天狼の長

 


 ああ、これはいい。あんな大きな塔に登るのは大変だなあと思っていたのだが……。


 狼とは侮れないものだ。


「おお、ちっとも疲れない」


 もう十分以上全速力で走っているが、息が乱れるどころかちっとも疲れない。


 もう人間に戻るのはやめようかな。


「……マスター、変なことを考えていませんか?」


「失礼な、ぼくはいつだって真面目で! 素晴らしいことだけを考えているとも!」


 楽しくてハイになっているので、ついつい大きな声で叫んでしまう。


 と言うか、話しかけてくるな。


「そういえば、片目の狼はどこにいった?」


 いつの間にか、姿が消えた。


「この塔を登り始めてから数十秒で、置いてけぼりにしましたね。それにしてもこの塔はどれだけの高さなんでしょう。当然と言えば当然ですが、外観と中身が全く違うようですね」


 まあ、人間の学院ですら中身はそんな感じになっているし。


「しかし、驚きましたね。一応マスターの姿は白狼族をモデルにしているはずなんですが……」


 それなのに、白狼族ではないと断言された。


 まあ、どうでもいいことだ。


「それにしても、面白い塔だ」


 入った直後から学院など比べ物にならないほどの階段が始まり、一定間隔で広大な広間がある階に辿り着く。


 そしてまた、新しく階段を登るの繰り返しだ。


 まるでアスレチックのために存在するようだ。


 この中にはたくさんの狼が住み着いているが、広間ではなく階段で寝転んでいたりするのが本当に面白い。


「見えた」


 さっきから階段でたむろする狼共がいないと思っていたら、おそらく頂上と思われる今までの数倍はある扉が見えた。


「マスター、一度とま……」


「もう遅い!」


 ぼくの四本足は決して勢いを止めることなく、どころか加速して扉を突き破った。


「ああ、楽しかった」


「なんだい、あんたは?」


 ぼくが一息を吐くと、扉を開いた先にある広間の奥から誰かの声がした。


 かなり高い位置にある部屋のはずなのに、一メートル先も見えないほどに真っ暗だった。


「そっちこそなんだ?」


「……いい度胸だね若造、あたしは天狼族の長だ」


 へえ、それはいい。


「マスター、進みましょう」


 ぼくに追いついたフルーツと共に、暗闇の中をゆっくりと歩いていく。


「おっきいなあ」


 見えてきた姿は、この広大な部屋に相応しくあまりにも大きな狼だ。


 座り込んでいる姿なのに、十メートルを超えているかもしれない。


「あんたらが若いのが言っていた、外から来た同族だね?」


「そうだ」


 と、思う。


「片目の奴がいないようだが、どうしたんだい?」


「知らん、まだ階段を登っているんだろう? あまりにも遅いから置いてきてしまったよ」


 楽しすぎて、気にもしなかった。


「そうかい、だが都合がいいかもしれないね。そっちの黒いのは、狼じゃないね?」


 その見識に感心し、口笛を吹いて称賛したい気分になる。


 そして、フルーツが無表情を崩さずに返答を返す。


「なんのことですか?」


「舐めるんじゃないよ、あたしはこう見えて千年を軽く超えるほど生きているんだ。同胞かどうかくらい見抜けるさ。まあ、人間じゃないみたいだから強引なことはしないよ」


 たかが動物のくせに、どいつもこいつも深い知性を持っている気がする。


 これでは、人間よりもマシかもしれない。ぜひ、見習ってほしい。


「そっちの小僧は、よくわからないね。一体なんなのさ?」


「当ててみろよ、千年以上生きているんだろう?」


「ふん、わからないものはわからないよ。人間のようでもあり、あたしたちの同胞のようでもある。だが、どちらも違うのだろうね。それどころか生物かも怪しいものだ」


 無機物だとでも言いたいのだろうか?


 ……それでも別にいいけど。


「残念ながら、ぼくにもよくわからない。けど一応は人間のつもりだよ」


「人間? それは有り得ないだろう? あんたからは人間特有の禍々しさが一切感じられない」


「じゃあなんでもいい。面倒だから狼だと思っておいてくれ」


 誰かが言っていたが、人間らしさとは欲望や感情のことらしい。


 ぼくにはそれがないと言いたいのか。


「まあいい、それで要件は? あたしたちの同胞になりたいわけじゃないんだろう?」


「率直に言う、あんたらは人間と手を組んでいるのか?」


「マスター!」


 ぼくの直球な言葉に、流石にフルーツが抗議の声を上げる。


 当然と言えば当然だ、疑っている相手の一番偉い奴にこの場で殺されてしまってもおかしくないような質問をしているのだから。


「……知らないね、何か根拠でもあるのかい?」


「そんなのはわからない。でもお前たちは怪しいんだ」


 ぼくがはっきりと言葉を投げかけると、狼の長がうなり声をあげる。


「有り得ないよ! あたしたち天狼族が邪悪な人間どもと手なんて組むものか!」


 なかなかいいことを言う。確かに人間は動物よりも邪悪なのかもしれない。


 少なくても、この星に必要のない被害を出すのはいつだって人間だ。


「それなら、ここには用がない。今すぐに出ていくよ」


 ぼくはフルーツを連れて、狼の長に背を向ける。


「待ちな! ……あんたらのことは同胞にしておく。用があったら尋ねてきなよ」


 予想外の好意的な言葉だった。


「どういうつもりだ?」


「身に覚えのない疑いをそのままにはしておけないし、あんたは面白い。そっちのと違ってこのあたしに一片の恐れすら抱かないし、綿密な計算の上に成り立った馬鹿正直さ。そしてその存在そのものが」


 ……成程な、こいつはぼくが何故こんなにも無謀な質問をしたのかという意図を正確に理解しているらしい。


 それにしても、この人形はたかが狼ごとを怖がるとは。


「気が向いたらまた来るよ。この塔は気に入ったし、今度はその背中に乗せてもらうことにする」


 ぼくとフルーツは、狼の長の笑い声を聞きながら広間を出て行った。

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