第一章 第二話

 かがり火に照らされた夜桜は、昼とはまた違うりよくあふれている。

 緋蝶は料理がせられたぜんを運びながら、その光景に見とれていた。

「去年に比べたらお客様がずいぶん多いわね」

 同じく膳を運んでいる不知火が隣にいた松風にささやくと、彼女はむっとした顔になった。

「東雲様が後宮に入る事になられたから、お近づきになりたい貴族が多いんじゃないんですか? いままで散々無視してたくせに」

「仕方ないわよ。だん様は謀反の疑いをかけられたんだもの。でもこれでやっと東雲様の努力がむくわれるわ。大学りようを首席で卒業なさったのに官吏にはなれなかったのよ。それも旦那様の島流しの影響だもの。夫君候補としてだいだいに上がれば、きっと実力を発揮なさるわ」

 大学寮は官吏になる為の学舎だ。入るのは難しいが、無事に卒業できれば官吏としての未来が約束されるはずだった。それなのに官吏になれなかったのは、東雲だってくやしいはずだ。

 しかしそんな様子すら見せず、彼は毎日勉学と武道にはげんでいる。

 それは東雲の精神力がいかに強いかを示しているようだった。

(そうよね。夫君候補として大内裏に上がれば、たとえ夫君になれなくても出世は望めるみたいだし。笑って送り出さないと)

 東雲がいなくなるのはさびしいが、きっとりゆうじんは彼の能力を認めて、夫君候補として選んだのだと思う。大内裏に行くのは東雲にとって最大の好機だ。そう自分に言い聞かせた。

 不知火達のあとについて庭へ向かう。広い庭には人が溢れていた。

 うたげは大盛り上がりで、食事も酒もすぐになくなるから運ぶのも一苦労だ。

 客達を見回して、去年と違うのは人数だけではないと気づく。みな準正装のかん姿なのだ。

 去年は気楽なかつこうで参加していた貴族達が、東雲の一族に敬意をはらっている事がうかがわれた。

 庭の真ん中にある大きな桜の下に、十人ほど人がいるのに目を留める。

 中心にいるのは東雲で、どんどん酒を注がれていた。

「我が一族から、竜神様に選ばれて後宮に上がる者が出るとは。これはせんざいいちぐうの機会だぞ」

「そうだぞ、東雲。必ず主上に気に入られるよう努力せよ! 最近はちっとも雨が降らない。これは紗和国におぎがおられないのを、竜神様がおいかりになっているからだというもっぱらのうわさだ。お前が夫君になって、主上とお世継ぎを作るのだ」

「そうじゃ。お前は顔立ちもよく、頭もいい。きっと気に入られるはずだ。お前の父親がぎぬを着せられて、我が一族は辛いじようきようにずっとえてきたが、やっと日の目を見られるのだ。一族の再興はお前にかかっている。期待しているぞ!」

 東雲を囲んでいるのは、見た事がある顔ばかりだ。

(東雲様のごしんせきの方達だわ。みんな、東雲様に期待しているのね。でも……)

 みんなにげきれいを受けている東雲は笑顔で応じているが、目がしずんでいるように見えた。

(一族が再興できるかは東雲様にかかっているとおつしやる親族の方達の気持ちはわかるけど……。期待がかかりすぎて、東雲様が苦しそうに見えるわ……)

 東雲の立場を考えると、胸がきゅっと苦しくなった。いつも助けられているのに、ただの下働きの立場では彼を手助けする事もできない。それが苦しかった。東雲を見つめていると、不知火が今日のために手伝いに来てくれた人達に指示を出してから、こちらに顔を向けた。

「緋蝶、裏庭の倉に瓶があるからもってきて。高いお酒が入ってるからこぼさないでよ」

 近くにいた庭師のせいすけが、目を見開いた。

「あんな重いもの。緋蝶には無理だよ。俺が……」

「あんたはだまってて。緋蝶、いいね!」

 嫌がらせだとわかっていたが、ここでもめても仕方ない。はい、と返事して、心配する清助に大丈夫と目配せをする。そして膳を置いて裏庭に向かった。

 裏庭は宴が開かれている庭とはしきはさんではなれているせいか、静かだった。こちらにも桜の木はあるのだが、客を呼ぶほど庭が広くない。そのせいで、だれもいないようだ。

 裏庭の隅にある倉に入って、自分の身体からだの半分以上はある瓶を見付ける。

 ふたをあけると、ぷんっとお酒のにおいがした。

「うっ……! こんなもの、よくみんな飲むわね。何が美味おいしいのかしら」

 ふちを持ってかかえようとすると、ずしっとうでに負担がかかった。

「う……ん! えい!」

 かけ声とともに、瓶をぐっと持ち上げた。腕がぷるぷる震えるし、一歩み出すだけでも困難だが、持って行かなければまた不知火にいやみを言われるだろう。

 何とか倉を出たものの、大きな桜の木の下で耐えきれず一度瓶を置いた。

「お……重いわ。これは厳しい……。いやいや持って行かなくては!」

 瓶に背中を向けて、はあはあとかたで息をしながら、自分をした。

「親もいないし、取り柄もない。特別美人でもなければ、かしこいわけでもない。やとってくださいって屋敷を回る事十けん以上。へいへいぼんぼんでまだ子どもで身寄りがないからってどこも断られたのに、このお屋敷では雇ってくれたわ。仕事を手放したら死活問題よ」

