は知ってる。しかし」


 刀のように振り回していた。風を起こす。扇がなくとも、魔法は使えそうなものだが。


「これは扇子です」はっきりと言われてしまう。


「だな」


 白鈴はそれもまた傍観すべきなように思えた。尋ねても、わからない気がした。


「それより、帰り。一人でなくてよかったかも。ここも危ない場所になってる」


「この国は、どこもそんな感じだ。迂闊に村からはあまり離れないほうがいい」


「そうだよね。うん」


「戦えるとしても、気を抜いたら、いつかやられる」


 大湊の国は、鬼で溢れているとつくづく実感する。どこへいってもだ。安心して暮らせはしない。人も、生き物も、疲れてしまい、ここを離れていってもおかしくはない。


 目黒がいうように、そこにはどんな未来が待っているのだろうか。


「ねえ。物騒、だよね。最近だと、大湊では、監獄から囚人が逃げ出したんでしょ。聞いたよ。だから、はゆま村の人とか、大人も、子供も、みんな怖いって言ってる」


「そうだな」


「首のない馬を見たって話もあるし」


 白鈴は黙ってしまう。


「鬼は減らない」シュリは間を置いて、そう言った。「やまかぜ様が、前に『風門』がそう言ってた。共に戦おう。それって、ほんとにこのままで、減らないのかな」


「どうだろうな。減るといいが」


「私が生まれ育った場所、屋水なんだけどね。そこでもそんな話がされてるんだ。鬼は、減らない」


「屋水に? そうなのか?」


「水が涸れちゃったからね。それだけでもなくて」


「屋水に、今でも人はいるのか? だって、三年前に」


「ほとんどいないよ。わたしは、はゆま村にいるけど。屋水には、今でもお姉ちゃんとおばさんが暮らしてる。離れて暮らしてる」


「屋水に、人が。シュリの姉は住む場所を変えないのか?」


「できれば。変えたくないんだ」


 白鈴はこのとき屋水に行けば、脆くもある断片的となった記憶を元に戻せるのではないかと考える。あの日、あの夜、炎に包まれた。私に何が起きたのか。


 しかし、実行に移すには、彼女に躊躇いがあった。姉は死んでいる。母も死んでいる。兄も死んでいるはずだ。賊に襲われたのは確かであり。私は何をされて。私はこのような体となった。知ろうとするには、消極的な姿勢となる。



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