第1章「大湊監獄救出作戦」_2

 驚くほどに、静かな空間がそこにある。山のなかではどれだけ暗かろうとも生き物の気配があった。大湊のトラツグミがいた。建物内部では人が目を光らせ、或いは重い武装で歩いていたものだ。ここは最深部ではない。だけども、濁った空気にどこか薬品の香りが混ざり、ひたすらに静かだった。


 ジロテツが監視を黙らせている。男は眠っている。


「問題なし、か?」彼は尋ねた。


「ああ」


「そいじゃ、手分けして探そうぜ」


 白鈴は通路の先に開けた空間を見つけると、そちらを選ぶ。なんとなく。


「賑わってる感じもないし。すぐに見つかるだろ」


 彼はそう言って、足取り軽く右側を攻めた。


 ほとんどの檻は空っぽとなっていた。ここは、上と違って、ただの罪人を収容する場所ではない。(監視も一人だけなのか)広場を通り過ぎていると、異様なまでに足音が響く。


 賑わっている感じはなし。そのようだ。「ひと」がいたとしても、みんな黙りこくっている。


 白鈴はそうして錠が掛けられた檻をひとつ見つけると、ゆっくり内部へと目をやった。どれも立派な牢屋のようだったが、この中にいる者とはどういった人物なのだろう。


 部屋の隅に、男が一人いた。隅のほうで、背中を壁にし、座り込んで膝を曲げながら両脚を広げ、膝辺りに腕を乗せている裸の男がいた。目を凝らし詳しく調べる必要もなく、「服」と呼べるものはいっさい何も着ていないように見える。


