第四章 第三話

「警護の武官を増員させる。これからはねこの子一ぴきしんにゆうさせるな。それから逃げた賊を探せ」

 苑紫は、数十人の武官達に向かって声を上げた。

 桜教殿の警護を任されていて、かんぺきな警備をいているはずだった。

 だがそれをすり抜けて賊が侵入したのだ。

 その賊に緋蝶が襲われた。とんだ失態だ。緋蝶は命に別状はないが、腕に怪我を負っていた。

 手当てした橙幻によると、出血の割に傷は浅いので心配はないらしい。

 だがどんなに軽くても、緋蝶に怪我をさせる失態をおかした自分に腹が立っていた。

 武官を所定の位置につかせ、一人になって賊がどうやって侵入したのか考える。

「……苑紫。お前がさいはいした警護をすり抜けるなんて、賊は大したものだ」

 背後から声が聞こえて、振り向いた。近くに艶のある藍色の髪をした男が立っていた。

「暁、気配を殺して近づくな。うっかり切ったらどうするんだ」

 けんじゆつではこく一だと言われているが、そんな自分が気づかないうちに近づける暁も、大したものだと感心した。

「考え事をしているようだったから、じやしては悪いと思って」

 かたすくめた暁に向き直った。

「緋蝶を助けてくれたようだな」

「母上に呼ばれた帰りに、たまたま襲われているあいつにくわしたからな。さすがに素通りできないさ。それより、お前の警護は完璧なはずだ。見張りがなまけてたのか?」

 それはちょうどいま考えていた事だった。

「調べたが全員まじめに仕事をしていた。正直に言うがどこから賊が侵入したかわからない。茜の話によると、やつらは漆黒団だと名乗ったそうだ。じよていや次期女帝を狙う彼らによる暗殺すいは、以前から何度も起きている。だから、桜教殿は特に警護を厳重にしていたのに」

 暁があごに手を当てて考え込んだ。

「その警護をすり抜けて、白昼堂々桜教殿に賊が侵入した。それはつまり……」

 暁が考えている事はわかっていた。だからその言葉を引きぐ。

「……手引きした者が、この桜教殿にいるという事だ」

 じようきようを見るとそれしか賊が侵入できる方法はなかった。暁もうなずいて、視線を鋭くした。

「しかも賊は三人いた。武官や下働きの使用人では、あの人数を目立たせず桜教殿に入れるのは無理だろう。桜教殿でそこそこの力を持つ者の協力があったはずだ」

「ああ、げた賊はまだ捕まっていない。おそらくもうここにいないから見つからないんだ。つまり、協力者が賊を逃がしたという事だろう。そんな事ができるのは──花賢師だけだ」

 考えていた事を整理して伝えると、暁は驚いた様子もなく、ふっとみをかべた。

「俺もそう思う。だったらその協力者は俺かもしれないし、お前かもしれないな」

 ちようせん的な目つきだった。しかしそんな挑発に乗るほど、おろかではない。

「……早急にそれがだれかをき止めないと。今度は怪我だけではすまなくなる」

 腕組みをして考えていると、暁がふいに目をそらした。

 そして何か言いたそうに口を開いては閉じる動作をする。

「何だ?」

「いや、別に」

 暁が背を向けようとした。その姿とさきほどの会話を思い出して、ある事に気づく。

「ああ、もしかして緋蝶の怪我の様子を聞きに来たのか? ずっと姿も気配も消していたお前が、わざわざ私の前に出てくるなんておかしいと思った」

ちがう」

 答えが速くて驚くほどだ。その返事の速さが図星を指されたからだと想像がついた。

「橙幻がすぐ手当てして出血はもう止まったし、うまくいけば傷痕も残らないそうだ。二、三日休むよう言ったが、緋蝶は明日あしたからまた教えをさずかると張り切っている。心配だったか?」

