第16話

須藤杏が勤めていた外資系の保険会社の同僚だった筧井女史と会っていると、思いがけない話が聞けた。

筧井女史によると、須藤杏が担当した取引会社の商社が東南アジアの国に輸出した機械部品のなかに、軍事部品に転換できるものが入っていることが摘発されたことがあるという。

須藤杏は書類上のことで関係していただけなのだが、それでも公安に呼ばれて、更にその後失踪した支店長が公安から執拗な追及を受けたという。

それから約1か月経ったころに支店長らの行方が分からなくなった。

「かなりやばい背景があるのではないかと社内でも騒ぎになったんです」

その事件に須藤杏がどれくらい関与していたのか、していなかったのか。

「須藤さんはわたしにははっきりと関係していないと言っていました。それは本当のことだと思います。彼女がそんな国家的な陰謀に関わることはないと思います。あくまでも私の感想ですけど」

「しかし、支店長らの失踪とその事件が関係していると考えるのが普通です。警察はその線で動かなかったのですかね」

「私もそうだとは思いましたけど、警察の動きまでは分かりませんし、そのあとすぐに大幅な人事異動があって当時の支店にた人は全国にバラバラになりました。私も函館に飛ばされて、東京に帰れたのは3年前ですから」

「きな臭いはなしですな」

山内は頭をぼりぼり書きながら声を絞り出した。

「須藤さんが会社を辞めたのは人事異動の前ですか」

「そうですね、社内でも大幅な異動があるということは噂になっていましたし、彼女も関係していたのではないかと疑うむきもありましたからね」

私は黙り込んでしまった。

東南アジアの国からテロリストに渡る可能性があると判断されて公安当局が動いた事件にどういうかたちであれ須藤杏が関わったとなれば、今回の行方不明に何らかの関係があるのかもしれないと考えた。

「今村の考えは分かるぞ」

山内は静かな目をしていた。

「しかし10年以上も前の事件が須藤の失踪と関係があるというのはどうかな」

私もそのことが引っかかっていた。

いくら深い根のある事件でも、10年も前のことだ。人がひとりいなくなればいなくなった人の家族や友人などが騒ぎ出したら警察も動き、マスコミも報道するかも知れない。

10年も動かなかった事件がまた動き出すことだってある。

事件の背後にいる組織か個人か分からないが、それは果たして有効な手段なのだろうかと考えていたのだ。

「もう私は帰ってよろしいですか」

筧井女史は席を立とうとしていた。

「お時間を取っていただいてありがとうございます」

「須藤さんのこと心配なので経過を教えていただけますか」

「はい、何らかの消息がわかったらご報告します」

筧井女史は喫茶店を後にした。残された私たちはしばらく声が出なかった。

「国家的な事件に須藤が巻き込まれたなんて」

山内はやっと口を開いた。

「須藤は本当に事件に関係していたのか分からないじゃないか」

「それはそうだとは思うが支店長らが行方不明になって、そのことも迷宮入りになりそうだしな。怖い話じゃないか」

「国が絡む事件というのはうやむやになることが多いよな」

「支店長らは明らかに事件に深く関わり消されたとしても、須藤が10年も経ってから消される理由とかあるのか」

私はある可能性を考えていた。

「例えば、須藤が事件に関係していて、そのことを今になって暴露するとしたら」「えっ、今更そんなことを言い出して何になるんだ」

「当時は恐ろしくて逃げだして身を隠したのだが、消された支店長らが遺体も発見されずに闇に葬られようとしていることに我慢がならなくなったとか」

私はそう言ったことで山内の表情が一気に暗くなった。

「それは想像だけど、恐ろしい想像だぞ」

「分かっている」

「そうなると須藤はもうこの世にいないということになる」

私は胸が苦しくなった。

この事実から逃げ出したくなるほどだった。

「じゃあどうする」

山内にそう言われて我に返った。

私があの日の4人に会いたいと思って動き出したときこんなことになるとは思っていなかった。

山内と引地とはすぐに会えた時、須藤にもすぐに会えると考えていた。

まさか行方不明になっているという事態をまさか想像もしていなかった。

しかも、大きな事件が背景にあるかも知れないという事実を突きつけられて私は狼狽していたのだ。

一緒にいる山内も同じ心境だろう。

「もうやめにするか」

山内のその言葉を聞いて私は目が覚めた。

「止められないよ。須藤を捜してやらないと。俺がみんなに会いたいと思ったそのときの気持ちに今お前の言葉で思い出した。俺は続けるよ」

「俺もそう思った」

「お前も付き合ってくれるのか」

「もちろんだ。だが、どう動く」

「もう一度原点に戻るか」

「住んでいたアパートをもう一度詳しく捜そうか」

「そうだな」

私たちは次の日また須藤の住んでいたアパートに向かった。


須藤杏のアパートを訪れた私と山内は、本格的に部屋のなかを捜し始めた。

前回は多少の戸惑いがあったので、目につくところを捜しただけだったからだ。

もちろん母親にも承諾は取ってある。

ただ、先日宮崎聡子から聞いた話は母親には伝えていない。

高齢で体が弱ってる母親にこれ以上の心配をかけて体に負担が増してはという危惧からだった。

本当のことが分かった時点で実際に対面して話せばいいと山内とも話し合った結果だった。

部屋の片隅から始め、家具のなかはもちろん裏側までひっくり返して捜した。

だが、何らかの手がかりになるようなものはまったく見つからなかった。

探し始めて5時間が経っていた。

たいして広い部屋でもないのに、それだけの時間がかかったことに私たちは驚いていた。

「無いな」

「そうだな、どうする」

「これ以上我々の力では捜しようが無いんじゃないのか」

山内が初めて悲観的なことを言った。

「これだけ捜して、写真の一枚もメモも、日記らしきものも何も発見できないとなれば、やはり人間関係で追う以外しかないが、我々は警察じゃないし、追跡のノウハウも無いからな」

