第17話

山内と探偵社に行って担当者と話をした。

須藤杏の捜索という仕事には了承したのだが、我々には大きな壁があった。

それはかかる費用のことだ。予算は軽く100万円を超えるという。

年金暮らしの我々にとってはとてつもなく大きな金額だった。

「俺は用意出来たとしても10万円が限度だな」

山内は悔しそうに言った。

私も同じだった。

退職金の大半は家のローン返済に回してしまい、私個人の貯金は60万円ほどあるが、将来のため、そして残された家族に迷惑が掛からないようにするために必要最低限の金だった。

「やはり無理かなあ」

私は弱音を吐いた。

「須藤のお母さんにも相談してみよう」

「あの人に負担をかけるのはどうかな」

私はそれはまずいと思った。

そもそも私が彼らに会いたいと思って行動を起こして山内らを巻き込んだのだから。「だが、母親だよ。娘の捜索を俺たちにまかせるくらいだからもしお金があれば出すんじゃないか」

私は悪いような気持ちが支配していたから山内の意見には首を縦に振りたくなかった。

「とにかくこのまま諦めてはもうどうしようもなくなる。電話ではお母さんの本心も分かりにくいので会いに行って話をしよう」

私は山内のその言葉に渋々同意した。

次の日、私たちは須藤杏の実家に母親を訪ねた。

探偵社に行ったことと、探偵社に頼むしかもう方法がないことなどを話した。

「私がお金を出します」

母親はきっぱりとした顔つきで私たちに言った。

「ちょっと待ってください。お母様はご不自由な体で、今後どのような形でお金が必要になるか分かりません。そのためにお金を使うのはどうかと思います」

私は母親に少しでも金を出させることには反対だった。

「いえ、実を言うと杏のために主人が貯めていたお金があります。杏の結婚資金です。しかし、杏は結婚しなかったし、自分の稼ぎでどうにか暮らして来た。今までお金に困ったという話もなく、手付かずにあります。だいたい500万円くらいでしょうか。それに私には自分用のお金もちゃんとありましから心配なさらないでください」

「つまり、そのお金は本来は杏さんが受け取るお金であってお母様のではないということで間違いございませんか」

「そうです」

私と山内は顔を見合わせた。

だが、私はもう少し食い下がった。

「そもそも私が杏さんたちにどうしても会いたいという身勝手な思いで動き出しました。だから責任があります。失礼極まりないと思いますが、お母様がおっしゃったことの裏付けのためにその貯金通帳を見せてもらえませんか」

母親は困惑した表情をしたが、すぐに返答した。

「分かりました。お見せしましょう。そうすれば探偵社に頼んでいただけますね」私が自分に迷惑がかかるからこれ以上の捜索を打ち切るという腹の底を見透かしたような目で私を見ていた。

そして背後にあった棚のなかの箱から通帳の束を取り出した。

そのなかから2冊の通帳を取り出した。

名義人は須藤杏と母親のものだった。

中をめくって残高を示した。

須藤杏の口座には確かに500万円ちかい金額があり、母親名義の口座には1000万円を超える残高があった。

「お分かりいただけたでしょうか」

私は母親の思いに涙した。

山内も涙ぐんだ。

「だが、ひとつ言っておかなければならないことがあります。探偵社は杏さんの捜索はしても、事件性があればすぐに手を引くことになると言っております。事件性のある事案に触れることは法律で禁止されているからということです。ですので調査が不完全に終わる可能性もありうるのです」

「分かりました。でも期待しましょう。私にはあなたたいだけが頼りです」


私たちはぼろぼろ泣きながら母親と別れた。

駅まで向かう道には陽が沈む間際の薄い靄のような風が漂っていた。

町の輪郭がぼんやりとしていた。

私と山内は何も話さずに歩いた。

すれ違う人が家路を急いでいるのとは反対に私たちの足取りは重かった。

須藤杏の母親からの一言が重かった。

「あなたちだけが頼りです」

あまりにも重い言葉だった。

先の見えない思いものを持たされて長くて見通せない道を歩いているような気がしていた。

私の思いがどうにも引き返せない道に迷い込んでしまったことを思い知った。

だが、現実は現実である。

引き返せない道なら行きつくところまで行かなければならない。

私は駅に着くまでにそう覚悟した。

その場で昨日会った探偵社の細井という男に電話をしてアポイントを取った。

二日後の午後2時に会社に出向くことを約束して電話を切った。

「プロだから何も分からないということはならないんじゃないか」

山内は改札口の手前でぼそっと言った。

「俺もそう願うね」

私たちはホームに上がり上り電車を待っていた。


須藤杏の母親に会った日の翌日には山内と私は探偵社の会議室にいた。

担当者の細井という40歳がらみの男は、前回会ったときと比べてやや自信が無さそうな顔つきだった。

それは私の口から須藤杏の行方不明に至るまでの経過をすべて話して、普通の失踪ではなさそうだったということが分かったからだった。

細井はニコリともしないで口を開いた。

「もし須藤さんの失踪に事件が関わっていたことが分かればすぐに手を引きます。そして我々の調べたことを警察に渡します。それでもかかった費用と調査費はいただきますがそれでもよろしいでしょうか」

