第9章「大湊の化身」_2

「遅い?」ヒグルは言う。


「大丈夫。みんなが、ここにいるのが知られるのは、もっと先だと思う。それにいずれにしても。だからここで話す。巫女についても。ほかのことも」


「こいつは? どうする」目黒は壁際のほうを見ている。


「彼なら、聞いても平気」


 糸七に動きは見られない。シュリは彼を見て、そのあとゆっくり話し始めた。


「屋水のことは、おばさんから聞いたの? だからここに」


「いや。上井から聞いた。リュウの妹だと」


「テングのお面をつけてる人にね。シュリのこと、教えてもらった」


「上井から聞いたんだ。そう、私はツキビト。屋水の巫女リュウの妹」


「なぜ、言わなかった」


「言ったら、絶対、白鈴ついてくるなって言うの、わかってるから」


「それは」


 白鈴は考え込む。否定はできなかった。その機会はあっても、深く知ろうともしていない。


「いま、大湊は、火門は、過去にツキビトが封印したという『化け物』が、どこにいるのか、それを知ろうとしてる」


「やはり、か」白鈴は呟いた。「大湊に聞かれたのか」


「柄木田から」


「シュリのお姉さんは知っているの? それで、シュリも」


 わたしは、と彼女は口にして俯く。そして、首を横に振った。


 目黒は溜息をつく。「なにが何だかわからんものに頼ろうとしている。冷静に見てよ。正気とは思えねえな」


「だが、それが事実だ」糸七はそう言うと、立ち上がった。「少なくとも、柄木田はその『化け物』に興味を持っている」


「お前、口が利けねえのかと思ってたら、話せたのか」


「ただの賊と言葉を交わす必要がない」


「いま、してんだろ」


「屋水姫の風習は、知っているな。正確には、『この国の風習』になるが」


「ああ」と白鈴は頷く。「十二に近付けば、生まれ月よりあとの満月の日は、家にいろ。だったか?」


「探している『化け物』とは、この国にその風習を生んだ存在だ。ただの作り話とは考えないほうがいい。屋水姫と間違えられて姿を消した女子は一人だけではない。習わしと、なっただけの理由がある。記録としても残っている」


 屋水姫の風習は「十二」と言われているが、人によっては「十一」で行う者もいるらしい。そして、十二になる年にも同じことをする。それから、「十三」になる年にも習わしとして行う者もいるようだ。


 曖昧な部分があるのは、「間違えられたら」というところからきている。


「彼女は、女の神様だ。屋水姫が戦った鬼のなかには、その力、美しさに心酔した者もいる。それが、屋水姫の秘密と言われている」


「むかーし、むかし」目黒はそう言うと微妙な間を置く。「噂を聞きつけてやってきた。金持ち、権力者から、縁談があった。だがいつからか、人ではないものからも狙われるようになった。そんな話だ」


 糸七は刀に触れた。警戒が色に出る。


「どした?」目黒はいきなり攻撃的な姿勢を見せる彼にぽつりと言う。


「倒していなかったのか」


「生きていたか」


 白鈴はその目で確認する。機関銃を身につけていたかかしが床から現れようとしていた。


「ここは任せろ。お前たちは、城から出ろ」


「こんなやつ、全員でやれば」


 目黒の言葉を無視するように、彼は歩いていく。


 シュリは俯いて顔を上げた。「糸七に任せよ」


「行け」


 


 


「彼を残してきてよかったの?」


「大丈夫。糸七なら。うん」


 ヒグルは柄木田の研究施設を離れた後も出会ったばかりの相手を心配していた。石隈いしくま糸七いとしち喜秀よしひで。まず、若く見える彼は、大湊に従う侍ではないのだろうか。


 かかしとの戦闘は騒がしかったに違いない。銃声は響く。にもかかわらず、不自然なほどに城内ではその片鱗さえ見られない。人がいない。白鈴は黙ったまま、待ち伏せはあるだろうとより一層警戒を続ける。


