第2話 人間の言葉
レオンは、ユアが言葉が分からないと理解すると、見える物を指差して、その名前を教えてくれた。
「これは、檻。」
「お、るぃ」
「はは、そうそう。で、これが服。」
「ふく」
「えっと、あ、髪」
「えとあ、あみ」
「あ、違うんだ!……髪」
「あみ」
「か、だよ。それから、……目」
「め?」
「うん。ここは……鼻」
「はな」
「で、……口」
「く、つぃ」
「うん、口、だよ」
「く、ち」
辿々しく二人で言葉の練習をする。レオンは優しくて、ユアを見ると嬉しそうに微笑んだ。ユアもやっと気持ちが落ち着いて、同じように微笑むことができた。
そうしていると、突然大きな音をたてて扉が開いた。ビックリして檻の中の二人は体をビクつかせ、自分を守るように檻の隅へと移動する。
「今回はこれだけだ。たが、極上品だ。黒髪で黒目の女は希少種だ。これ以上傷付けるな。怪我を治したらすぐに売り飛ばすぞ。」
「はい、分かりやした!」
部屋に入って来た男達はユアを見ると下衆な笑いを浮かべて、それからまた部屋から出て行った。
ユアは男達が何を言っているのか分からなかった。けれど、レオンは悔しそうな顔をしてユアを見る。
「ユア、どうにかして逃げないと!ユアは可愛いから、きっと酷い目に遭う!」
「レオン?」
「あぁ、そうだな、分からないね!ユア、逃げる。」
「にげる」
「そう、逃げる。けどどうすれば……この檻、どうにかならないかな……」
「お、るぃ」
「あ、うん、檻。邪魔なんだ。」
「じゃま……お、り、じゃま」
ユアは木で出来た檻を見て、手のひらから炎を出した。一瞬にして炎が檻を焼き付くし、檻だけではなく飛び火した炎が部屋中を焼いていく。
「ユア!凄い!けど、ここにいたら危ない!急いで逃げよう!」
「にげ、よう」
レオンがユアの手を取って急いで扉まで向かうけれど、扉は鍵がかかっていて開かない。レオンが扉を押したり引いたりしてガタガタさせるけれど、扉は開かなかった。
「くそっ!開かないっ!」
「あ、あない」
「火が……!」
ユアがドアノブに手をかけて一気に押しやると、扉は勢いよく開いた。レオンは驚いた顔をしてユアを見るけれど、とにかく急いでその場を離れることにする。
「なんだ?!あ、お前らっ!何逃げ出して……うわぁっ!火事だっ!」
「水だっ!水を……!」
「それより、このガキ共捕まえろっ!!」
男達はレオンとユアに向かってくる。二人は手を繋いで、それをかわすように部屋の中を走り回る。一人の男が、レオンの襟ぐりを引っ付かんで持ち上げた。と同時に、レオンはユアの手を離す。
「レオン!」
「ユアっ!逃げろ!」
「にげろ!」
「こいつ……!おい、そいつは絶対に逃がすな!早く捕まえろっ!」
「ユア!」
「レオン!」
「お前っ!うるさいぞっ!」
男がレオンの腹部に拳を勢いよく食らわすと、レオンは「うっ!」と一声言ってから、グッタリした。レオンが死んじゃう、ユアはそう思った。コイツ達はあの魔物と同じだ。父をボロボロにした、アイツと同じだ。そうユアは思った。
父の姿が頭に浮かぶ。許せない。あんな事をする奴等は絶対に許せない……!そう感じたユアは、キッと男達を睨み付けた。
その途端、男達は凍り付いたように動かなくなった。
レオンを抱え上げてる男の元まで走って行き、ユアは手をグーにして男の太もも辺りを打ち付ける。男はすぐに体勢を崩し、その場にドンっと尻餅をついた。
レオンを掴んでいる男の手首をギュッと握ると、ゴキッ!と音がして、その手は力を無くした。男の手から離れたレオンを抱えるも、重くって支えられそうにない。
「レオン!レオン!にげる!」
「……え……あ、ユア……あ、そうだ!逃げないと!……え?」
自分達の周りにはまだ男達がいて、けれど何もせずにただそこにいるだけの状態で、それにレオンは戸惑ったけれど、すぐに思い立ってユアの手を取り、出口へと急いだ。
二人で走って、捕らえられていた山小屋らしき場所から飛び出して、それからも出来るだけ遠くまで離れるように、レオンは走り続け、それに合わせるようにユアも走った。
山小屋は火に覆い尽くされていき、中にいる男達もろとも焼き尽くしていった。
「ハァ……ハァ……ここまで来たら……もういいかな……ユア……大丈夫か?」
「だい、じょー、か」
「ハハ、大丈夫?」
「だいじょうぶ?」
「うん、俺は大丈夫だよ。」
「だよ」
「ユア、可愛いなぁ」
「あぁいい、なぁ」
「可愛い。ユアの事だよ」
「ユア、か、かぁいい?」
「そうだよ。」
