第一章 第一話
晴れた空は気持ちがいい。
「いいお天気。風も気持ちいいし、ようやく春めいてきたわ」
広い庭には大きな桜の木が何本もあり、その枝には
見事な桜は
この屋敷で下働きを始めて二度目の宴だ。準備は大変だが、庭に人が集まって
夜桜を楽しむ人々の様子を思い
屋敷で働き始めた二年前は、十四歳だった。その
「さ、急がなくては。食事の
足早に庭を進み、
そこで使用人達が集まって何か話しているのを見て、首を
「どうかしたんですか?」
声をかけると、みんながこちらに顔を向けた。
一番年配の
「今夜の為に町から何人か手伝いに来てもらっているんだけど、その中の一人が荷物に入れておいた薬箱がなくなったって言ってるのよ。漆塗りの薬箱で、けっこう値の張るものですって。荷物は厨房の
問い
ぐっと
「そこの
「噓つきなさい。あんたが
不知火の口調は、犯人だと決めてかかっているかのようだ。
「どうしていつもわたしを疑うんですか?」
自分と同じ、十六歳の
「一番お金に困ってるからよ。親はいないし、着ているのだっていつも同じ小袖だし、
松風が言っているのは、一年前の出来事だ。お金の入った
「あれは盗んだんじゃありません。何度言ったら信じてもらえるんですか?」
感情的になったらまずいと、わかっていた。なるべく冷静にと、心で念じる。
「どうだか。
「私がどうかしましたか?」
声が聞こえて、目に見えてびくっとしたのは不知火達だった。
見慣れた姿なのに、以前と明らかに違うところがあって、いまだに
「東雲様。このようなところにお出ましとは……」
不知火があたふたと頭を下げたので、みんなそれに
東雲は屋敷の一人
立ち居振る
貴族なのに使用人に対しても
東雲がみんなに向かって
「薬箱がなくなったと聞いたから、持ち主を呼んで探してみたんです。そうしたら、
不知火と松風が目を白黒させて、もう一度お
「東雲様のお手を
「いいんです。それより今日は大事なお客様がたくさんいらっしゃいますので、準備をしっかりお願いします。……緋蝶。私の準備を手伝ってほしいんですが、いいですか?」
「はい」
膳を置いて、
「すみません。東雲様。また助けて頂いて」
頭を下げると、東雲が振り返った。
「気にしなくていいです。しかし犯人
答えはわかっているが、
しかし東雲が庇った事が不知火達は気に入らなかったらしい。不知火は、東雲が小さい頃から世話をしていて息子のように思っているし、松風は彼に好意を持っている。
そんな事もあってか、彼女達はあれからたびたび意地悪をしてくるようになった。
東雲がため息をつく。
「今夜の宴が終わったら、私は
東雲を改めて見上げる。夕焼けに似た、
「
「私は真実をみんなに知らせただけです。気にしないでください。緋蝶は身寄りもないし、うちで働いてもらう以上は、お
申し訳なさそうな東雲に、ぶんぶんと首を振った。
「とんでもないです。私なんかを気にしてくださって逆に申し訳ないです。あの……失礼な質問かもしれませんが、東雲様は竜神様に
紗和国が女帝を
しかし
「信じがたいでしょうが、竜神様はいると思います。そうでなければ、私の髪や目の説明がつきません。それに主上には、竜神様のお告げを聞く能力があるそうです」
東雲が腕組みをした。
「紗和国は昔から日照りが起きやすく、百年ほど前までは数十年に一度は死者を出すほどの日照りが起こっていたそうです。しかし竜神様のお告げで女帝を擁立するようになってからは、農作物に
「でも、最近は雨が降っていませんよ。屋敷に野菜を持って来てくれる農家の方が、ここ一月ほど雨が降らないせいで、作物の出来が悪くなっているって」
野菜の値段がいつもの倍以上すると、不知火がぷりぷり
まだ川が
「ええ。
緋蝶は紗和国に伝わる竜神の話について、思い浮かべた。
「確か初代の女帝が竜神様に
「ええ。先代の時は男性が帝になったそうですが、
信じられないような話だが、自分が生まれる数年前の事なので、噂では聞いていた。
東雲が口元に手を当てる。
「竜神様は、初代の女帝の血をひく姫しか皇位につくのをお許しになりません。だから竜神様は子孫を残す
東雲はその夫君候補として選ばれたのだ。
それは貴族の男子にとってはとても
「でも主上は四十歳を
東雲はまだ二十歳だ。年も
「そうですね。いまの主上は二十年以上も前に夫君選びを終えられて、一度
ずっと疑問に思っていた事を口にした。
「夫君候補は東雲様だけなのですか?」
「いえ、今回選ばれたのは、私を
「夫を一人選ぶという事は、選ばれなかった人達はどうなるのですか?」
恩人である東雲が、大内裏に行ってどうなるのか気になった。
「選ばれなかった者達は、
(だからご主人様は東雲様が夫君候補に選ばれたと大喜びだったのね。でも、それって……)
「
おずおずと
「後宮に入るのは、貴族の男子としては最高の名誉です。年は離れていても主上は
東雲は笑みを
「お
その事は前に、不知火達が話しているのが聞こえてしまったので知っていた。
「ええ。まだ子どもでしたから。父の謀反の罪で、家族全員が罪人が暮らす島に追いやられたんです。いくら父が無実だと
東雲が小さく息をついて話を続けた。
「それからは都の外れにあるこの屋敷で
東雲がこちらに目を向けた。
「心配なのは緋蝶の事です。あなたを見ていると、無実の罪で島流しにされた時の事を思い出します。あなたは誤解を受けやすい。私は大内裏に上がったら、よほどの事がなければ、もうここには帰って来られません。私がいなくなったら、誰が緋蝶を守るのかと」
もう会えなくなるかと思うと、寂しさがこみ上げる。それでも口角を上げて
「まじめにこつこつやるのが取り
なるべく明るく言ったつもりだが、東雲は心配そうな表情を
「どんなに正しく生きていても、誤解や
その言葉を聞いて、胸が
「はい。休みのたびに探してはいるんですが、なかなか……」
両親は八年前に亡くなった。それ以来、四つ年上の兄が働いて育ててくれた。
「二年前、突然
その時の事が頭をよぎった。その途端、
「……あの日、わたしは食事の
食べる物にも困る生活だったが、兄は精いっぱいの事をしてくれていた。
あの日、兄が帰ってきて金平糖を受け取って喜んでいたら、
「突然男達が戸を
混乱していたので、男達が何を言っていたのかはわからない。
「いったい、その男達は何者だったんでしょうか。君のお兄さんは彼らに連れて行かれたのか、それともどこかに
東雲が息をついた。それは何百回と考えている事だが、答えは出ない。
兄の生死さえわからないが、きっと生きていると信じていた。
「東雲様、わたしは
胸に手を当てると、東雲が
「緋蝶が幸せに暮らしてくれれば、それが一番
優しい東雲の言葉に、
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