第四章 第二話
緋蝶は昼食の片付けを終えたあと蔵書室に
「とうとう今日も会えなかったわ。どうしよう……」
「何をしているんですか?
竜神が部屋の真ん中でだらしなく座っていた。
「
「何を言っているんですか。人で遊ばないでください」
声を上げると、竜神が
「僕は神だぞ。人で遊ばずに、何で遊ぶんだ。災害を起こしたり、
ひどい言い方だが、ある意味彼からしたら正論なのかもしれない。
「……人や災害や戦でなくても、楽しむ事はできると思います」
「ほう、たとえば?」
「たとえば……人を幸せにするにはどうしたらいいか考えるとか。それを実行するとか」
神だからこそできる事を提案したが、鼻で笑われた。
「どうして神であるこの僕が、人を幸せにする
やっぱり神様の思考は理解できないと思いつつ、戸を閉めて彼の前で正座した。
「儀式の準備はどうだ? 教育は順調か?」
顔が
「はい。何とか」
暁にまったく会えていないという事を口にするのは、はばかられた。
「ふーん。暁に
「え!? どうしてわかるんですか? まさか、頭の中とか読めるんですか?」
思わず両手で頭を
「そんな事は読まなくてもわかる」
「頭の中は読めない……とは言わないんですね」
日照りを起こしたり雨を降らせたり、人の
竜神がじろじろとこちらを見つめた。
「お前の
「月白は教育を理由に僕と遊べないと言っている。お前と一緒にいるのをよく見かけるし、
図星すぎて、何も言い返せなかった。竜神がゆっくりと立ち上がる。
「暁はなかなか
「どうやったら、味方になってもらえるんですか?」
その表情は見た目の
「何も考えず、暁の
「懐に……飛び込む? それっていったいどういう意味ですか?」
「自分で考えろ。お前があたふたして
手をひらひらさせながら、竜神が戸に向かった。
そしてすうっと吸い込まれるように、戸をすり
「もう、意味深な事ばかり言って。暁様の懐に飛び込むって、会えもしないのにどうやって?」
竜神が消えた戸に向かって、思わず呟いていた。
● ● ●
桜教殿に住む女帝候補と花賢師は、雫花帝の許しがない限り、外に出てはいけない決まりになっている。だから暁が母に呼ばれて大内裏を
山吹の部屋に通されると、大きな姿見があった。その鏡が目に入って思わず眉根を寄せる。
数ヶ月前まで髪も目も黒かった。それが竜神の力で
鏡を見るといつも思うが、大内裏一の美男子と
「いらっしゃい、暁。久しぶりね。最近顔を出してくれないから
「桜教殿にいるので、許可がないと出てこられません。寂しいなら、花賢師から外してください。そうすれば、いつでも話し相手になりますよ」
御簾がするすると上がった。
「あなたが花賢師となる事は竜神様が決められたの。わたくしの一存で外したりできないわ」
山吹が
母の隣には、竜神がいるのだろう。自分には姿も見えないし、声も聞こえない。
しかし彼は確かに存在していて、自分がいても母と話をする。子どもの
母が竜神と話している時には、決して
「暁、桜教殿での暮らしはどう?」
「別に良くも悪くもありません」
女帝が君臨するこの国では、皇子として生まれた自分の存在は、さほど重要ではないと知っている。
だが母が産んだのは自分一人だった。父が
だから新たに夫を選んで子どもを産むのは絶望的だった。
「相変わらず、無愛想ね。そういうところはあの人そっくり」
山吹の目が細められた。
「緋蝶が暁になかなか会えないって苑紫が報告してきたわ。力になってあげて。いとこなのよ」
緋蝶の顔が頭に浮かんだ。初めて会った時は、東雲の
女帝候補を
だが会うのも面倒だったので、人がいない裏庭で夜桜を楽しんでいたところで、大きな
助けを呼べばいいのに、がむしゃらに一人で運んでいるのを見て、何をしているのかと気になった。酒の入った瓶を割って
あの時は彼女が女帝候補だなんて知らなかった。
それを知ったいまはもう、助けようなんて気持ちにはなれない。
「女帝制度には反対です。
「違う手とは?」
「俺が皇位を
言い切ると山吹が困ったような顔をして隣を見る。何度か頷いて、こちらに目を
「竜神様が女帝以外は認めないって
日照りが
「なぜ女性でないといけないんですか? 俺は皇位を継げるほどの教育を受けているし、貴族達の動向にも
山吹がまたしても隣を向いた。そして再びこちらに目を向ける。
「竜神様は、女性の方がいいからと仰ってるわ」
「ですから、どうして女性がいいのか、それをお聞かせください。……貴族達の間でも、男性が皇位を継ぐべきだという意見を持つ者がいます。彼らは
その組織は、女帝が
彼らは常に、女帝をその座から引きずり下ろそうと、計画を張り