「探偵に頼むか」

「警察はこれまでの情報では動いてくれないのだろうか」

「無理だろう。だいたい、須藤の上司が二人も行方不明になった事件でさえ解決できていないのだから、関係があるかどうか分からない須藤の行方を捜してくれと言っても相手にはされないだろう」

「須藤のお母さんが捜索願を出している地元の警察ではどうだろうか」

山内は必死な形相になった。

「いや無理だと思う。まして田舎の警察が神奈川で起こった大きな事件に関わるかも知れない捜査に手をだすはずがない」

「決めつけるのはどうかな」

私は以前友人が家族の捜索願を出したときのことを思い出していた。

近所に住んでいた会社の同僚の妻が失踪したときのことだった。

1週間も経っているのに警察はまったく動いてくれなかったという。

何度足を運んでも話を聞くことくらいしかしてくれなかったという。

結局妻は3週間後にふらっと帰宅した。

夫婦喧嘩の末の出来事だったのだが、警察に挨拶に言ったら

「そんなものですよ」

と笑われたということだった。

日本全体で失踪者は10万人を超えているという。

警察がその失踪者をひとりひとり追いかけていてはとてもじゃないが業務が成り立たない。

そのことは充分に分かる。

「ここで諦めるか、プロに頼むかしか方法は無さそうだな」

「プロと言っても結局探偵しかいないだろ」

「ちょっと調べてみる」

そう言うと山内はスマホを取り出し検索を始めた。

「とりあえず頼むかどうかは話を聞いてみてから考えたらどうだ」

スマホに指を置きながら山内が私の顔を覗き込んだ。

「あったぞ、池袋に家出人捜索専門の探偵社がある」

「まずそこに行ってみるか」

「そうだな、しかし受けてくれたとしても相当お金がかかるんじゃないか」

「それも聞いてみてからの話にしよう」

私たちは池袋を目指した。

その探偵社は池袋の西口の繁華街の雑居ビルの3階にあった。

窓に派手なポスターが貼ってあって遠くからでもそこが探偵社であることが分かった。

エレベーターで三階に降りると「AK探偵社」という字が張り出されたドアがあった。

ドアを押してなかにはいるといきなり壁があって、オフィスのなかがすぐに見られないようになっている。

誰かが中に入るとチャイムベルが鳴るシステムになっていた。

すぐに若い女性がやって来た。

「お客様でいらっしゃいますか」

「はい、お話しさせていただきたいのですが」

「初めてでいらっしゃいますか」

「そうですが」

「ではこちらへどうぞ」

壁の内側に入るとそこには大きなロッカーがあり、人がいる場所が分からないように目隠しをされていた。

まるで何かの秘密組織か過激派のアジトのようだった。

侵入者を阻止できるような造りになっているようだった。

女性はその奥にある会議室のような部屋に私たちを案内した。

部屋といってもワンフロアを衝立で間仕切りをしたに過ぎない部屋であった。

部屋に入って腰を下ろしたが、人の声はほとんど聞かれない。

電話の鳴る音も聞こえて来なかった。

しばらくすると30歳代で背の高いやせ型の男が現れた。

名刺を差し出した。調査部主任細井と書かれてあった。

「どのようなご依頼でしょうか」

私たちは須藤杏のこについてこれまで集めた情報をかいつまんで話した。

「捜索をしたいということでしょうか」

細井という男はけっして物腰が柔らかい感じではなかったが、はっきりと相手の目を見て話し、言葉が明瞭で自信にあふれているようだつた。

「行方が分からなくなって半年なのですが、彼女の母親も大変に心配されていますし、我々も彼女に会いたいのです」

「分かりました、お引き受けは出来ますが、お話しになった事件の関連性までは調査出来かねます。警察が捜査中の案件に我々民間が関わることは法律上できないからです。あくまでも須藤さんの行方を追うというだけの業務ならお任せください」

「それでだいたいの費用はいくらくらいになりそうですか」

「まだはっきりとは申し上げられません。案件によって様々です。未成年の家出捜査が私たちに来る案件のほとんどなのですが、未成年は行動範囲が限られていまし、SNSなどをたどれば比較的早く発見できることが可能なのですが、大人の場合かなり遠方まで行かれることが多くて、捜索する日数もかかりますからやはり経費自体がかかってしまうことが多いです」

「基本料金はおいくらですか」

「捜索作業料は捜査員ひとりにつき一律30万円です。それに日当、深夜割増、出張料などで100万円が目安ではないでしょうか。それに実費が加算されます」

「分かりました、ではわたしたちと失踪者の家族と相談してお願いするかどうか決めます」

私たちはいったん探偵社を後にした。すぐに喫茶店に入り山内と相談した。





#17に続く。












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