第17話

 さっそく翌日の朝からサニスはリゼットの世話を開始した。着替えの支度ももちろん彼の役目だ、侍女が運んでくれた朝食をテーブルに並べ終わるとサニスはリゼットの寝室を整えに行く、その間にリゼットは朝食を済ませてしまう。

それが終わると出掛けるための準備だ、櫛を通し、髪を整えるここでサニスの不器用ぷりが発揮された

「あ、あのサニス?」

「…す、すみませんリゼットさん…」

鏡台に映るリゼットの髪は独創的な形になっている。これは重症だわ!そこでふとサニスの髪が気になる

「ね、サニスの髪もその、なんというか───自分で整えてるの?」

「はい、確か髪を切ったのは…半年前かと…それがどうかなさいましたか?」

そう答えたサニスの髪は肩を超えている、確かに美しい髪だが何が問題かといえばもつれていそうな気配がすることだ、例えれば─鳥の巣

「ちょっとここに座ってくれる?」

「は、はい?」

鏡台の椅子に座らせると、リゼットは引きだしの中から、毛量の多い櫛を取り出す

「じっとしていてね」

何を始めるのかとそわそわしていたサニスのもつれた髪に櫛をあてていく、毛先からゆっくりと。次第に中間から毛先へ、最後は根元から毛先へかけて…ブラッシングをかけていくうちに艶が増して行く

「覚えた?こうやって毎日梳かすのよ、美しさを磨く事は男優として大切な事なのよ。あと、前髪はもう少し切ったほうがいいかもしれないわね」

「は、はい」

鏡の中のサニスを覗きこむ、紺碧の瞳はさっとそらされたけどリゼットは一つ彼に教える事が出来て嬉しかった。

「あとは…わたしの髪ね。今からわたしがするのを見ていてね」

「はい、リゼットさん」

その後劇場へ向かうと、さっそくホークから今日のスケジュールを聞かされる、『星が降る黄昏に』は公演を五日後に控えているがさらに十日後には『幸福な婚約者』が控えている。正式名所は『天使が護る愛』なのだが、揶揄して団員達は『幸福な婚約者』と呼んでいる、世間知らずで我儘な婚約者は知らずとも幸せなんだろう、という意味合いらしい。

「今日はこちらの『天使が護る愛』の稽古をしていく。なにせ時間がないからな…舞台で本番を想定して始めるぞ、もちろん台詞は覚えてきているな」

役がある者は当然と言った面持ちで頷く、問題はどう動くかだ、これは団員の実力や経験、そしてホークの構成力にかかっている。

 舞台での稽古は想像以上に厳しい物だった。アイリッシュはどちらかといえばきつい印象があるので今のクリスティーナに近づけるように、仕草や表情の作り方を徹底してホークに指摘された。リゼットは悪女さが足りていないと指摘された。

「色気もないな。」

はっきりとホークに指摘された、何度目かの通しの後に

「リゼットの悪女の悪の部分だけはよく伝わった。女の部分はないが…」

と半目で見られた。

それはそうだろう、ホークだと思って演技しましたから というのは心にしまってにこりと微笑む。

 役柄からしてこの場合の色気とは相手を誘う様な色気かと思っていたが、どうやらそれではないらしい。困った事に色気に関しては指摘されても仕方がないレベルだった

「次は仕上げてこいよ」

にやりとホークが全員に言い渡す。今日指摘された事全てをそろえて差し出さなければいけない

 荷物を纏めにサニスと稽古場に戻ると納得のいかない様子の団員がちらほらと居残り稽古をしていた。既に外は薄暗くなってきているはずだ

「サニスわたしの荷物をもって城へ戻りなさい、わたしはここで少し稽古してから帰るわ」

「いえ、ぼくはリゼットさんのカフォリペツォです。ここでお待ちいたします」

「でも…」

サニスはそれだけ言うと、邪魔にならないように部屋の隅に移動した。ここで稽古を見るのもサニスの為になるかもしれないそう言い聞かせてリゼットは台詞や立ち周りをなぞっていく。大きな鏡に映った自分に台詞をぶつける


