参拾参 出立
新会津若松市南の外れ、ほとんど建物がない田んぼに挟まれた国道一一八号線の路上。
山主交代の決戦翌日である早朝。そこには亀姫と多数の市民に見送られるように立つ、一人の少年の姿があった。
記念にと山爺がくれた、ボーイスカウト服姿の滝定陸徒である。
彼の傍らには、南向きに新品の軽自動車が停まっており、エンジンが掛かっていた。昂への勝利によって、陸徒が山主として唯一入手した報酬だ。
壊れたおんぼろスクーターを直すより、新車が欲しくなったのである。
彼はいちおう満足していたが、どういうわけか香奈美が選定に加わり、わけあって要望を受け入れざるを得ず、水色のゼストという軽自動車になったのが不満ではあった。陸徒としては、せっかくだから高級車にしたかったのである。
「本当によいのだな、陸徒」
市民たちの最前列で、着流しの山爺が惜しんだ。
「優れた山主になるのは辛くもあるが、益もあるぞ。移動手段だけを入手して出発するとは、ちともったいなくはないかのう」
陸徒は頭を振った。
「おれはやっぱり、山魔王を超えなくちゃいけませんから。あなたこそいいんですか、山主を継がなくても?」
「この足じゃし老いぼれじゃからな。第二のハイエナのような輩が襲来したとなれば、頼りなかろう。未来は若い者に託すわい。山主は究極ウドの在りかと入手手段の記録も得られるし、安泰じゃろう」
「ふああああぁ~」
市民たちの背後で、涅槃仏のように事の成り行きを見守っていた亀姫。彼女がフリフリドレス姿で口に手を当て、退屈そうに大あくびをしたのだ。
「どうでもいいからさあ、早くジャジャーンって発表してくんないかな。でないと山菜ゲームがなくて、ちょっと退屈かも」
そんな様は昨日の態度が嘘みたいな、単なる幼女だった。
「だな」
陸徒は応じて、市民たちに向き直った。
「みなさん。おれは昨日、ハイエナ戦後に山主の立場を譲りました。相手は――」
ここまでは旅立ちに際してみなにも通知していたが、先が告げられるのは初めてだ。市民たちが息を呑むなか、山爺の後ろで車椅子を支える少女が指差される。
彼女は、どういうわけかまるでデートに行くみたいに着飾っていた。
――そう。車をゼストにせざるを得なかったのは、これを自動車選びに参加させてくれないと引き受けないというからだった。陸徒としては大きな決断だったのである。
だから、最高の気合を入れて全力で発表した。
「彼女、優日奈香奈美です!」
「だが断る!」
そこにいた香奈美が即答する。
『ええええええええぇェ――――――――――ぇッ!?』
陸徒も市民たちも絶叫した。
やっぱり車椅子ごとずっこけた山爺が、強靭な腕力で元に戻りながら疑問を呈する。
「ちょ、ちょいと待て! お主ら、地位の譲渡を終えたのではなかったのか!? わしも立ち会ったはずじゃぞ!」
引きつった顔形で陸徒は頷く。
「は、はあ。間違いなく譲ったはずだけど、どういうことだってばよ?」
「そのあと」
香奈美は明かした。
「あたしも山主を辞退したのよ。もっと相応しい人がいるからね」
言及した人物の方へと、彼女が視線を投げかける。注視も、徐々にそこへと移行していった。
「修行が終わるまでハイエナと戦う勇気もろくになかったあたしと違って、負けて酷い目にあっても陰ながら何度も挑んでいた勇敢な女の子がいたの」
そう説明して、発表したのだった。
「あなたよ、理の理子」
『な、なんだってぇー?!』
群集が合唱する。
全部の眼差しが香奈美の隣にいた理子へと集中していった。注目の的は見送りのため、今日はそれなりにおしゃれをしていた。
市民たちは問う。
「ひ、一人で抗ってたってのか理子?」
「なんで隠してたんだ、水臭ぇじゃねえか」
照れたように頬を染めて身を小さくし、理子はもじもじしながら回答する。
「……ええと。だってわたし、香奈美さんに勝ててもいないのにハイエナに挑んだりして。身の程知らずというか、みっともないというか。それで何回も負けているだなんてかっこ悪いじゃないですか」
俯きながらの告白を静聴するうちに、ひたすら仰天していた人々は優しく見守るような姿勢に変化していった。
「でも、香奈美さん。どうして知ってたんですか?」
「あたしは鶴ヶ外三郡誌、知識だったら誰にも負けないわ」
不思議そうに尋ねる理子に、香奈美はそんなにない胸を張って明答をする。
「山菜とはぜんぜん違うけど、女の子が密かに傷ついてるのも見抜けるのよ」
「おおーっ」
みんなが感心したが、香奈美の内心は別だった。
(ホントは、山主になって山菜ゲーム戦績の閲覧権限が上がったからなんだけどね)
「でも」やがて市民が言った。「理子さんなら信用できるな」
そこにまた、他の市民たちが応える。
「ええ。優しいし、実力も香奈ちゃんに次ぐわ。文明崩壊前は学級委員長とかもやってたそうだし」
「んだな、
「こっちも賛成だ」
続々と巻き起こる賛同の声。
「……本当に?」
みなの反応に、理子の顔つきもだんだんと明るくなっていった。
「じゃ、じゃあ。よろしくお願いします、みなさん」
「う、うむ」山爺もどうにか同意する。「とりあえず後顧の憂いはなくなるがなんとも、唐突じゃったな」
こうして相好を崩した理子は、市民たちへと深々と頭を下げた。