 暁がぶつちようづらでこちらをにらんだ。

「心配なんてしてない」

「なるほど。そういう事にしておこう。……暁、しきまでもう時間がない。緋蝶にまつりごとの教育をしてやってくれ。このままだと緋蝶の命が危ない」

 暁に会えたら言おうと思っていた事だ。幸いな事に、暁はどうやら緋蝶を気にかけているようなので、説得を試みた。彼に向かって頭を下げる。

「お願いだ。あの子の生死は暁にかかっている。女帝制度に反対なのはわかっているが……」

 暁の事情もわかるので、聞き入れてもらうには時間がかかるだろうと思っていた。

 暁はしばらく考えていたが、やがてこちらに目を向けた。

「……教育はしてもいい」

 聞き間違えかと思わず耳を疑った。驚きすぎて言葉を失っていると、暁が話を続ける。

「母上に緋蝶の力になってと泣き落とされた。女しか皇位につけないのは納得できないが、母上の言う通り挑戦する機会ぐらいあたえてやってもいい。……あいつは賊に襲われてるのに、必死でにようぼうかばってた。そのせいで腕を切られたのに、それでも女房を逃がそうとしていた」

 感心しているような顔付きだった。暁が話を続ける。

「なかなかいい度胸だった。その度胸に敬意を表して、儀式まで教育につきあってやってもいい。それで儀式を失敗するようなら雫花帝になる資格はないだろうし。それにあいつが雫花帝にならないと、竜神はこの国を去ると言っているようだ。それでは、また日照りが起こってたみ達が苦しむ事になるだろう」

 ようやく暁がその気になってくれたようだ。もう一度頭を下げた。

「ありがとう。これで緋蝶が生き延びられる可能性が出てきた」

「お前がそんなに喜んでいる姿は久しぶりに見た。……はつこいしばられすぎじゃないか?」

 ふいに暁が口にした言葉に、苑紫の顔がかっと熱くなった。

「何を言っている。私はそんな……」

「明日、緋蝶に蔵書室に来るよう言え」

 その話を知っているのは、もう数人だけだ。

 し返されて顔から火が出そうだ。

 苑紫が口止めをしようとしたが、暁はさっさとその場から去って行った。


    ● ● ●


 緋蝶は蔵書室の前で、大きく深呼吸した。

「今日こそはいらっしゃるのよね。暁様が教育すると言っていたと苑紫様がおつしやってたし」

 暁の気持ちにどんな変化があったのかわからないが、これでようやく政の教えを授かれる。

 気合いを入れつつ、大きく息を吸い込んだ。

「失礼します!」

 声をかけたが返事はなかった。どうしようかと思ったものの、そっと戸を開けてみる。

 中はしんと静まり返っていた。一歩足をみ入れて、中を見回す。

「まさか、今日もまたいらっしゃらないのかしら……」

 気が変わったのかもしれないとうなれたが、すぐに顔を上げる。

「ううん、教えを授けてやろうって気に一度はなってくれたんだから、また機会はあるはず。めげずに通おう。よし、今日もここで一人で勉強しよう」

 蔵書室に来れば、いろんな書物がある。政治についてはちんぷんかんぷんで、何を読めばいいのかもわからないので、苑紫や東雲にすすめてもらった本を読むようにしていた。

 おかげで紗和国の歴史や地理など、少しずつではあるが理解できるようになってきた。

「昨日読んでいた本は……」

 歴史書を手にすると、ふいに背後から声が聞こえた。

「それじゃなくて、こっちにしろ」

 あわててり向くと、暁が立っていた。彼はたなから本を一冊取り出した。

「儀式まであと半月ほどだ。歴史書なんかのんきに読んでいるひまはないぞ。政についても、すべてあくするなんて当然無理だ。付け焼きで乗りえるしかない」

「ええっと……それはつまり、儀式に向けて教えを授けてくださるという事ですよね?」

 いままで会う事すら難しかった暁が、目の前にいるのが何だか信じられなかった。

 暁は仕方なさそうに肩を竦める。

「やるからには、てつてい的にやるのが信条だ。俺が教えたのに、貴族どもの質問にしどろもどろで答えるなんてみっともない真似まねはさせない。る間をしんで勉強しろよ」

(みっともないって、最初からちゃんと教えを授けてくれていたら、少しはましだったんじゃ……。いやいや、ぜいたくを言ってはいけないわ。やっとその気になってくれたんだもの)

