第2章「水の体 城下魔法使いの心」
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大湊、城下町東に、この国ではいかにも珍しき「魔法使い」がひとり住んでいた。背が高い、金色の長髪、土地によっては忌み嫌われる「魔法使い」にしては、これといって変な噂が立たない女性である。女の名は、ヒグルといった。生まれはこの国ではなく、遠くから移り住んだのだとわかる見た目をしている。
魔法使いは城下町の東、国の中心部からとくに離れた周辺部のほうに家屋を持っていた。占いの館。占い所アルカナ。そこは現在、企みを巡らす彼らの根城となっている。
今朝、白鈴はヒグルに会いに行った。彼女と話したいことがあったのである。
ところが、占い所アルカナに到着してみれば、そこにヒグルの姿はなかった。
「ああ、ダメだ。やっぱり、気になっちゃう」
魔法使いの代わりに、サモンとジロテツがいた。二人は客ではないだろう。昼夜を問わず、もともとアルカナには客が訪れることはほとんどない。暖簾をくぐる者はいない。はっきり言って、日々賑わっているようなお店ではなかった。店の主人であろう本人がそう口にするほど。占いは必要とされていないらしく。
「ねえ、『水の体』ってどんな感じ? 少しだけでいいから、教えてくれない?」
白鈴は待ち時間に嫌な予感がしていた。サモンの態度がどこかおかしかった。
「お前な、それっ。ついさっき、聞かないことにすると言ってただろ」
白鈴はそんな会話をした覚えはない。そのとき彼女はいなかった。
サモンは振り返る。「そうなんだけどさ。深く触れないように、と思っていたんだけど。でも、知っておくことも大事なんじゃないかって、思って。そんな気がして」
「体のことなんだぞ。軽いものでもない。根掘り葉掘り尋ねなくていいだろ。『水の体』。それで十分だ」
サモンはじっと押し黙る。しかしながらそれでも気持ちは揺らがなかった。
「ごめん。ずっと気になってた。教えて、くれないかな?」
白鈴は間を置く。「わかった」と言った。
「いいの?」
「いいのか?」
「ああ。もう隠す必要もない」
彼らは占い所アルカナが、外から覗けないように戸締りをする。ひと目につかぬよう工夫していった。秘密であることが望ましいだろう。
念入りに準備ができたところで、白鈴は「人」の姿から、「液体状」へと変貌させる。
さなぎから蝶へ。凝視するかのごとく、サモンは口を開けて固まっていた。
「『スライム』だっけ? つまり、なんなの?」
「俺に聞くのか。ええっと、こういった感じのを、
驚くしかないだろう。先程まで、「女」がいたはずだ。三人で、室内を歩いて。人が液体となる。身にまとっていた衣服もなくなって、二人の目の前には『水のかたまり』がある。お餅、団子、トンボ玉、水晶玉、言い方はそれぞれといえよう。
「それで合ってると思う」白鈴は言葉にする。
「前に、少し見せてもらったときも感じてた。綺麗、だよね。透き通ってる。まさに水って感じ。井戸水というか、滝壺の水というか、川の水というか」
「ぜんぶ、同じだろ?」
「ねえ、着てた服は、魔法?」
「刀と一緒だ。いうまでもなく、服は私の体ではない」
「とつぜん取り出したり、ぱぱっと消えちゃうから。いいよねえ。『魔法』って便利そうで。ヒグル見てて、いつも思う」
この建物以外で、彼女は力を使わない。ふとした場面を見たのだろう。
「自由に、体が動かせるんだな」ジロテツは、サモンほど近付こうとはしなかった。
「この姿でも、人の体のようにはできるからな。物を持つことだってできる」
衣服も、刀も、それで『雨にあってずぶ濡れ』みたいにもならない。
「ねえ。触ってみても、平気?」
彼女はそう言って、わずかに距離を縮めた。
「好きにしろ」
「やった。……では。さっそく失礼するよ」
嬉しそうにしている。サモンはじわりじわりと行動する。
一方で白鈴は、奥底では不安や恐怖を感じる。彼女は口を閉じ、身構えて、待っていた。
手のひらが、丸みを帯びた液体の表面に触れる。女の手だ。
「あっ。ああ、なんていうの? ぷよぷよ? ぷにょぷにょ? ぷにょぷにょしてる」
そうしてサモンは両手でその表面をやさしく押したり、撫でたりを繰り返した。
「水かと思ったけど、水ではないね。何に近いと言われると、なんだろ? スゴク困る」
「ああ、あのな。サモン?」
