穢れているもの

 


 自分に厳しい人間は好きじゃない。


 その厳しさは、いつか必ず他人に向けられるからだ。


「生まれた時から、人が怖かったであります」


 フィアの言葉は、自らの恐怖を語りだす。


「初めは両親。隣人や、学友。見知らぬ他人も、尊敬する、偉人達も」


 例外などなく、怖くてたまらないのだと。


「自分の軟弱ぶりに、みんな呆れていたであります。これでは才能の持ち腐れだと」


 生まれた時から、周りに期待をされていたフィア。


 両親には才能がなかったので、全ての希望はフィアに集められた。


 幸か不幸か、戦う才能には不自由しなかった。いやむしろ……。


「六歳のころにはダイヤモンドを切り裂いた自分に、お婆様は多大な期待を寄せていたであります。それと同時に、どうしようもない自分に絶望も」


 身勝手な話だ。


 誰だって強さと弱さが、同居しているものだろう。


 恐ろしいほどの剣の腕と、両親にすら恐れを抱く心。


 その両立は不自然じゃない。むしろ、当たり前の人間性だ。


「そんな時に、初めて大統領の孫としての公務が、訪れたのであります」


 仕事自体は大したものではなかったけど、子供ながらに、おしゃれをした。


 きっちりとした服を着て、美しくキレイな服で着飾った。


 その時に、奇跡が起こったのだ。


「不思議だったであります。汚れ一つない、純白の洋服。身が引き締まるような、身に余る美しさで……」


 いつの間にか、全ての恐怖は消えていたのだ。


 そこからのフィアは、革新的だった。


 圧倒的な強さと、努力による賢さ。幼いながらも威厳を身に着け、大統領の孫に相応しい器だと評されていた。


 誰もがこの国の未来に希望を抱き、尊敬する祖母からは、次の後継者に相応しい存在だと。


「そんなものは、驕りだったのでありますよ」


 きっかけは十二歳のころ。一つの戦争により、罪が暴かれた。


 その戦争は異種族との小競り合いで、大したものではなかった。


 同年代の優秀な子供が集められて、実績を積むために勝てる戦に参加しただけの話。


 そんなつまらない話の中に、全てを覆すなにかが隠されていたのだ。


「自分はいつものように、美しい衣装を纏っていたであります。戦だったので、今のように軍服でありましたが」


 その時のフィアは圧倒的だった。


 怖いものなどなく、辛いものなどはない。ただただ事務的に、祖国に害為す存在を殲滅していたのだと。


「……その戦の終わり間際。近くにいた学友が、怪我をしたであります」


 敗北を悟った、異種族たちの最後の悪あがき。


 その牙は、フィアには届かない。でも、その周囲には届いたのだ。


「その傷は大したものではなく、かすり傷程度のものだったであります。心配した自分は、彼に近づき、その傷を塞ごうと……」


 真っ赤な傷跡に触れた瞬間、全身に怖気が走ったのだと。


「血が怖かったわけでは、ないであります。戦いに恐怖を覚えたわけでも、ないであります」


 では、いったい何が怖かったのか。怖気が走るほどの恐怖とは、なんだったのか。


「この純白の手袋が、赤く染まったことに恐怖を感じたのでありますよ。一切の穢れのない、この軍服が汚れてしまうことが、なによりも怖かったのであります」


 そこで思い出したのだ、自分は臆病者だったことに。


 なんでも出来て、誰もが尊敬する自分なんてまやかしで。実の親ですら怖くてたまらない、小心者が自分の正体だと。


 穢れを忘れることで、汚れなんて知らないと言い張ることが出来た。


 それでは、穢れを思い出したら……。


「世界の全てが、穢れに満ちていることを、思い出したのでありますよ」


 ここで話は立ち返る。


 そもそも、だ。何故小さかったフィアは人間が怖かったのだろうか?


 両親が怖い。隣人が怖い、学友が怖い。それは、何故だったのだろうか?


 それは明白だろう。フィアにとって、この世の全ては穢れて見えていたのだ。


 醜いものが嫌い、汚れたものが嫌い。


 なるほど、ぼくも同じだよ。そこだけを切り取ればな。


「度を越した潔癖症だと、お医者様から言われたのであります」


 フィアの抱える、とても大きな問題の正体。


 それは誰もが持っている、些細な心の病。


 だからこそ、完治するのは難しい。


 一生抱えながら生きていける、割と致命的な難題だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る