第15話 慈悲

クリスティーナの後ろ姿を見送ったレオンはユーリが待つ執務室へ急いで戻る事にした。嫌な予感というのは不幸な事によくあたるのが常だ。

リズムよくノックするとユーリの返事を待たずにレオンは部屋に入る。これはレオンとユーリしかしらない合図だ。命を頻繁に狙われてきたユーリの身を守る一つにすぎないがこれで何度か救われた事があるのは確かだ

「ふむ、どうやら追い返されたな?」

レオンが苦い顔をしたのを見て、ユーリは口端を上げる

「申し訳ございません…」

「気にするな」

「ユーリ殿下。クリスティーナ様が何か勘づいたかもしれません」

「ほう、それはレオンの勘、というやつか?」

「はい、勘 です」

書きかけの書類から目を離すと、こめかみをとんとんと指で叩く。

「予想よりもだいぶ遅い、もっと聡いかと思っていたんだけどね。彼女が動くならやりやすい、しばらく踊るのを眺めるのも悪くない」

「御意に」

「ああ、黒いうさぎを檻から出すのを忘れるな」

ユーリはそれだけ言うと、政務に戻る。ユーリの王としての気質は年々高まるばかりだ。レオンが初めてユーリと会ったのはユーリが五歳の頃だ、最初は只の一王子かと侮っていた。周囲から甘やかされて育ったのだろう、いつもにこやかに笑い多くの者を魅了している、雪が深々と降る頃だった城の庭でレオンが一匹のうさぎを逃がそうとしている時偶然通りかかったユーリが見つけた。ユーリは黙ってその震えるうさぎを見ていた。レオンはどうすべきか迷っていた

『それはなに?』

『こ、これは……うさぎです……』

腕に守るように抱いたそれを隠す様に力を込める

『かわいそうに』

子供特有の甘い声が聞こえた、レオンははっと顔をあげる。何か期待してしまったのかもしれない

『震えている。かわいそうに』

このまま、うさぎを逃がせるのではないか、それとも城の中に置いてくれるのではないだろうか、この子供を手なずけてしまえばきっと可能だ

『かわいそうだ。いますぐ殺してあげるといい。』

『いま、なんと……?』

『寒いのだろう、怖いのだろう、行く所がないのだろう、だったら楽にしてあげるといいよ。』

そういうと、分厚いマントの懐をもぞもぞと動かす、ほら、といって差し出された短剣にレオンは顔を引きつらせた。今しがた聞いた言葉をうまく咀嚼できない。この王子は可愛がられてきたせいで殺生の意味さえ理解していないのではないだろうか?焦りと怒りがないまぜになっていく、いっそここでこの王子さえくびり殺してしまえば…

『いつまでそうやって逃がし続けるの?お前の命ある限り?お前が死んだらそれはどうなるの?ぼくは愚か者が嫌いだ、なぜ考えない。わずかに照らされただけの道を進むばかりその先はぽっかり闇が口を開けているかもしれない』

レオンは衝撃に目を見開く。白い息を吐いて淡々と話す目の前の王子は何者だろう

『ぼくを殺す?ああそれならここはまずいね、雪の上に血痕が残る…それとも首をしめようか、それならぼくの抵抗の後が残る。それとも連れ去って違うどこかで殺そうか、うさぎはどうしようかまたここに隠しておこうか。ぼくが消えた後、大勢の人間が隅々まで捜索するだろう、うさぎは無事に逃げ切れるかな?』

独白といってもいい、けれどそれはいかに自分を殺すことが愚かな事なのか語っている。

そうだ自分にもうさぎにも逃げる場所も帰る場所もないのだ。それならいっそ自分の命と引き換えにこのうさぎを守る事は出来ないだろうか

『ユーリ殿下…哀れとほんのつゆほども情けをかけては頂けませんか…』

レオンはうさぎを背に回し、雪の中に頭を付けて乞う。騎士としての誇りもプライドもかなぐり捨てて、幼い王子に願う

『いいよ』

あまりに簡単に結論を出したユーリに驚いた眼を向ける。にっこりと優雅に笑ったユーリは雪景色の中で輝いている、金の髪にふりかかる雪ですら祝福のようだ

『レオンおまえは生きるといいよ、うさぎは殺そうね』

首をこくりと傾けて、手に持っていた鞘から短剣を抜くと、さくさくとレオン達に向かってくる、背後に隠したうさぎがびくりと震えたのを感じる、思わずレオンは腰にあった剣を抜こうとする

『ユーリ殿下!!自分の事ではなく──それ以上は…!』

『うさぎ、なぜおまえは何もしないの?まだ生かされたいの?』

『このお方は……!』

『ぼくの話をさえぎるな。』

とたんにアーモンドのような目に怜悧をのせてぴしゃりと言い放つ。レオンは地の底から這い上がってくるものに身震いする、けっして雪の冷たさではない。

『おまえはいつまで守られているつもりなのか、帰る場所が無い守る者が居ないのに王族きどりか、なんて高慢、おまえを守ろうとこれは頭を地につけた。おまえの騎士にたいしておまえは何もしない、出来ない、しようとも思わない。』

すでにユーリはレオンの目の前にまで迫っている。覚悟を決めて剣を抜こうとするのを震える手が制止した、冷たすぎるその手はゆっくりと地面を滑る。

『王女………!』

さらりとした銀の髪が雪の上に広がる、俯いたときに美しい影を作る長い睫毛すら見えないほどに頭をたれた王女は震える身体を雪に埋もれさせる。レオンは咄嗟に身体を起こそうと手を伸ばすが、首元にユーリが短剣を突き付ける事で阻止されてしまう。

『……わたくしの身は既に亡きものと等しきであるにもかかわらず、こうやって生にしがみついておりました誠にお恥ずかしい限りです…どうかこの稚気で愚かさにめんじてこの騎士を生かしてやっては頂けませんか…もちろん!ただでとは申しません。この無価値な身であろうともわたくしがもっているこの印章には価値があるはず、彼の国はこの印章を喉から欲しているはず』

『その印章よくみせて』

雪に埋もれている左手をユーリに差し出す、雪と同化しそうなほどに真っ白いそれをユーリはためらいもせずに掴む、レオンは未だ首元に短剣を押し当てられている状態だが成り行きをじっと伺っている。もしこの方に傷を付けるようであれば……

『本物のようだね───これはぼくがもらっておく』

するりと指から抜いた物を、ユーリは懐にしまうと、目を細める。こめかみを指先ではじくと

『名もなき者となった者達に問う、ぼくが太陽は闇だと言えば?』

ごくりと喉をならす、口内はすっかり乾いているはずなのに、喉を通した唾液は恐ろしいほど熱い

『──灯りをつけます…』

『風が毒だと言えば?』

『わたくしの身を壁とします』

『ならばおまえ達はこの瞬間からぼくの珠だ』

まるで今まで何も起きてなかったといった雰囲気でユーリはにこりと笑うと短剣を戻す。分厚い雲間から今も雪が降り続けている、この幼い王子は天啓なのだろうか…外見とともなわない理知、理性はもはや人間の域を超えている、熟した大人のようでもある。この方が次期王位につかれる…その瞬間を描く、そのとき誰よりもこの方の側にいたい!

隙間だらけだった心が満ちていく気がした。横に並んでいた王女の目に生気が戻っていくのを確かに見た。何があろうとこの王子につき従おう。そう誓った。

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