第2編

_2の1 鬼の国

第10章「鬼の国 かしわの木」

 ・10



 私は、死人だ。


 私には、あの男への憎しみが残っているのだろう。


 思い出も、姉の記憶も、何もかも消えていく。


 そのなかで。捨てきれず。


 だから。いまでもわたしは。






 白鈴とヒグル、二人は城下町の外で再会した。城を脱出してから、ヒグルは捜索していたようだ。他の三人はというと、一時的な逃げ場として「紙崎」に向かった。


 これからの行動をどうするか。二人は彼らを追いかけようと話し合いで決まる。おそらく彼らは、紙崎には先に着いているだろう。


 目的地さえ定まれば、あとは直行するだけだ。


 するとその山道で、ヒグルが深呼吸をして、勇気でも振り絞るように尋ねた。


「城でのこと。どうして、一人で残ろうとしたの」


 白鈴には問いの答えはあった。しかし、慎重すぎた。


「いや、わかるよ。でも」とヒグルが続けて口にする。


「私には。何もないからな」白鈴は言葉を選んだ。


 彼女の無防備で瞳に映る独特な気持ちは、ヒグルを探求させる。「なにも?」と再度問いかける。


 深い悲壮感を抱いており、彼女は将来にも期待を失っていた。


「そんなことない。じゃあなんで。屋水で助けてくれたの」ヒグルは問う。ヒグルの瞳には真剣さが宿っていた。「私も、サモンも。ジロテツだって」


 だがそれが、深い闇に引きずられていく、靄のかかった彼女の心に取り戻す糸口とはならない。




 太陽が紙崎の街を包み、台地に優しい光を与える。風が優雅に吹き抜けて、青い暖簾を穏やかに揺らす。店先では、商人たちが町の生活を紡ぐ様子が見受けられる。温かな日差しと民衆の笑顔がふたりを歓迎する。


 紙崎へと到着した白鈴とヒグルは、「たみや」という宿でシュリと糸七の二人と合流に成功する。目黒は遅れて宿にやってきた。


 シュリは連日で力を使い過ぎたようでその体が縮んでいた。姉であるリュウと症状は似ており、リュウほどではないにしても全体的に幼く、身長だけでいえば頭一つ分ほど低い。


 全員が集まったところで白鈴たちは早速情報を共有し、状況を詳細に整理しようと試みる。


「間違いない。火門はこの国を変えようとしている」白鈴は確信していた。


「火門は、どこに行った?」目黒は言う。逃亡したとは想像しにくい。


「屋水、じゃないかな」ヒグルは自信はないようだ。


 白鈴は火門が言っていた言葉を覚えていた。相手の行動を推測する。「屋水の巫女。シュリの姉、リュウを狙っているだろうな」


「ってことは、俺たちの行き先は決まったな。屋水に行って、やつの企みを阻止する」


「ちょっと、待って」それぞれの顔を見て、シュリは声を発した。


 目黒は戸惑いを示す。「なんだ。まさか、止める気ではないだろうな」


「止めるというか、なんというか」


 シュリ、と白鈴は名を呼ぶ。「『大湊の化身』とは、なんだ?」


「それ。それ話しておきたい」


 彼女によると、『大湊の化身』とは「屋水姫」と密接な関係があるようだ。これまでに話していた、過去にツキビトが封印したという『化け物』、その片割れではないかと述べる。詳しいことまでは知らないらしく、姉から教わったものだと彼女は表情を曇らせる。