『お前さえいなければ、彼の心はわたしの物なのに!!』


あ、これって…昔のわたしみたいだわ

クリスティーナ様さえいなければ、という暗い物を抱えたあの頃にそっくりだ


『お前さえいなければ、彼の心はわたしの物なのに…!!』


本当にそうだったのだろうか…?ユーリはクリスティーナがいなくともリゼットに振り向く事はなかったのではないだろうか。わたしには決定的に何か足りていなかったのだ

ストンと心に落ちた気がした


『お前さえ…いなければ、彼の心はわたしの物なのに…!!』

『いいえ、彼の真実はいつもわたくしの側にあったわ、あなたは彼の名を愛しただけ』


アイリッシュが立ちはだかる

髪を乱したリゼットはおののく


『やめるんだ君に心を移した事など一度もないのだから』

『嘘よ…だってあなたはわたしを美しいと言ったわ!』


フェリオに媚びるように縋るように手を伸ばす


『きみはかわいそうな人だ…わたしがひとかけらの愛を君に示すとしたならばそれは赦しだ』


寄り添うフェリオとアイリッシュ


『違う!!こんな茶番を見るためにわたしはここにいるんじゃない!!』


涙が自然と流れ落ちる

憐みを向ける二人に呪いの言葉を吐く、でも気持ちはこんな事したくない!彼に愛してると言ってほしかった!と叫ぶ

はじけた音が聞こえてはっとする。

出入り口の扉に寄りかかっていたホークの拍手だったらしい

一瞬自分がどこにいるのかわからなくなり、辺りを見回す。ああそうだ稽古場だった─

すっかり役に入っていたアイリッシュやフェリオの面持ちも同じようなものだ

「すっかりよくなったじゃないか、さあ今日はここまでにして帰りなさい。体調を崩さないようにするのもプロの役目だ」

いつのまには稽古場のみんなに注目されていたようだ、ホークが劇場の戸締りをしていくので早くとせかされながら片づけに追われる。時間通りに手配していた辻馬車の人達は時間を持て余していたのか、集まって煙をはいていたらしい、ぞろぞろと出てきた団員を乗せると一台また一台と動き出す、外はすでにすっかり日が落ち夜空が見えている。海が近いせいかうっすらと霧がかかり、街灯がぼんやりと景色をてらしている。

「夜間も昼間とは違った美しさね」

リゼットは外を伺いながら横に座っているサニスに話しかける

「そうですね、けれどやはり少し冷えます。リゼットさんこれをどうぞ」

軽めの外套をリゼットの肩にかけたサニスにありがとうと伝える。今団員が使っている辻馬車は箱型ではなく背面と幌があるだけの二人乗りのもので、賃金が安いのでマラビスバが滞在中は何台かを借りている。

 城につくと門番に証明書を提示し玄関ホールへと徒歩で向かう事になる。見事な庭園をまばらに歩く団員を追いかけるようにしてリゼットとサニスが並び歩いていると

「……今日の稽古、すごかったです。ぼくなんというか──惹きこまれました」

「そういってもらえると、すごく嬉しいわ…ねぇ、サニスはどうして劇団に入ったの?」

「そ、それは──実はぼくが生まれた家はすごく貧しくて…食べていけるなら本当はどこでもよかったんです…すみません」

申し訳なさそうに俯いたサニスに、リゼットもドキリとした。リゼットだって同じ様なものだいや、もっと悪いかもしれない。サニスの理由の方がよほど純粋で不純物がないように感じたからだ

「──サニスいいのじゃないかしら?食べるために演技をする、それだって立派な情熱だもの!」

良心がちくりと痛む

「リゼットさんがそう言ってくださるなら……」

「もちろんよ!サニスは綺麗だし可愛いし、気も付くしきっと冠をもらえるようになるわ。でも、努力はしないとね」

「そそうでしょうか…」

花も恥じらうといったように顔を真っ赤にしたサニスは、リゼットが凝視しているのに気が付くとさっと話題を変えてきた

「リゼットさん、今日はお部屋に香油をご用意します、マッサージを受けてからお休みください」

「それなら大丈夫よ、自分でできるから、サニスも疲れたでしょうから休んだほうがいいわ」

「いえ、リゼットさんのお世話もぼくの仕事ですから!」

「そ、そう?─それならお願いしようかしら」

リゼットが了承すると、サニスは嬉しそうにほほ笑んだ


部屋に戻ると見計らったように侍女が夕食を運んでくる、すでにバスタブにも湯がはられているらしく、サニスは自室で夕食を済ませた後に香油を持ってくると退出していった、用意されていたのは湯気の上がったコンソメスープにしっとりと焼かれた白パン、チキンのハーブ炒め、注文通り量を少なくしてもらった軽めの夕食をとると、さっそくリゼットはバスルームへ向かう、実はリゼットはこの時が一番好きかも知れない。たっぷりとした湯につかると重たい身体も軽くなる

「ふぅ…今日の稽古はなかなかきつかったわ…なんだかんだいって皆お芝居に夢中になってしまうんだわ」

リゼットにとってあそこまで強烈な悪役は初めてだったが、今回の悪役は自分にぴったりなのではないかと思う

───こぽっ

「!!」

ざぱりと音をたてて、リゼットは身体を引きもどす

「危ない……うたた寝してたわ!」

どきどきとうるさい心臓を押さえてバスタブから出ると素早く着替えてしまう、マラビスバ三姫バスタブで溺死─なんて不吉な文字が躍る新聞を想像して身震いする。

それと、アイリッシュの小馬鹿にした顔も浮かんだ…

バスルームから出ても、まだサニスは戻ってきていないらしく、リゼットはソファで待つ事にする

「あれだけうれしそうな顔をされてしまった以上は待たないとね…」

カチコチと規則正しい時計の音が響く部屋ではリゼットのまぶたは引力に逆うことは出来るはずもなくいつのまにか深い眠りに落ちてしまっていた。

 雲の上を歩く夢を見た。ずっと歩いて歩いて─そうだここは家だ。わたしの家

玄関を開ければ、あぁやっぱり両親がいる

『おかえり、リゼット』

『ただいま』

『疲れただろう?ゆっくりおやすみ』

『うん』

部屋に戻ると、ドライフラワーに価値のない絵画、ガラス細工の素敵な小瓶…自分が大好きな物がたくさん詰め込まれてる。リゼットの宝部屋にふわりと花の香りが風にのって部屋を包んでくれている。