 屋敷の主人は使用人にも優しくて、住み込みなのに給金も休みもくれる。

 自分を養いつつ、兄を探す為には、いまここをやめさせられるわけにはいかなかった。

「嫌がらせくらいで泣いて逃げると思ったらおおちがいよ。負けずぎらいな事だけが取り柄と言えば取り柄なんだから、ここに居座ってやる!」

 桜の太い枝の向こうに、月が見える。その月に向かってこぶしにぎり、そう宣言した。

「ん?」

 声を上げたのは、その太い枝に誰かが座っているのに気づいたからだ。

 彼は腕を組んで、こちらを不思議そうに見下ろしている。

 何よりおどろいたのは、その男の目がくらやみの中で赤く光っていたからだ。

 よく見ると、月の光に照らされたかみも、黒ではなくつやのあるあいいろだった。

「……自分で平々凡々と言うなんて、自分の事をよくわかっているんだな」

 低い声はおもしろがっているようだ。うすくちびるをくっとつり上げて、彼は笑う。

 赤いひとみがぎらりと光ったように見えて、思わず悲鳴を上げた。

「お、おに!?」

 驚きすぎてその場に座り込もうとした。しかしガチャン! と何かにこしが当たって前にたおれ込む。酒のかおりが辺りにぷんっとただよって、自分が何にぶつかったのか気づいた。

「ああっ! お酒が!」

 背後に目をやると、かめが転んだせいか真っ二つに割れていた。

 地面にこぼれた酒を見て、真っ青になる。むせかえる酒の香りに、き気がしそうだ。

だいじようか?」

 枝に座ったまま、鬼が声をかけた。

「ぜんぜん大丈夫じゃないです。お酒が、お酒が……! どうしよう。きっとべんしようだわ。こんなたくさんの量のお酒。しかも高いお酒だって言ってたわ。一月の給金でも足りないかも」

 あわてて立ち上がる。着ているそでも転んだせいか酒でびしょびしょだ。客にぜんを運ぶからと、特別に貸してもらった小袖で、だんは着られないような高価なでできていた。

 どろもついているし、これだけよごしたら買い取らなければならないだろう。

 頭は混乱していたが、いま一番にしなければならない事にはっと気づいた。

 桜の木を見上げて、深々と頭を下げる。

「……さきほどは失礼しました。鬼だなんて言ってすみません。お客様でございますよね。みなさん、あちらで宴に参加されていますが……」

 見慣れない髪の色と瞳の色に驚いたが、きっと彼も東雲と同じで、竜神に夫君候補として選ばれたのだろう。だったら彼は貴族で、おそらく宴の客だ。失礼があってはならない。落ちついて見上げると、前髪で顔の半分はかくれていても、りの深いれいな顔立ちだとわかった。

 整ったようぼうだが女性的な印象はなく、どこか野性味も感じる、不思議なりよくのある青年だ。

 年はきっと東雲と同じくらいだろう。細身だがかたはばはしっかりとあって、男らしい印象だ。

 もう一度頭を下げると、背後から声が聞こえた。

「まあっ! こぼしたの!」

 不知火の声だ。まずいとは思ったものの、いまさらどうしようもない。

 だからかくを決めて、り向いた。

「すみません!」

 なおに頭を下げたが、それで許してもらえるなんてみじんも思っていない。

「何て事をしたの! これはとても大事なお酒で、あんたが一年かかってもかせげないくらいの価値があるのよ。弁償してもらうから……ひっ!」

 不知火が悲鳴を上げたのを聞いて、驚いて目を開けた。彼女の視線は自分の後ろに向いている。そちらに目をやると、いつの間に枝から降りたのかさきほどの青年がすぐ近くに立っていた。

 青年はすらりと背が高く、こうたくのある赤い直垂ひたたれに身を包んでいる。えりあしまであるやや長めの藍色の髪に赤い瞳をした彼は、さくら吹雪ふぶきう月空の下で見るとまるで異世界の人間のようだ。

「酒は俺が……あかつきが全部飲んだと東雲に伝えておけ」

 暁と名乗った青年は、足音を立てる事なく、自分と不知火のとなりを通り過ぎた。

 彼が東雲と同じ、りゆうじんに選ばれた人間だと不知火も気づいたのか、すぐに頭を下げる。

「は、はい。ですが……」

「俺は一度言った事は二度は言わない」

 りんとしていて、はくりよくのある声だった。を言わさない声に、不知火がふるえ上がる。

 東雲を呼び捨てにするのだから、それなりの身分だろう。

 やたらに逆らうとまずいと不知火も気づいたようで、再び深々と頭を下げた。

「かしこまりました」

 不知火といつしよに慌てて頭を下げた。

 礼を言おうとしたが、暁はさっさと背を向けて去って行く。

(いまのってわたしを助けてくれたのよね。彼はいったい……)

 その姿を見送りながら、まどいつつも心の中で礼を言った。

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