 火門は既に『封印場所』を知っているのではないのか。『大湊の化身』は、ツキビトに聞くのではなく、自分を探す行動を取るだろう。屋水には上井もいる。


 室内が静まり返ると、部屋の外から物音が聞こえてくる。


 たみや主人の息子のようだ。シュリと白鈴宛てに手紙を預かっている。


 文書の差し出し人はわからない。渡してきたのは若い男のようだ。では、その中身は。




 突如と渡された手紙を読み終えた後、白鈴たちは少憩を取り、全員揃って紙崎を出ることにする。日が暮れるまであまり時間はない。


 疲労はあれど紙崎に長く留まろうという気にはならなかった。


 糸七もついてくるようだ。行き先は、屋水ではない。『化け物』の封印場所である。


 手紙に、「火門はかしわ方面へと向かった」とあった。


 町を離れてからしばらくして白鈴たちは青々と茂った林を歩いていると、「鬼から逃げてきた」と説明する女性と出会う(年齢は一六だろうか)。少々興奮気味だ。一人らしい。


 彼女は「どこかの町や村まで、同行してもいい?」と提案する。「これも何かの縁」


 名前は稲美いなびという。下屋敷いなびである。


 この付近では、大型の鬼も出没しているようだ。一人だと不安。


 彼らもさすがにうたぐりはしたが、助けを求める相手を鬼もそれ以外も勿論いるだろう林の中に置き去りにするのも如何なもので、最終的には彼女を歓迎することにした。


 すると、ヒグルを見て、いなびは近寄り「どこかで見覚えが?」と奥の方から記憶を辿る。


「気の、せいじゃない?」ヒグルには心当たりはないらしい。


「まあ、そっか。そうだよね。だって知ってたら覚えてそうだし。ヒグルって生まれどこ? この辺じゃない。たぶん、遠い所から来た人だよね」


「生まれは、そうだね」


「私、少しだけ知ってる。『エルフ』って、『人』、食べるんでしょ? 怖くない?」


「そうなんだ。会ったこと、ないから」


「頭から、『丸齧り』って聞いた」


「おお」


 二人だけで知識を深めている。そこで目黒も自身の知見を広めようと質問した。


「じゃあ、ええ、スライムってのは知ってるか?」


「スライム? 知らない。なにそれ? 食べられるの?」


「わからないならいい。聞いてみたってそんだけだ」


「でも、エルフのほかに、『ゴブリン』とか知ってる。『ゴブリン』は『蜘蛛』が『嫌い』。この辺りにいない理由はそうだってお爺ちゃんから聞いた」


 ゴブリンについても名前は知っているようだったが、ヒグルにはその情報も初耳のようである。


 少しばかりの短い休息があり、彼らは再び目標地点に向かい始める。夜が迫っているためでもあるだろう。周囲は足を踏み入れる前と比べて、不気味な雰囲気が漂い出している。


 二羽の鳥が並んで飛び立つ。いなびが声を上げて立ち止まった。


「あっ。ああ、十字の魔女。思い出した。国一つを、たった一日で亡ぼした大魔法使い」


 彼女はヒグルのことを指差していた。


「人は熱と衝撃波でやられた。着弾する前に。大量殺人として、世界的に指名手配されてる」


「ヒグルが大魔法使い?」と白鈴は不審そうな目をした。


「はあ」いなびは気付けば指差しをやめている。「どうか助けてください。命だけは」


「ちょっとちょっと、待って。それは、わたしは。魔法、使えるけど」


「やっぱそうなんだ」


「そんなことしたことないから。そんな、私が、悪人のように、見える?」


 いなびが迷いを見せていると、これまでの過ごした日々を思い返していた目黒がようやく結論を出した。


「ヒグルが大魔法使い。ないないない」


 その場にいた多くの者が「彼女は『大魔法使い』」を否定する。よって、いなびには真偽の判断は難しく証拠となるものは一切無いとしても、今の時点では人違いだと納得してもらうことになる。彼女には一国を亡ぼすほどのそこまでの力はないと。その性格も。極悪な一面は見た覚えがない。