途端に溢れる拍手喝采。もちろん、陸徒や香奈美や山爺も送っていた。
「けど、香奈ちゃんはどうするんだ?」
ふと、市民の誰かが問いを発する。
「そうじゃった」山爺も思い出したように質問した。「山主の決定に異論はないが、いったいどういうことだ香奈美?」
「決めたのよ、あたし」
香奈美は、はっきりと回答した。
「街を出るって!」
「!!」
全員に衝撃が走る。それをみなが受け止めきるまもなく、少女は二の句を継いだ。
「陸徒と一緒に、山魔王に挑戦しに行くの」
「「……んなっ」」
陸徒と山爺がそろって絶句する。それでも、老人の弟子は構わずに続けた。
「街からハイエナは去ったけど、この体制に苦しんでる人たちはたくさんいる。そういうことをするやつをやっつけるために修行してきたんだもん。あいつがいなくなったんなら、山魔王を目指さなきゃでしょ」
もはや誰しもが黙って聞いていた。彼女の外面に、強い決意があることを確信していったのだ。
いわば、無言の了承だった。そこでようやく、陸徒は焦りだした。
「け、けどおれひきこもりだったし、まともに女の子と接したこともないし。二人きりで旅立つなんて、あの……」
「そういう問題?」香奈美は怖い笑顔で言う。「平気よ、変なことしたらぶっ飛ばすから」
「いやそういうことだけではなくてだな」
「なによ、不満なの? じゃああんた、山菜の知識ある?」
歩み寄ってきてずいと顔を近づける少女に、少年はもはや怯むしかなかった。
「いくら見極めの偉才があっても、イラコの棘も知らないようじゃこの先不安でしょ」
「う、はあ。……ま、まあ」
「なら、よろしく」
拒否しようのない握手を要求する香奈美。こうなっては、陸徒もそれを交わして承諾するしかない。戸惑いのあまり、このために車種を選ばれていたことには気付けないままに。
「……じゃあね。山爺」
まもなくあっさりと対話相手を変更して、香奈美はかつての師へと改まってお辞儀をした。
「お世話になりました。いろいろ、ありがとうございます」
「ううむ」山爺が唸る。「こちらのほうこそじゃ、こんなわしを介護してくれておったのじゃからな」
寂しそうだが、彼は弟子の船出を邪魔するつもりはないようだった。おもむろに車椅子を漕ぎ、香奈美へと肉迫する。
「昨日は妙に優しかったがそういうことか、寂しくなるのう」
愁いを帯びて見詰め合う二人の、香奈美のほうのそれが唐突に引き攣った。山爺に尻を撫でられたのである。
とっさに振り払い、ビンタしようとする手が途中で静止した。
「……許すのは、今回だけよ」
「これは、得したかもしれんな」
二人は控えめに笑い合った。みなも笑声を漏らしたが、寂しさも含まれているようだった。
「安心してください、山爺さん」
見かねたように、老人の背後から理子が声を掛けた。
「代わりにわたしが同居します。山主になるんだし、山菜についてももっと学びたいんですよ。香奈美さんに暮らしぶりはよく伺っていました。弟子にしてくださいますよね」
山爺はかつての弟子へと、最後の感謝の眼差しを送った。それから、車椅子を新たな弟子候補の面前まで動かす。その上で、
「なるほど。どれ、テストじゃ」
と、いきなり彼女の胸を鷲づかみにしようとした。
「きゃっ!」
瞬間。理子が悲鳴と共に素早く避けて、反射的な平手打ちのカウンターを放ち、老人はもろにくらった。
「……ふ、ふむ。もう触れもしなさそうじゃな。これでこそ文明社会に近づいたと言えるのかもしれん。香奈美に次ぐ弟子として申し分ない、よかろう」
理子は我に返り恥ずかしそうに、お願いします、と囁いた。
こんな一連のやり取りと出立の準備に、人々はまた拍手と笑いを送ったのだった。
まもなく陸徒は運転席に着いてシートベルトを締め、香奈美は助手席に乗った。
「あんた、そもそも運転とかできるの?」
シートベルトをしながら少女が訊いたのは、ゼストが亀姫の支配地域内であるここに創造されたので、まだ誰も走らせてはいないからだった。
「いちおう」
と、陸徒はいきなりアクセル全開で、猛スピードで走行させる。田園風景がたちまち残像を伴って流れていく。
「ちょっ!」
蒼白する香奈美が悲鳴を上げるも、少年は得意げに誇った。
「北海道を出るために、短い期間だけど練習したからな」
山爺や市民や亀姫は、いきなりすぎる発進にびっくりしたものの、すぐに手を振って見送りだした。
行く手の地平線上空には、馬の背を分けるように暗雲が立ち込めている。それは、残存するる準菜五人衆と三裁人と山魔王の、巨大な漆黒のシルエットだった。
険しい眼差しを怪しく煌めかせる影たちの方向へと、新会津若松側に広がる晴天の空の下、ゼストは勇敢に突進していく。
「よーし行くぞ」陸徒は、調子にのってはしゃいだ。「おれたちの山菜ゲームは、始まったばかりだ!」
ようやくなれてきたらしい香奈美は、苦笑いで運転手の頭を軽くはたいてから注意した。
「文明社会時代の打ち切りネタみたいな台詞使うなら、その頃に習って安全運転もしなさいよ」
心なしか、車は速度を緩やかにしたようだった。
サンサイ・ゲーム 碧美安紗奈 @aoasa
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