お互い笑いあって、それからレオンとユアは二人で手を繋いで森を歩く。ユアはどこに向かっているのか分からなかったけれど、元よりユアには行く場所等無かったのだから、レオンが進む道をただ同じように進んで行くしか出来なかった。そして、その事に何も疑問も戸惑いも無かった。
「俺の村がもう少し先にあるんだ。一人で狩りに出たら、盗賊に合って連れ去られたんだよ。」
「だよ」
「ハハハ、そう。外は怖いな。」
「こあい、な」
「ユアは何処から来たんだろう?」
「だろう?」
「言葉も分かってないし……遠くから連れ去られて来たのかな?」
「か、かな?」
「不安だよね。大丈夫だからね。俺がずっとそばにいるからね。」
「だいじょうぶ」
「うん、大丈夫だ!」
レオンに連れられて、ユアは歩く。けれど、少しずつレオンが疲れたような感じになって、段々歩けなくなってきた。
「ユア、ごめん、ちょっと休ませて。なんか、凄く疲れたんだ。」
「レオン、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ。少し休めば、また元気になるから。」
息を荒くして、レオンはグッタリしていた。木を背にして、二人並んで座る。レオンの様子がおかしい。凄く疲れているようだ。ユアは手のひらに水を出し、それをレオンに差し出した。
「レオン」
「え?あれ、水……どこで……?」
「どこ、で」
「あ、ううん、いいよ。ありがとう。」
「ありあとう」
「うん、ありがとう。ユアは良い子だね。」
「あり、が、とう、いいこ」
レオンが微笑んで、ユアの手から水を飲む。それから目を閉じて、レオンは眠ったようだった。寄り添うように二人はいて、ユアはレオンが目覚めるのを待った。けれど、それからレオンは目を覚まさなかった。ゆっくり傾いて、ユアの肩に頭をのせたレオンの温かかった体が、少しずつ冷たくなっていく。
外はもう暗くなっていた。空には星が輝いていて、でもそれは木々に阻まれてあまり見えなかった。父といた山では遮るものは何もなくて、雲よりも高い場所にあった龍の親子の棲み家からは、いつも満天の星空を眺める事が出来た。
今まで当たり前にそれはあって、それまでなんとも思わなかったその景色が、今は恋しくて仕方がなかった。
「レオン?レオン……」
動かないレオンのそばを離れる事が出来なくて、ユアは不安な気持ちを押し殺して、ただそこから動けずにレオンが目覚めるのを待つしか無かった。
けれど、レオンは目覚めなった。
夜は魔物の気配があちこちにある。怖くなってドキドキして、辺りをキョロキョロ見渡す。山を出てから、まだ何も口にしていなくて、ユアは凄くお腹も空いていた。きっと、レオンもお腹が空いているから元気がないんだ。そう考えたユアは、食料を探しに行くことにする。
父に、木の実は食べられる、と聞いた事がある。けれど、そんな物では腹は満たない、と笑っていた。だから、何か魔物を狩ろう。さっきから気配は感じる。この気配の魔物くらいであれば、自分でも倒せる筈だ。
ユアは走って、魔物の気配がする方まで走って行った。そこには、大きな熊のような魔物がいた。ユアを見付けた魔物は、威嚇してから大きな呻き声を上げて、勢いよく襲い掛かってきた。
ユアは走って魔物の懐に即座に入り込み、飛び上がってグーにした手で腹部を殴りつけた。それは一瞬の事で、その一発を食らった魔物が、唸り声を上げると大きく後ろへと倒れ、それから動かなくなった。
ユアは龍の姿に変わり、その爪で父がしていたように魔物を解体していく。魔物の毛皮は、寒い夜には丁度良い、と感じて、皮を剥いで空間収納へと片付けた。他に捌いた肉も、収納してその場を後にした。
急いでレオンの所まで戻ろう。肉を食べたら、レオンはきっと元気になる。また言葉を教えてくれる。早く食べさせてあげよう。
そう思って、急いでレオンのいた場所まで戻ってきた。しかしそこには、無惨に食い散らかされたレオンと思われる姿があっただけだった。レオンは魔物に食われたのだ。
「うぁぁぁー!あーっ!レオン!うわぁーん!レオンー!」
悲しくなって涙が出るけれど、レオンも父のように、もう形を成していなかった。悲しかった。せっかく仲良くなったのに、優しかったレオンも魔物にやっつけられたのだ。
腹が立った。
魔物は私から大事な人を奪っていく。
だから、魔物を全部やっつけたい。そう思った。
木々に阻まれて見えにくくなった星空を見上げて、まだ生まれて7年程しか経っていない幼いユアは、ひとり泣いてそう思ったのだった。
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