 心の声をぐっと飲み込んで、大きく頷いた。

「死ぬ気でやります。どちらにしろ失敗したら、命はないので」

「いまの台詞せりふ忘れるなよ。俺は厳しいからな」

「はい、よろしくお願いします!」

 頭を下げると、暁が蔵書室の奥に向かって歩き出した。ついていくと奥にある戸を開く。

 そこはたたみの間になっていた。づくえの前に座った暁の前にこしを下ろす。

「付け焼き刃って仰いましたよね。それって具体的にはどんな事をするんですか?」

「儀式に招待される貴族達はもう決まっている。お前に質問するのが誰なのかもな。それぞれ得意分野にもとづいた質問をしてくるだろう。それを俺が予想したから、解答を丸暗記しろ」

 あっさりと言われて、思わず身を乗り出した。

「質問を予想するなんて、可能なんでしょうか?」

「ああ、質問する貴族どもは頭の固いご老人ばかりだ。そういう奴らは、話す事も聞く事も大体いつもいつしよだ。だが、聞かれる可能性がある質問と答えを書き出したら、けっこうあった。あと半月ほどで覚えるのは大変だが、それができないようじゃ花蕾東宮にはなれないぞ」

 暁が文机の上にあった紙束を差し出した。

「ここに予想される質問と解答をすべて書いておいた。これを暗記すれば、貴族達の質問は乗り越えられる。せいぜいがんれよ。じゃあな」

 立ち上がろうとした暁を慌てて引き留めた。

「待ってください。もしかして、これで終わりですか!?」

「暗記するだけなんだから、俺はいなくてもいいだろう」

「確かに時間がないのでこれは暗記しますが、この質問に対する答えの意味を知りたいです。これだけわたされても、解答はできるけど理解した事にはならないので」

「全部理解して覚えていたら、儀式までには間に合わないぞ」

「無理なのはわかっています。でも少しでも内容を理解したいんです」

 暁は大きなため息をついた。

「いいか、雫花帝は政治なんか理解していなくてもいい。りゆうじんを紗和国にとどめておくためのただの生けにえなんだから」

 あまりの言いように、思わずまゆを寄せた。

「どういう意味ですか?」

「言葉の通りだ。いまの雫花帝を見てみろ。じよていだなんて祭り上げられたって、実際に政治にかいにゆうできない。そんな事をしたらかんどもが〝主上、わずらわしい事はわれらがいたします〟って止めにかかる。女しか皇位につけないと言っても、結局政治を行うのは官吏である貴族達だ」

 暁の声には、強いいきどおりが感じられた。

「竜神が皇族のひめの血筋にこだわるから、みんなに持ち上げられているだけだ。母上だって、周りから女の子が産めなかった、身体からだが弱くて公務にえられないとかげぐちたたかれて、政で何かあれば責任だけ取らされて、いつもつらい思いをされている」

 声には、いかりとともに苦しさが混じっていた。視線はわずかにれている。

(主上を心配しているんだわ。一人息子むすこなんだもの。当然だわ。もしかして、女帝制度に反対の立場をとっているっていうのは……)

「主上が責められるのを見ていられないから、女性しか皇位につけない事に反対なんですね」

 暁がはっとしたように、こちらをえた。

「……余計な事を話しすぎたな。とにかく女帝なんてただのおかざりで、政治なんて学んでも何にもならない。俺だって、みかどとしてふさわしいなら男だろうが女だろうが認めるつもりだ。しかしいまのだいだいは、竜神がなつとくする皇族の姫なら、だれでもいいから女帝として祭り上げようとしている。それがまんならないんだ」

