第12話

仄暗い回廊の向こう側をずっと静観していたユーリは今すぐにでもその部屋に殴りこみに行きたい衝動と戦っていた。この四角い回廊は大きな庭園をはさんでユーリの居住が南側に北側には今回マラビスバが滞在している、東西の回廊は階段がある。

ここにリゼットが滞在するようになってからユーリはひっそりとリゼットの部屋の扉を見つめて過ごす事が増えていた

昼にリゼットとあんな別れ方をしたからではないが、今宵も気になってこうして見に来てみれば男がリゼットの部屋に入っていったのだ


「確かあの男はフェリオ……」


手すりを握る力が熱を帯びてくるのがわかった

こんな感情は生まれて初めて感じたがこれは何なのか、稚拙な小説に出てくるような

そう


「嫉妬だ」


その夜ユーリは部屋からフェリオが出ていくまでその場を微動すらしなかった




「リゼット、わたしには復讐をやめろだとかは言えないけれど一度、殿下とじっくり話しをしてみたほうがいいとおもう」

「無理よ……」

「……わたしからの提案。もし今回の滞在でリゼットの言う復讐ができたらきれいに殿下の事忘れて過ごすって約束してくれる?」

「忘れる?」

「そう、過去に囚われるのはもう終わりにするの、もし約束してくれるならわたしも協力するわ」

「………考えてみるわ…」


部屋を後にしたフェリオの姿が見えなくなるまで見送ってリゼットは扉を閉める

すでに部屋の時計は午前を指していた

飲み終わったカップを片づけてベッドに潜り込む、どっと疲れた目を閉じればすぐに深い眠りについた


こんこん


「うん……?」


何度寝返りをうっても重たい瞼は開こうとしないが、ふとノックされたドアの音が寝室のそれだと気付きぱっと跳ね起きる

ひょっとして起きる時間が遅れたせいでセレスティが起こしに来たのだろうか


寝ぼけた頭でドアを開けると、濃厚な花の香りにおそわれる。視界も花で覆われた

目を瞬かせて目の前にある花を確認する

白い小粒の花を幾つも咲かせる物、薄いピンクの大きな花弁を幾重にも持つ物、バニラ色の肉厚の花びらを持つ花


「え?なに?」

「おはようリゼット」



花束の向こうから顔を覗かせたユーリにぎょっとする


「ユー……殿下!?」

「リゼットの好きな花ばかりだろう?」

「それは…そんなことよりどうやって部屋に」


好きな花ばかりなのは間違いないが今重要なのはそんなことではない


「部屋へは侍女に入れてもらった、けどさすがに君の寝室へ許可なく入るのはいただけないだろう?」


呆然とユーリと花束を交互に見る

メインルームの窓のカーテンはすでに開けられており、ほんのりと朝焼けしてきている様子で部屋に入れたという侍女はてきぱきと部屋を整え始めている


「これはどういう趣向ですの?──寝室どころか部屋にも入ってほしくないわ」


花束など受け取らないという意思を表せて胸の前で腕を組む


「あぁリゼット、彼女を責めないで?王太子のわたしの言う事に従うしか無かっただけなんだよ彼女は」

「…そんな殿下…わたくしは…」


かばわれた侍女は顔を初々しくも染めて嬉しそうにしている


「彼女を責めてるんじゃないわ。兎にも角にもここから出て行ってちょうだい」

「仰せの通りにリゼット」


そういうと侍女に向き直り、花束を渡すと一緒になって部屋の扉に向かいだす

ほっと一息つき着替えるために寝室に戻ろうとドアノブの手をかける


「じゃぁ、頼んだよ」

「はい、ユーリロンバルト殿下」


ぱたりと静かに閉められた扉の中には侍女ではなくユーリが居る

爽やかな笑顔で向き直ったユーリは大股でリゼットに近づいてくる


「!」


リゼットはすかさずドアを閉めるがすんでの所でユーリの手がそれを阻止する事に成功した


「どうして閉めようとするのかな?」

「どうしてって…!」


完全にドアを開けられ、じわりとあとずさりして距離をとろうとするも、下がった分だけユーリが詰め寄る。まだ寝室の窓には厚いカーテンがひかれ薄暗い

ユーリは背中に陽のうす明りを背負っているせいかその表情は読みとれない物のリゼットはえも言われないほどに恐怖を感じた


「まさか…わたしが怖い、とかじゃないよね。」


怯えて怖がっているなんて思われてるなんて…!わたしはマラビスバ団の三姫なのよ!

