第2章「水の体 城下魔法使いの心」_2
昼頃を過ぎて、二人はそれから「幽鬼退治」の現場となろう山林に訪れると、とりあえずは道なりに進む判断をする。目撃情報を頼りに探すことにはなるが、現時点でははっきりと言えるものはなく、人を
草木が音を立てていた。生命がある。鳥が鳴き、木々の隙間に猪の姿が見受けられる。
「すぐに現れるだろ」
空は晴れていた。雨が降りそうなようすはない。
刀を取り出していると、ヒグルが話しかける。
「
「怖い? それはなんだ?」
「大蛇の話。大蛇がいるのは、知ってるよね」
「枯れ谷を住処にしている『白蛇』のことだろ」
「その大蛇が、聞くところによると、毎年、若い健康な女を集めては、食べているらしい」
「枯れ谷に怖い話は昔からあるが。
「さてね。神様が落ちるところまで落ちてしまったのか。白蛇信者が、この世に絶望しているのか。毎年、若い女のひとを、ひとり捧げてんだとか」
枯れ谷にまつわる、大昔からある怖い話のなかには、「若くて健康な女を捧げる」というのはあった。本で読んだことがある。
鬼が溢れている。人と同じで、
「……白鈴」とヒグルがそっと名を呼ぶ。
「いるな。近い」
「霧が、出てきた」
白い霧はあっという間に二人を包んでいた。注意していたところで、逃れることなどできなかっただろう。山のなかを闇雲に駆けたとしても。
すると、前方に岩のような大きな黒い影が現れる。それは、探していた『鬼』のようだ。
「走るぞ」
前に影はあれど、後方に気配があった。前ではない。複数であり。足音が一つではない。
いつまで走るつもりなのか(魔法使いは走りたくないようだった)。追いかけられている――ずっとこのままは、不味いよ。そんなことを相談していると、白鈴が先に行動する。もうよく走った。「見せ掛け」としては不足のない出来である。彼女は意表を突く思いで反撃を開始する。飛び込んだ。
刀は確かに触れる。手には、斬った感触があった。
「消えたな」白鈴はそう言うと、当たった刃の部分を眺めた。
「仕留め損ねた?」
「本体がどこかにいる。探そう」
短い間ではあったが正体を知れた。微かに見えた。手のかかる相手ではない。
このようなところに現れる理由もよくわかる。どんなことに怒りを感じているのかはわからないが。放っておいても、消滅することなく、被害者は増えるだけとなるだろう。
霧でも、晴れたらな。彼女は思う。
ヒグルは足元を気にしていた。汚れてしまったのが不満なようだ。
「ほんと、頼りになるね。まさか、侍ではないだろうし、どこで剣教わったの?」
占い師見習い、そう口にした町の男に似たことを言われた。頼りになると。
しかし、どこをどうやったら、これが姉妹のように見えるのだ。
「覚えてない」
「そっか」
兄だろうか。白鈴は思い出そうとして、首を横に振る。屋水に侍?