 暁が大きく息をついた。

「いいか、な事はするな。どれだけ勉強して雫花帝になっても、その能力は貴族達からするとじやなだけだ。あいつらは自分達の思い通りになるお人形がほしいだけだからな」

 その言い方がどうにも納得できなかった。

「無駄かどうかは学んでから決めます。覚えるにしても意味を理解して覚えた方がやりやすいです。何も知らないままでは本当にただのお人形になってしまいます。だからお願いです!」

 頭を下げると、暁がぶつちようづらになった。

「……をしているだろう」

 小声だったが、しっかり聞き取った。それがぞくおそわれた時に切られたうでの事だと気づく。

 いままでの暁の言動を、頭の中で整理してみた。

「ああ、わかりました! わたしの事も心配してくれてるんですね。だから、無理せず休みながらでも覚えられるように、紙に質問と解答を書いてくださったんでしょう。これだけ書き出すのはきっと大変だったと思います。おづかいありがとうございます」

 暁は腕組みをしたまま、わずかに目をそらした。

ちがう。お前に毎日来られたらめいわくだからだ」

(うん、むっちゃくちゃわかりにくいけど、わたしの事を心配してくれてるわ。橙幻様と月白様が仰ってたけど、めんどうがいいんだわ。だったら……)

 にっこりみをかべた。こういう人は押して押して押しまくるに限る。

「でも毎日来ますよ。午前は東雲様と月白様から教えをさずかるので、午後に参ります」

「待て待て、俺の話を聞いていたか?」

「はい。休みながら覚えられるよう紙に書き出してくださったのは感謝しますが、知識は知らないよりは知っている方がいいと思うんです。だから時間がある限り教えてください」

 ふいに表情を引きめた。そして改めて、畳に両手をついて頭を下げる。

しきを絶対に成功させたいんです。暁様だって、自分が教える以上はみっともない真似はさせないとおつしやってました。怪我はちゃんとりようしながら教えを授かるので、お願いします」

 顔を上げると、暁があきれた顔をしていた。

「……なるほど。お前は月白と仲良くなれるはずだ。その前向きすぎて鹿なんじゃないかと思うぐらいのところがそっくりだ」

「いまのは月白様ぐらいじゆんすいだとめたんですか? 単純馬鹿だとけなしたんですか?」

 首をかしげると、暁が頭をかいた。

「もういい。お前には何を言っても無駄だ。お前が雫花帝としてふさわしくなれるかどうかきわめてやる。その為にもお前に教育して儀式にちようせんする機会をあたえてやろう。弱音をくなよ」