実際に母も何度も命を狙われていた。
「俺が
はっきりと思いを伝えたが、山吹はそっと目を
「……いいえ。竜神様が女帝を望まれている以上は、わたくしは雫花帝として民の
声がやや小さくなった。父が亡くなってから母は心も身体も弱くなった。
母は口にしないが、帝という重責に押しつぶされそうになっているのだと思う。
そんな母を助けたいのに、できない自分が
「暁、もうこの話はおしまいにしましょう。母の
この世で一番苦手なのは母の
「考えておきます」
それでも
● ● ●
緋蝶は急ぎ足で
知らせに来てくれた月白に礼を言いつつ、今日こそは会わなければと部屋を飛び出した。
庭に降り立って蔵書室がある建物へと急ぎながら、
「茜は戻ってていいわよ」
「いえ、お一人では心配です。教育を受ける時以外は、なるべくおそばに付き
蔵書室がある建物は桜教殿からやや
もう少しで蔵書室が見えるというところで、ふと前方に
「
隣に来た茜と
殺気すら感じられる男達に道をふさがれて、
しかし隣で
「
どう返事すべきかと
「そうですが、あなた方はいったい何者ですか?」
桜教殿にいる女性は自分と茜だけだ。ここで
「一緒に来てもらう。逆らうと痛い目にあうぞ」
こちらの質問には答えず、男達がにじり寄る。段々と近づいてくるので思わず後ずさった。
「だ、
茜が震える声を上げて飛び出してきた。そして男達の前に進み出て、こちらを
「私は緋蝶様の
彼らをよく見ると、
漆黒団の事は、苑紫から聞いた事があった。女帝に反対し、男性が皇位を継ぐべきだという考えを持つ貴族達が集まって作った組織らしい。以前から花蕾東宮や雫花帝を狙っていて、山吹も何度も命を狙われているそうだ。男達は、ふんっと鼻で笑う。
「……ああ、
男達がさっと刀を
「駄目!」
考える
その瞬間、
「うっ……!」
「きゃぁぁぁぁ! 緋蝶様!」
地面に転がった茜が、左腕を切られて血を流している自分を見て、大きな悲鳴を上げた。
「うるさい、
「やめて! 茜に手を出さないで」
血がぽたぽた地面に落ちている。痛かったし
「わたしが目的なんでしょう。だったら、わたしだけ狙えばいいじゃない」
「緋蝶様、いけません!」
「うるさい女どもだ。二人とも連れて行け」
じりじりと近寄ってくる男達を睨みつけた。
(苑紫様に護身術を習っておけばよかった。茜だけでも
巻き込んでしまった茜に申し訳なかった。何とか彼女を守ろうと、両手を拡げる。
「どけ。お前は生きて
男が刀を構えた。切られる! と思うと怖くて怖くて、だけどここから動くわけにはいかなくて、思わず両手を挙げて頭を庇おうとした。
「うっ!」
だが、予想した痛みはやってこなかった。代わりに聞こえたのは、男のうめき声だ。
慌てて顔を上げると、目の前に
「警護が
暁がこちらに背を向けて立ち、刀を右手に持って男達に向けた。
「
暁の声にも雰囲気にも強い
その
「
だが真ん中にいた男が声を上げると、彼らがはっとしたように、刀を構え直した。
「
暁が
「引くぞ!」
男の合図で、まだ動ける男が倒れている仲間に肩を貸した。
そのまま去って行く彼らを、暁は追わなかった。
「
「
暁が目を向けると、茜が慌てて立ち上がりその場を離れた。
刀を
「出血がひどいな。早く止血しないと」
「
つい下働きをしていた
「もったいないわけないだろう! 怪我の手当てと布とどっちが大事だと思っているんだ!」
「すぐに橙幻に見せろ。あいつは薬草にも
どうやら心配してくれているようだ。暁が帯を巻き終わったので、おずおずと口を開いた。
「ありがとうございます。あの人達、漆黒団だと名乗りましたが……」
「黒装束に唐獅子の刺繡があったから、そうだろうな。唐獅子は
暁が彼らが去って行った方を見て、息をついた。
「雫花帝より、花蕾東宮や女帝候補の方が
腕組みをした暁がふっと笑った。
「俺も女帝制度に
冷たい言い方だったが、思わずくすっと笑ってしまった。
「何で笑う」
むっとした暁に、慌てて表情を引き
「だって、言っている事とやっている事がばらばらなので。女帝制度に反対しているだけだったら、そもそも助けてくれなかったと思うんです。反対はしているけど、
暁が明らかにむっとした。
「俺はいい人なんかじゃない」
「でもお
「そんな前の話は、もう忘れた。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと手当てしてもらえ」
去って行く背中を見ながら、やっぱり悪い人ではないような気がして、再び頭を下げた。
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