「そんなわけないわ…殿下が入って──」

「ユーリ」

「なに?」


いよいよリゼットの背中が壁を感じた、それを知ったかユーリはリゼットの後頭部に手を這わせもう片方の手でリゼットの顔を持ちあげる


「以前のようにユーリと」

「…もう以前のわたし達じゃないのよ」

「確かに、わたしは王太子に戻り、リゼットは輝くばかりの女性になった

けれど、わたしは君が知るユーリだ。リゼットに名を呼ばれるたびに自分を誇らしく思った──知らなかっただろうけどね」


ユーリの指が触れている肌が熱を帯びていくのを嫌というほど感じる

暗闇で良く見えないユーリの表情はいつしかの幸福な森での出来事を彷彿とさせる


確かあの日もユーリの表情は見えなかった…


吐息を感じるほどまでに近距離にユーリから静謐な香りが漂ってくる、甘いようでいて透き通るそれはリゼットをくらくらとさせるには十分な威力だ頬に添えられた親指が下唇をなぞればそれだけでうっとりとしてしまいそうなほどで、リゼットはもやがかかりそうな頭で必死に抗う


「わたしは、もう殿下に興味はありません、今は──」


必死で出した声は予想以上に震えていた

最後まで言い終わるのを待たずにユーリが口を挟む


「今はフェリオに夢中なのかな?」

「フェリオ?」


なぜそこでフェリオが出てくるの?


「いけないよリゼット。わたし以外は許せない。」

「フェリオは──」

「この可愛らしい口から他の男の名が出るのも気に入らない」


顎と頬を捕らえたユーリの大きな手にくっと力がこもる


「昨晩、ここにあの男が来たね、あの男と寝た?」

「な、にを」


フェリオと?そんな事があるわけもない!どうしてフェリオがここに来た事を知っているの?

「わたしを見張っていたの?」


ユーリを窘めるように問いただす。大人の女性を見張るだなんて紳士のする事ではない


「わかっていないようだ

わたしのものだ 君は。」

「!?」

「わたしのものに他人が触れる事は許さない」


柔らかな声色の中に確かな怒りを滲ませたユーリの言葉は心に熱された剣を突き立てられたようで、心臓が痛いくらいに脈打つ

喜びと悲しみが同時に押し寄せてリゼットを混乱させていく


「さぁ、この可愛い口から聞かせてくれないかな、わたしの名を」

「───わたしは殿下のものではないわ、もうこれ以上わたしに構わないで!」

「いけない人だ。素直に頷いてくれていたなら優しくしてあげたのに」


身長差のあるユーリをさらに見上げるよう、顔を持ちあげられるとユーリの端正な顔が近づく。

突然に噛みつくような口づけにリゼットは目を見開く、抵抗しようと頭をうごかせば息もつけないほどに舌を差し込まれ、リゼットはユーリの胸を叩くがさらに身体を壁に押し付けられ貪られる

やがて唇が離れるとリゼットは空気を求めて短く息継ぎをするが、ほんの少しの間を置いただけでユーリはまた行為を再開し始める

口内をなぞられると何故か腰が浮くような快感を拾い始める、それがなんだかとてつもなく不道徳のようで自然のリゼットの目が潤う


「どうして──」

「リゼットを諦めようとした事は一度だってないんだ

もちろん、今も、ね」


見上げてもその表情はわからないけれどもユーリの密着した身体が熱い、息が上がっているのを感じれば疑う心が揺らいでしまう

リゼットの復讐心が萎えていくのを許せない自分も確かに存在しているのに


「わたしはユーリを許せない…わたしと同じように苦しめばいいとそう思ってる。憎いわユーリ!」

「君からうける罰でも憎しみでもわたしには甘美でしかない、どうか許さず忘れないでくれ」


二人の境界線が曖昧になって朝日が昇る頃、壊れ物を扱うようにユーリは立てなくなったリゼットをベットの淵に座らせると満足した様子で『君はもう二度とわたしの腕から逃れる事は出来ないよ』そう耳元で甘い甘い声で囁くとユーリは部屋を後にした。

今リゼットは鏡の前で呆然と櫛を通していた、今しがたまでユーリが触れていた髪は少し乱れていた

軽いノック音とともに侍女が入室すると美しい花瓶にユーリが持ってきていた花束がバランスよく活けられている

テーブルに美しいそれを置くのをじっと見ていると、視線が合う。侍女は申し訳なさそうに一礼して部屋を出て行ってしまった


ユーリの気持ちが解らない、なぜ捨てた女にそこまでこだわるのかも…

田舎娘を面白半分でからかっただけではなかったの…

それともやはり何かの事情が合って…?

だめ、これだとあの頃と何も変わらない、レオンさんは金貨を持って家にやってきた何もなかった事にするために、もし真剣にわたしの事を想っていてくれたならユーリから何かあっても不思議じゃなかったもの…!

現にユーリには美しい婚約者が存在している

それともわたしはユーリが思うように愛人としてあの美しい婚約者の陰に隠れて生きていけばいいの?

「わたしを大切に思うならどうしてそんな事できるの…」


一筋の涙が伝った

ここに来てから何度泣いただろう、今まで女優として輝いていたリゼットは何だったのだろう


そう思うとリゼットは無償にやりきれなくなる、ユーリの痕跡を消す様に花をゴミに捨て花瓶の水も捨てて、いつも以上に念入りに化粧を施した。ルージュをひかなくても赤みをおびてぽってりとした唇にはそれ以上に赤いルージュを引いた


「残り27日間、わたしはわたしでいるの。女優のリゼット今日からすべてはお芝居よ

辛い事も全てはお芝居の出来事、だからわたしは演じるだけでいい」


鏡の中の自分に言い聞かせれば、絶世の美女が妖しく微笑む

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