 どうやら、やっとその気になってくれたようだ。一安心したが、すぐに気を引き締める。

 ようやく出発地点に立てたが、無事に最後まで走りきれるかは自分の努力にかかっていた。


    ● ● ●


「ありがとうございました」

 東雲を前にした緋蝶は、両手を畳に置いて、ゆっくりと頭を下げた。

「ずいぶんれい作法が身につきました。これなら、儀式は何とかなりそうです」

 その言葉がうれしかった。もう一度頭を下げると、東雲が何か思い出したようにはっとした。そして近くにあったたなから白いぬのぶくろを取り出す。

「緋蝶、おそくなりましたが、しきにあったあなたの荷物を持ってきてもらいました。どうぞ」

「わぁ、助かります。兄からもらったせんだけは手元に置いておきたかったんです」

 荷物を受け取って白い扇子を取り出した。広げると、ほととぎすと梅の花がえがかれている。

「兄さんは絵が得意で、これも兄さんが描いたんです。これがあれば、また会えるような気がして、ずっと大切にしていました。本当にありがとうございました」

「いいんです。昨日父が様子を見に来たので、ついでに持って来てもらっただけですから」

だん様が見えられたんですか? ごあいさつしたかったです。お元気でしたか?」

 東雲の父を思い浮かべる。いつもにこにこしていて、やさしい人だった。

 身寄りがなくて特技もない自分でもやとってくれて、屋敷に住まわせて働かせてくれた。

「元気そうでしたよ。桜教殿には入れないから、門のところで荷物を受け取っただけで、私もゆっくり話すひまはなかったんですが。父も緋蝶が女帝候補になったと聞いて、とても喜んでいました。一族の再興の為にも緋蝶に気に入られて夫になるよう、こっそり耳打ちされました」

 東雲がしようしている。夫になるという言葉を聞いて、つい顔が赤くなった。

(そうよね、東雲様も夫君候補の一人なんだわ。でも、東雲様とけつこんなんて……)

 想像してみただけで、息もできなくなるぐらいずかしくなった。

(まてまて、わたし! とりあえず、儀式が無事に終わるまでは、夫とか結婚とかそういうのは考えないようにしよう。儀式が無事にすまないと、夫どころか命もないんだし)

 何とか気持ちを落ちつかせて、東雲にそっと目をやる。彼は微笑ほほえんでいるが、目は何かを考えているようにせられていた。そういえば、と思い出す。東雲達の家族はほんの疑いで、島流しにあっていた。無実のしようが出て都にもどるのを許されたが、東雲の父は出世の道をざされていると聞いていた。だから東雲が夫君候補に選ばれた時、彼の父は大喜びだった。

(旦那様に、わたしに気に入られて夫君になるよう、こっそり耳打ちされたって言ってるけど、本当はけっこうきつく言われたのではないかしら。桜のうたげの時も、しんせきの方々に必ず主上に気に入られるようにと言われてたし)

 彼の父親が謀反の罪を着せられたせいで、一族はかたせまい思いをしているという。

 だからこそ、一族の期待は竜神に選ばれた東雲に向けられていた。

 桜の宴の時も親戚から𠮟しつげきれいされて、東雲は笑顔で応じていた。

 だが彼のひとみには、一族の期待という重圧にさらされているせいか苦しそうな色がうかがえた。

 こんな時に何も言えない自分が情けなかった。じっと見つめると、東雲が笑みを浮かべる。

「そんな心配そうな顔をしないでください。私はだいじようです。まず儀式を成功させる事を考えないと。そういえば暁から教育を受けられるようになったと聞きましたが、本当ですか?」

 東雲はおだやかな表情だ。助けてもらってばかりで彼の為に何もできない自分ががゆかった。

「……はい。数日前から午後はまつりごとの勉強をしています」

 東雲がおどろいたような顔をしたので、首を傾げた。

「何か?」

「いえ……暁はじよてい制度に反対していて、教育をきよしていると聞いていたので」

「最初はそうでしたけど、いまは熱心に教えてくださいます。口は悪いし、態度もあまりよくないんですけど、案外いい人なんです」

「いい人? 暁がですか?」

「はい。わたしが儀式を無事に通過できるように、貴族の方達がしてくる質問をすべて予想して、その解答集まで作ってくださったんです。それにわたしが左腕を怪我しているので気遣ってもくれて。昨日なんて字を書こうとしたら、ぶんちんをさりげなく持って紙に置いてくれたんです。腕をなるべく動かさなくてもいいように考えてくれたみたいで」

