参拾弐 山魔王

 ――時が流れた。


 現在。人影も客席も調理台も消え、ただ舗装されただけの棚田には、もうボッ娘独りだけがいた。山と対面しながら体育座りで、夕陽を背中に浴びている。

「……なんの用かな」

 振り向きもせずしての独り言のような呟きは、彼女の後ろ、一つ下の乾いた田んぼに現れた陸徒へのものだった。


「みんな帰ったみたいだけど」彼は歩み寄りつつしゃべった。「まだ、ここにいたんだな」


「あたちは山が好きなだけ。君こそなんで戻ってきたの?」

 自分と同じ高さに登ってきた少年に、幼女は話す。

「権限の強化でもしたいのかな? 準五や山主でも規制されてる領域なら、山魔王に打診しなきゃ意味ないよ。時間掛かるだろうし、実質あの人の独裁だから期待もしないほうがいいけど。……あ」

 閃いたように、彼女は新たな山主に顔だけ向けた。

「君は彼女と友達だったみたいだから、もしかしたら特別扱いしてくれるかもね」

「いや無視されるよ、前に山主になったときも北海道で試したからな」

 陸徒は、懐かしそうに回答した。

「だから、直接会うって決めてるんだ」

「だったら、なんのために来たのかな」


 首を傾げる亀姫へと、彼は明かす。五年前、弥十郎との出会いのきっかけとなった地図の空白の話を後に彼から聞き、それから抱いていた疑問を確かめるように。

「前の機会では勾玉で得られる情報で山魔王の正体だけ知って慌てて権限委譲しちゃったから、そのとき忘れてたことを訊きたいんだよ」

 巨体を仰ぎ、改まって尋ねる。

「山魔王は、ぼくの居場所を弥十郎に怪しませることで意図的に誘い出したんじゃないのか。君らもそもそも、いったいなんなんだ?」


「……そうだね」

 幼女は、ゆったりと語りだした。

「あなたは、山魔王と仲良しだったみたいだし。全部教えてあげてもいいかな。まず、あたちたちのことから」

 彼女は、身体も陸徒と対向させるといきなり問いを返してくる。

「山というのは、そもそもなにかな?」


「質問で返されても困るけど」戸惑いつつも、陸徒は自分なりの返答を試みる。「……ええと、あれだろ。大陸が移動したりして、ぶつかりあった地面を押し上げて隆起させたみたいな」


「まあそんな、惑星においてよそよりも高く物質が積み重なった部位だね」

 亀姫比売命は、人間を見下ろして継続した。

「あなたたちは、文明崩壊以前から自分たちのような単なる有機物の塊がなぜ意識を有し生きているか解明しきれてなかった。だったら、他の物体にもそういうのが芽生えているかもしれない。

 君たちの知性が多大な可能性の組み合わせから偶然に生じたなら、石や土も同じ。たくさん積み重なったほうがいろんな可能性は高まる。あたちたちは、そこに発生した無機物の心気。いわば自然の意思みたいなものかな」


「……ちょっと待って。そんなことで精神が宿るなら、別の星とかにも君たちみたいなのがいることになるんじゃ」


「うん、いるよ」異様な説明に混乱する陸徒へと、幼女はあっさり断言する。「でも地孫光臨前、君たちは生物がいる星を一つも発見できなかった。あたちたちは誕生過程がぜんぜん違うから、もっと観測できないんだよ。神霊みたいには認識されてたけどね。だから、いわゆる霊能力者のような人たちとは交流することができた。そして他の星ではあたちたちによって動植物が生まれないようにされてたから、それらはいなかったんだ」


 深まる謎に陸徒はぼんやりと思考してしまう。

 人間による環境破壊に対する問題意識などは、引きこもっていた彼の耳にも届いたくらいだった。なのに、デイダラボッ娘らは自然の意思と称しながら、動物や植物らの生育を阻害していたと主張するのだ。


「ちょっとわけわかんないんだけど」陸徒は意見する。「なんで、そんなことするんだ?」

「それが自然だから」

 きっぱり幼女は言ってのける。


「君らは環境破壊されてかわいそうみたいに考えてた地球だけど、恐竜の絶滅のように過去何度も人の手によらず自然に大量絶滅を招いてきた。でも、新たな状況に適応した生物が栄えただけ。仮に全生物がいなくなっても、困るという感情を持つ君ら以外誰も困りはしない。生物がいないのがかわいそうなら、地球以外の全部の星を哀れまなきゃならないでちょ。宇宙全体からすれば生物のいる惑星こそ異常なんだよ」


