第10章「鬼の国 かしわの木」_2

 長い洞窟をついに抜けて、彼らは目前に広がる美しい風景に驚嘆の声を上げる。そうして鬼の巣でもあった山を離れると、彼らが次に立ち寄った場所は「カシワ」と呼ばれる町である。


 白鈴が知っている「カシワ」とは、草木が繁茂し、非常に穏やかで、安らげる所だ。


 しかしながら、彼女の予想とは異なる状況だった。


「今、カシワはなかなか人が入れる状況ではない」


 糸七は説明した。彼が言うには、ここ何年か、緑は減り、鬼との戦場いくさばになっているようだ。鬼が群れを成し、カシワを襲っている。カシワに住む人たちは底知れぬ相手に屈服せず、脅威に抗い続けている。


 門の前まで来ると、監視していた者が呼び止めて一問一答に目を光らせる。


 明らかに警戒していた。(人だろうが)突然の来客は望まれていないようだ。なぜなら、彼らのその日の予定から準備を容易に変えてしまう。


「カシワ」の町には入れないかと思われた。すると、彼らの背後から集団がやってくる。


「今、カシワは、要塞になっとる。入るのには、骨が折れるぞ」ふくよかな男はそう切り出した。五十歳前後、得物は刀か、特異な雰囲気を持つ男だ。


 少なくとも彼の後ろにいる男たちは、彼に会話を任している。


「みたいだな」白鈴はちらりと見て言った。


 目黒は腕を組む。「ここは、いつもこんな感じか?」


「お前たち、どこからきた」


「紙崎から来た」


「紙崎か。ほお、紙崎。おお、おお、なるほど」


 男は門前まで来ると、見上げた。


「おーい。この者たちも入れてやれ。武器を所持してはいるが、どう見ても、野盗には見えん。ここも時期に暗くなる」


「よそ者は入れるなと代表から言われている」監視は譲るつもりはない。


「ワシもよそ者だ。なんだったらここにいる、連れのアマダだってよそ者だぞ? 彼らをこのまま追い出すつもりか。ワシにいい考えがある。ちょうど人材不足で悩んでたところであろ?」


「何かあったらイケない。何かあったらでは遅い」


「何かあったらその時はワシが責任取ろう。シノハラにはワシから伝えておく。それじゃあ駄目か?」


 白鈴たちは町への立ち寄りに許可が降りる。


 そして、カシワの代表シノハラという男と対面することになる。


 シノハラにはすでに情報は伝わっていた。監視が目視した時点で、「カシワに近付いてくる者がいる」と報告をしていた。


 シノハラからも、門を開けるよう指示があったようだ。くわえて、連れてくるようにと指示があった。


「単刀直入に聞く。力を貸すか否か」


 糸七から聞いた通りのようだ。しかも、この夜、鬼の群れがやってくる。その規模は大きいと予想される。


「お前たちがカシワに訪れた時点で選択できるものは限られている。期限は差し迫っている。逃げることはできない。今日死ぬか、明日を生きるか。俺たちと、カシワと一緒に死にたくなければ、手を貸せ」


 拒否するわけにはいかない。彼らは承諾した。


「では、カシワはお前たちを歓迎する。特に男手が欲しかったところだ。飯に風呂、寝床、他に必要なものがあれば言うといい。用意しよう」


 風門(ノボリ)からの支援はあっても、それは完璧ではない。






「おっ風呂。おっ風呂。あったかい、おっ風呂」


「幸せそうだな」


 いなびの歌に白鈴は呟いた。彼らは相談後、手分けして行動している。彼女の傍にはヒグルもいる。


 カシワの町に「喋る本」があるという。白鈴はそれを確かめにノボリから来たという調達班のいる家屋に向かっていた。その奇妙な本は、鬼の群れがどこから来て、なぜ群れがカシワを襲うのか原因について知っているようだ。


 他の三人はというと、『雲残』の手伝いをする。戦のため、念入りに。


 それとどうやら「よそ者」は雲残、アマダを含めても他にいる。諸国を漫遊し修行する武士、若い男のようだ。これから共に戦うことになる。会いに行けと言われた。名はおき五六ごろく