 左腕を上げるのもまだ痛むから、とても助かった。

「暁様はぶっきらぼうだけど本当は優しい人だと思います。何度も助けてもらっていますし」

 微笑むと、東雲が小さくうなずいた。

「そうですか。それはよかったです」

 話していると、背後にある戸ががらっと開いた。

「緋蝶、苑紫が昼食の用意ができたよって」

 顔を出したのは、月白だ。東雲が困ったような顔をした。

ぎようが悪いですよ。あなたほどの人が作法を無視するのは、はんこう期だからですか?」

「子どもあつかいするなよな」

 月白が口をとがらせた。彼はいまではすっかりみんなと仲良くなっていた。

 もともと人なつっこいし裏表がないので、可愛かわいがられているようだ。

「今日の昼食はなんでしょうね。とっても楽しみだわ」

 苑紫が作る昼食をみんなでいつしよに食べるのは、日課になっていた。

「苑紫の作るご飯、美味おいしいよな。何であんなにうまいものが作れるんだろ」

 首を傾げた月白に、東雲が微笑んだ。

「苑紫は食事だけでなく、どんなにがんよごれがついた着物でもれいせんたくできるし、彼の部屋はちり一つないぐらい綺麗だそうです。ひようしようでついたあだ名が家事の神様らしいです」

 強面こわもてでいつも厳しい表情をしている苑紫が、自室をそうしている姿を想像して、思わずぷっとき出した。同じく笑いをこらえている月白も、同じ想像をしているのだと察しがつく。

「笑ってないで先に裏庭に行っていてください。私は用をすませてから参りますので」

 月白と一緒に返事して広間をあとにした。歩いているとふと蔵書室がある建物が目に入る。

「暁様もいらっしゃればいいのに。美味しいご飯を食べられるしみんなと仲良くなれるのに」

 最近は毎日顔を合わせるので昼食にもさそっているが、なかなかいい返事がもらえない。

「俺も誘ってるんだけど、あいつ頑固だから一回行かないと決めたら、絶対に来ないんだよな。けんの練習にも誘ってるんだけど、本番には出るから大丈夫って言うんだよ。あいつは剣術がうまいからそれでいいだろうけど、俺はみんなで練習したい。立ち位置とかわかりにくいし」

 月白はあまり剣術が得意ではないと言っていた。そんな彼からしたら、本番一発勝負の剣舞なんて、不安だらけだろう。足を止めてしばらく考え込んで、きびすを返した。

「先に行っててください。わたし、暁様を呼んできます」

「あ、俺も行く。二人がかりで連れて来よう。あいつは引きこもりがひどすぎる」

 幼なじみという月白は、それなりに暁の事を心配しているようだ。

 二人で頷き合って、蔵書室に足を向けた。



 緋蝶は失礼します、と声をかけて蔵書室の戸を開けた。

 奥のかべぎわでは、暁が座り込んで本を読んでいる。

「何だ? まだ教育の時間には早いだろう」

「昼食のお誘いに来たんです。一緒に食べましょう」

 暁がこちらに目をやっていやな顔をしたが、気にせずに蔵書室に足をみ入れる。

 顔色を窺っていたら話が進まないと、にこやかに声をかけた。

「行きましょうよ。苑紫様の作ったお食事とても美味しいんです」

「俺は他人となれ合うつもりはない。さっさと出ていけ……うっ」

 暁がうめいたのは、戸から飛び込んできた月白がき付いたからだ。

「月白! いつも言っているだろう。急に飛びかかるな!」

「いいじゃないか。暁、一緒にご飯食べようよ。ねぇねぇねぇねぇ」

 耳元で何度もねぇをり返す月白の顔を、暁が手で押し返した。

「うるさい。お前ら二人そろって来るなんて、めいわく以外のなにものでもないんだぞ。お前ら、前向きすぎて嫌みも通じないだろう」

 そういえばと思い出す。暁に月白と似ていると言われた事を。

「嫌みは聞き流さないといけないですよね、月白様」

「そうそう、気にしたっていい事ないし。いやー俺達気が合うね。緋蝶」

 月白と笑い合っていると、暁が顔を引きつらせた。

「このちよう前向き人間どもめ」

 月白は暁が読んでいる本を取り上げて、みぎうでつかんだ。

「そう。俺達、超前向き人間だから、嫌がったってずかしがっているとしか思わないよ。お前みたいな引きこもりはごういんにでも外に連れ出さないと。さあ、行こう!」

 月白は、にらまれてもまったく気にした様子はなかった。

(すごい。わたしは前向きに何でも考えようって思ってるけど、月白様の前向きさは天然だわ)

