第12話
須藤杏が勤めていた不動産屋を訪ねた私たちは、勤めていた時点での住所を確認した。豊島区の駒込となっていた。
山手線の駒込駅から歩いて10分くらいのところに住んでいたようだ。
前の勤め先で、結婚をしていなかったことを聞いた。
「須藤はずっと独身だったのかな」
「不動産屋の店長は詳しいことは知らないと言っていたが、もっと調べないと分からないな」
とにかく、駒込に行くことになった。
もしかするとまだそこに住んでいるのかも知れない。
駒込の駅に着き、改札口を右に行くと大きな道に出た。
横断歩道を渡り、下り坂を降りていくと、住所に書かれていたマンションはその大きな道に沿って建てられていた。
305号室となっている。
エレベーターで3階で降りて部屋の前まで行った。
もしかしするとという淡い期待が胸を躍らせていた。
部屋には表札などの何らかの表示はなかった。
希望は窄みかけた。
呼び鈴を押すと中でブザーのような音が鳴っていた。
インターフォンから女性の声がした。
「こちらは須藤さんのお宅ですか」
「いえ、違いますけど」
「新しく入居された方ですか」
「はい、1年前からです」
「私は須藤さんの知人なのですが、ここに住まわれていた須藤さんの引っ越し先など分かりませんか」
「まったく知りません、そんなこと」
声がとがって来た。
山内は困惑した表情をしていた。
「では、こちらを仲介された不動産屋はどちらでしょうか」
「大塚の駅前にあるチェーン店の不動産屋さんですよ」
「分かりました、お騒がせしてすいません」
私たちはマンションの外に出た。
「1年前まではここにいたということだな」
山内は先ほどの困惑した表情から明るさを取り戻したようだった。
「そうだな、住んでいてくれてると良かったけどな」
「まったくこうなると俺たちは探偵か刑事のようだな」
「それもそうだ。しかし乗りかかった船だから仕方ない」
「よし、大塚に行こう」
また山手線に乗って大塚に戻った。
大塚駅は昔懐かしい都電の駅がある。
そこから王子まで数年前に乗ったことがある。
私が子供のころは新宿でも銀座でも都電が走っていたものだった。
不動産屋は、テレビコマーシャルもやっている大手のチェーン店で、駅前ビルの2階にあった。
若い店長が対応してくれた。
「お話は分かりましたが、須藤さんの資料を部屋の賃貸契約書でしか残っておりません。個人情報保護法の関係がありますので、身分を証明するものをコピーさせていただけるのならば、ご事情は理解いたしましたので、お見せしてもかまわないと考えます」
若いのにしっかりとした応じ方だった。
私たちは運転免許証を出した。
店長はそれをコピーして私たちに戻し、須藤の賃貸契約書を持ってきた。
そこには、勤め先と本籍地、連帯保証人の住所が書かれてあったので、書き写した。
丁重に礼を述べて私たちはその店を後にした。
「とっかかりは本籍地と連帯保証人の親の住所だな」
本籍地は静岡県になっており、保証人の住所は山梨県になっていた。
「確か須藤の出身地は山梨県だと思う」
山内が突然思い出したようだった。
「よく覚えていたな」
「確か富士山のことを話したときに山梨県から見るのと、静岡県から見るのでは富士山の景色が違うと言ったことがあったよな」
「それはいつだったんだ」
「確か俺たち、江ノ島に行ったじゃないか。そのとき富士山が見えたんだよ。それで富士山の話になったと思う」
「山梨のどこかとは言わなかったのか」
「そこまでは覚えてないな」
住所によると甲府市の近くの町であることが分かる。
保証人が親だから、多分そこが実家なのだろうということは判った。
「どうする」
「俺は山梨まで行ってみるよ」
「いつ行くんだ」
「明日にでも」
「俺は明日は用事があるから行けないな」
「いいよ、俺だけで行ってみる」
「悪いなー、明後日だったら俺も行けるのに」
「そうか、でも今度のことを言い出したのは俺なのだから、交通費もかかるし、今回は俺だけで行ってみるよ」
山内は本当に申し訳ないという表情をした。
「須藤のことが分かればすぐに連絡してくれよ」
「分かった」
私たちは大塚の駅で別れた。
私は外回りの山手線に乗って家に帰った。
山梨なら日帰りで行ってこれるので、明日の朝いちばんの特急で甲府まで行き、そこから在来線に乗り換えて須藤の実家のある町に行くことになった。
翌日、朝6時に家を出て、新宿まで出て、特急「あずさ」で甲府駅まで1時間30分かかって着いた。
在来線の連絡は20分程度で下りの電車に乗った。
約30分ほどで駅に着いた。
無人駅だった。
駅を出ると、バスのロータリーがあったが、バス停らしきものは無かった。
タクシーも1台も止まっていない。
前日に地図でだいたいの場所を調べておいたが、駅から歩いて2キロの道のりだった。バス便でもあるのかとパソコンで検索すると、ちゃんとしたバスルートは無く、町営のコミュニティーバスが1日に数便運行されているだけだった。