 調達班は喋る本を見せてくれた。


 話では、誰の物とかではなく、喋る本自らがカシワに連れて行ってくれと申し出てきたようで。元は人間。迷惑しているとか、なんとか。


「『キスさせろ』」


「何言ってるんだ?」


 手に取ると奇妙な本は確かに喋った。しかし白鈴にはわからない言語があった。


「なにこのエロ本。燃やしましょう」


「ヒグル?」


「『なんだなんだ。やるのか? 我を燃やす気か? やってみろ。我は燃えぬぞ。落ち着くんだ小娘』」


 奇妙な本は述べたとおり、灰になることはなかった。余計な傷もつかない。


「『ひどい目にあった。異国ではそういった男と女の物語があるというのに』」


「ありません」


「『吐息をもらすほどのとろけるような甘美、情緒のわからぬおなごよ』」


 ヒグルの対応からして奇妙な本を信用するべきではない。鬼の群れはどこから来るのか? いくらでも来る。なぜカシワを襲う? 奴らはかしわの木を狙う。群れの勢いが増しているのは? 傾きだした。星のない夜でもないのだから、別の要因がありそうだ。


 奇妙な本に、名前はない。


「ボンボン」といなびは名付けた。




 奇妙な本「ボンボン」を手にして、白鈴はシノハラに頼まれた用事を済ますため救護班のいる場所へと向かう。町に外傷を負っている者は多いようだ。だが笑顔も見られる。


 救護班からヒグルはちょっとした手伝いを頼まれる。彼女は快く応じた。


 見届けると、白鈴はいなびと共に、沖加五六という男がいる納屋を目指す。


「お前たちか。陽が傾き始める前にやってきた来訪者というのは」


 納屋へまっすぐ歩いていると、声をかけてきたのは女のような顔をした男だ。


「お前は?」


「沖加五六。話がある。ついてこい」


 ボンボンはこの男と面識があるようだ。いなびの腕の中でそれらしいことを言っている。


 この男もカシワに奇妙な本があるという情報を聞いて、興味を抱き、拝見したのだろう。


 彼は「白鈴」と二人だけで話がしたいようで、いなびに離れたところで待つよう働きかける。


 人気のない場所へと、彼女は後ろをついていく。


「ここでいいだろう」


 その言葉を最後に加五六は刀を抜き、背後から斬りかかる。


 彼女はかげかげを取り出してその身を守った。


「その体に、その力。間違いないな」


「なんの真似だ」


 彼は返事するつもりはないようだ。黙々と彼女に襲い掛かる。


「待て。くっ。どういうつもりか説明しろ」


 相手は刀を抜いている。腕試しなどではなく間違いなく殺意がある。とはいえ、白鈴は彼の体に切り傷どころか、怪我をさせようとはしない。彼女は思えない。


「お前、鬼なんだろ?」


 鬼。その言葉ではっきりと理解した。この男は知っている。


「人を誑かす鬼が。ふざけたことを抜かすな」


 白鈴が戦意を削がれていると、その一方で、彼は待たない。


 切り付けて、ようやく肌をとらえた。加五六は舌打ちをする。


 白鈴は片腕を抑える。避けたつもりだったが。


 斬られた個所は、すぐに再生した。


「人の振りをするな。次は無いと思え」


 彼の目にはいっそう腹立たしいものがいるようだ。


 ふたたび争いが始まると、なんと刀を持った糸七が二人の間に入る。


 状況としてはよくない。加五六にとって鬼をかばう者が現れた。それもまさか。


 白鈴に代わって、糸七は戦う。彼に譲る気はない。


 糸七が競り合いむなしく負けると、今度争いを止めに入ったのは雲残である。


「待て。両者とも待たれよ」


「雲残のおっさんか」


「今夜、鬼の群れがやってくる。今は争っている時ではない。必要なのは協力だ。互いに争い、戦力を削るのは得策とは言えんのでは」


「正気だよな? このちっこいの、俺たちを油断させるために、人の子に化けてる鬼だぞ。協力するはずがねえだろ。敵だ」


 雲残は白鈴のほうを見た。


「おっさん。これは由々しき問題だぞ。お前なんだろ? カシワにこの鬼をまんまと潜り込ませたのは」


「お主、鬼だったのか」


「おっさんがやらないなら、俺がここで終わらせる」


「待て。オキ」


「どけ」


「待つんだ」


「無理だ」白鈴は呟くように言う。


「はあ?」


「お前には。私を殺せないぞ」


「お望みのようだな。いいだろう。やってやる」


「やめんか」雲残は場の空気を変える。「端からかしわを襲うつもりならとっくに行動しておろう。落ち着け。両者とも冷静にならんか。お主も、焚きつけてどうする」




「鬼を、生かす理由がねえだろ」「大湊は腕のある武士が多いと聞いてやってきたが」「こんな腰抜け侍が使い物になるとは思えないな」そのあと加五六は幾度も不満を述べながら、雲残の提案に渋々従った。


