第6章「六円館 枯れ谷の巫女」
・6
「次の満月って、いつだっけ?」
猿の鬼を倒し、屋水を離れて、次の町『紙崎』へと白鈴は辿り着く。紙崎は、大湊城城下からもっとも近い町の名である。占い所アルカナまではもうすぐだった。
空はまだ明るい。シュリは歩き続けで、空腹でも感じているのか、腹辺りを触っていた。
「満月は、もうすぐではないか?」白鈴は昨晩のことを思い出しながら言う。
「たしか、そうだよね」
「しかし、それがどうかしたか?」
「いいや。さっき、巨大な骸骨の話をしている人がいたから。『また出た』って。大湊に、はじめて骸骨が出てきたのも、満月の日だったよなあって。そう思っただけ」
「そうか」
巫女が、鬼を追い払っている。そんな会話を交わしていた。
「ねえ。白鈴は、紙崎のことは、どのくらい知ってる?」
「何も知らない。何も覚えてない」来たことがあるような。うろ覚えともいえなかった。
「ここは、屋水に近い場所ではあるんだけど、枯れ谷にいる『白蛇』を信仰している人が、多い町でもあります。白蛇のことは、白鈴、知ってる?」
「それぐらいは知っている」
「昔、その白蛇が、山深い大湊を通り過ぎて、屋水にいる屋水姫に会いに紙崎までやってきた。そこで、白蛇は口からヒスイを吐き出したという。それが今でも、この紙崎に残っているから、ここには白蛇を信仰している人がいるの。逸話だね」
「そういえば、そんな話があったな。滅多に場所を動かない蛇が。その時は動いて」
「『白蛇を信仰している人』って、言っているけど、本当は、屋水とわけるものではないんだよね。屋水を信仰している人って、言い方しないでしょ?」
「そうだな。聞いたことないな」
シュリは頷く。「どっちも、大湊、だからね」
屋水の生まれだけあって、シュリはその辺に詳しいようだ。彼女は別へと視線を向ける。
「いま、『屋水姫』を探しているんだって」
「それは、白蛇がか?」白鈴は思い出す。若く健康な女を食べている。先日、ヒグルが言っていたことだ。「ああ、聞いた。何年前からかは知らないが、毎年、若い女を集めては、その中から選んで、食べているらしいな」
「疑いたくないけど、『探してる』って、それって本当なのかな」
「
「詳しいことはなんにも知らないよ。直接、枯れ谷まで尋ねにいったわけでもないから。でも、白蛇の名を使って、人を騙して、よくないことをしている人がいるって、話も聞くからね。実際に、もう、二人も選ばれてる。一人は駄目だった。二人目も、要求は変わらない。そうして今年も、『誰かが選ばれる』。おかしいって、疑いたくもなるよ」
『屋水姫』を探している、か。白鈴は思う。一人では終わらなかったのだ。三人で終わらないと考えるのも自然である。相手は、枯れ谷に住まう大蛇だ。
「うん? あれって」シュリは徐に歩き出した。
「どうかしたのか」
「信仰してる人。巫女とか神職ではなくて。うんと、信徒?」
男が三人ほど立っていた。立ち話をしている。その中の一人は腕を組んでいる。
「なんだろ? 鬼の話をしてる?」
『鬼』と間違いなく一人の男が口にしていた。身振りは、泥棒にでもあったかのようで。
「あのう。どうかしたんですか?『鬼』って言葉が聞こえて」
「おっと。聞こえちまったか。これはすまんな。怖がらせてしまったか」
「いいえ。えっとそれって、さっきも通りで話してる人がいたけど、巨大な骸骨の」
「ああいや、ちがう。まあ、それもあるが。馬の鬼のことをな」
「馬の鬼? 『馬の鬼』って、それって」
「待て。その前に」若い男は、鋭い目つきをしていた。「お前たち、見ない顔だな」
「だからなんだ」白鈴は相手の反応から懸念して答える。
「西尾さん、いくらなんでも、警戒し過ぎじゃあないですか。会う人会う人、そんなに攻撃してどうするんです」
「攻撃なんかしていない」
「してますよ。なあ」
彼は性格を指摘しているような口調である。なんでそんな言い方しかできないのかと。
「それは、うん。ちょっと、俺には、どうとも言い難いところだが」
「二人も、怖かったよなあ。この子なんて、健気なもんだ」
「まあ、まあ。それで?」
シュリは落ち着かせようとしている。ここで喧嘩が始まっても嬉しくはない。
「えっと、どこまで話したっけ?」
「首のない馬について、話そうとしていた」西尾が言った。
「そうだったな。それでその馬の鬼が、この紙崎で、よく見かけるようになってな。それ以来、紙崎では鬼が増えて困ってる」
「『首のない馬を見るようになって』、それから、『他の鬼もよく見るようになった』ってこと?」
「骸骨のせいかもしれない。だが、おおかた、あの馬ではないかと睨んでる。ここではない別の村でも、そんな話を聞くしな。首のない馬を見たと」
「最近だと、この辺りで、それもとても近い、夜中に凄まじい鬼の怒声が聞こえる」西尾が言った。先程とは打って変わって、いくぶん言葉が柔らかい。
「ふろろろろお、って感じだ。あれは聞けば、大人でも魂消るぞ」
「怒声。もしかして、二本足で立つ馬の鬼かな?」
「ツバメを殺せば、盲目になるとか、そういうのに近い感じなのかな」
「いや。違うと思う」
白鈴は彼らのもとを離れてから、山道へと向かう。町にはこれといって用事もなく、どこにも寄らず通り過ぎようとしていたところ、有用な情報を聞く機会があった。
「そうかな。馬の鬼が、鬼を運んできた。とも考えられない?」
「おい、お前たち」
男の声に反応し、白鈴は振り返る。誰かと思えば、そこに立っていたのは西尾だった。
「あれ? なんで。どうか、したの?」シュリは不思議そうな表情をする。