 夕暮れ時となり、些細な事でも足を止める場面もあったが、美しい緑に覆われた景色を進み続けていると、落ち着いた頃に彼らは誰もが予想もしていなかったものと遭遇する。


 その場所では、鼻を刺す強烈な臭いが充満していた。ひどく腐敗した匂いに泥水の悪臭が広がっている。


 白鈴は目を細めて見渡した。豊かな自然からは程遠い。木々がなぎ倒され、茂りを失っている。土石流の痕跡が残っているようにも見えた。


「なに、これ?」ヒグルも気付いたようだ。


「なんだこりゃ。地崩れ? じゃあねえよな」目黒は驚きに満ちた表情をしていた。


「すごい」シュリはわずかな言葉だけ口にすると、規模を確かめようと行動する。


 糸七は彼女と一緒に行った。


「これ。間違いない」いなびは自信を持った口調である。「犯人は、言ってた、大型の鬼。そいつだ。そいつがやったに違いない」


「白鈴、がしゃどくろはやり切ってないんだよね」ヒグルが問う。


「あれぐらいでは倒せない」


 その光景は彼女にとって、その身で経験した鬼雪崩を彷彿とさせる。




 人がいたとは考えたくない。無残にも破壊された。鬼の所業を見届けて彼らは離れた。


 山を越えるための洞窟を見つけると、悩まず先へ進む。


 太陽は既に沈んでいる。洞窟は暗所ではあっても発行する石もあり困るほどではない。


 夜も更けて、この日はここで休もうという話になる。


 白鈴はいなびに教えていない「秘密」もあるので、眠らないつもりでいた。だが、糸七やヒグルの勧めに従い、睡眠をとることにする。


 気付かれないように寝ればいい。


 しかし意外なもので、意思とは異なり、彼女は迂闊にも皆の前で眠ってしまう。


 その場で特にびっくりしていたのは、やはりいなびである。目の前にいた少女が「水」のような体へと変化したのだから。


「黙っていて、済まない」


 人ではない。鬼がいる。いなびは冷静さを欠くかと思いきや、そのような行動は取らなかった。透明感のある水っぽさから、危険だとは感じていないのか?


「あまり驚かないんだ」とシュリは言う。


「い、いや。驚いたよ」いなびは態度は変わらない。「た、ただ、そう。ちょっと苦手かなあって」


「にがて?」ヒグルはゆっくり口にする。


「ああ、違う。ええっと、人ではなかったことではなくてさ、見た目がその私の苦手なものに少し近いかも、って感じで。はっきり言うと、白鈴が鬼なのは知ってた」


「あっ。そうなんだ」シュリは頷く。


「苦手なもの……。それって」


「ああ、ヒグル。言わないで」


 いなびは白鈴たちが何者であるのか知っているうえで近付いたようだ。


「心配しないで。よく見たら、全然似てない」


 幸いにも深刻化はせず、彼らの関係は進んだ。そして、白鈴もまた彼女がどこにでもいるような女ではないのだろうという認識を新たにする。


 もう気付かれないようにする必要もない。白鈴は水の体で一足早く眠りにつく。


 一方、様子を心配して、機会を見計らい目黒はヒグルに話しかけた。彼女には悩みがある。


「どうかしたのか?」


「すこしね。城でのことを思い出していただけ」


 彼はある程度、見当はついただろうが深掘りはしない。「そうか。ちゃんと休めよ」とだけ言って、傍から離れていった。


 薄暗い洞窟の中で、気遣いだろう彼の行動を見ていた者がいる。知って続くように、ヒグルに話しかけたのはシュリだった。


「白鈴のこと?」


「うん」


「ああ。なんて言ったら。心が決まってる、感じだね」


「私には、自分自身の、鬼への抵抗にも見える。自身が鬼であるからこその戸惑い。人でいたいと」


 ヒグルは少し間を置く。


「白鈴は否定するかもしれないけど。白鈴は鬼ではないよ。人だよ。そのからだは……」


「狭間にいる」


「どうにかして、わかってもらえたら。そうすれば。どう、なのかな」


「ヒグルの思い。届くといいね」


 その後、各々が明日の為に眠りにつきだしていると、微かな音でも聞いたか、人の気配を感じ取ったようでいなびが目を覚ました。


「ううん。ヒグル? なにやって」


「しい」


 その時、シュリも起きていた。月光浴だ。静かにするよう、彼女は手振りと合わせて制止させる。


「白鈴が人か鬼か、占ってるみたい」




 空が明るくなると、彼らはそこから移動を開始する。広大な洞窟は想像を絶する広がりと壮大さを持つが、たとえそうだとしても彼らが山を抜けるのも時間の問題だろう。


「シュリって、屋水の巫女なんだよね?」


 いなびが問いかけた。シュリがリュウの妹であることを隠していたわけではないので、彼女が林で出会った時から事実を知っていたかどうかはわからない。


「あれでしょ?『鈴』を持ってるの? 特別な鈴。神様が鈴の音で、災いから遠ざけてくれるって話あるからさ。今更になるけど、それがあれば、この先、鬼から襲われる心配とかなさそうじゃない?」