「そんな」


「火門」とヒグルは口にした。


 ありそうにない展開だ。脱出へと急いでいると、とんでもないことだ、彼らは城主と対面する。


 状況から考えるに、侵入者がいるとわかって、大湊火門真道はその場で待っていた。


「まさか城まで来るとはな」彼は立ち止まった彼らに目を向けずそう呟いた。


「よほど、一人が好きなようだ」


 目黒は凍りついたような空気を物ともせず口にする。


 城主のほかに、誰かいてもよさそうなものだが。


 シュリ、と火門は言う。「考えは変わらないか。国のために協力する気はないか」


「火門様、変わったね。なんだか。まるで。要求は飲めません。私にはできない」


「そうか。まあいい」


 彼は間を置く。


「であれば、お前の姉に直接聞くしかないようだ」


 白鈴は言う。「大湊、答えろ。この国で、何をするつもりでいる」


「間違いを正す」


「まちがい?」


「取り戻すのだ。忘れ去られた、栄光をな」


「返答次第ではと考えていたが。無駄だったかもしれないな」


 彼女は前進して刀を抜いた。


「この国に、そんなものはない」


「刃を向けるか。共に、歩もうとは」


「私は家族を失った」彼女は首を振る。「お前は二度、屋水を襲った」


「共に歩めば、そんなこと気にならなくなる」


 白鈴の心は決まっていた。強く握った刀を、鞘に納めようとはしない。


「では、しかたない。お前も欲しかったところだ。後悔はするなよ」


「だれがするか」


「いや。そうなる。『鬼』である、お前ならな」


 火門はそう言って、刀に手をかけて抜いた。


 シュリの救出から城内での戦闘、先に仕掛けたのは白鈴である。彼女は一番月見櫓での敗退がわずかに頭を過ったが、その切っ先や動きが鈍ることはない。


 この時も(時間としては非常に短いのだが)、橋の上のように、二人だけでの戦いだった。目黒はすぐに間に入ろうとはしなかったし、ヒグルに関しては入る隙を微塵も感じられなかった。彼女は背中を見せない。彼は目を離さない。参加できる、ここだと思える瞬間を待っている。


 白鈴は油断をついて追い込もうとした。だが、彼は(感心するべきか。当然か)焦る素振りもなくとてつもない力強い一振りによって持ち直す。


 後退して、彼女は思う。最近の出来事を振り返る。


 かげかげに目をやり、敵に視線をやる。


 二人による突風のような激しさが途切れると、火門はそれから目立った動きを見せない。距離を詰めない彼は、白鈴が床を蹴り走り寄るのを待ち望んでいるかのようで。静かであり堂々としていた。


 すると、彼はふと壁のほうに意識を向ける。


 壁が大きな物音を立て、崩れ出す。材木が悲鳴を上げ、瓦同士がこすれるといった渇いた音が混ざる。突然と崩壊した原因は、がしゃどくろである。巨大な骸骨の鬼が建物内へと手をねじ込み、壁を破壊して、そして中を覗こうとしている。


 白鈴は一瞬だけ火門から目を離していた。元に戻すと、異変に気付く。


「なんだ。こいつは」


 火門の姿は、そこにはなかった。


 時間は夜、灰色の霧が立ち込み、次第に城の内部のようすが変形していく。


「大湊の、化身」シュリが言った。


「火門はどこにいきやがった」と目黒は言う。


 そこにいるのは、明らかに人ではないものである。人のようで人ではない。特徴を捉えると、蛇だろうか? 頭部と思わしき場所に人面とも呼べよう顔があり、黒い髪の毛は長くそして乱れ、蛇には似合わない腕と足があり、体長は大人二人分ぐらいある。


「白鈴、私も戦う」


 シュリがそう言って隣に並ぶと、彼女に向けて巨大な骸骨の手が伸びる。


「白鈴。こいつは任せろ」


 目黒がそれを阻んだ。そのあと彼はそう言って、屋外へと出て行く。


「屋水での借りは返す」


「手伝おう」


 糸七がいた。駆け込んできた彼は、かかしとの戦闘を終えたのだろう。片手には刀ではなく、槍を持っている。


 糸七を仲間と考えていいのか。判断する時は、今ではないのかもしれない。


「私も」


 白鈴の傍でそっと聞こえた声は、ヒグルのものである。彼女は恐れを感じさせない表情で、目の前にいる脅威へと視線を向けていた。


 大湊の化身。


 


『大湊の化身』は否定するのは難しく、『鬼』であるのは間違いなかった。その者が持つ力は、この国で頻繁に見られるようになった他の鬼とは比べようがないほどのものである。今この時、白鈴一人では『大湊の化身』を倒すことはできなかった。ヒグルの魔法の力を借りても。シュリの力を借りても、容易くはない。


 一見では動きが鈍いようにも思えるが、よほど運がいいとかでもないかぎり、戦闘の経験が無いものではこの鬼の攻撃をかわすのは難しいだろう。伸びる腕は奇怪で自在で、非常に破壊力がある。物理的な攻撃ばかりでもない。『大湊の化身』も不思議な力を使う。


 かげかげによって斬られた部分は、即座になにもなかったように再生していく。斬られることに抵抗がないので、そうとう戦うためのゆとりがあるのだと思われる。


 唐突に白鈴たちの見える景色が変わってしまったのも、『大湊の化身』による力が影響している。上品な造りであった城の内観が、おどろおどろしいものへと変わってしまった。不気味な霧といい、周辺は悪夢といえる表情となっている。


 目黒と糸七は二人で巨大な骸骨と戦っている。建物から飛び出していった彼らについては、白鈴たちでは現在の状況を把握できない。外では、何が起きているのか?


