_1の3 屋水の巫女
第7章「屋水襲撃 馬の頭」
・7
「今夜か。間に合うか」
紙崎にある六円館、洞窟の祠の近く、白鈴は夕闇空を見上げながらそう言った。枯れ谷の巫女ハユキから聞かされた「知らせ」は、心情を揺り動かし関心を掻き立てる。
屋水の住人は死んで。さらにまたこの夜、『屋水の巫女』まで襲われようとしている。
大湊は、いったいどうしようというのか。白鈴たちは阻止しようと歩き出す。
「馬があれば、なんとかなるよね」
ヒグルがそう言った。馬が用意できれば、あるいはそうかもしれない。ハユキからは骸骨の現れる正確な時間は教えてもらえなかった。
「真夜中であるなら、そうかもな」
白鈴は、そこで言葉が出なくなる。シュリの表情に意識がいく。これから襲われようとしている屋水には、彼女の姉が今でも住んでいる。おばさんと暮らしていると聞いた。離れて暮らしている。『できれば。変えたくないんだ』。
ちょうどよく、鳥居のある場所まで戻ってくると、人の気配を感じる。白鈴は予想外ではあるものの、その結果に不安を抱いた。姿が見えたことで、彼女は警戒する。
鳥居の前には、未だに
「お前は」
「どうやら、お会いになられたようですね。巫女は、なんと」
「すまないが急いでいる。呑気に話をしている場合ではない」
白鈴は、余計な負担を増やしたくなかった。この女からの「要求」を避けたい。(助けてやった。当然であろうと)相手は期待し、ここで見返りを強く求めてきそうに思えた。できるだけ、通り過ぎようとする。
彼女のおかげと言える。苦労なく、六円館から『枯れ谷の巫女』と会えたのは。
「ごめんなさい」とヒグルは追うようにしながら、女に向けて謝る。
「そうでしたか。それは残念」
シュリの動揺は収まってはいなかった。だが、いくらか近寄ると、彼女のほうを見て立ち止まった。「助けてくれて、ありがとう。でも行かないと」
「シュリ」と白鈴が呼ぶ。感謝はしているが。
「お待ちになって」
「なんだ。まだ、なにかあるのか」嫌な予感がどうしても拭えなかった。
「そう怒っては、いけない。行きたいのでしょ。屋水に」
「それは。ああ」
「どうして、場所を」ヒグルは独り言のように口にする。
「では。どうぞ」
女が片手を前に出す。その先は鳥居。とくに「それらしきもの」は見当たらない。僅かな時間で、闇は迫れど、光の弱い景色が変わったわけではなかった。
しかしながら、そこには紛れもなく『入口』がある。
「抜け道を、使って。お社にいる、リュウ様を助けてあげて」
「これは?」白鈴の目には不自然なものとして窺えた。
「うん? 白鈴、どうしたの?」ヒグルは問う。
鳥居から視線を移動させる。女は
「過度な警戒は無用。通りゃんせ」
女の行動ひとつひとつからは、その魂胆を理解するのが困難だった。必ずや、そこには思惑があるだろう。接触してきたのは意図があり、期せずしてとは思えない。
鳥居を使わないという選択もあった。だが。
「どういった了見なのかは知らない」
鳥居の向こうで、女は何も言わなかった。
「行くぞ」
「どういうこと?」
「ヒグル、いこ」
シュリは頷く。状況がわからないヒグルを心配して、声をかけていた。彼女には、この三人であれば、状況的にも、どんなものでも乗り越えられると信じていた。
彼らは『入口』を使う。見回しても、もう女の姿はない。そこには鳥居もなかった。
女が用意した「抜け道」は、けっして安全な通路とは言えるものではなかった。普段は人が通るはずはない。紙崎からも遠い場所である。
「ここは」
「抜け道だ」
何はさておき、白鈴たちは『出口』となる道を進んだ。立ち止まっている時間が惜しく、説明が必要であるなら、歩きながらでもいいと考えた。戦闘は避けられない。
鬼と戦う場面はいくつもあった。勝つことのできない強力な敵とは遭遇しない。
「ねえ。大湊の目的って、なんだと思う?」ヒグルは静かな時となって問いかける。
「屋水の巫女、だろ?」