 ぐいぐい引っぱっても、月白では背の高い暁を持ち上げるのはさすがに無理そうだ。

 ここは月白を見習おうと、暁の左腕を摑む。

「さ、行きましょう。ずっと蔵書室にいたら、かびが生えますよ。さあさあさあ」

 二人で引っぱると、暁がようやく重いこしを上げた。



「わぁ、めずらしい。暁が来た!」

 あずまぜんを並べていた橙幻が、目を丸くした。

 緋蝶は月白と一緒に暁の腕を摑んだまま、橙幻に近づく。座っていた東雲と、いつものかつぽう姿で料理を運んでいた苑紫もおどろいているのか目をまたたかせている。

「……帰る」

 視線にえられなかったのかきびすを返そうとした暁を、月白と一緒に腕を引いて止めた。

「ここまで来たんですから、一緒に食べましょう」

「そうそう。俺もうおなかいちゃったし」

 月白が東屋のに暁を座らせた。となりに座っていた東雲が驚いた表情で口を開く。

「よく連れて来られましたね。暁が蔵書室以外にいるのを初めて見ました」

 苑紫が料理を運び終えたのか、割烹着をいだ。

「暁はりゆうじん様に選ばれたのが嫌で嫌で、その目立つ赤い目を人に見せたくなくて、めつに蔵書室から出ないんだ」

 暁がじろりと苑紫を睨む。

「そうじゃない。めんどうなだけだ」

「でも、わたしを探しに東雲様のおしきに来られましたよね。苑紫様と一緒に」

 苑紫がああ、と頷いた。

「主上直々のご命令だったからだ。桜教殿に来て蔵書室以外でまともに暁と話したのは、緋蝶のの事を私から聞き出そうとした時だけだな。よっぽど心配だったらしい」

「わぁ、わたしの事を心配してくださったんですね。ありがとうございます」

 頭を下げると、暁がぶつちようづらになった。

「あれはたまたま散歩していたら苑紫に会ったから、聞いてみただけだ。おい、苑紫。いい加減な事を言うな。この超前向き人間は、都合のいいようにかいしやくするだろう」

 橙幻が声を上げて笑った。

「いいじゃないか。緋蝶の前向きさは、私は好きだよ。緋蝶は可愛かわいらしいし、なおだし、おうえんしてあげたくなるよ。これで私の作ったあのざんしんな着物を着てくれたら、言う事ないのに」

 実は橙幻には、会うたびにあのたけおそろしく短い、派手な色合いの着物を着てくれと言われていた。そのたびに何とか断るのだが、彼はあきらめる様子はなかった。

 暁があきれたような表情で口を開いた。

「また常識外れな着物を作ったのか? いい加減にしろよ。着せられる女がどれだけ迷惑か考えろ。それにお前は緋蝶だけじゃなくて、紗和国中の女を応援したいんだろう。お前は大学りようにいた時もそんな調子だった。寄宿舎で同室だった俺がどれだけ迷惑をこうむったと思うんだ」