念のために我々に再度確認したのだ。

「かまいません。費用一切は須藤さんのお母様がお払いになります。ご本人は体がご不自由なものですから、今回のことに関しての全面的な委任状を持参したので確認してください」

細井は私が渡した書類に目を通して受け取った。

契約書にサインをして契約は完了した。

「経過報告は一日おきにさせていただきます。もちろん緊急事態が起きたときもすぐにお知らせします」

「緊急事態とはどういうことですか」

「具体的には言えません。どういうことが起きるのか分かりません」

「これは普通の行方捜索とは違うということですね」

「そうですね。私の考えではこの案件は事件との関わりがある可能性が高いからです。探偵社のなかにはこういう案件はお受けできないところが多いですよ」

「それはありがとうございます」

「うちには警察出身の社員も多くいますし、顧問になっていただいている方も元警察庁の幹部の方とかいらっしゃいますから」

「できれば事件性がないことを祈るしかありません」

「私たちもそれを望んでいます」

さっそくその日から調査を始めるということで私たちは探偵社を後にした。

「頼りになりそうだな」

山内は少しうれしそうだった。

我々の調査では限界を感じて暗くなっていたのだが、しっかりした探偵社が動いてくれることになり安堵していたのだ。

「須藤が無事に見つかってくれればいいな」

「そう思う」

私たちは最寄りの駅で別れてそれぞれ家路についた。

それから2日後、1回目の報告が来た。

住んでいたアパートの住人からの聞き込みによると須藤の家には週に何回か訪問者があって、その人物は泊まっていたようだということだった。

それは女性だったという。

年齢は50歳くらいの人で勤め人風だったということだった。

我々も同じアパートの人に聞き込みをしたのだが、誰もそのようなことは話してくれなかった。

さすがプロだ。

だが山内は「本当のことだろうか」と疑った。

「調査の成果を見せるために虚偽を報告したんじゃないか」

「そこまで疑ったら元も子もないな」

山内はため息をついていた。

だが、その人物の特定が難しかったようで、その後1週間は報告に進展はなかった。「須藤さんの部屋に通っていた人物の特定が出来ました」という報告が上がったのは依頼してから10日後だった。

「須藤さんはけっこうお酒が好きだったことが分かったのですが、飲む場所を特定するのに時間がかかりました。家の近所でもなく、会社の近くでもなかったので、会社の人に聞いたりもしましたが会社の人とは飲むことはほとんど無くて、彼女の趣味である登山の好きな人が行きそうな都内の酒場を捜しましてやっと見つけたのです」

「結局人物は特定できたのですか」

「まだ調査中です」

須藤が酒好きだったとは思わなかった。

母親もそんなことは言っていなかった。

もちろん私も山内も学生時代須藤と飲みに行ったことはない。

サークルの飲み会でも須藤が飲んでいる記憶はほとんどない。

もっとも我々が知らなかっただけなのだったということだったのだ。

そして、2日後報告の電話が来た。

「人物が分かりました。公務員の人で、独身の女性でその人も登山が趣味の人だったのです。独身同士で気が合ったようで、一緒に登山旅行も行っていたりしたそうです」

「その人から話を聞いたのですか」

「まだ直当たりはしていません。周辺調査で分かっただけです」

「いつ直接会うのですか」

「明日にでも役所を退所した後に声をかけようと思っています」

「私たちも同行できませんか」

「どうでうかね。その人が須藤さんの案件に関わりがあるとしたら大変危険ですよ」

「公務員でしょ、そんな危ない橋を渡るでしょうか」

「確かにそれは言えます。ではご一緒に行きますか」

「お願いします」

翌日探偵社のワゴン車のなかに調査員二人と私と山内はその女性が現れるのをクルマのなかで待っていた。

「その女性は庄司紀子と言います。水道管理課にいて主任です」

「中堅公務員ですね」

「須藤の失踪のことは知っているのでしょうか」

「分かりません。それは彼女に話を聞いているときの表情で読み取ります」

午後6時すぎに庄司紀子が役所のエントランスから姿を現した。




#最終回に続く。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る