「ジロテツも、触ってみて。すごいから」
「いや。俺は遠慮しておく。それよりも、だ」
「わっ。はいった。なにこれ。なにこれ。すごっ。おもしろい感触」
「サモン」
「あっ、そんな、まって。もうすこし。もうすこしだけ」
彼女の手から、白鈴は逃げる。承諾してからしばし無言であったが、ようやく口を開いた。「手は、入れないでくれ」
「えっ。あっ、ああ、そうだよね。ごめん。調子乗った」
白鈴は何も言わない。どことなく、ほんのりと動きに元気がなかった。
「あれ? もしかして、畏縮しちゃってる?」
「だれがっ」
サモンは自分の手のひらを一瞥する。「からだ、戻すの?」
「もう十分だろ? まだ触りたいのか」
「それなら、戻す前に、いいかな。確認。困ることとかあったりする?」
「困ること?」
彼女はそれが非常に予想外だとでも言いたげに反復した。
「人の体ではなくなった、って言ってたよね。なにか、力になれるかもしれないから」
「ないな」
「ほんとに? あるでしょ?」
「んじゃ、俺からも」ジロテツは軽く手を挙げる。「非常にお節介かもしれないが、言っておいたほうがいいと思うぞ」
「――ない。ただ、そうだな」
「ただ? なに? なに?」
「あるとすれば、眠る時は、この体でないと眠れない。そのぐらいか」
「いつも、その体で、夜寝てるの?」
「そうでないと眠れない」
「人の体では眠れない、か」彼は考えている。「なにかそれらしい原因は思いつくか?」
白鈴はなんとか絞り出した。「落ち着かないから、だろうか」
「それは。よほどだな。簡単にはいかなさそうだ」
水の体になってから、そのような症状が現れた。それは反対に、水の体であれば「落ち着く」ということでもある。実際に、白鈴は常に人でいるよりも、現在の姿でいるほうが安らいだ。
『長くその姿で暮らしていた』ともなると、そうなるのかもしれない。
人の体ではどうやったって無理だとしても、その体だとさ、たとえばちょっと大きめの瓶とか、壺に、体が入りそう。歳月が生み出した風合い、気品ある佇まい、サモンが(いますぐここで試そうというわけではないだろうが)室内にある壺へと目を向けていると、秘密にしようとしていたであろう店の扉が開く。
それの持ち主だ。魔法使いヒグルだった。
「白鈴はいる? 話があるんだけどね。って、なにやってるのさ?」
大湊城城下町東側で、恐ろしい「鬼」が現れた。そいつは最近になって、付近の山林を活動の拠点としている。現状、死者は出ていないが、出くわして傷を負った者がいる。
今朝から外出していたヒグルは、(持ち金がほぼない。部屋を貸した)白鈴の為にそのような仕事をもらってきた。幽鬼退治である。
会話後、二人はさっそくその山林へと出かける。
「お金がないんでしょ?」
仕事探し。当分のあいだは、この国にいようと思っている。白鈴にはどれだけ危険に溢れようと、山深き大湊から離れてべつの国に行く予定などなかった。
「お金がなければ、なにをするにしても困る。その体で、どうやって稼ぐか。自分に何ができるか。存分に活かさないと」
国の状況を考えても、占いよりはそれは稼ぎになりそうだった。得意分野でもある。
それより、とヒグルは言う。「『救出作戦』、どうだった? うまくやれたの?」
「それは帰って、伝えただろ?」
「聞いたよ。目黒からも。そうではなくて。みんなと、うまくやれたかってこと」
白鈴は答えに迷う。彼女にはわからなかった。
「まっ、さっきの。自分のこと、少しでも話せてるようなら、うまくやれてたのかな」
「そうかもな」
「顔。隠してよかった?」
それは彼女の意見だった。しつこく、そうしたほうがいいと。
「どうだろ? 隠して、よかったのではないか」
「言ったとおりだったでしょ」
「この体では。おそらく、少しも信じてはもらえなかっただろう」
救出作戦の日を思い出し、「つり橋」、「かかしと戦った」、白鈴は続いて大事な話があったと連想させる。そう、起床してから、占い所アルカナに訪れた理由だ。
「ヒグル。刀の話をさせてくれ」
「なに?」彼女は目を見た。
「もう一度言うが、あそこに『刀』はなかった」
「しっかりと探していないんでしょ? そう聞いたよ」
「私にはわかる。あの場所には、どこにもなかった」
埋火蝶陰影(かげかげ)。別名、招き蝶。
