家良眞の公開手記
噛継
事案1.心の在り処
主要登場人物
家良 眞(イエナガ マキ)
27歳の男性。本作の主人公。『家良探偵事務所』の探偵兼責任者。猫探しから殺人事件まで、様々な事件を請け負っている。
三木 華音(ミキ アヤネ)
20歳。バイト募集の広告を見て事務所を訪れた女子大学生。探偵助手というものに半ば中二的な憧れを持ってやってきた。
纓 藍丸(マトウ ランマル)
26歳の男性。眞と同じ大学の同期。情報収集に長け、サイト作りや機械のメンテナンスなどコンピュータ関連を任せている。
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《9月18日 水曜日》
夏も終わり、そろそろ団子が美味くなる季節。平日の夕方にそいつはやってきた。
扉を開けて入ってきたのは見るからに年下の女。......学生か?
「あ、あの!家良眞さんはいらっしゃいますか!」
大きな声で話す女。こういうタイプは苦手だ。喧しくてテンションも高く何より鬱陶しい。ただ、依頼主なら丁重にせねばならんだろう。
「家良眞は私ですが」
そう返すと、女は興奮した様子で俺の机に大股で近づいてくる。ジーパンとスニーカーだからって大股で歩くな足音が五月蝿い。
「あの......!助手の希望、まだ空いてますか!?」
「は?」
何言ってるんだこいつは。頭まで花畑か?
「これ、見てきたんですけど......!」
女がスマホの画面を見せつけてくる。ディスプレイには『【探偵助手募集!一緒に事件を解決してみませんか?】定員1名 時給 時価 交通費支給 詳しくは事務所まで 所在地 東京都台東区○○-○○ 代表 家良眞』とバイト募集の広告が出されていた。
「よく出来た冗談だ。そのスキルは褒めてやる」
俺は椅子に深く腰掛けて脚を組む。こんな画像を作ってまで嫌がらせとはなかなかだ。
「家良さんが作ったんじゃないんですか......?」
女はきょとんと首を傾げる。
どういうことだ......?俺は考えた。こんなことを出来るのはヤツしかいない。俺は電話の受話器を取ってボタンを押す。コール音が3回続いた後、男の低い声が聞こえてきた。
「はい」
「おい藍丸、お前何した」
俺が苛苛しながらそう聞くと、受話器からカチカチとライターの音が聞こえる。
「......何がー?」
「この求人広告は何だと訊いている」
俺がそう言うと、相手がフーっと煙を吐く音が聞こえた。
「......もしかして来たの?」
「いいから答えろ」
「いやぁ、まさか本当に助手希望が来るなんて。こりゃケッサクだ!」
相手はケラケラと大声で笑っている。きっと画面越しで腹でも抱えているだろう。
「お前だな?」
俺は確信を持ってそう訊いた。もはや訊くまでもないが、自供させるのは証拠集めの基本かつ決定的な目標だ。
「もー、そんなにカリカリすんなってー。マキちゃんもその方がいいでしょ?荷物持ちでもいいからコキ使えば?」
俺はそれを聞いて勢いよく受話器を置いた。組んでいた片足を地に下ろす。
「あの......!」
「......採用だ」
女の顔がパッと明るくなる。
顔が一々煩いがまぁいいだろう。直ぐに辞めるだろうしな。俺はデスクの引き出しから履歴書を出す。暫く出番がなかった為少し色褪せていた。
「そこの机で書け」
女は用紙を受け取ると手早く書き上げて持ってきた。
「......ほう」
三木華音、日本屈指の大学に在学中の2年生......。それなりの頭はあるようだな。志望動機は単純な興味本意か。さて、何日で辞めるかな。
「ここでのルールは3つだ。1つ、俺が連絡したら可及的速やかに指定場所に来ること。大学は優先して構わんがそれ以外は許さん。1つ、業務内で取り扱う事件や個人の情報は他言無用厳守だ。漏らしたら即日クビにする。1つ、俺の指示に文句を言わないこと。言われたら何がなんでもやれ。これが守れないなら帰れ」
「問題ありません!やります!」
女はすぐさま答えを返してきた。
「......なら今からお前は助手見習いだ。死ぬほどこき使ってやるからな、覚悟しろ」
「はい!」
本当に喧しい女だ。
俺は履歴書に判子を押し、引き出しに仕舞った。
《9月19日 木曜日》
翌日。事務所に1本の電話がかかってきた。公衆電話からだ。
「はい。家良探偵事務所です」
「もしもし、お仕事の依頼をお願いしたいのですが......」
「具体的にはどういったお話でしょうか?」
「その......轢き逃げの犯人を突き止めてくださいませんか」
轢き逃げか。轢かれた本人は記憶が曖昧になりがちな一件だ。詳しく話を聞いてみるか。
「被害者は何方でしょうか」
「......僕です」
なるほど。被害者本人ということか。被害者が生きているなら話は早い。公衆電話からの電話、加えて受話器から足音が慌ただしく聞こえるあたり入院中か。
「成程。承知しました。依頼、お受けします。代金は後ほどお話を。まずは事件の解決を優先させていただきます」
俺は受話器を耳と肩で挟み、机からメモ用紙とペンを取り出す。
「この後お話をお伺いしたいので貴方様のお名前と病院の名前をお願いします」
受話器を置いたあと、そのまま俺は助手見習いに電話をかける。1コールで出た。
「はい、三木です」
「仕事だ。件名は轢き逃げ事件の調査。○○病院のロビーに来い」
「はい」
俺は受話器を置き、メガネを掛けて鞄を持つ。そして事務所を出た。
病院のロビーの椅子に座っていると、三木が小走りでやってきた。
「先生、お待たせしました」
なんだその呼び方。まぁいい。突っ込みはあとだ。鞄を三木に渡す。
「ちゃんと来たんだな。行くぞ」
受付で依頼主の名前を告げると、看護師は俺たちに部屋番号を伝える。
エレベーターで上の階層へ向かう。言われた部屋に行くと、壁のケースに依頼主の名前が書かれたプレートがちゃんと入れられていた。個室か。
「話を訊く間は黙っとけ」
「......はい」
助手の声がとても小さい。流石に人間、緊張はする生き物らしい。俺は扉を軽くノックした。
「......はい」
「失礼します」
俺は引き戸を開け、病室に入る。男性が1人、ベッドに横になっていた。
俺の隣の三木が息を呑んだ音が聞こえた。
頭にはガーゼが固定され、頬には大きな絆創膏。左腕と左脚にはギプスが巻かれ、とても痛々しい。
「先程お電話を頂きました、家良と申します」
俺は依頼主に軽く会釈をする。何も言わず三木も頭を下げる。
「あぁ......この度は態々どうも」
俺は立ったまま本題に入った。
「早速ですが、当時の状況をお聞かせ願えますか」
俺が手を出すと、三木はペンとメモ帳をその上に置いた。
依頼主の名前は松田遥一郎(マツダヨウイチロウ)さん。被害者も彼だ。都内の企業に務める23歳の男性。1週間前の午前7時頃、通勤途中に横断歩道で道路を横断しようとしたところ車に撥ねられ、犯人はそのまま逃走したとみられる。事故の音を聞いた近隣住民が救急車を呼び、この病院に運ばれた。
担当医の話では腕と足は骨折、腰骨にはヒビが入った上、頚椎捻挫との事。
追突の衝撃で脳震盪を起こし意識が飛んだ為、走り去った車の色やナンバーは分からない。警察が捜査中だが現場が防犯カメラに映っておらず1週間経っても車の特定にすら至っていないとのことで依頼した、という経緯らしい。
「......ありがとうございます。松田さんからの情報をベースにこちらでも捜査をしていきます。何か進展がありましたらまた面会に参りますが宜しいですか?」
一通りメモし終えて、依頼主の顔を見る。なんと痛々しい......。必ず見つける。警察よりも早く。
「メモ用紙とペンを貸していただいても?」
「どうぞ」
松田さんはメモ用紙に右手で文字を書いていく。
「はい。......これ、僕の携帯電話のメールアドレスです。メールなら病室でも出来るので」
松田さんはメールアドレスの書いたメモ用紙とペンを俺に差し出す。俺はそれを受け取り、すぐにスマートフォンに登録した。
「まだ折れたのが左で良かったです。不幸中の幸いってやつですね」
松田さんは困ったように笑った。
「......本当なら不幸すらなかったはずなんです。私は犯人を許しません。松田さんに代わって、必ず見つけます」
俺は松田さんを見てハッキリとそう言う。必ず罪は償わせる。松田さんが心から笑えるように。
暫くの沈黙。
「では、進捗はメールで逐一お伝えします。長々とお時間を頂いてしまい申し訳ありませんでした。失礼致します」
俺と三木は頭を下げ、病室を後にした。三木と共に病院から電車で事務所に戻る。三木から鞄を受け取る。
「今日はもう帰っていいぞ」
「......はい」
声のトーンが低い三木。明らかにテンションが下がっていた。
「こういう仕事に身を置くってことは、そういう事だ。覚えておけ」
「......はい。失礼します」
軽く会釈をして三木がしょげた背中で歩いていく。バタンと扉が閉まり、事務所の中には俺1人だけが残った。
「さて......」
俺は椅子に深く腰かけ、息を吐いた。
《9月20日 金曜日》
翌日の朝7時、俺は事故現場に出向いた。
かなり見通しの良い十字路。こんな所で車を飛ばすバカがいるとは松田さんもまさか思わんだろう。事故があったであろう場所には松田さんのものと思われる血液が大量に飛んでおり、アスファルトを臙脂色に変えていた。引き摺った様な血の跡が約20m。骨折箇所からして左から突っ込まれたことは明白。ブレーキ痕はなし、か。
静かな歩道を歩いていく。車が来たであろう方向に進んでいくが、相変わらずどこにもブレーキ痕はない。通勤時間帯にも関わらず人通りは疎ら。ましてや横断歩道を横断中なら見逃すはずもない。明らかな過失。
付近の電柱やガードレールにも衝突したような跡は無く、真っ直ぐトップスピードで突っ込んだことが予想できる。これのどこが難航する捜査になるんだ?俺は防犯カメラの位置を確認しようと上を見る。
......ない。何処にもない。あるはずの防犯カメラが何処にも。そんな馬鹿な。
現在都内のほとんどの地方自治体が道路への防犯カメラの設置を義務付けている中、設置していないことはまずない。
俺はスマホで東京都の防犯カメラに関する情報を調べた。『設置義務はなし』......クソったれめ。『現場が防犯カメラに映ってない』んじゃない。『そもそも防犯カメラが現場にない』んだ。
結局現場に1番近い防犯カメラを探したが、角度的に現場を映していないことは明らかであった。
これは聞き込みしか無さそうだな......。俺は1度喫茶店で朝食を取って情報を整理したあと、事故現場付近に住む人を対象に聞き込み調査を開始する。鞄からボイスレコーダーを出し、電源を入れて胸ポケットに差し込んだ。
事件現場から20mほど離れた家。チャイムを鳴らす。するとパジャマ姿の老人が出てきた。
「すみません、少しお時間よろしいでしょうか。先週近くで起きた轢き逃げ事故について調べているものです」
「あぁ......あの事故ですか。朝早くから大きな音がしたので飛び起きましたよ......」
「事故が起きた時間、近くを車が通ったりはしませんでしたか?」
男性は目を空に向け、少し唸ってから答える。
「うーん、見てないねぇ。車の走る音は聞こえたけどねぇ......」
走行音はここまで聞こえていた。かなりの速度だったようだな。俺はメモを取る。
「事故当時、他に何か変わったことはありませんでしたか?」
「特にないなぁ。いつも通りの静かな朝だったよ」
収穫は無しか。一筋縄ではいかなさそうだな。
「そうですか。朝早くからありがとうございました」
俺は軽く会釈をして玄関を後にする。
それから何件か家を回ってみたが、確たる証言は得られなかった。午後1時。いよいよ俺が不審者になってもおかしくないだろうな。そう思いながら事件現場のほぼ目の前の家のチャイムを鳴らす。主婦とみられる若い女性が出てきた。
「どちら様ですか?」
「先週ここで起きた轢き逃げ事故について調べているものです。お忙しいときにすみません」
「あぁ!あの事故ですね!」
「はい。事故について何かご存知ですか?現場を走った車を見たとか......」
やはり家が目の前だからか、女性はすぐさま返答を返してきた。
「見たもなにも!白い車です!白のワンボックス!車には疎いもので車種までは分かりませんけども......。大きな音がして来てみたら、血だらけの男の人が倒れていて......救急車を呼んだのも私です」
これは良い情報だ。
「成程。ナンバーは見えましたか?」
「いいえ。何しろ私も気が動転してましたので......お力になれなくてすみません」
女性は肩を落としてペコペコと謝り出す。
「いえ、有用な情報をありがとうございます。他に何か変わったことはありましたか?」
「変わったこと......?うーん......」
女性は腕を組んで少しばかり考え事をしている。
「あ、そうだ!2日前くらいかな?家の近くの防犯カメラが無くなってたんです。多分警察の方が回収したんでしょうけど」
「......ここには防犯カメラが付いていたんですか?」
「今どき付いてない道路なんてないですよ!道路沿い、あちこちに付いてますよ?」
俺がそう返すと女性は声高に答えた。
「そう、ですか......。ありがとうございました。御協力感謝します」
この証言が確かなら、警察の捜査が始まる前に誰かがこの一帯の防犯カメラを外したことになる。聞き込みはこの辺にしておくか。
俺はスマートフォンを取り出し、松田さんにメールで報告をする。
『調査の進捗です。事件の後、防犯カメラが何者かによって外されていることが判明しました。これから、カメラを外した人物を特定します。』
もう1件、メールを作成する。
『轢き逃げ事故の調査を今日もやってる。時間できたら電話しろ』
2件のメールを送信し、俺はその足で区役所へ向かった。防犯カメラだったら総務部の危機管理課辺りか。
待ち時間はなく、窓口の男性が話す。
「本日はどういった御用件ですか」
「先週の朝、この区の○○丁目で発生した轢き逃げ事故について被害者の方からの依頼を受け、調査をしています、家良探偵事務所の家良と申します」
男性は少し疑いの目を向けてきたが、俺が名乗ると直ぐに合点がいったようだ。
「あぁ、家良さんの息子さんでしたか。どのような要件ですか?」
「この区は防犯カメラの設置業務を民間に委託していらっしゃいますよね?」
「そうですね」
「事故現場付近の防犯カメラを管理している業者をお教え頂けませんか」
「少々お待ちください」
男性は近くのパソコンをカタカタと叩き何か調べているようだ。しばらくして戻ってきた。
「ないですね」
「......え?」
「データを見ましたが、そもそもその付近に防犯カメラはないです」
データ上に登録されていない。そんなことがあるのか。区役所が仕事を疎かにしているとも思えない。......それなら。
「ならば、そのエリアで『却下された』防犯カメラ設置の申請はありましたか?」
「却下......ですか?」
「はい。理由はなんでも構いません」
「上の者に確認を取ります。少々お待ちください」
男性は窓口から1番奥、上座に座る男性職員のもとに駆けていく。10分ほどして、紙を手に戻ってきた。
「却下された申請書です。3年間で20枚」
「ありがとうございます」
俺はその場で申請書を1枚ずつ見ていく。
事故現場の近く、防犯カメラの申請......あった。あの家の目の前、電柱に設置許可を何度も出している。他にも同じような申請をしているみたいだな。俺はメモ用紙に会社名を書いて申請書を返した。
「お忙しい中ありがとうございました。助かりました」
俺は会釈をして、急いで件の会社へ向かう。きっとそこに車があるはずだ。
電車の車内。スマートフォンが着信を知らせる。画面には『助手見習い』の文字。
「先生、大学終ーー」
「かけ直す」
ブツっという音と共に、一方的に通話を終了させる。電車を降りたあと、ホームで三木に電話をかける。
「もしもし、先生!?いきなり切るなんて酷いですよ!」
声がデカい。相変わらずか。
「株式会社○○。今すぐ来い」
「は、はい!でも一体何がーー」
俺は通話を終了した。これ以上は時間と金の無駄だ。
駅の改札を抜け、件の会社へと歩を進める。駅からそう遠くはない。この辺りの地価を考えるに、そこそこ儲かっているみたいだな。
駅から徒歩10分ほどの所に、その会社はあった。コンクリートで塗られたシンプルな外壁の二階建て。外の駐車場には車が数台停まっている。が、その内白いワンボックスは1台もない。ふむ......それもそうか。
「すみません」
会社の出入口の扉を開けると、青い作業服姿の男性が数人デスクに向かっていた。1番近くの若い男性が椅子から立ち上がって歩いてくる。
「あの......?ご予約のお電話はされましたか?」
「いや。社員の皆様にお聞きしたいことがあって参りました、家良と申します」
俺は男性に名刺を差し出す。男性は名刺を両手で受け取り、表裏をまじまじと見つめる。
「探偵さん......ですか。少々お待ちください」
若い男性社員は上座に座る男性に何やら話している様だ。
「あのー......先生?」
俺の真後ろで息切れを含む高い声がする。やっと来たかノロマめ。
「持て」
俺は鞄を後ろに差し出す。三木は無言で受け取った。
少しして、話を聞いたであろう男性が歩いてきた。
「初めまして。社長の安積(アサカ)と申します。奥へどうぞ。ご案内します」
安積さんから名刺を受け取り、俺たちは奥の応接間に通された。木目の光沢ある机に黒革のソファ。テンプレのような応接間だ。
俺は歩きながら、胸ポケットのボイスレコーダーの電源を静かに入れた。
「どうぞ。お掛けになってください」
「ありがとうございます」
手で促されるままソファに腰を下ろす。社長はすぐさま温かい茶を入れてくれた。
「改めまして......家良探偵事務所の家良眞と申します」
「助手の三木でーー」
「助手見習いです。この度はお忙しい中お時間を頂戴して申し訳ありません」
「いえいえ」
一息置いて、さて。本題だ。
「早速ですが本題に入らせて頂きます。先週の朝7時頃、この区の○○丁目で轢き逃げ事件が発生したのはご存じですか?」
「あぁ、あれですか。ニュースで見ました。かなり酷かったようで」
社長は眉を下げ、悲しそうに話す。俺はそのまま続けた。
「えぇ。地域住民の話によると事件現場付近には防犯カメラがあったそうですが、少なくとも3日前にはそれが無くなっていたんです。調べたところ、この会社は事故現場付近の電柱にここ数年、数回に渡って防犯カメラの設置申請を出していますよね?」
「はい。社員たっての希望で。区役所に申請しましたが、受理されませんでした。なので設置は諦めましたよ」
社長は設置を否定するか。社長ならば知っていても不思議はないが、この様子......嘘をついているようには見えない。嘘をついている可能性もゼロではないが......。それよりも引っかかることがある。
「社員たっての希望?」
「はい。『流石に防犯カメラが一つもない道路はどうなのか、人の目があるとはいえ朝晩は人気も少なく危険ではないか』ということで......」
理由は真っ当だな。区側の予算が割けずに却下、といったところだろうな。
「その提案をした社員さんは何方ですか?」
「係長の濵(ハマ)です。今長期休暇をとってまして......電話して呼び出しましょうーー」
「いや。その必要はありません」
俺は立ち上がろうとした社長を制す。もし犯人ならその連絡はまずい。証拠隠滅に拍車がかかる可能性が高い。車は修理に出ているかもしれないが、カメラはそう簡単にゴミに出せるものでもない。破壊されていても水没していてもデータは復元できる。カメラさえ見つかれば、まだ立証ができるはずだ。
「私が直接向かいます。現住所をお教え頂けますか」
「は、はい。東京都千代田区の......」
住所をメモし、すっかり冷めた茶を一気に飲む。味なんかしない。味覚に割くリソースなど俺は持ち合わせていなかった。少なくとも今の俺には、だが。
「ありがとうございました。御協力、感謝します」
俺は立ち上がり、軽く会釈をする。三木も慌てて立ち上がり俺に合わせてお辞儀をする。
「もし......もし!犯人がうちの社員だったら......その時はーー」
社長は俯きながら震える声で呟く。
「その時は、そいつがクビになるだけです。それに、これはまだ仮説。可能性の段階です。......失礼します」
俺たちは会社を後にした。日が傾き始めている。時計を見ると午後5時前。でも、俺たちの調査はまだ終わらない。
「行くぞ」
俺がそう言うと、三木は恐る恐る話しかけてくる。
「もしかして......行くんですか?犯人の家」
俺は大きなため息をついた。これだから素人は。分かってないな。
「まだ犯人じゃない。疑わしきは罰せず。それがこの国だ。俺たち探偵だって、それは変わらない」
「あ!待って下さいー!」
俺がスタスタ歩き出すと後ろから三木が必死に追いかけてくる。足の回転を上げる。
「あ、ちょっと!!更に速くしないでください!?」
電車とバスを乗り継いで、濵の家まで来た。閑静な住宅街に建つ一軒家。二階建てで表には......白のワンボックス。まず車の問題は解決か。
インターホンのスイッチを押す。5秒。留守か?もう一度押す。少し長めに待ってみたが、物音すらしない。ため息が出る。警察だって令状が無ければ建物への立ち入りが出来ない。何の権限もない探偵なら尚更無理だ。
「......留守かーー」
俺は日を改めて来ることにして、家に背を向ける。
「......!先生!」
三木が俺の背後を見て何か言っている。俺はバッと振り返った。すると、玄関の戸から1人の女性がこちらを見ている。年齢は俺より少し上、30代と言ったところか。
「どちら様ですか」
女性は怪訝そうな顔で俺たちに視線を送る。
「家良探偵事務所の家良と申します。先日都内で起きた轢き逃げ事故について、旦那様にお話を伺いたく参りました」
俺がそう言って会釈をすると、女性は態度をそのままにこちらを見続けていた。
「生憎主人は外出中です」
「そうですか......。では奥様でも結構です。お話をお伺いしてもよろしいですか?」
女性は一瞬狼狽えたものの、言葉を投げてくる。
「主人の留守中は家には人を入れないよう言いつけられていまして......」
今、一瞬目が泳いだ。この反応、何か知っているはずだ。どこまで聞いてる?
「ならば玄関、いえ......この場でも結構です」
女性は黙って俯いている。俺は、言葉が出るのをじっと待っていた。
「......人を、傷つけたままでいいんですか......?」
口を開いたのは女性ではなく三木だった。
「おい!」
俺は三木の口を塞ごうとしたが三木の声は想像以上に大きく、とても収まるものではなかった。
「......あなたは、それでいいんですか!!」
住宅街で響く三木の怒りの声。これ以上は本当にまずい。迷惑行為と名誉毀損、下手したら賠償責任ものだ。三木の首を掴み、少し力を込める。
「黙れ......」
俺がそう言うと、三木の体が強ばった。
「すみませーー」
「ーーもう、いいです」
女性が力なく呟いた。顔はこちらを見ている。少し、泣きそうな。
「......お引き取り下さい」
そう言って、女性は扉を閉じた。住宅街にまた静けさが戻る。
俺は三木から鞄を分捕って勢いそのまま踵を返す。
「......先生ーー」
「クビだ」
その後、三木は何も言わなかった。
風が嫌に冷える夕方だった。
《9月23日 月曜日》
それから3日後の朝。事務所にいつも通り出勤した俺は温かいコーヒーを啜り、ため息をつく。
「はぁ......」
あれから調査が進展することはなく、肝心の防犯カメラの在り処も分かっていない。状況から考えれば濵が一番黒いのは間違いない。あの様子だと家族には何か口止めをしているようだし、会社の同僚も当てにならないだろうな。さて、どうしたものか......。
事務所の扉がガチャリと開く。こんな朝から依頼人か。俺は急いで椅子から立ち上がる。
「家良探偵事務所へようこそ......」
その人物は黙ったまま俯いている。
「来てくださってありがとうございます。濵さん」
尋ねてきたのは、先日のあの女性だった。手には大きめのバッグを持っている。あの時のようなおどおどした様子はなく、どこか心が決まっているような雰囲気が漂う。
「夫の......罪を、償わせてください」
「まずはお掛けになってください。お茶でも飲みながら」
温かい緑茶を湯呑みに入れて机に置く。茶柱が不恰好に浮いている。
俺は胸のボイスレコーダーの電源を入れた。
「早速ですが、濱さん。先日起きた轢き逃げ事件について、あなたがご存知のことを全てお話頂けますか?」
「はい......」
女性は重々しい口を開き、言葉を紡いでいく。
「あの日、私は主人をいつも通り会社に送り出しました。車に乗って、主人が出ていくのも見ました」
「家の駐車場に停めてある白のワンボックスですね?」
「はい。そうです。でも主人はその日車で帰ってきませんでした。どうしてかと尋ねたら、人を轢いたって......」
女性は涙をぽろぽろと零しながら話し続ける。
「だから、もし警察が来ても黙っとけって......。私さえ言わなきゃバレないからって......。その時のあの人は、とても......怖くてっ......私......っ」
時々嘔吐きながら号泣する女性。俺はティッシュの箱を机に置いて女性に薦めた。
「......でも、あなたは勇気を出してくださった。お強い女性です。あなたは」
相手が落ち着くのを待ってから、再度話を続ける。
「確かにご主人は『人を轢いた』と仰ったんですか?」
「......はい。聞き間違えるはずがありません。確かにそう言っていました」
「そうですか。他に何か言っていたことはありませんでしたか?」
女性はお茶を少し口に含み、飲み込んでから話す。
「そう言えばその後、主人は電話をしていました。相手は分かりませんが、カメラがどうこう......って」
ほう。やはりかなり聞いていたようだ。それに複数で証拠隠滅を図っていることも分かった。それだけで十分有用な証言だな。
「なるほど......。ありがとうございます」
発言の要所を一通りメモに取り手を止めると、女性が事務所内を見回している。掃除はこまめにしているが気になるところでもあったのだろうか。
「何か?」
「あ、いえ。その、助手さんは......?」
やはり気に障ったようだ。もういないとはいえ雇用主としては詫びねばなるまい。
「......彼女ですか。先日は無礼をーー」
「い、いえ!彼女の言葉で勇気が出たんです」
女性は一転、明るく返す。
「と、言いますと?」
「彼女の真っ直ぐな言葉が、私の背中を押してくれたんです。罪に向き合わなきゃいけないって。被害者の方が苦しんでいる限り、夫には償う責任があるって、そう思ったんです」
「......そうですか」
あいつのお陰でこの女性は決心がついた。そうか。たまには情に訴えかけるのも一策ということか。
「あ、あと!」
女性はバッグからプラスチック製の青いファイルを取り出した。中に何か紙が入っている。女性はその紙を出して、机に置いた。
「これ......夫の机にあった保証書のコピーです。この会社に聞けば多分修理したことも分かると思います」
「ありがとうございます」
紙を手に取り見てみると、確かにあの車を修理に出していたことが分かる。日付は事故当日の午前10時。ただ、名義が本人ではない。『榎原』......?
「あの......。これ以上は主人に怪しまれるので......失礼します」
考え込んでいた俺はハッとして椅子から立ち上がる。
「あぁ、すみません。お忙しい中、ご協力頂きありがとうございました。必ず、真相を解明します」
女性を送り出した後、事務所の椅子に座って頭を廻らす。
榎原......榎原......どこかで......。
聞き込みの表札......違う。区役所の名札......これも違う。会社の名札......。
「探偵さん......ですか」
あの時一瞬だけ見た、社員の名札。青い作業着の社員たち......その中でもはっきり見えたあの文字。最初に俺たちを出迎えた、新人社員。
「......あいつか!」
俺は急いで椅子から立ち上がり、電話をかける。2コール。
「先生......!?」
「クビは取り消しだ!この間の会社まで来い!!」
「えっ!?どういうーー」
言いたい事だけを端的に吐き捨て、受話器を勢いよく置く。メガネを掛けて鞄を持ち、急いで事務所を飛び出した。
午後2時。俺は会社に着くと、1度外で息を整えてから扉を開けた。スマートフォンを鞄に仕舞い、レコーダーの電源を入れる。
「今日は」
そう言った俺を出迎えたのは同じ席のあの男、榎原だった。
「あぁ、探偵さん。本日はどうされたんですか?社長でしたら今日は出払っていますーー」
「いえ。私が用があるのは榎原さん、あなたです」
榎原は少し困ったように笑う。
「......そうですか。今は仕事中なので......少しだけならお話します」
榎原は椅子から立ち上がり、会社の外に手を出す。俺は元きたドアを開けて外に足を踏み出した。
「それで、僕に御用とはなんでしょうか?」
俺はコホンと咳払いをして、口を開く。ここが勝負だ。頭を回せ。全力で。
「先日この辺りで起きた轢き逃げ事件についてはご存じですか?」
「え?あぁ、少し前のニュースで見ました」
「その犯人が、分かったんです」
俺が自信を全面にそう言うと、榎原の目が一瞬揺らいだ。勿論断定はしていない。まだ物的証拠が出ていないからな。あれだってただの修理だと言われたら終わりだ。だからこいつから搾り取る。情報全部。
「......その犯人とやらは誰なんですか?」
俺は少し黙り込んで言いにくいかのようにわざと間を作る。
「......榎原さん、あなたですよね?」
榎原の目をじっと見て俺はそう言った。瞳孔が少し動揺している。過度なストレスがかかっている証拠だ。無関係ならストレスは微々たるもの、それよりも犯人扱いの嫌悪感が勝るだろう。
「は、はは。ご冗談を。僕が、犯人?」
「はい」
苦笑いをする榎原に淡々と切り返す。心拍数までは流石に分かりかねるが、材料はある。
「先生ー!!!」
三木が小走りで駆け寄ってくる。俺の隣に立ち、ぜぇぜぇと膝に手をついている。
「証拠は?証拠はあるんですか?」
「榎原さん、事件当日の朝、車を修理に出していますよね?」
俺がそう言うと、榎原は驚いたような顔をする。......ここまで露骨だとはな。助かる。
「は、はい?車?修理?何の話です?」
「おい、あったか?」
三木はわたわたと鞄から紙を1枚取り出す。俺は今朝の保証書のコピーを榎原の目の前に掲げる。
「事件当日午前10時、車の修理の保証書です。ここにあなたの署名があります」
三木の手から紙を取り、それも隣に掲げる。
「そしてこれが事故を起こした車輌の写真です。事件当日、濱さんの車に乗って何をされたんですか?」
「う、嘘だ......知らない!僕はこんなの知らない!!」
保証書を両手に掴み、榎原は非常に動揺した様子で口を開いた。
「......榎原さん。このままだとあなたが殺人犯になります。これ以上罪を被るんですか?人生を懸けてまで、守りたいものがそこにありますか?」
俺は紙を下げ、榎原の情に訴えかけることにした。三木が隣で眉をひそめている。
「......脅してるんですか」
「いいえ。私はあなたの良心を信じているだけです」
直後、榎原が保証書を力なく返す。ため息を付き、がくりと項垂れた。
「......怖かったんです。『お前の首程度俺の口添えひとつで飛ばせるぞ』って脅されて。従うしかなかったんです。自分がとんでもないことをしてるって分かってたのに」
「......濱さんに指示された、そうですね?」
「......はい」
俺はメモを鞄から出し、三木に鞄は持つよう渡した。三木は無言で受け取った。
「防犯カメラの設置もあなたが?」
「......はい。事故の次の日、係長に電話でカメラの回収を言われて。何か凄く焦っている様子で......脅されたのもその時です。何が何だか分からないまま回収しました。道路が血塗れで、その時から何かヤバいことに首を突っ込んだ気がしていたんですが、その日の夕方のニュースであの場所が出てきた時はゾッとしました。係長がやったんだって、悟りました」
榎原は目を伏せて話を続ける。
「でも、車の修理の件は本当に知りません。係長が僕の名義でやっていたなんて......」
「いざとなればあなたをスケープゴートにする予定だったのでしょう。あなたがやったような証拠ばかりですし、仕立て上げるのは容易でしょう」
「違います!!」
榎原は声を荒らげて否定する。ここが外なのもお構い無しに叫ぶ姿を見るに、精神的にかなりキているのは明白だった。
さて、仕上げだ。俺は悲しそうな顔を作って、あたかも同情しているかのように呟く。
「でも証拠がない。......一部始終が映った防犯カメラがあれば話は別ですがーー」
「......あります。僕の家に、あります」
「データの確認、出来ますか?」
「はい。今からでも」
それは話が早くて助かる。三木を見ると、大丈夫だというように頷いている。なかなか板に付いてきたじゃないか。
「では今から、お願いします」
「......少し待ってください」
榎原は会社の中に戻っていった。俺はレコーダーの電源を1度切る。
「先生、さっきの電話は何だったんですか?クビ取り消しってーー」
「濱の奥さんたっての希望だ。......命拾いしたな」
素人のおかげで調査が進展したなんて、口が裂けても言えるものか。俺のプライドが許さん。
「あの人が......?」
「せいぜい感謝しとけ」
そんなやり取りをしていると、私服姿の榎原が会社から出てきた。
「車でよければ、お連れします」
「えぇ。是非」
小さめの黒い車。榎原所有の車のようだ。特に傷もなく、車種的に中古の車といったところか。後部座席に俺と助手は並んで座った。
榎原は無言で車を走らせ、30分程度で榎原の住まいと見られるマンション前に着いた。一般的な団地タイプだ。エレベーターで4階に上がり、通路を進む。榎原の表札、405号室。榎原はポケットから鍵を取り出しガチャガチャと回し、ドアを開ける。
「どうぞ、散らかってますが」
「お邪魔します」
「......わっ、私も!お邪魔します!」
男の一人暮らしといった室内。しかしながら意外と綺麗に掃除されていて、短時間なら居てもいい気はする。
榎原の作業場と見られるデスクのある部屋。デスクトップのパソコンの電源はつきっぱなしになっていて、カーテンがかかった暗い部屋で青く鋭い光を点滅させていた。
榎原は部屋の電気をつけて、本棚の一番下、文庫本の群を手際よく退かす。すると、旅館によくあるタイプの小型金庫が姿を現した。
「この中にカメラの映像を記録したSDカードが入れてあります。本体は処分してしまいましたが、データは全部あります」
ダイヤルを手早くカチカチと回し、金庫の扉が開く。中にはもう二回りほど小さな箱が入っていて、榎原はその中からSDカードを数枚取り出した。カードをパソコンに挿入し、榎原は椅子に座ってマウスを操作する。動画ファイルの中から1つをクリックし、再生ボタンを押した。
午前7時13分。横断歩道を渡るスーツ姿の男性。横顔から見るに被害者の松田さんだ。画面端、微かに見える歩行者信号は青。勿論道路の方は赤だ。
「音はないですが、その分画質は良いので解析しなくてもある程度はわかると思います」
数秒後、松田さんの左から猛スピードで車が突っ込んでくる。榎原は停止ボタンを押して追突の瞬間で画面を止めた。男が乗っている。白のワンボックス。映像を止めて解析すればナンバーは濱の家のものと一致するだろう。
「この男が濱、ですか?」
「えぇ。間違いないです。毎日顔を見ているんです。忘れるはずもありません」
動画は再生され、画面内で松田さんが吹っ飛んでいくのが見て取れる。
「これは別のアングルです」
窓をもう1枚開き、そちらの動画も再生する。これは吹っ飛んだ先、ちょうどあの家の前のカメラだ。松田さんが横たわっているのが分かる。道路には赤黒い染み。車は残像が出来るくらい猛スピードで画面から消えていった。数秒後、話を訊いたあの女性が松田さんに駆け寄って車の去った方向を見ている。
榎原は動画を停止させ、窓を閉じた。
「他にも計4台のカメラに映っていました。証拠としてお持ち下さい」
「いえ、我々の役目はこれまでです。我々の依頼主は『犯人を突き止めろ』ということを依頼しましたので。これ以上は追加料金を頂かなければいけなくなりますから」
そう言うと、榎原は少し笑った。俺はそんなにおかしな事を言っただろうか。
「分かりました。これを持って自首します。あの係長諸共、お縄につくことにします」
榎原は苦笑いを含みながら寂しそうにそう言った。三木が悲しそうに見ている。
「榎原さん......」
「君はこんな大人になっちゃいけないよ」
三木に向かって笑ったあと、俺に顔を向ける榎原。
「探偵さん。その、被害者の方には必ずお詫びしに行きます。何年後になっても、面と向かって詫びに行きます。係長を連れて、必ず。......ありがとうございました」
榎原は頭を深々と下げた。俺は軽く会釈をする。三木は泣きそうな顔で榎原を見つめ続けていた。
「駅までお送りしますね。それから......その足で警察署に行きます」
「......そうですか」
俺たちは車に乗り込み、最寄りの駅まで送って貰った。
「今度は依頼、しに行きますね」
「何時でもお待ちしてます」
俺は降り際、運転席の窓に名刺を1枚差し出した。
「探偵さん......ですか。いいお仕事ですね」
「えぇ」
榎原は笑って窓を閉めた。そして黒い車は駅から走り去っていった。車が見えなくなってから、俺はスマートフォンを取り出し、松田さんにメールを送る。
『調査の結果、犯人が判明しました。○○株式会社の係長、濱という男です。証拠隠滅を手助けしていたと見られる同社の榎原から裏をとり、榎原が証拠を持ってつい先程自首しに行きました。近日中にそちらにも警察から正式な連絡があると思われます。』
俺はそこまで打って指を止める。
『追記 榎原は明確な謝罪の意思があり、必ず謝罪したいとのことです。許せなくても、会ってやってください。』
送信ボタンを押す。
「俺もどうかしてるな」
ため息をつくと、三木が俺の横に並ぶ。
「先生、解決ですね!」
俺の鞄を手に、にかっと笑う三木。全く腹が立つ顔だ。犯罪とは無縁の、純朴な顔だ。
「そうだ......あのメール何だったんですか?電話で言えばよかったのに!」
同日、午後12時30分頃
「クビは取り消しだ!この間の会社まで来い!!」
「えっ!?どういうーー」
俺は勢いよく受話器を置いた。駅まで歩きながら頭を回す。
犯人は濱で間違いないだろう。会社の座席の配置、出入り口の真ん前に席がある榎原が一番下座にあたる。つまり新入りの新入り。係長からの圧力があってもおかしくは無い。
俺の仮説ではこうだ。事故を起こしたのは濱で間違いないだろう。そして濱が勝手に取り付けていたカメラに皮肉にも事故が映っているのは明らか。そこで、パワハラをしてその撤去と処分を榎原に押し付けた。車の修理は濱が榎原名義でやったかこれまた榎原に押し付けたかだろう。
どちらにせよ榎原を叩けばボロが出る。俺はスマートフォンを取り出して三木にメールを打つ。
『さっきの電話は聴いたな?(株)○○自動車という車の修理を請け負う会社がある。そこで榎原という名前で事故当日に修理を出した車を洗え。見つかったら修理前の写真をコピーして持ってこい。至急だ。』
送信。俺はスマートフォンを手に持ったまま、やってきた電車に乗った。
「あの写真取るの大変だったんですよ!榎原さんの姪だって言ってやっと信用して貰えたんですから!」
寧ろよくそれで信用されたな。本当に運がいいなこいつは。
「......今日はご苦労。帰っていいぞ。給料は後日口座に振り込んでおく」
俺は三木から鞄を分捕って眼鏡を取る。
「ま、精々助手として俺にしがみつくことだな」
俺は踵を返す。今日は夕日が美しい日だな。気分がいい。
「......はいっ!!!」
後ろから助手のデカすぎる声が聞こえる。
本当に喧しいやつだ。俺には十分すぎるくらいにな。
事案1.心の在り処
家良眞の公開手記 噛継 @kmtg
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