 三人で戦える。それが、戦局を動かす。


「あっちは平気かな」ふとした時に、そんな言葉がヒグルの口からでる。明らかに彼女にとって強者との戦闘ではあったが(命懸けであろう)、もしものことが起こりはしないかと気にかけていた。集中はしている。


 白鈴は戦う最中で、徐々に技量を高めていく。


『大湊の化身』は反撃に出る。じりじりと相手の動きが良くなっている。であればと、思考し行動する。


 白鈴を捕らえる。『大湊の化身』はそれに成功する。しかし、激しく痛めつける行為はできても、すぐにヒグルの魔法で邪魔されてしまう。


 彼女は「一人」で戦っているわけではないのだから。だがそれにしても、鬼はそこを理解して、しっかりと三人を相手にしている。


「ここに長く居るのはよくないかも」シュリは空間をよく観察して、そう述べた。


 猪武者。白鈴の巧みである一撃でこの戦いは幕を下ろす。


『大湊の化身』は痛みを泣き叫びながらところかまわず暴れまわり、姿を消してしまう。


 次に起きた出来事、内観は元に戻り、それは壁を突き破るほどの凄まじさ、青年が一人槍を片手に彼らの前に現れる。両脚で着地した彼はその勢いを弱められず、反対側の壁に背中をぶつける。


「糸七?」


 三人が驚く中で、シュリだけが彼の名を呼んでいた。


「聞いていたとおりだな。流石に簡単にはいかないか」


 糸七は槍で鬼の一撃でも防いだのだろう。飛ばされてきたようだ。


 すると、遅れて、(同じ目にあったのか?)目黒も姿を見せる。彼は勢いに負けて壁に背中をぶつけるほどではなかった。


 彼は姿勢を変えると、隣にいる者に問う。「おい。まだいけるか?」


「もちろんだ」


 糸七の具合を確認して、目黒は視線を移動させる。


「そっちは終わったのか」大きな声だった。


「ああ」と白鈴は答える。


「火門は?」


 彼女は首を横に振った。


「なんだ? どこに向かう気だ?」


 なにか鳴き声のような歪な音が聞こえ、目黒は建物に開いた穴の向こう側を見ながら言う。霧に包まれた世界がある。そこには未だ巨大な骸骨の鬼がいる。


 白鈴も外側へと注意を向けた。


「――夜が明ける。逃げるつもりだ」


「なんだと?」


 彼は事態に固まっていた。二秒ほど経過して、続行しようとその場から動く。


「目黒」白鈴は戦闘再開を止めた。「脱出しろ」


「ああ?」


 彼女は、彼に近付いていく。すると、彼女の傍で声が聞こえてくる。


「なに? どうするの?」ヒグルだった。


 白鈴は立ち止まってから、「追いかける・・・・・」とだけ口にする。「ここから出ろ。城下も、安全じゃない」


 目黒はやや不満げな顔を見せるが、判じて、最後に飲み込んだ。


「ああ。行ってこい」


 彼女は跳躍して、鬼がいる穴へと、その霧の中へと消えていった。


「白鈴」


「行くぞ」


「……目黒」


「あいつなら、また会えるさ。急ぐぞ」


「行こ」


 シュリの顔を見て、ヒグルは小さく頷いた。


 


 


 白鈴は城の屋根に立つと、周囲を確認する。霧は濃く、何も見えない。


 しかし、あれ・・がすぐ近くにいるのはわかる。


「時間はまだある」


 彼女はかげかげを軽く振った。


「散々暴れてきたんだろ。ここからは、こちらの番だ」


 彼女は鬼から次々と攻撃を受けるが、うまく対処する。掴まれるわけにもいかない。


 そして、彼女は闘いつつ屋根を走っていく。


 巨大な骸骨ではない、他の鬼も集まってくる。


 体の長い魚のようだ。しかし、前足のようなものがある。


 鬼の群れを抜けて、彼女が見たものは。


「……何が起きてる?」


 この国は既に。




 白鈴は霧の中でかげかげを振った。


 手応えがあったような。


 


 白鈴は崖から飛び降りる。


「来い」


 霧が晴れていき、ようやくなんとか相手の姿が見えるようになった。


 骸骨の鬼が、腕を伸ばしている。強力な鬼の背後から発現した鬼雪崩が、彼女に襲い掛かる。


 とてもじゃないが無茶な行動だ。


 抜け出た彼女の体は、ひどく負傷していた。精神については。


 


 花気かき風来ふうらい


 


 それは二つに分けての太刀筋。まず一つは鎌鼬の如く、相手の急所を狙う一手。


 そして、少し遅れて詰め寄る白鈴。



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