「話の続きになるけど、今年もあるらしいよ。近いうちに。『一人』選ばれるらしい」
「白蛇のことか?」
「うん。そうみたい。そういう噂」
「悲しいな」
ヒグルは間を置いて、「そうだね」と言った。
魔法使いはそのあと――黒い影――「幽鬼」について話そうとする。けれども、
とにかく手伝うつもりはないようで。
「鬼とは、どうやって戦うつもりなの?」
すぐに終わる。
白鈴は霧のなかを道のりに沿って歩いた。ヒグルには傍にいてもらう。彼女が知らないうちに離れるとは考えられないとしても、警告だけはする。一人にしても、平気だろうといえばそうかもしれない。困難であろうと、やり遂げるに決まっている。このような場所で「力」を使ったとて、隠し続けている秘密が町の人に露見したりもしないだろう。
ヒグルは手助けはしないかと思われた。
ところが、そうでもなかった。道すがら、鬼の誘いにのらず察して魔法で追い払っている。水をぶつけていた。
「崖か」
白鈴はそう言って、立ち止まる。「この先」本体を目指して進んで、この場に行きついた。相変わらず、霧が晴れるようすはない。
「悪意だけとは、思えないんだよね」
「このままというわけにもいかないだろ」
彼女は振り返ると、相手の態度がわかるまで静観する。
「助太刀は、邪魔かな?」
「ああ。追い払ってくれただけでも、もう助かっている」
白鈴が来た道を戻ろうとしていると、求めていたその気配は霧の中に突然と現れた。
そこで、長く息を潜めていたかのようだった。木の葉にでもなりすまして、窺って。
白鈴は刀で攻撃を捌ききれず、大きな頭にはね飛ばされてしまう。
いつからそこにいたのだろうとだれもが思うだろう。眼前に姿を見せたのは、死骸としか呼べない見た目の猪だ。
図体を大きく見せている。生きているとはとうてい思えない。
鬼は苦しみと憎悪のまじった声をあたりに轟かせる。
白鈴は刃を構えて、言った。
「守ろうとするものまで、ここを離れてしまう。それは望んではいないはずだ」
息荒く、激しく、突撃する鬼。彼女は迎え撃ち今度こそ受け流す。
そうして、彼女は一太刀浴びせた。
「そうだろ。お前たち」
白鈴は「幽鬼退治」を終えるとヒグルと共に山を降りた。途中、川に目をやり、血、臭いを想起する。ふと自分の腕に視線を向けていると、高い鳥の声を耳にする。
大湊では、いまやありふれた光景。それは恐ろしく、とても悲しい。
とくに怪我はなし。ちょっとばかり山道を走っただけであり、疲労があった。
彼女が、林の風を頬に感じている。葉音があった。そこでヒグルは声をかける。
「お仕事、終わったね。町に来て、初めてのお仕事。あっ、初めてではないのか。とにかく、これでばっちり働いた分の報酬はもらえると思う」
「そうだといいが」
「大丈夫。鬼で、困っている人はいっぱいいるから」
ヒグルはそう言うと、上のほうを見た。濃く白い霧はとっくに晴れている。木漏れ日、木の枝葉からは太陽の光が漏れていた。
困っている人はいっぱい。どう考えても、喜べるような実状ではないだろう。
「言ってなかったかもしれないけど、私も、占い以外に、『困りごと』を仕事にしている。稼ぎだけみたら、こっちのほうがお金になるぐらいだよ」
「鬼は、減らないのか」
「減らないね。平和を守る。それだけでいっぱいいっぱい」
これが当然だと考えてはいけない。人々が口にするように、色々と変わった。色々と。
「私もそんなに手伝えるわけではなかったし。魔法使いはみんなには秘密だから。これからは私の代わりに、白鈴がやってみたらいいと思う。平和を守るお手伝い。ちょうど城下で、生計を立てる手段を探していたわけだしね」
「紹介してくれて、助かる」
「いえいえ。たいしたことじゃない。私もあれこれと手伝ってもらってるからね。助け合いは、大事だよ」
「もう、この仕事はしないのか? 魔法使いが秘密というのはわかる。だが」
「もちろん。その時があれば、私もね」
「ヒグル。占いだけは、きついと思うぞ?」
占い所アルカナが繁盛しているなら、そのような心配もいらない。
「修行が足りてないだけだから」彼女は意地を張ってそう言った。
城下町とは遠く離れた場所の「鬼」の話を聞く機会があった。城下に暮らす人々が、口にしていた。よその国のことばかりを考えている状況でもなくなったようで。
