第13話
須藤杏の実家で確認した情報によれば、連絡が取れなくなる前まで蒲田のホテルで働いていたことと、住んでいるアパートもその側にあるということが分かった。
山内にすぐに連絡すると、私が東京に帰るまでに何とか探してくれるということだった。
午後6時に新宿駅に着いて、中央線快速に乗るまでホームで山内に電話をすると、「分かったよ」と元気な声が聞こえてきた。
「蒲田の駅前にある東洋ホテルというビジネスホテルだった。そこでフロント係をしていた。突然辞められたので困っているという話だった」
「そうか、分かって良かったよ」
「明日にでも行ってみるか」
「そうしよう」
私は不安な気持ちと期待が入り混じった気持ちで帰宅した。
翌日、蒲田駅の東口で山内と待ち合わせた。
彼は珍しくスーツを着ていた。私はジャケットにノーネクタイだが、山内は地味なネクタイを締めていた。
「気合が入っているじゃないか」
「まるで刑事になったような気分だよ」
「あんまり張り切るなよ」
「張り切っているわけじゃないさ」
山内は私にそう言われたのが悔しいのか、目の奥が笑っていなかった。
「冗談だよ」
私は言い過ぎを感じたので謝った。
目指すホテルは西口の駅前すぐにあった。緑色の外壁の10階建てのそれなりに規模のあるビジネスホテルだった。
チェックアウトが一段落したらしくフロントにいた従業員たちはパソコンの画面に向かっていた。
「このホテルにいた須藤さんのことでお話しをうかがいたいのですが」
フロントに立っている若い女性がしばらくお待ちくださいと返事をして、奥に消えていった。
すぐに中年の女性が顔を出してきた。
「お待たせしました。支配人の窪田と申します」と名刺を差し出した。
ロビーにあるソファに案内されそこで話をすることになった。
私は須藤の大学の同期で、親交があったことと、何故彼女をさがしているのかということを説明し、実家に行ってホテルで働いていることを知ったのだということを話した。
「そうですか、須藤さんは不動産会社に勤務しているときからの知り合いで、うちは全国にホテルのあるチェーン店なのですが、須藤さんの会社から土地のオーナーさんを紹介していただいて、都内にホテルを建設しておりまして、池袋周辺での土地を探してしただいているうちに須藤さんの会社と知り合いになりまして、そのご縁で須藤さんが退職されたあとにうちで働いていただいておりました」
「須藤さんが姿を消されたことに心当たりはありますか」
その質問をすると窪田は表情を暗くした。
「最近ちょっと元気がないなとは感じていましたが、業務に差し障ることもないし、あまりプライベートなことは話さない方だったのでそのままになっていたところ、急に出社しなくなりまして、私は須藤さんのアパートにも行っていましたが、やはり留守でした」「連絡は一切取れなくなったのですね」
「そうです、携帯電話もまったく通じなくなりました。それで実家の方にも連絡したのですが、お母様も知らないということだったので、正直どうしてよいものやら思案にくれております」
「警察は来ましたか」
「所轄の刑事さんがお見えになって事情を聴かれましたが、お話ししたように私たちのほうではまったく見当がつかなかったのでそのように話ました」
「正直、支配人さんは須藤さんがどうされたのかということについてどう思われますか」
「分かりません、うちとしては少ない人数で客室80部屋を展開していますから、須藤さんがいなくなって非常に困っています。新規にアルバイトを採用していますが、やはりちゃんと客対応できる人を雇うことになるのですが、昨今の人手不足で、求人しても未経験の方ならすぐに来るのですが、ある程度客対応のできる人を探すとなると時間がかかりまして」
本当に支配人は困っている様子だった。
私たちは、須藤のアパートの住所を聞いて行ってみることにした。
ホテルとは駅をはさんで反対側にあり、ホテルから歩いて10分くらいかかる場所だった。蒲田駅周辺には商店も多く、買い物には困らないし、外食店も多くて生活には便利な場所であることが分かった。
にぎやかな商店街を抜けると住宅街に入り、須藤のアパートもその一角にあった。アパートとはいえ、今流行りの軽量鉄骨のきれいなアパートだった。
だが、私はその建物を見たとき、私も山内も、そして引地枝里も都内の一戸建てに家族と住んでいる。
だが、須藤杏は60歳を超えても独身でアパートで暮らしていた。
その差はどうしてできたのだろうかと考えていた。
彼女のこれまでの人生のなかで何があったのか。
どうして姿を隠さなければならなかったのか。
そんなことを考えていると、ふと恐ろしい考えが浮かんできた。
彼女は犯罪に巻き込まれたのではないかという思いである。
彼女はもしかしたら殺されているのではないかという恐ろしい考えだった。
私はアパートの前で思わず立ち止まった。
「どうした」
山内が心配そうに私を見ていた。