隅から隅まで探していないのは確かだった。そこまでの余裕はなかったし、監獄、この中にあるとは思えなかったから。だから、捕らえられた目黒を優先させた。
「私が貸したやつでは、ダメなの?」
「ダメだ」
これは、私の刀ではない。故に、承服できなかった。
「あそこにあるという話だった。探す手伝いをする約束。協力する対価として」
「わかったって。心配しなくても。探してる。待ってて」
「部屋も借りている身で、面倒をかけているとは思う。だが、そこは譲れないんだ」
白鈴が着ている衣服も、実はもとはヒグルが持っていたものだった。その所持している刀だけではない。それはなぜかというと――簡略して説明する――白鈴もまた誰かと同様で、彼女と出会ったとき、服を着ていなかったから。何も持っていなかったからである。
壺に入れて、占い所アルカナに持ち帰ったのはかなり最近の出来事である。
山道、はらはらどきどきした帰り道。
そんな急いでどうした。天気予報を外す若い占い師さんや、こりゃまたずいぶんと大きな荷物を抱えてるな。城下を歩く、町の人に言われたものだ。(下駄占いのほうが当たるとかなんとか)
「町には慣れた?」
「それなりには。わからないことも多いが」
「白鈴と出会って、時間は経った。この国のことも、だいたい理解してきた?」
「サモンたちからある程度はな。驚いたものだ。私の知らないことが多かった」
「いわば三年の眠りから覚めたようなものだからね。私でも、この数年で、色々と変わったように見えるもの」
「巨大な骸骨とは、ほんとうに三年前から姿を現したのか?」
「そうだよ。当時は、大騒ぎだった。誇りある侍たちでも、楽に勝てるような相手ではなかったから。好き放題、好き勝手、大混乱、大変だった」
「私には、記憶にない。それを知らなかった」
「そっか。そう、それなら。火門。先代の先代については? 病で倒れたという。これもその頃、統制されてもおかしくないものが、城下まであっという間に広がっていたけど」
「それは知ってる。母から教えてもらった覚えがある。衝撃だった」
あれは四年前、国の終わりだと言われたものだ。
「知ってるんだ。だとすると、そうだ、『おにごころ』というのは?」
「おにごころ? それはなんだ?」
「今の火門がそう呼ばれている。
『三年の眠り』。例えとして間違っていないのだろう。なぜなら白鈴は長いあいだ身動きの取れない「閉所」のなかでひっそりとその命を維持してきた。言葉は届かぬ、太陽の光も届かぬ。想いも届かぬ。場所は、大湊城城内の学者の為と用意された施設である。
三年前、彼女は死んだはずだった。北東にある
賊どもだ。斬った相手の顔は覚えていない。逃げ切ることも叶わず。
母は死に。兄は。燃え上がる炎。夜。屋水。最後。どうしても記憶があいまいとなる。
しかし、三年の月日が流れようと決して忘れられずに覚えていることがある。
私の姉は、私の目の前で殺された。大湊の国、現当主、大湊火門真道の手によって。
姉は、大湊と恋仲の関係であった。それなのにやつは。姉はあれほどまでに恋い慕っておられたというのに。
賊に襲われ、白鈴が目覚めてから最初に見たもの、それは硬く冷たい硝子だった。透明な壁だ。小さい箱。押そうが叩こうが壊れることのない。小さな箱。
透明な壁の外、部屋の中には人が数人ほど立っていた。彼らは部屋のなかを菓子を運ぶ
水槽にいた白鈴、出口のない彼女は自身の状態をただしく認識するのに時間がかかる。彼女が己の体について意識を向けるのは何度かと眠った後のことである。
なんだこれは? わたしはどうなってしまったんだ? わたしは、あの夜。姉は。手を引き、共に逃げて。
早く気付くべきだった。なんとはなし、人が、大きく見えていたであろう。ここは狭く窮屈だと感じていただろう。ずっと眺めていただろう。刀も奪われ。
彼女は『人の姿をしていなかった』。これではまるで。
時には、からだを触られ。体に力も入らぬ。
ある時、老婆が施設内にやってきて、こう口にする。『スライム』と。
どれを指して言っているのかはすぐにわかった。
水槽を見て、老婆は口にしていた。
ある者は、『鬼』と呼んだ。
水槽から逃げ出して彼女は思う。
そうか。私は人ではないのか。言ってたな。鬼か。だろうな。
(人の姿を取ろうとしても)体が縮んでいる。幼くなっている。
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