一応、タクシー会社の案内が駅舎のなかにあったが、2キロくらいなので歩こうと思い、西北の方向に向かって歩き出した。
須藤杏の実家は甲府駅からローカル線に乗り換えて20分ほどで着く駅から何キロか離れた場所にあった。
始発の次の特急で甲府に着き、ローカル線に乗り換えて最寄りの駅に着いたのは午前11時近くになっていた。
駅を出ると、商店がぽつぽつとあるがらんとした駅前広場があり、数少ない商店も閉まっていて、人の姿もなかった。須藤の実家は歩いて30分くらいかかりそうだが、歩くことにした。駅から北に続く道を行き、国道に出ると左折して、国道沿いにしばらく歩くと、田んぼの向こうに住宅街が見えてきた。
想像していたのとは違い、都会的な新興住宅地という感じで、同じような建物が建っていて、私が住んでいる住宅街と周りの景色が違うだけで同じようなものがあるものだと思いながら歩いていくのだが、すれ違う人もなく、見上げる空が濃い空色が広がっていて、秋の深まりを感じた。
番地の見当は事前に調べていたのだが、いざ住宅街に入ると方角の見当がまるでたたないことに気が付いた。
割に整然とした通り配分だったのだが、須藤の実家は4丁目となっており、私が住宅街に差し掛かったのは2丁目だった。
どちらが4丁目の方向なのか分からない。
そこまで歩くのでかなり体力を使っているので、方向を間違えて体力を消耗するのが嫌だった。ふと見ると、玄関先を掃除しているお婆さんがいたので4丁目の方向を聞いてその方向に向かうとちゃんと4丁目に着いた。
丁目が上がるごとに建物が新しくなってはいるが、多分築40年以上は建っているので新築している家も多くあった。
番地表示があったので、それを頼りに探していると、やっと須藤と書いてある表札があった。
まだ新しい家だった。
新しいと言っても20年くらいは経っているだろうか、住宅メーカーの建てたものらしかった。
私も、20年以上前に中古物件を買い、10年前に新築したので、住宅メーカーの展示場に足蹴く通い、目は肥えた自信はあるので、分かる。
私は何も考えずにすぐにチャイムを押した。
しばらくすると、インターフォンから女性の声がしたので、自分の名前と訪問の趣旨を伝えた。
中から出てきたのは須藤杏の母親だった。
多分80歳は越えているのだろう。
だが、背筋はきちんと伸び、髪の毛は総白髪ながら後ろで1本に結び、凛とした感じのする老女だった。
私が大学の同級で、同じサークルの仲間だったことを告げるとやや暗い目の奥が緩んだように見えた。
居間に通され、運ばれてきたお茶を飲んでいると、母親は静かな口調で話しはじめた。
「娘とは連絡が取れていません。先日捜索願を警察に出しました」
私は思いがけないことに狼狽した。
あの日の4人のその後の人生を知りたいと思い、山内に連絡し、山内も私の意見に同調して一緒に引地のことを探してくれた。
連絡が付き、母校で3人で会ったときは望外の喜びを味わった。
だが、最後のひとり須藤杏がまさか行方不明になっていたとは予想もしなかった。
「連絡が取れなくなって半年です。夫が3年前に他界しまして、子供はあの子だけなので、あの子はひとりになった私を気遣って毎週のように来てくれていたのですが、1年前くらいからだんだん来る回数が減りまして、ついに半年前から全然来なくなって、携帯電話も通じないし、連絡も来ないので2か月前に近所の人に相談したら、警察に捜索願を出したほうがいいと言われたので、そうしたのです」
母親はそこまで一気にしゃべると、すーと肩を落とした。
さっき初めて会ったときの印象とは違い、そこには疲れ果てたしぼんでいく老女の姿があった。
「杏さんが住んでいたのはどちらですか」
「蒲田の方だと聞いています」
「住所は分かりますか」
「はい、聞いております」
「そこへは行かれましたか」
「私は実は足が悪いので、行くことは出来ませんでした」
「では、私が行ってみましょう」
老女の表情がみるみる明るくなった。
「合鍵とかはお持ちじゃないですよね」
「持っていません」
「杏さんはどんな仕事をされていたのでしょうか。不動産会社を辞められたのまでは知っているのですが」
「たしかホテルのフロントの係をしていると言っていました。でももう歳なので、年金がもらえるから辞めようと言ってましたね」
「どこのホテルだと言ってましたか」
「家に近いところだと言ってました。通勤に疲れるのは嫌だとも言ってました」
「では東京に帰ったらさっそく家に行ってみて、そのホテルも探し出して話を聞いてみようと思います。何か分かりましたらご連絡させていただきます」
私は午後3時発の新宿行きの特急に乗り込んだ。
相模湖を超え、高尾の山並みのなかのトンネルを超えると東京に入った。
八王子の町並みがややオレンジ色に変わりつつあった。
#13に続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます