第3章「鬼を斬る鬼 陰影」_2
暗闇を抜けて明かりのある山道を登ると、予定通り『一番月見櫓』が見えてくる。白鈴は一度立ち止まって全体を眺めようとした。そして彼女は「もうすぐだ」と心の中で思う。一番月見櫓、『刀』がある場所と考えると、組み合わせがよく、風流があるようにも感じる。
櫓内部は、「人がいる」という話だった。それと、外から訪れる者は
星映る美しい川の流れ、橋の下をくぐりおそらくそれは先程の洞窟にも続いているのだろう。最も高い場所には向かわない。月を眺めるために、この地へと訪れたわけではない。
正面に、見張りはいなかった。侵入は容易い。
「なんとかここまで来たね」
「想定外はあったがな」目黒は内装に目をやりながら言った。
「人がいる感じは、ぜんぜんないね。静か」
「刀は、もう目の前だ」
白鈴は確信している。あの日、監獄にはなかった、確かな感触があった。
「そいじゃ、ちゃっちゃと見つけようぜ。手に入れたら、とっととこっからおさらばだ」
彼らは立派な橋は渡らず、上階へと向かう。
二階にも人影はなかった。もしかしたら橋を渡った向こう側の建物にでもいるのか。
「当たり前っていえばそうだが、捕まったときの大湊城と比べると、拍子抜けするな」
「やっぱ、城のなか、すごかったの?」
「そりゃ、ぞろぞろと、騒がしかったぞ」
ヒグルは大湊城潜入には加わっていない。ジロテツとサモン、彼を含めた三人で国の秘密を探っていた。彼女は目黒たちの意見に賛同して、仲間として手伝っていたにすぎない。
『国が、妙な術で、鬼を従えている』。
いつからか、鬼が頻繁に見られるようになったのは、そのせいだ。昔はそんなことはなかった。鬼のいない、狼に鹿、鳥、生き物がたくさんいた、自然豊かな国だった。
人の思いとは裏腹に、いまでは、あろうことか、鬼と共に生きようとしている。
呑気なこった。
「あいつら、何を考えてんだか、わかったもんじゃねえ」
「目黒」とヒグルは見詰める。その横で、彼は右腕の調子でも確かめるように、手のひらを上に向ける。
傷が癒える。体を『人ではないもの』に変えられてしまったことで、彼はいっそう大湊に不審を抱いている。というよりも、確実なものとして強い反感を持っている。
広場を抜けて、もうひとつ上階を目指す。刀までは近い。
見回りには見つかることなく、白鈴はそれらしき場所に辿り着くと、情報と直感を頼りに探した。たとえ、警備は厳重とはいえなくとも、重厚感ある扉の奥だとわかると足早に向かう。
「あった。ここにあったか」
彼女は部屋に入って早々、そう言った。間違いない。そこにあるのは。
「見つかったの? あれ?」
「ああ。あれだ。私の刀だ」
「ほお。あれがそうなのか。なんだ、あってよかったな。念願の再会だ」
「ああ」
「それなら、間違いないなら、さっそく返してもらうことにしようぜ」
埋火蝶陰影、彼女の刀、その刀は部屋の奥側で丁寧に飾られていた。彼らは近付き、それを間近で目にする。乱暴とは無縁、台の上で横向きに置かれており、柄から切っ先までその気高い佇まいがとにかく美しく潔い。
白鈴は顔の布を取り、かげかげの前に立つと、腕を伸ばした。しかし、触れる前にその指先を止める。
「どうした?」と目黒が問う。
「いや、気のせいか?」
「うん? なんだ、ちがったか?」
「どうしたの?」
白鈴は首を振る。「なんでもない」
彼女は台の上からかげかげを持ち上げた。そして、現実を直視する。
長く探し求めていたものだけあってか、深い感動があった。うまく思いを言い表せない。
「その刀、なんだろう、全体的に細いのかな?」ヒグルは珍しそうに観察している。「長さは、私が貸しているのと、あまり変わらないようにも見えるけど、細いよね」
「長さはともかく、大湊にある刀にしては、ちと細いように見えるな」
「だよね。遠くからでは、わからなかったけど」
「この体には、若干柄が太い気もするが、これだ。懐かしい。私の手に、私に、これほどまでにあうものはない」
白鈴は鞘から刃を覗かせると、すぐに鞘に戻した。
「それにしても、かげかげ、少し痩せたか?」
「わたしが知らないだけかな?」彼女は小声で尋ねる。「刀って、痩せるの?」
「なにいってんだ。お前」
「そう、えっと、なんといえばいい」
「まあいい。それで、間違いないんだろう?」
「ああ。これだ。感謝する」
「なら、よかったじゃねえか」
場所は一番月見櫓、彼らは埋火蝶陰影が保管されていた部屋から出て、通ってきた道を戻っていく。目的であった『刀』は取り戻せた。あとは城下町へと帰るだけだった。
建物二階、「人がいる」ということを忘れてしまいそうなぐらいに、姿を見かけない。
「おい。随分と大切にされていたように見えたが、それは特別な刀だったりするのか?」
「特別だ。一本しかない」
「お前にとってはそうかもしれん。ただ、ええ、なんつうかなあ」
ヒグルは汲み取る。「有名な人が打った刀かってこと?」
「そう。それだ。どうなんだ? どう見ても、どこにでもあるもんではねえだろ」
白鈴は腕を持ち上げて、かげかげを眺める。文句なし、手抜きのない一品である。
「言い方的には、お前のために、『昔のお前にあうよう』、作られたように聞こえた。見慣れない細身であることも気になる。どうなんだ?」
「おぼえて、ない」
「ああ?」
「すこしも? なにも?」
「思い出せない」
白鈴は瞼を閉じた。大事なはずだ。それなのに、すっかり記憶から抜けている。
『水の体』になってから、断片的となっており、このままだと自分のことまでも忘れてしまいそうになる。自分ではなくなりそうで。そのときは。
屋水。家族。姉。幸福などない。私にも、思い人はいたのか?