「だとしても。どうして、地孫光臨に繋がるんだ?」


「普通は過去の大絶滅のようなもので自然に生物がいなくなるんだけど、地球は何度それを繰り返してもいなくならないから高位の霊体が直接宇宙から到来したんだよ。世が誕生した当初からいた最も進化したデイダラボッ娘がね。それがあたちたちのリーダー、新東京の――」

 仰々しく亀姫はその名を口にした。


水蛭子大神ひるこおおみかみ


 それからおもむろに夜空を見上げ、夕闇に灯った一番星を見据える。あのとき天を仰いでいた山魔王のように。

 ――彼女は解説した。


「水蛭子は、宇宙の彼方にある天体ヒミコのデイダラボッ娘。地上に着き次第地球の山に宿っていたあたちたちに今みたいな能力を与えて、即座に全生物を滅ぼすつもりだった。でも偶然日本の山に降臨して、類稀なる霊感を持つ山魔王と出会った。そこで山菜に興味を持って、それをご馳走になったんだ。その味に感動して、山魔王の頼みもあって生物を滅ぼすのはやめたの」


「それって」

 かつて山魔王が口にしていたことの疑問も一部解けかけ、陸徒は僅かに希望を見出した。

「山魔王は、大絶滅を防いだってことなのか!?」


「そうもなるかな。山魔王も文明社会に失望していたし、そうした感情を最初に抱いた年頃の精神が反映されてあたちたちの姿になったの。でも滅亡までは望まなかったからね。絶滅は回避したけど、この状況に留めた。彼女は統治者に向かない性格だったから、山界政府も腐敗しちゃったけど」


「すると、あの人はそこまで豹変したわけでもなかったってことだな!」


「ふふっ」喜ぶ陸徒に、亀姫はいたずらっぽく返す。「もしかしたら、山魔王よりもっとおいしい山菜を食べさせられたら水蛭子もさらに心変わりして文明社会も復活するかもね。他の陸地も人たちも、あたちたちなら元通りにできるから」


「マジで!?」

 頷いた相手に、陸徒は片腕を振り上げて快哉を叫んだ。

「よーし。これは俄然、やる気が出てきた!」


「……でも、忘れないことだね」

 一人で盛り上がる人間に、巨大幼女は警告もする。鋭い語調に反応して、少年も静まった。

「美味い山菜を見出だす能力なんて、こんな世界にならなきゃ評価されなかった。今の君は世界が終わったお蔭で存在する。社会はそうした形態に合致しないものを埋もれさせてると、山魔王は訴えたくもあったのかもね。ホームレスにとどまってた自分を含めて。水蛭子に生命の魅力を伝えたように」


 陸徒は静聴し終えた。

 やや悩んだあとで、自分なりに解答する。

「どうにせよ、やっぱ直接会って確かめるよ」

「そ、好きにしなよ」

 もはや飽きたようにあくびをしながら応じたあと、彼女は問い掛ける。

「で、用件はそれだけかな?」

「おっと、そうだった」

 恥ずかしそうに我に返る陸徒。ちょうど亀姫が、身体をぴくりとさせた。

 少年は理由を知っていて、落ち着くために一つ咳払いしてから告げたのだ。

「いったん帰ってから戻ってきたのは、山爺の家でちょっと家族会議みたいなことをしてたからなんだ」


 ――巨大幼女に縮地ワープの申請が出されたのだ。

 山主となった陸徒の権限で遠隔縮地ワープが許容され、たちまち。当事者たる山座衛門と香奈美が、棚田に添う舗装された道路に現れる。

 静かに、少女は老人の後ろに回って車椅子を押しだした。たいてい自力で移動している山爺は弟子の珍しい行動に少々驚いたが、やがて軽い礼を述べて素直に任せた。

 近づいてくる二人を、陸徒と亀姫は黙って待った。太陽はもうすぐ、山間に身を沈めようとしていた。

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