須藤杏の住んでいたアパートに来た私と山内は、呆然としてその建物を見上げていた。
まだ築年数の浅いだろうという周囲の建物のなかでも比較的新しい建物で、8部屋ほどある街中にあるごく普通のアパートだった。
須藤は60歳を超えた歳でこんな若者が住むようなところに住んでいたのかという思いが去来していた。
山内も言葉に出さなかったが多分私と同じことを考えていたのだろう。
須藤杏の部屋は201という2階の角部屋だった。
窓にはカーテンが引かれていた。ドアをノックしても当然反応は無い。
1階に管理会社の連絡先があったからそこに電話をして鍵を開けてもらおうということになった。
私たちがどう事情を話しても管理会社は鍵を開けてくれないだろうと、私は須藤杏の母親に電話をして、母親から鍵を開けて私たちを部屋に入れてくれるように頼んだ。
30分ほど待つと管理会社の男がやって来た。
「須藤さんのお母様から電話があり、体がご不自由なので今来ている方たちに入ってもらってくださいということです」
男は表情も変えずに鍵を開けた。
部屋に入るとなかは整然として、掃除も行き届いていた。
ワンルームに申し訳程度のダイニングキッチンがついている狭い部屋だった。
「須藤さんがいなくなってから誰か中に入りましたか」
「うちが鍵を開けたのはそちらさまが初めてですね」
キッチンを見ると洗い残しの食器もなく、生ゴミもありそうではなかった。
須藤杏が連絡取れなくなって3か月以上経っているので、誰かがその間に入って掃除をしたのではなければ、須藤杏自身がきちんと部屋をかたずけてからいなくなったということになると思った。
「部屋代はちゃんと入っているのですか」
山内が質問した。
「翌月の賃料が振り込まれていなかったので保証人のお母様が振り込んでいただいております」
部屋のなかにはやや小さなベッドと小さなテーブル、テレビに衣装ケースという簡素な家具類で、まるで上京したての女子大生のような部屋だった。
飾られた写真も無い。生活感が希薄だった。
「本当にここが須藤の部屋なのか」
山内がつぶやいた。
「須藤は60歳を超えていますが、間違いないでしょうね」
私はふと疑問に思い管理会社の男に聞いた。
「確かに63歳とお聞きしました」
「ここは何年前から住んでいるのですか」
「確か3年前からです」
「あなたが担当ですか」
「この部屋を仲介したのは別の不動産屋です。うちは管理をしているだけですから」とにかく何かきっかけになるものを捜したいと思って部屋のなかを見渡した。
テレビの棚には雑誌があるだけで、衣装ケースのうえに化粧品が並んでいた。
テーブルの上には1本のルージュがあるだけだった。
そのほかは手帳やノートの類はなかった。クローゼットがあったのでそこを開けると半分くらいの洋服がかけられていた。
空のハンガーが5本ほどあった。
「出かけるときに持っていったのだろうか」
「2,3日の旅行ならそんなに服は持っていかないだろう。海外にでも行っているんじゃないか」
そうだった。
そのことになぜ気が付かなかったのだろう。
世界中を旅しているのではないだろうか。
連絡をするのも忘れてどこかの国が居心地がよくて住みついているのではないかという可能性もあるなと瞬間的に思った。
「お前が考えていることが分かるぞ」
管理会社の男が部屋の外に行ったときに山内が私を見下げるように囁いた。
「外国にいるんじゃないのか」
「おれもそれを思った」
「長期間留守にするのでここまで部屋をきれいにしたんじゃないのか」
私は外にいる管理会社の男にそのことを訪ねた。
「うちにはそのようなことの連絡はございませんでした」
なるほど、よく考えてみると当たりまえだった。
長期間留守にするのなら管理会社に連絡をするのは常識だろう。
まして60歳を超えた女だ。それくらいのことは十分に分かっている年齢だし、第一母親になにも言わないで長期間外国に行くことは考えられないことかも知れない。「それに、母親が不自由な体だし、須藤も心配になるだろうし」
「ではこういうことはないか。1週間程度の旅行をするつもりで外国に行った。それなら管理会社に連絡をするまでもないと、母親も1週間なら何ともないだろうとか」「しかし3か月だぞ」
「だから旅先で何かあったんじゃないか」
「それも考えられそうだ」
私たちは管理会社の男に礼をして蒲田駅まで歩いてきた。
話し合おうということになり、ひとまずカフェを捜して席についた。
「もし外国で行方不明になったとしたらどうだろうか」
「どうやってそれを確かめるかだな」
「外務省に問い合わせしてみるというのではどうだ」
「俺たちがそう言っても取り合ってくれるだろうか」
「事情を話せばどうにかなるかも知れないぞ」
私はスマホで外務省の電話番号を調べて電話をかけた。
#14に続く。
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