「冷静になってみれば、『巫女を襲う』って、どうしても信じられなくて。たぶん、『暗殺する』ことではないよね」
「鬼を使うから?」シュリは読み取った。
「そう。違うの、かな。それに、もしそんなことしたら、大湊は衰退どころではないよね。屋水の巫女だよ?」
「三年前に、一度屋水は賊に襲われている。その時、巫女は不在だった。その日の数日前に大湊に呼ばれて、大湊城にいた」
「まさか、本気で、大湊は鬼との共存を望んでいるの?」
「鬼は、きっと来る」シュリは俯いて言う。「ハユキにウソ偽りはなかったと思う」
「不吉であることは変わらない」白鈴も同意した。たとえ情報が大湊からのものであっても、ハユキはそれが真実として受け取っているように見えた。
「そう、だね」
白鈴は周囲に目をやる。「急いで出よう。迷うと、出られなくなる」
「そうだった。養分になる、かも」
「うん? よう、ぶん? 養分って言った?」
それからしばらく歩き続けて、どうにか出口を見つけたらしく、気付けば森の様子が変わっていた。想像よりも早い。屋水の傍までやってきていた。
白鈴は現状を把握しようと、遠目に眺める。すっかり外は真っ暗である。
「これは、止めなきゃ」ヒグルは歩き出した。
「もういるな。始まってる」
巨大な骸骨の鬼は、既に屋水へと襲い掛かっている。とはいえ、ひと際目を引くであろう山のような大きな影はどこにも見当たらない。目視はできなかった。異様な事態である。それは間違いなかった。夜中とは思えないほどに、物音、奇怪な声、だいぶ騒がしい。骸骨の姿は確認できないとしても、「音」、その気配でわかる、他の鬼がいる。
白鈴は屋水へと急いだ。そして、周囲にいる敵を倒しながら距離を縮めていく。
「群れて歩いているな」
「シュリ、お姉さんのとこに行かなくていいの?」
「平気。それより、鬼をとめよ。そっちが先決」
「ここに来てからずっと思っていた。誰か戦っているな」
「屋水の人? みんなを逃がしてるのかも」
「屋水に、戦える人、いたかな?」
白鈴は考えても意味はないと進む。ヒグルの魔法による明かりを頼りに走った。
すると、彼女は鬼ではない人の気配を感じる。そこと思しき木の陰に近付いてみる。
「ジロテツ? ジロテツか?」
「おっ、なんだ? 聞いたことのある声だな」
彼は樹木を背に座り込んでいた。そのありさまは、休憩をしている、とは思えない。身を隠している。赤い血と眩しそうに目を細める仕草が彼の限界を教えていた。
ヒグルは純粋に驚いている。「どうして、ここに」
「おいおい。これは夢か? ヒグルに白鈴までいる」
「ひどいな」
「たいへん。手当てをしないと」シュリは怪我の具合を調べた。
「このぐらい、なんでもない。それよりもだ。よく聞け。大湊に、巫女が狙われてる」
「ああ」
彼は小さく笑った。この三人がどのような事情があって、そこにいるのかは理解できていない。ただ彼は、自分たちと目的が同じであると安心した。
「ずっと先で、目黒が戦ってる。サモンもいる」
「わかった」
「立てそう?」シュリは周りを警戒してから、そう言った。
白鈴はこの場でわかる範囲で冷静に判断する。目黒にサモンも、危険な状態ではないか。
「ヒグルとシュリは、ジロテツを安全な場所に」
「おっと、俺は仲間外れか?」
「それで戦えるのか?」
「お社に行こう。あそこなら鬼も来られない」
「ね、任せよ」
彼は悔しそうに黙った。「あいつらを頼む」
一緒には連れていけない。白鈴はジロテツを二人に任せて、胸の内にしまい込み前進する。
彼女も同様の気持ちでいた。屋水に、目黒たちがいるというのは驚くしかなかった。きっと大湊の動向を調べていて、そうして彼らは屋水の巫女にいきついた。
大きな鬼の気配がする。白鈴は闇に恐れず、集中した。このところでは一番の大物といえる。しかしながら、姿はあれから近付こうとも見えず、(夜だから、だとしても)どこにいるのかはさっぱり見当がつかない。
ふたりはどこに。いずれにしても、巨大な骸骨の元まで辿り着けば、なんとかなるか?