「私は持ってないかな。屋水じゃなくて。別の場所にある、ということしか知らない。どこにあるのかまではわからない」


 糸七は言う。「屋水に住む人たちは、ほとんどの家がどこかに鈴をぶら下げていると聞く。それは本当なのか? 屋水姫が鈴に寄ってくると聞いた」


「うん。そうだね。燃えたけど。どこのお家にもあると思う」


 朝だとわかる暖かな光が差し込んでいる。やわらかな風がたびたび通り抜けており、周りの空気を爽やかにしている。彼らは知らず、鬼の巣へと踏み込む。


 異変に気付いた時にはすでに遅かった。独特な悪臭と共に巣の主であろう鬼の姿がある。噂をしていた大型の鬼だ。がしゃどくろではない。


 しかし、その鬼は微動だにしない。誰だか知らないが、巨大な鬼は打ち倒されていた。


 どう考えても楽に倒せる相手ではない。こんなことができるのは、大湊にいる侍でもそれほど多くないだろう。




 大型の鬼の巣を通り抜けて、昼にもなっていないが空からの明かりも減りだし、冷たく薄暗い環境が長く続いた。これまで彼らは、この山で、同じように通り抜けようとする「人」を誰一人見かけてはいない。決して安全な道ではないので、移動は困難というのは正当であり、それは選択の一つとして尤もかもしれない。


 実際、危険と呼ばれる個所は現在の大湊にいくつかある。


 けれども、声がする。男の声だ。白鈴に向けて呼びかけているようだった。


 暗がりから姿を現したのは幸畑である。彼は随分と気楽に構えている。


「まさかとは思ったが、こんなところで会うとはな」


「幸畑か。なにか用か」


「あ? ヌエか?」目黒は知って敵意を抱く。


「シュリ、元気そうだな」


「おかげさまでね。アノトキは、アリガトウ」


 幸畑の傍には女がいた。ヌエの一人であり、彼と違ってお面で素顔を隠している。以前見たヌエのお面と比べると女性的な顔立ちだ。


「前置きはいい。来るなら来いよ。ぶちのめしてやる」


「待て」白鈴は目黒を止める。「幸畑、あの手紙はお前の仕業か?」


「どんな手紙だ」


 白鈴は答えない。


 彼はじっと待ち続けたが最終的に諦める。「まっ、いいか。有難く思え。なんと、ここでお前たちに、良い事を教えてやろう。火門と柄木田についてだ。火門と柄木田はカシワを抜けて、ノボリ方面へと向かった」


「信じると思うか? なぜ、そんなことを教える?」


「信じる信じないは好きにしろ。伝えたからな」


 目黒は気が済んでいない。「おい待て。まだ話がある」


「俺はない。俺たちは忙しいんでな。ミドリ、追うぞ」


「あ、ああ」


 幸畑とミドリと呼ばれた女は彼らを置いて洞窟の奥へと行ってしまう。


「ヌエが何しにこんなところにいるんだろ?」ヒグルは戦うよりも疑問を感じる。


「感覚的なものになるが。柄木田を追いかけているようにも思えた」白鈴は言った。


「柄木田を? どうして?」シュリが問う。


「どうせ、ろくでもないことだろ」糸七が答えた。


「なあ。五年前にあった『事件』、覚えてるか?」目黒はヌエが消えた道を眺めている。


「五年前?」白鈴は思い出そうとした。


 糸七が言う。「火門は次男に次ぎ、兄弟をも失った。火門の弟、三男にあたる真文様が死んだ。それと、当時の間関衆代表シシタケの死だな」


「ああ。うん」シュリは心に浮かんだ。「毒殺だったって。で、『だれがやったのか』。そこで間関衆が」


 言葉が途切れる。目黒は続けた。「あれは、間関衆の裏切りという話だったろ? 間関衆は他国と組んでいた。その裏切りの証拠を見つけたのが、聞く限りヌエらしい。そしてその見せしめとして、シシタケが殺された」


 ヒグルは静かに頷く。「それから、間関衆とはあまり、少し険悪なんだよね」


 それぞれが思考や感情に基づいていると、いなびが感情的な言動を取る。


「間関衆は、殺害には関わってないよ。毒を盛ったその犯人は、村を捨てて、どっかに逃げやがった。そいつこそが、本当の裏切りもんなんだ」


「そうなのか?」白鈴は冷静に問いかける。


「間関衆は裏切りなんか絶対にしてない」



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