 シノハラに説明し処遇を決めてもらう。


「白鈴殿、白鈴殿」いなびは囁く。


「なんだ、その呼び方」


「甘い言葉で籠絡してみるのはいかがでしょう」


 姿を変える。人にもなれる。黙っていた。危険と判断されるのは当然であり、白鈴はこの夜、自由を奪うため密閉された容器に閉じ込められることになる。


 女子供の多い一行には、「鬼」が混ざっていた、その事実はあっても、シノハラは彼らに協力を断らない。彼は、この日、そこまでの余裕がないと考えているのか。






 時は来た。可能な限りの部隊は揃った。周囲の空気が緊張で張り詰めている。彼らは使命を胸に秘め、鼓舞し、門を開け出陣する。


「シノハラ。ナニ考えてやがる」


「子供だと思って舐めてると痛い目見るよ。私あなたより強いから」


「それは心強いな」


 鬼の群れは予想を超す。カシワは鬼の領域に広く包まれ、彼らの邪悪な力が蠢く。


 戦場が消失したはずの「森」に変わろうと。長く続く戦いの日。数が多いだけであれば、どれほどよかったか。


 中には強力な鬼も交ざっている。目の鬼や夜鬼ホタルなど。


 間違いであってほしい。そう願いたい。どうにか侵攻を抑えていると、血まみれの大きな袋を担いでいる鬼、赤ぼっくりまで現れる。






「『行かなくていいのか?』」


 カシワの町で、奇妙な本はそう尋ねた。雲残が用意したガラス製の瓶には白鈴がいる。


「『にしても、赤ぼっくりがいるのか。雲行きが怪しくなってきたぞ』」


 町には、出陣はせず残った戦力がいる。彼らは前線からの報告に、様々な感情を抱く。


「『おい。そこの者。戦況はどうなってる』」


 奇妙な本は見張りの男たちに定期的に問いかけていた。


 片方の男は、特にいても立ってもいられないように見えた。


「苦戦すると思ってたが。思いのほか優勢のようだぞ」


「『おお、優勢か。これは。くうあやつら。どうなることやらと思ってたが。もしかすると戦力が増えたことが、一番の要因かもしれないな』」


「そうだな。だが――芳しくはないかもしれない」


「『なに?』」


「白ぼっくりが確認された」


「『白ぼっくりだと? 赤だけではなかったのか?』」


「負傷した者の中に、やつの姿を見た者がいるようだ。見間違いでいてほしい。信じたくはない。しかし」


「『これは、下手すると、全滅の可能性ないか? 一時撤退はできないのか。それが本当だとすると、死にに行くようなもんだぞ』」


「撤退してどうする? それで俺たちは、日の出まで戦えるのか?」


 見張りは仕事に戻っていく。




「『ナント。行くのか』」




 瓶を破壊した白鈴は頷くと、早速行動する。


「バツならあとでいくらでも受ける。通してくれ」


「ならぬ」


 彼らは恐れている。


「『我からも頼もう。この女は、我には、こんなところにいてはいけない人のように見える』」


「すまない」


「『まあ、止められるわけないか』」


 たとえ槍で刺されようと、彼女の水の体には通用しない。


「必要なんだろ? ほら、持っていけ」


 そのあと、シノハラからかげかげを受け取った彼女は前線に赴いた。






 歪な森で、白ぼっくりはいた。長い手足、骨と皮ばかりに痩せこけた大きな体、担ぐ袋の中身は鬼がいると言われている。


 白鈴が発見した頃には、既に味方が何人かやられていた。食われている。


 そのなかで彼女は加五六の刀を見つけると、躊躇わず戦いを挑む。


 彼らの領域で壮絶な戦いが繰り広げられた。


 埋火蝶。彼女は己の技で確実に仕留めることに成功する。彼女が最後まで立っていた。