『いい香り…』

清潔なシーツがかかったベッドに飛び込むと、真綿でつつまれたようで心地いい。

『きもちいい…』

「毎日こうしようか」

それもいいかも…でも毎日になったらサニスは大変よね…

「うん…───ん!?」

目を剥く勢いで目が覚める。わたし寝てしまってたんだわ、でもここは寝室よね?思いのほか明るいので、覚えのある天蓋で寝室だと判断する

やわやわと誰かが脚を触って…マッサージしてくれているらしい

「サニス…?」

恐る恐る、確認しようと頭を上げて足元にいるはずのサニスを探す。白いシャツを肘までまくりあげ片膝をついて屈む男に卒倒しそうになる。

「なな、なにしてるの!?──サニスはっ」

「サニス?ああなるほど、サニスには部屋に戻るように言い渡しておいたよ、リゼットの素肌に触れるのはわたしだけでいいからね」

「サニスを追い出したってわけなの?」

香油を着けた両手で今もリゼットの脚をマッサージしている、その手から逃れようと脚をばたつかせるが、くっと弱い場所に力を込められる

「痛っ…!」

「暴れると手加減できなくなるな」

暴れた勢いで夜着がはだけてしまい、それをせめて直そうと上半身を起き上がらせようとしても、手加減なしのマッサージを受ける羽目になってしまった。

「リゼット優しくしてほしい?」

「………痛いのは誰だって嫌だと思うわ」

「ではわたしの質問に応えてもらおうかな」

足元に置いてあった瓶から香油を手に乗せると足首からふくらはぎを、しごくようマッサージを施す。

「フェリオと随分仲が良いみたいだね」

「………っレオンさんがそう言ったのね」

きっと昼間のじゃれあいをそう勘違いしてレオンが報告したのだろうと、すぐにわかる。

「なぜなんだろう、あれほどわたし以外の男でない限り優しくすると言ったのに、リゼットはわたしを狂わせたいのだろうか…どうしたらわたしの気持ちを信じてくれるのか…」

ファリオは、フェリオはなんて言ってたかしら?そうだ

『わたしなら、好きなった フリくらいはするかしらね~』

『ええ、どのみち他人のフリをする演技なら、好きなフリをする演技の方が最後に去る時に殿下へはダメージが大きそうじゃない?』

緊張のあまりに喉がからからになって上手く声が出せないかもしれない

「本当にわたしが好きなの……?」

ピタリとユーリの手が止まる、リゼットはゆっくりと上半身を起こすと急に不安にかられてしまう。拒絶の言葉が返ってきたらどうしよう…

「ああリゼットだけ」

どうしてユーリのほうが縋る様な目をしたのかわからない、赦しがほしいの?これは…罪滅ぼしなの?

「クリスティーナ様がいるのに?」

「彼女は形だけの婚約者だ、わたしが望んだ事ではない──時間がかかるかもしれない、これに関しては慎重に進めないといけない理由があるんだよ」

そうか、そういうことね…他国ではやはり愛人というのを認めている、それは政治的な面では位のある者を王妃に、身体の快楽は愛人に…ユーリは愛人にする気はないといっていた、やはり汚点を拭いたいのだわ、愛をささやきわたしに気持ちがあると思わせたうえでクリスティーナ様を王妃にせねば国に関わる、だからわたしとは居られない。

とんだ化かし合いだわ。こんな滑稽な事も現実では起きるのね

ぽたりと涙が勝手に落ちた、頬を伝わる事すらない、たんたんと落ちる涙は夜着を濡らしていく。

「わたしの愛しい人…」

きしりとベッドが鳴くと頬に暖かいものがふれた、まぶたに、睫毛に

「……わたしもユーリが好きよ……」

「リゼット…!」

リゼット掻き抱くユーリの腕の中は思っていたよりもずっと、ずっと暖かくてそれがまた悲しくて、叫びたくなる、あの陳腐な劇の一幕のように クリスティーナを捨ててわたしを選んで!! そう言えたなら、きっとはっきりとユーリは拒絶してくれるに違いない、そうしたら離れられるのに

「ユーリだけが好き…好きなの」

真実を口に出して、嘘に変換するたびに、心が血を流すみたいだ

「側にいて、もうどこへも行かないで」

腕の力が強くて息苦しいけれどそんな事はどうでもよかった、ユーリはリゼットがせがむたびに抱きしめてくれた。それだけが真実だ。

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