『絶望。』その光景は、それを表しているように思えた。俯き、ぴくりとも動かない。


 白鈴は声をかける前に、錠のほうに意識が向く。そして、要領よく話しかけた。


「名前は?」


 彼女の声が辺りに響く。しかし、男は聞こえていないのか、石のように動かない。


 彼女は待った。


「ああ? だれだ? 新しい監視か?」


「答えろ」


 うなだれる男は舌打ちをする。「目黒。目黒信幸。これで満足か」


 この男が。白鈴は思う。


「お前を助けに来た」


「助け? 監視じゃないのか?」


 彼は「石」ではなかったらしい。


「監視に、見えるか?」


 白鈴と目黒はお互いに顔を見合う。


 彼は立ち上がると、部屋の奥から格子のほうへと歩み寄った。


「おまえ。ほんとうか。出られるのか?」


 短髪。体が大きく、ごつい感じ。一見、粗野っぽくも見えるが、そうでもない。


 白鈴は「間違いないだろう」と聞いていた特徴と一致させていく。


「おっと、すまんな。こんな格好で」彼は体を背けた。


「構わない」


 白鈴は、いくつか気になることがあった。


「それより」


「白鈴、そっちはどうだ。見つかったか。こっちは全然ダメだ」


「その声。ジロテツ。お前か」


「おっ。いたか。探したぞ」


「助けって、お前たちだったのか」


「おうよ。感動するだろ。って、なんて格好してんだ。服は?」


「ねえ。まっ、その格好は、いろいろとあんだ」


「そっか。大変だったみたいだな」


 この場を離れ、彼を探しに行く手間が省けた。あとは、この男を牢屋から出すだけ。


「こりゃあ」とジロテツは全体を眺める。


「普通の檻ではない。魔法だ」彼女は錠に手をかざす。格子にも障壁があった。


「鍵、がないと開けられそうにないな。解除方法とかわかるか?」


「いや、このくらいなら開けられる」白鈴はそっと刀を取り出す。


「ほんとか? じゃあ、任せるぞ」


 錠さえどうにかすれば、なんとかいけそうだった。手元に「鍵」があれば、楽ではある。


「えっと、それは、大丈夫、なのか?」目黒は、これから何が起ころうとしているのかと、不安に襲われている。彼には虫の知らせがあるようだ。


「鍵を壊すだけだ」彼女は間を置く。「怪我したくなければ、下がっていろ」


「おいおい。それなら、なにか服を探してきてくんねえか。さっすがに、『このまま』、っつうわけにはよ」


「わかった。待ってろ。仮に気に入らなくても、文句はつけるなよ」


 ジロテツは広場のほうへと走っていく。そんなものないと告げないあたり、彼には当てでもあるのか。


「おまえ、名前は?」


「白鈴」


「そうか。ありがとな。ここまで」


 彼女は刀を鞘から抜いて、落とさぬよう両手で握り、対象を睨みつける。


 目黒のほうは警告どおり、奥側へと移動していた。間近で見物する気はないようで。


「集中してるとこ邪魔しちゃあ悪い。ひとついいか。『覚悟』とか、必要か?」


「いらない。一瞬だ」彼女は息を吸っては吐いて、とめて、腕を上げ、美しく持ち上げる。


「お、おう」


 刀が振り下ろされる。それは、空気でも切り裂いた。


「終わったのか?」手応えがあるようには見えなかった。


「終わった。出られるぞ」


「なんだ。ビビッて損しただろうが」ああと目黒は大きく溜息を吐く。


「なにも起こらなくてよかったな」


「あったのかよ。可能性が」


 ジロテツはすぐに服となるものを用意してきた。探すのには、苦労しなかったのだろう。本来なら着用しているであろう囚人服である。


 目黒は丸裸をやめてとにかく着ることができれば、それでいいようだ。これまでも堂々とした態度だったが、羞恥は覚えていたらしい。


「いやあ助かった。まだ喜ぶには早いが、これは命の恩人ってやつだな」


「ホント早えよ。せめて、こっから、出てからだろ?」


「で、誰なんだ」目黒はジロテツに問いかける。


「あ?」


「名前は聞いた。それに、『申し分ない』」


「ああ。助っ人。魔法使いの紹介」


「ヒグルの紹介?」


「ああ」


 そうなのか、と彼は次に白鈴に問いかける。


 彼女は何も答えない。言わなくても、それで伝わるだろうと考えた。


 目黒はじっと相手を見詰めると、何かを考える。「おいちょっと、顔をよく見せろ」彼には納得できなかった。


「お、おい」とジロテツが言う。そして、「ああ、やった」と声にする。白鈴は、抵抗むなしく顔の布を剥がされてしまう。


 風向きが変わったようだ。両者とも、すぐには口を開かなかった。


「白鈴、と言ったな? 俺の女になれ」


 それは明らかに悪戯に出たものではない。想像を超えた。彼の思いだった。


「――命の恩人にたいして言う言葉か、バカモノめ」


 彼女はあまりにも唐突な告白に驚いていた。それから、強く突き放す。


 小さな頭、小さな体、背中を向けて離れていく。


「言っておく。あいつは俺たちにも、顔を見せたがらなかった。サモンにもだぞ」


「なんでだ?」


「さあね。こっちも仲間として行動するなら、顔ぐらいは見ておきたかったんだが。しかし、傷でもあんのかと思ってたら、綺麗な顔してるじゃないか」


 彼女は距離を置いて広場のほうで立ち止まっている。布は直さないらしい。横顔がある。


「にしても。そんなに怒ることか?」目黒は言う。告白のことだろう。


「どうだかな。まっ、さっきまで素っ裸だった男が言う言葉かと思うとな」


 そのあと、彼は落ち度を感じており謝罪を述べた。強引であっただろう。事情など知らなかったとしても、たしかに乱暴な振る舞いであったと判断していた。


 気にするな。私も、突然、大声を出してすまなかった。彼女はおもいのほか平常心を取り戻している。ふたたび顔を隠すようすもなく、そのうえ話題を切り替えていた。牢屋について。


「あれは、普通の檻ではない」


 白鈴はどうしても気になっていた。厳重に彼が閉じ込められていた理由を。


「どうも俺は、体を、『化け物』に変えられてしまったようでよ」


「そうか。私もだ」


 




「なにかくる」


「ウソだろ」


 白鈴が刀を取り出していると、それはやってきた。広場に野鳥のように現れたのは、見た目だけで伝えると「かかし」である。着地姿は、まさに例えのごとく非常に優雅だった。


「ありゃあどう見ても、人じゃあねえよな」


「使い魔だな」


 白鈴はそう言うと刀を抜いて、早速と戦闘を開始する。ようこそと目の前に立つ者がそこにいて、言葉が通じるとは思えず、このあと穏便に済むとは考えられなかった。


 たちどころに真っ二つに切ってしまう。切り捨てる。それが簡単に行えるはずもなく、よって事態は長引くことになる。


 ジロテツには「先に行け」と伝える。


 図体に似合わず動きの速い「かかし」だった。両腕らしき部分は人からしてみれば、自在とは言い難く欠点な部分であろうに、器用に振り回す。見た目は「かかし」。中身は「精霊」。だが、その両腕には刀か薙刀であろう刃が見えている。