立ち止まっていると、彼女は俯きをやめて顔を上げた。
ここは建物二階であることを考慮しても、前兆もなしに――無理やりだ――月見櫓の壁を破壊して侵入してきた者がいた。壁を殴って、入り込んだのではない。恐ろしさを漂わせる侵入の仕方からして、獰猛で勢いがあり、どこからか力強く跳んではその体ごと、月見櫓の二階に突っ込んできたのだとわかる。
破片が飛び散るなか、三人は大きく慌てるようすはなく(声をあげて驚きはしたが)、その者へと目をやる。
「なんだあ? こいつは。洞窟にいたのとは違うよな」
「どう考えても『敵』だよね。鬼だ」
白鈴は無言で刀を抜く。味方か、と問うまでもなかった。
「逃げるって選択は?」目黒は言う。
「逃げ切れるのか?」
「いいぜ。やってやろうじゃあねえか」
迫力のある登場をした鬼は、明らかに正常ではない見た目をしていた。まず、それらしい「頭」がない。頭部であると判断できる部分がなかった。あるはずの左腕も、失っているように見える。
外見は、猿のようだった。茶色、毛深く、目黒でも見上げるほどのでかい図体をしている。猿だけあって腕が長い。
首の上がない。しかし、断面が見えているわけではなかった。頭の代わりに、そこには洞窟で散々見かけた「ししこ」がのっている。黒い体、黄色い二つの目が光っていた。おかげで、「ししこ」が体を伸ばせば、鬼の首がぐねぐねと伸びたように見えてしまう。
左腕もまた、「ししこ」のようだった。失ったところからにょきにょき生えてきた。見た者であれば、そんなふうに表現できてしまえるだろう。
頭部が、「猿」を操っているようには思えない。そうではなく、おそらく寄生している。「宿主」と「寄生者」との関係であって、我慢できず追いかけて、洞窟での仕返しをしに来たわけではないように思える。猿らしく鬼らしく、性質荒く、左腕の部分までもが武器として使われている。
「やっぱ大湊は、鬼を従えてんな、こりゃあ。ここにいていいもんじゃあねえ」
人と比べようがないほどの力を持つ三人でも、櫓内部での戦闘は苛烈を極めた。鬼は壁を破壊してきただけあって、屈強なる体格を有している。
長い腕をさらに自由に伸ばす。あるいは縮ませる。左腕だけではなく、猿の右腕もそうだった。それから、たとえ折り曲げられようと、痛みを感じているようには見えない。
掴まれた場合、抵抗が難しい。左腕に関しては、「ししこ」故に触れれば体の自由を失った。
ヒグルの魔法は、効果あるようには見える。
刀で斬られようと、鬼の負った傷は癒えている。
「これで終わらせる」白鈴は狙いを定めて近付いた。
探していたもの(かげかげ)は見つかった。あとは、感覚を取り戻す。
「この重み、お前に耐えられるか」
一閃、その鋭さ、精確に振り下ろされた。猪武者。
鬼の肩から、ようやくのことで刀傷が残される。
どれよりも苦しみが窺える。猿はその場で姿勢が低くなり、上半身を床につけた。
「ほらよ。もういっちょだ」
飛び上がっていた目黒が天井を蹴って、そうして背中を殴りつけた。
床は突き破られ、音は鳴りて、崩れて、下の階へと落ちてしまう。
「よっしゃあ」
鬼は一階へと叩き落されても、対抗する意思があるように見てとれた。さすがは、「鬼」ということなのだろう。傷は癒えずとも、立ち上がろうとするその威勢、劣ることなし。
とはいえ、「猿」も「ししこ」も、最後にはヒグルの魔法によって焼かれてしまう。
「なんなの? この鬼」
「さあな。つまるところ、警備の一人、って感じじゃあねえか」
「この鬼を? そんな。言うこと、聞くのかな? 聞いてたのかな?」
「でなければ、普通退治されてんだろ。放っておくわけがねえ。いったいどんな方法かは知らねえが、縄もつけず放置していいもんじゃねえよ」
「それか、偶然か」
「偶然かあ? 俺たちが刀を持ち帰ろうとして、俺たちの目の前にわざわざ出てきたんだぞ。どう考えても」
白鈴は黙ってしまう。天井を見た。容易に勝てる相手ではないのは事実だった。
「そう、だよね」
「急ごう。また同じものが現れたら厄介だ」
「そりゃあ……。勘弁してほしいよな」
もう階段を下りる必要はない。彼女は布で顔を隠し、正面の入口を目指した。この騒ぎで、人もやってくるだろう。目黒が言うように、命令を受けてやってきた鬼であるとするなら、侵入が発見されていることにもなる。