「そんな冷たい事言わないでくれよ、暁。私達は学友じゃないか。きをともにし、一緒に勉学にはげんだ仲じゃないか」

「何が寝起きをともにしただ。お前は女のところに入りびたりで、ちっとも寄宿舎にはいなかった。俺がどれだけお前がいない事をごまかすのに苦労したか」

 暁と橙幻の話を聞いていて、目を丸くした。

「橙幻様は暁様と仲がいいんですね」

「そうなんだよ。暁はなんだかんだ言いつつ、いつもかばってくれるんだよね」

「わたしも暁様はいい人だと思います。げんな顔ばかりせず、もっと笑えば誤解もされないと思うんですけど」

 橙幻の言葉にうなずくと、暁がむっとした表情でかたすくめた。

「自分の意思とは関係なく、いきなりかみと目の色が変わったんだぞ。しかも竜神に花賢師として選ばれたからって、桜教殿に閉じ込められたんだ。不機嫌にもなるさ」

 暁がぶつぶつ言っていると、橙幻が身を乗り出す。

「せっかく外に出たんだから、けんの練習にも出ておいで。毎日夕方練習しているから」

「俺は本番だけでだいじようだ」

「暁は大丈夫でも、そうでない人もいるよ」

 橙幻の言葉に頷いたのは月白だった。月白は何も言わないが目で困っているとうつたえている。

 暁もさすがにそれに気づいたらしく、しばらく考え込んでから、ため息をついた。

「わかった、練習に出ればいいんだろう」

「ありがとう、暁!」

 月白が飛びかかったので、暁が勢いよくたおれ込む。それを見ていた橙幻が腹をかかえて笑った。

 苑紫と東雲は、その様子を呆れたような表情で見守っている。

(みんながいつしよにいるのを初めて見たわ。やっと足並みがそろった気がする。しきまで十日。教えをさずかるのは大変だけど、このままみんなで力を合わせられたら何とかなるかもしれない)

 ここに来てから、初めて希望の光が見えた気がした。


    ● ● ●


 うすぐらい部屋で、部下の報告を聞いた男はまゆを寄せた。

「桜教殿に漆黒団が入り込んで、じよてい候補をねらっただと?」

「はい。そのせいで、厳重だった桜教殿の警護がさらに厳しくなりました。いまのままでは、桜教殿に入る事は不可能です」

 部下のくろしようぞくには肩にからしゆうがある。自分の黒装束にも背中に大きな唐獅子の刺繡があった。これは漆黒団であるあかしだ。

 もともと男性がみかどになるのが常だった。だが竜神の意志により、それがねじまげられて女性しか帝になれなくなった。そのゆがんだ制度を正すためせいじゆうである唐獅子を背負ったのだ。

だれが勝手に桜教殿にしのび込んだんだ。桜教殿はいま警護が厳しいから、様子を見ていたはずだ。指示があるまで、女帝候補には手を出すなとも言っておいたはず」

 漆黒団の中でも、剣術や武術にすぐれた者達で構成されているのが、この実行部隊だ。

 ここでのし上がるのに、身分は必要ない。あつとう的な強さだけがものを言う。

 その実行部隊の隊長は自分だ。桜教殿に忍び込めなどという命令は出していなかった。

「それが……忍び込んだぞくは確かに唐獅子のもんしようがついた黒装束を着ていたそうですが、どうもわれわれの仲間ではないようなのです」

 いつしゆんまゆを寄せた。あごに手を当ててしばらく考え込み、くっと口元をつり上げる。

おもしろい。我々とはまたちがおもわくで動いている者がいるようだ。桜教殿の警護は我々でも忍び込む事をちゆうちよするほど厳しい。だからいままで女帝候補に手を出せず、様子を見ていたんだ。だがそれをくぐりけて賊がしんにゆうしたという事は、誰かが桜教殿の中から手引きしたんだ」

 そんな事は桜教殿の中でも相応の地位にある者でなければ、できないだろう。

「桜教殿をしっかり見張っておけ。うまくいけば内部ほうかいを起こして、混乱するかもしれない。その時にきっとすきができるはずだ。そうなったら────」

 緋蝶の顔が頭にかんだ。

「今度こそ、本物の我々漆黒団が女帝候補をおむかえに上がるとしよう」

 彼女に会える日が楽しみでならないと、男はほくそんだ。

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紗和国竜神語り 麗しの公達に迫られても、帝になれません! 伊藤たつき/角川ビーンズ文庫 @beans

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