 最初の威勢はどこへやら、気付けば白鈴は攻撃を仕掛ける隙を失っていた。


 それはそうだ。かれの戦い方としては、正解なのだろう。戦術が豊富とは言えないので、休ませる暇なく一方的に攻撃を続けることで、相手の機会を奪っている。


 彼女が「自分を守る」という姿勢こそが、かれにとって勝利への道であった。


 白鈴も、相手の意図のようなものは理解していた。故に、彼女は相手と一時的にも距離を取ろうとする。このままでは、なにも捗らないと知っていた。


 どうにか相手の動きを止め、『離れるよう』わざと誘う。


「相手は、ひとりじゃあねえんだぞ」


 次に、攻めたのは目黒だった。彼はいつの間にか、退いた「かかし」の背後に立っていた。


 彼は拳を握り、相手の頭部を素手で殴る。


 お世辞でもなんでもなく、それは力強い一撃といえよう。殴り飛ばした。その表現が、とてつもなく適している。


「かかし」は体勢を整える前に、追い打ちをかけられてしまう。前方には白鈴がいた。


 待ち受けていた。彼女は構えている。そして、踏み込んだ。


 刀は迷いなく移動し、触れたのだろう、相手の右腕部分が床に落ちて音を立てる。


「かわしたか」


 狙いは、右腕ではなかった。彼女の思惑通りとはなかなかいかなかった。


「十分だと思うぜ。片腕がなければ、これまでのようには動けねえだろ」


「精霊、使い魔が、なぜ監獄にいる?」


 二人がすこしばかり話をしていると、利を得たと思えた戦況ががらりと変わる。


「かかし」は落ちた『右腕』を気にしていた。正確には、気にしているように見えた。力無く横たわっていた――床に落ちた右腕が、次第に彼と同じく浮遊する。


「動かせんのか」


 右腕が躊躇いなく、気持ちよく己のもう片腕を切り落とした。やっていること、その見た目、不気味としか言いようがない。


「関係ねえってか」


 以前よりも「身軽」とでも感じている。「かかし」は時をおかず始めようとする。


 相手の手段が増えたとしても、白鈴は焦る表情なく一振りの刀で対応している。なにせやることは変わらなかった。すべきことは一つであり。「関係ない。攻めるぞ」


 刃と刃が激しくぶつかり合う。


 目黒は先程、自分は化け物になったと口にしていたが、事実なようで、この戦いでその一端を目にすることができる。彼はすこし体を切られようが、刺されようが、それが大きな痛手とはならなかった。どういった原理なのか、赤黒い煙を出し、傷が消えている。知らないうちに癒えている。痛みは感じているようには見て取れるが。


 目黒が「かかし」の左腕を掴み、素手で胴体を殴った。多少血が流れようと、恐れる素振りもない動き、ちょっとやそっとでは抑えられない。とどまる所を知らない。


「かかし」は殴られたあと体をわずかに回した。そんなもので終わらせるつもりはなかったのだ。腕の付け根部分を相手に向けた。


 たじろがない男の動きを、一瞬でも止めようとする。そこから、いかにも太い枝が幾つも生えてきた。目黒は広場の壁へと突き飛ばされる。


「ちきしょう」


 彼は身動きが取れない。


 これは大きな隙だった。そう、「かかし」も。器用に動くことは叶わない。


 白鈴は見逃さなかった。残った右腕を巧みにあしらい、詰め寄る。


「かかし」は逃げない。飛来してきたときから一向に表情らしきものはないので、ただその時を待っているようにそれは思えた。


 しかし、あと数歩のところで。


 白鈴は背中を貫かれる。右腕の刃が内部まで到達し、腹から出ていた。


 彼女はそれでも床に倒れない。


「やれたと思ったか? お前の負けだ」


 手加減などなし。「仕留める」一太刀浴びて、使い魔は活動を停止する。


 急成長した枝が、今度は枯れて、細かいクズとなり飛び散っていく。


 目黒の傷はやはり癒えている。彼は体の具合を確かめるように、肩を触り、回してから、平気そうにして広場を歩いた。


 彼は内心では驚愕していた。原因は、その光景にある。


 痛ましい、とかではなく。初めて見るものだ。


 白鈴の体が、「人」ではなかった。「液体状」になっている。彼女の面影はある。そこに立っているのは、「女」、「服を着た」、透明度の高い「水」のように見えた。


 目黒は、背中を向ける彼女の頭部から手を見る。(透けて)鞘が握られている。


「ええっと。ああ」彼も、さすがに想定外であり。


「すまない。抜いてくれないか」


「お、おう」


 背中には、右腕が突き刺さったままだった。


「おまえ、そのからだ」


「言っただろ。私もだ。人の体ではなくなった」


 


 大湊の監獄からの脱出は、使い魔とのあとも問題なく成功する。ジロテツは「急ぐぞ」と声をかけ、途中で待っていたサモンに関しては、「あれ、顔」と驚いていた。


 柄木田が口にした、『スライム』。二人に明かすのは、この時ではない。


 山を下りて、城下町へと目指す。作戦はまだ終わっていない。


 白鈴はあるものを目撃する。空飛ぶ船のような、山の上からも見える大きな影。


「あれは、なんだ?」


「なにって、ありゃあ」


「あれが、『がしゃどくろ』」ジロテツが言った。「いると言っただろ」


「大湊を徘徊する、話していた『鬼』だね」


 あの頃には。



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