「さっきは、すまないな。あんな言い方をして」
「いいえ。そんな。気にしないでください。事実、私たち、はゆま村から来たので」
「はゆま村? はゆま村って、あの『はゆま村』か。お前たち、二人でか?」
「屋水に寄って。ね?」
「ああ」と白鈴は簡潔にそう答える。女二人と思うと、おかしなものではあるが。
「屋水から。なるほどな。そうか」
西尾は細かい部分までは探ろうとしなかった。ぼろきれのような過程で彼は満足する。
「あの、白蛇の信仰者、ですよね。困ったことでもあったのですか? 鬼のことではなく」
西尾は何も言わなかった。意図を知ろうと、シュリを見詰めている。
「ああ、ごめんなさい。言えないなら、それでいいので。さっき、『警戒』とか、『会う人会う人』って言ってたから。気になっちゃった。それだけなので」
白鈴は傍らで、この男の違和感に目を向ける。白蛇。信徒。鬼。馬の鬼。
「じつは、身近なところで、胡散臭いというか、妙に信用できない相手がいてな。原因はそれだ」
「だから、『警戒』。うん? それは、要するに」
「内部のはなしだ」
「それ、私たちに話して、平気?」シュリは身構えて聞く。周囲に人はいない。
「問題ない。俺が、ひとりで疑っているだけだ。そいつが、どうにかなるわけでもない」
「聞いていいなら、いいんだけど」彼女はほっとしていた。
「ただ、時期が時期だからな。そいつは、つい最近、生贄として自ら立候補してきた」
自ら、とシュリは呟く。「えっと、信徒の振りをしているかもってことだよね。どういう目的かは、わからないけど。それで、他の人は、『その人』のことをだれも怪しんでいない」
「他の誰かに話しても、『いい人』って答えが返ってくるから、そうなんだろ。そんなんで、本気で、枯れ谷の巫女のもとまで連れていくつもりなのか」
白鈴は少し考える。「どんな人間なんだ?」
「えっ?」
「話してみればいい。この二人でいいなら」
西尾は、そこにいる女二人を眺めた。一人のほうは年若く初対面でも接しやすい、もう一人は子供にしては侍の女房のようでもあって、健気とはよくいったもの。
「そうだな。金髪で、髪が長く」
「金髪か」
「珍しいね」
「背が、高いな。その体つきも、ひどく痩せてるわけでもなく、太っているわけでもない」
白鈴は髪の色を聞いたときに、ヒグルの顔が思い浮かんだ。彼女は髪も長い(体つきだって、よく知っている)。目黒と共に、一番月見櫓から城下町には戻れたのか。
段々と、白鈴は、その女とは「ヒグル」のことではないかと思えてくる。特徴的な髪だ。
「あとは、そうだな、同じことを言うが、自分から立候補しにきた女だ」
「それは、本人が望んでいるのは、珍しいことなのか」
「いいや。だが、選抜されるために集まったほとんどの者は、なにかしらの訳がある。心を決めている。実際、そういうものだろ」
『その女にはない。』詳しく話を聞けば、西尾はそう感じているようだった。その女は白蛇に食べられることに、これといって理由はない。物事に悲しみを窺える表情はあっても、他の者たちと比べて、あるはずのものが圧倒的に足りない。
尽くす者。太陽のように明るく振る舞う女にもどこかその陰にはあるもので、これまでにいた、気丈に振る舞い、他者を元気づけようとする女にもあった。
彼はべつに、集まった女たちから、ひとりひとり理由を尋ねたわけではない。
白蛇信仰者のなかでも、「白蛇の名を使って、悪い事をしている者がいる」というのは、よく知っているようだった。蛇の呪いだ、なんだ。その金色の髪の女が、集まった女たちをどうにかしようとしているのではないかと彼は心配している。
正常な判断ができていればいい。ある日、突然、姿を消したりはしないか。
西尾が帰り、二人は歩き出す。
大湊への山道には向かっている。
「『屋水姫』を探しているのではなかったのか」白鈴は立ち止まり独り言のように言った。
「どういうこと?」
「あの男の話では、もう少し『大人』がいるように聞こえた。十二とかではない。『十二』、そのくらいの女を集めて、枯れ谷で白蛇に食わせているのかと思っていた」
「年齢は決めているわけではないみたいだよ。これまでの二人だって、最初は確かに歳は十二になろうとしていた女の子だったけど、二人目はもう少し歳は離れていたと思うから」
「そうか」白鈴は考える。彼女の姿が消えなかった。「では、ヒグル、なのか?」
「ヒグル? それ名前? だれ?」
「なんでもない。気にするな。急ごう、日が暮れる」
「教えなさい。ダメ、白鈴」シュリはそう言って、体を使って行く手を阻んだ。
言わずでは通れない。白鈴は相手を見て、どうにもならないだろうと観念する。
「城下町の東にヒグルという名の女が住んでいる。占いが得意で、髪の色は金色だ」
「その人は、友達? それとも」
彼女は黙った。なんと答えるのが正しいのか。手を差し伸べてくれた人。
そこに横たわるものが鬼であると知っても、親切にしてくれた人。大湊城から逃げ出したばかりで、思うようには体が動かなかった。風呂はどうだと言われ、服を与えられ、食事を用意してもらい、戦うための刀を借りた。鬼ではなく人として接してくれた。
「うん。確かめよう」
「きっと人違いだ。ヒグルが、ここにいるというのがよくわからない。ヒグルは、まず、白蛇の生贄の話をよく思っていなかった」
「とにかく調べてみよ。確かめよ。別人なら別人で、それでいいわけだし」
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