知らないうちに、周りは濃霧に包まれていた。遠くからでは、わからなかったものだ。
白鈴は足音を耳にする。次に女の声を聞いて、それがサモンではないかと考える。
白鈴は森のなかを駆けて、ようやく彼女を見つけた。
「もう。目黒にジロテツ、どこに行ったの」
そのとき、サモンは辺りを注意しているように見えたが、気が緩んでいたのだろう、見えない敵を知覚できていない。鬼が忍び寄っていた。
白鈴はすばやく刀を抜く。霧のなかで彼女は不意を打ち、鬼を斬った。
「なっ、なに?」
「消えたか」
全体は見えなかった。手応えもない。いまのが、もしかしたらそうなのかもしれない。
白鈴は霧の向こう側を意識しつつ、安全であると見極めて振り返る。
「サモン」
「白鈴? うそっ。来てくれたんだ。みんなは? 知らない?」
「ジロテツはヒグルといる」
「ヒグルと。そっか。それだと目黒は」
どれほどか、随分と走ってきたようだ。彼女は息切れをしていた。そして、白鈴は装備の銃に腕と足に注目して、その見込みから健康を気遣う。
「サモン。無理してるだろ?」
「おおっと。あれ? わかっちゃう?」
遠くからでは気付かなかった。彼女は自由に歩き回れるような体ではない。どの程度のものかは正確に調べないとわからないので、残るは表情、声に仕草で見抜くしかなかった。
白鈴はそっと体の向きを変える。くわえて、気を張った。
「どうかした? 敵?」
「詳しい話はあとだ」
まっすぐ伸びた刃が、霧のなかで揺れる。白鈴は目を動かし、耳を澄ましている。ほかには、なにもいない。探しながら静かに呼吸をした。
敵意を感じた。ところが、そこから鬼が現れることはなかった。
「気のせいか?」彼女は刀をおろす。「にしては」
「さっきの?」サモンは歩み寄る。「白鈴、追い払ってくれたよね」
「だと思う。あれは。すこしでも手加減をしていたら、私も力で叩き潰されていた」
「叩きつぶされてた? なにっ。さっきのって、もしかして」
「手応えがなかった。斬るのは簡単ではないかもしれないな」
かげかげに調子を問いかける。白鈴は、自身の実力が不足していると共に、愛刀を憂える。やっとのことで取り戻して、それからもあった違和感の原因がわかった気がした。
サモンはしばらく眺めていた。「刀、駄目になった?」
いや、と彼女は首を振る。「それよりサモン、体のほうはどうなんだ」
「いたた。もうおしまい。もうだめかも」具合が悪そうに演技している。「でも、助けてくれたから、このとおり」
「逃げることも、考えてもよかっただろ」
「仲間は置いていけない。私はまだいけるから」
「目黒は?」
「わからない。骸骨と、戦ってたはずだけど。全員離れ離れになった」
「この霧か」白鈴は上のほうに視線を移動させる。
「そう。なんなのこの霧。急に出てきて。すっごく邪魔」
鬼の仕業であるのは間違いない。長く居ると、方向の感覚が狂う。霧の影響はそれだけでもないのだが、居場所を把握できていないのはどれよりもまずい。
「音? おかしなこと言うかもしれないけど、この霧のせいで声も遠くなった感じするし」
「サモン、もう少しだけ歩けるか」
「頑張る。ここで死ぬなんて、絶対ごめんだから。やりたいことがまだまだ残ってる」
彼女は軽く微笑んでいた。白鈴は真面目な表情になるまでを見て、よってその言葉を信じる。無理はできないだろう。怪我は、ジロテツほどではない、か?
「買い物、だったか?」白鈴は間を置いて、ゆっくり尋ねる。
「うん? 買い物? ああ、うそっ。覚えてくれてたんだ」
「忘れていたのか?」
ううん、と彼女はつよく否定する。「どちらかと。その服。そういえば」
「前のは破れた。だから、これは、借りている」
「あっ、わかった。その人に、それ、選んでもらったでしょ」
「そう、だな。動きやすいのを選んでもらった」
「へええ。なるほどねえ」
夢中に観察するようすは、下から上へとすべてを見ている。背中見せて、と言われ、従順に回ってみせた。まるで子供のためにと仕立てたばかりのようだ。
「探そう」こんなことをしている場合ではなかった。
「そうだ。白鈴、気を付けて。他の鬼もいる」
「それは、わかってる」
「ああ、そうじゃなくて。そう、やばそうなやつ」
「やばそう? どんなだ?」
「はっきりとは見えなかった。人っぽくて、大きな馬? みたいなのがいて」
「大きな馬か」
思い当たるものがいる。散々聞いてきた。紙崎から、この屋水に訪れているようだ。
すると、白鈴は微かな物音に反応する。動かないといけないと経験から頭が働いた。サモンだけでも守るために、彼女は刀には触れず、咄嗟に行動する。
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