「あと『刀』さえあれば」と白鈴がしばらく俯いて、首を横に振っていると、敵意のない視線を感じる。ヒグルが大きな鏡でも見るように見詰めていた。
「白鈴。手を貸してくれる」
「なんだ? また手相でも見るのか」
占い所アルカナで、一度彼女には手相を見てもらっている。白鈴ははじめは拒んでいた。縮んだ体。ヒグル。過去は変わらない。失ったもの、失った時間。それで何がわかるというのか。当てにはしてなかったからだ。
このたびは、粘らない。素直に手を差し出した。
「在り処でもわかれば。言いたくないが。外れてるぞ。書を読もうと、何度試そうと」
黙っている彼女の顔は、いつもとは雰囲気が違っていた。
「いたっ。なにをする」
「よくもまあ。この手で、刀を振り回せるね」
「ヒグル? どうした?」
魔法を使っているようだった。放そうとはしない。魔法もやめない。
「いたい。やめてくれ。悪いこと言ったなら謝る」
振りほどこうと思えば、それも簡単にできるのだろう。へし折るように、強く握られているわけではない。もしくは、人の体をやめて、水にでもなってしまえば、逃げ出せる。
白鈴は暴れず、言葉だけを伝えた。相手が自らやめることを望んだ。
「ごめん」
「謝るぐらいなら、最初からするな」
「ねえ。どうして、私が『救出作戦』で顔を隠したほうがいいと言ったかわかる?」
「それは、私が子供にしか見えないからだろ?」
「うん。そう」
「いったい、どうしたんだ? 急に」
「その。そう。そんな小さな手じゃ。刀は満足には握れない」
白鈴は自身の手に目をやった。それから相手の顔を見る。
「今貸してる刀も、大きいんじゃないの? その体は、背が低く。全体的に華奢で。軽い体」
ヒグルは悲哀に満ちて、見下ろしている。彼女はなにを伝えようとしているのか。
「三年前に、白鈴がどんな姿をしていたのか知らないよ? でも、自分でも気付いているんでしょ? 鬼を倒せるほどに鮮やかではあっても、洗練された動きではない」
「それは」
「ものが大きいから、それだけ余計な力がいる。目線が低いんじゃないの? すべてのものが大きく見えるんじゃないの? 階段ひとつだって」
ヒグルは腕を伸ばし、ふたたび手を取った。
「いい。見て。これは子供の手だ」
白鈴は瞳の奥から、次に「子供の手」をちらりと見て、感情を抑える努力をしながら時間掛けて口を開く。
「うるさい。今あるこの体がなんだろうと、わたしはもう大人だ。子供扱いはやめろ」
「気を悪くしたよね。強いのは知ってる。知ってるから。だけどね、言わせて。白鈴が進もうとする『道』は、その体には、大きすぎるよ」
それからヒグルは、それ以上のことは何も言わなくなった。
二人で大湊城城下町へと戻り、「幽鬼退治」の成果を報告して、帰路につく。夜になるにはいくらか早かった。少年少女が数人で駆けていく姿が見受けられる。
大湊城のほうへと、視線を向けてみる。背後には、雲が流れていた。
大きすぎるよ。白鈴は帰っている途中、ずっとそのことが頭から離れられなかった。自分でもよくわかっているからである。刀は、自分の手には大きい。そして手に持ったとき、(この体)身長とたいして差がなかった。印象が異なったものだ(水槽の中で、三年も振っていなかったからか?)。服だっていくつも渡されてはどれも大きく感じて、食事する際の食器一つ戸惑いがある。寝る時は、体を変えないといけない。でないと眠れない。
サモンにしろ、ジロテツにしろ、どいつもこいつも見上げるかたちとなる。
今は亡き姉と重なる部分がある。母か。そんな気がする。
部屋へと帰る前に、占い所アルカナに寄る。ヒグルがそう誘った。
「ねえ」
「なんだ?」
「刀の在り処、実はさ、もう知ってるんだ」
「ほんとうか? 間違いないのか?」
「うん。だけど、その前に。教える前に」
「うん?」
「私も一緒についていく。それ、いいよね」
「それは、構わないが」
「じゃ。そう。命を大切にして」
「わかった」
白鈴は首を小さく横に振る。
「そのつもりだ」
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