だが、それにしても、騒ぎがウソであるかのように、一番月見櫓はひっそりとしている。取り囲まれてはいなかった。
櫓正面入り口、橋のある場所まで彼らは何事もなく辿り着く。
そこで、白鈴は立ち止まる。橋の向こう側で、彼女は見つけてしまった。
「あれは」
「おっと。どうした? 敵か?」
「白鈴?」
「大湊」
彼女が目にしたのは、橋を一人で歩く大湊真道だった。大湊の国、現当主である。
「おいおい。なんでやつがここにいる」
「どうして」とヒグルは呟いた。「どうして、火門が、こんなところに」
白鈴は何も言わず、刀を取り出した。そして、橋のほうへと歩いていく。
ヒグルは名を口にして、追いかけた。
「火門だな。この夜に月見櫓で、一人で、なんの用だ」
「おまえ、その刀」
「答えろ」
彼は口を閉ざす。刀のほうに意識を働かせてから、相手の顔を見ていた。
「これはこれは火門殿、ちょうどいい。俺も直接、お前にはたくさん聞きたいことがある」
「ムジナどもに話すことは何もない」
「ムジナだとお? 人の体を勝手にいじっておいて、ムジナとは言ってくれるじゃねえか」
「城に足を入れなかったら、そうはならなかった。ではないのか」
「お前らが黙って、裏でコソコソやってんのはわかってんだぞ。消し去るのではなく、鬼を従えている。これからもこの国は鬼が増える一方だ。そこにどんな未来が待っている。民は、黙ってはいられねえぞ」
「誰が、お前の言うことを信じる?」
「また戦争でもやろうってのか?」
「私は、名は白鈴」彼女は顔の布を取った。「三年前に、お前に姉を殺された。この顔を忘れたとは言わせない」
「知らないな」
「知らないだと」
あれから三年経過しているとしても、その態度はあり得るだろうか。
覚えてないというのか。
「白鈴?」ヒグルは前に出る彼女を不安そうな目で追う。
「かげかげは取り戻した。あとは」
「おい。いくのか?」
「先に行け。邪魔はするな。これは。私とやつの――」
目黒が、彼女の肩に手をやる。その表情、共に戦おう、というつもりではないのだろう(国の暴走を止める機会でもある)。彼はわずかに間を置いた。
「お前と、酒が飲みたかった」
「飲めばいいだろ?」
「だな。そうだよな。わかってる。わかってるぜ。だよな。――おい、白鈴。いい酒。用意してるからよ」
「あとを頼む」そうして鞘から刀身を引き出した。
「行くぞ」
「でも」
「こいつが先に行けって言ってんだ。信じようぜ」
二人は一番月見櫓を去っていく。感情はあれど、相手の意向を汲み取った。
大湊真道が橋の上で刀に手をかける。「子供であろうと、刃を向けるのであれば、容赦はしないぞ。それは遊びの道具ではない」
「それを、私に言うか?」
「その刀、返してもらうぞ」
「これは私のだ」
「お前の物ではない」
白鈴は構えると、小さく息を吐いて、息を止めた。猿との戦いで、少しずつ感覚を取り戻している。借りているものでは叶わなかったことだ。
この一瞬に、すべてをかけた。
しかしながら、突進をするが、彼女の攻撃は華麗に捌かれてしまう。
「これは」
「思い出せたか」
「いや」
それは、二つに分けての太刀筋だった。まず一つは、相手の首を狙う一手。そして、少し遅れて詰め寄る白鈴。頸を狙う一手は、軽く美しく受け流された。水しぶきが立ち、川に割れ目ができたほどだ。
ここで終わることはなかった。よって激しい攻防が繰り返される。橋の上、跳んだりと、川も穏やかではない。
「なるほどな。いい腕だ。女とて、仕官して欲しいぐらいだ。だが」
火門のほうが
「やはり、鬼か」
白鈴はその力量足らず、身を斬られてしまう。惜しくも散る。
傷が治らない。彼女は手で触れながら、服を掴み、次第に熱く感じる激痛に耐える。
「そうだ。大湊。このからだは。私は、鬼だ。死ぬに死ねん」
震える、欄干に寄りかかる。
「しかし、おまえも。おに、らしいな」
白鈴は川に、冷たい水にその身を投げた。
眺めてはうごかない。火門はしばらくして刀を鞘にしまう。
「追え。生かして捕らえろ」
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