 言葉を吐き、力尽きてもげたげたと笑う白ぼっくり。白鈴は眺めていると、夜鬼ホタルに奇襲される。体幹と手足、自由を奪われた。首を落とされそうになっていると。


「『我が魂、我が肉体は不滅なり』」


「遅れを取ってはなりませぬぞ」


 奇妙な本が攻撃を防いだ。雲残がカシワの町から持ってきたようだ。






 加五六は生きていた。朝を迎えるにはまだ早いが、この日の戦が終わり、白鈴はカシワの町でそれを知る。


 鬼の力によって生み出された「森」も雪消えのように、失われた状態に戻った。


 勝ちを我が物とした彼らは戦の余韻がまだ体に残る中、カシワの中心に集まり、勝利の宴を始める。自分たちの努力と信頼を称え合う。ささやかな宴の喧騒が広がる。


「この夜も乗り越えた。これからもだ。俺たちは」一人の武士が仲間に向かって笑顔で言うと、周りの者たちは心からの笑顔で応えた。彼らの中には、この瞬間を待ち望んでいた者もいれば、一時凌ぎの戦いを終えて安堵していた者もいた。


 戦の傷跡は彼らの体に深く刻まれていた。だがその痛みも、いまは勝利の喜びに包まれている。彼らはお互いを見つめ、互いの存在を確認し、一緒に笑った。「酒だ」その笑顔は、戦いの疲れを癒し、心をほぐし、新たな力を与えた。


「なんだ。もう飲まないのか?」


 目黒が酒を断った。彼はその表情からも十分満足しているように見える。


「酒はあまり飲まない。飲み過ぎちまうと、相手を見つけては愛の告白をしてしまうんでな」


「告白か。そりゃあ大変だ。ああ。そのほうがいい」


「あの時も、酔ってたのか?」白鈴はそっと問う。


「いいや。酔ってるように見えたか?」


 彼女は間を置くと、(強引に、再度同じ言葉を言われる気もして)別のほうへと視線を移動させる。


「お前、やればできるんじゃねえか。見直したぞ」


 加五六は酒を片手に糸七へ語りかけている。彼のなかで糸七の評価が一変したようだ。初めて顔を会わせた時、鬼を庇う侍など大変おかしなものだっただろう。垣間見えた躊躇いも。


 シノハラの呼びかけから、彼らは戦いで倒れた仲間たちの冥福を祈る。


 しばらくして白鈴は気配を感じて、その場を去ると、雲残とシュリに声を掛けられ行動を共にする。


 彼も不気味な気配に酒の手が止まった。


 人目のつかない場所には、女の子が二人いた。宴には交ざらず遊んでいる。


「来た来た。やっと来た」


 一人はそう言うと、雲残のほうに一瞥を投げる。


 白鈴が刀を取り出すと、少女は続ける。気にする素振りもない。


「お前、知りたいことがあるんだろ。それ、白蛇様なら教えてくれるよ」


 隣にいた女の子は遊びをやめた。「教えてくれるかな」と彼女は言う。


「教えてくれるさ」


「だって、半端者。白蛇様はお会いにならないよ」


「会ってくれるさ」


「どうかなあ。駄目だと思うけどな」


 二人は楽しそうに揃って声をたてて、姿を消す。


 白鈴は刀を握りながら、正体について考えた。


 雲残は言う。「鬼のようにも思えたが。しかし、『白蛇様』か。そういえば聞いた話では、枯れ谷に住まう蛇は、屋水姫を探しておられるとか。もしかすると、枯れ谷の蛇なら、この大湊の国で鬼が増える原因や突破口を知っているのかもしれませんな」


 宴席に戻ると、白鈴はボンボンにこのようなことを言われる。


「これは仮な。まあなんだ。どうしてもって言うなら。まず金だろ。あとお」


 奇妙な本はヒグルのほうを見て、態度を変える。


「我も酒を所望する。ああ、しみるう」


 すると、「風門に向かわないか?」と糸七が次の目的地を提示し意見を乞う。



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