第11話
引地枝里と山内と三人で母校の食堂で再会してから、1か月ほど経った。
引地は見た目は年相応に老けていたが、性格は学生のときのように快活で変わらなかったように思う。
学生のころもそんなに付き合いがあったというわけではないのだが、記憶というものはある形を決めると何年経とうが変わらないのだろう。
引地も私や山内をどう思っていたか分からない。
それぞれに感想はあるのだろうと思う。
その後山内とは電話で何回か話した。
話した内容は須藤杏をどう探すのかということだった。
須藤を探すのには引地の協力があるとやりやすいのだが、彼女は主婦の立場であるから、旦那に黙って我々に付き合う時間は限られているように思った。
彼女はいつでも呼んでくださいと言っていたが、そのことで彼女の家庭に何らかの障害が起きては申し訳ない。
山内ともその点では一致していた。
「まず俺たちで動いてみよう。それでもそうにもならなかったら、引地に協力を頼もう」
ということになった。
取り敢えず、彼女の自宅を訪ねることにした。
大学で教えてもらった住所は千葉県船橋市とある。
あの日、彼女とも一緒に帰ったのは記憶しているが、どこまで一緒だったかが記憶にない。
「確か渋谷で別れたような気がする」と山内が言ったいたが、実家の住所に住んでいたとすれば、我々は新宿方向の山手線に乗り、須藤杏は東京方面の山手線で東京駅から総武線、もしくは秋葉原から総武線にのることが考えられるので、そこで別れたことになることは確かそうだった。
山内とは新宿の中央線の東京行きのホームで待ち合わせた。
東京駅で総武線の地下ホームまで行って千葉駅行きに乗れば20分足らずで船橋駅に着く。
そこからバスで10分ほど乗れば、須藤杏の実家にたどり着く。
午前10時に待ち合わせて、須藤杏の実家のあるバス停に着いたのは午前11時30分過ぎだった。
スマホの地図アプリを頼りに歩いて5分ほどで須藤杏の実家のある住所にたどり着いた。
そこは古くからある住宅地であった。
鉄道会社が大々的に開発して売り出した住宅団地だった。
多分50年ほど前から戸建てを中心に売り出されたところだということは事前に調べてあった。
住宅地のなかには、ぽつぽつと新築の家もある。
立て直しをしたのだろう。
須藤杏の実家の住所には販売当初からの建物らしき古屋があった。
瓦ふきの瀟洒な一戸建てだったが、よく見ると屋根の一部が腐食して穴が開いていたり、手入れが十分ではなさそうな雰囲気だった。
しかも表札もなかった。
「誰も住んでいないんじゃないのか」
その可能性も十分にあった。私は呼び鈴を鳴らしてみた。
しばらく応答がないので、また押した。
「どちらさま」
老人の声がした。
「こちらは須藤さんのお宅でしょうか」
「そうですが」
私は訪問した理由を述べた。
「ちょっと待ってください」
中から80歳は過ぎているであろう男性がよろよろしながら玄関を開け、門扉のところにまでやってきた。
「突然押しかけまして申し訳ありません」
山内が珍しく丁寧な口調で老人に話しかけた。
はあというような顔をして山内を見た老人は
「須藤さんの家ではありません。私は須藤さんの遠縁のものですが、10年前に須藤さんのご主人が亡くなられて私の妹がここを買いまして住む予定あったのですが、今は病気で施設に入っておりまして、私が住んでいるというわけです」
「私たちは須藤杏さんとお会いしたいのですが」
「須藤さんの娘さんが今どこに住んでいるかは知りません」
「須藤さんのご両親は亡くなられたということでしょうか」
「奥さんは20年前、ご主人はさっきも言いましたが10年前に亡くなられたのです」「お子さんは杏さんだけなのでしょうか」
「たしかお兄さんがいると聞いています」
「その方の住所もご存じありませんか」
「妹なら何か知っているかも知れません。明日面会に行きますので聞いておきます」
「ありがとうございます」
駅までのバスを待っていると山内が私の肩を叩いた。
「とんかくとっかかりはありそうだから良かったじゃないか」
私は山内がここまで協力してくれるとは想像していなかった。
学生時代のあの軽い性格の山内がこんなに友達思いの人物だったとは思わなかった。うれしい誤算とはこういうものかと思った。
私たちはこのまま帰るのも何だからということになり、船橋駅の前にある居酒屋のドアを押した。
「君が一緒に動いてくれて本当に助かるよ」
「おれはどうせ暇だからな」
酎ハイを2杯ほど飲んでから東京行きの総武線に乗り込み、私が自宅に戻ったのは午後11時過ぎだった。
須藤杏の実家を山内と訪ねると、親戚の老人が住んでいた。
その老人の妹が須藤杏の兄を知っているということで、もし何らかの情報が分かったら連絡をくれることになっていた。
1週間が過ぎたころその老人から電話があり、須藤杏の兄の連絡先が分かったということで、教えてくれたのである。
私は、取り敢えずその電話番号に電話をしてみた。
住んでいるのは北九州だという。
「須藤杏さんのお兄様でいらったしゃいますか」
私はゆっくりと確かめるように聞いた。
「はい、どなたさんか」
「私は杏さんと同じ大学だった今村と申します。在学当時は同じサークルで仲良くさせていただいた者です。今度、当時の仲間たちで集まろうということになりまして、それで杏さんの連絡先を教えていただきたく思いまして」
私がそういうとしばらく沈黙があった。数秒だったろうか。
「実は私もここ数年連絡を取っていないので」
「どこに住まわれているのですか」
「最後に会ったときは東京の板橋区に住んでいるということだったんだけど、その後はどこに行ったか分からないんです」
「そのときはどんな仕事をされていたのですか」
「不動産屋で働いていたと思う」
「もう板橋には住んでいないということですか」
「手紙を出したのだが、帰ってきてしまってな」
「携帯電話も通じないのでしょうか」
「そうです。まったく連絡が取れません。二人きりの兄弟だから心配しているのですが、私は体を壊してしてしまって、女房の実家に世話になっている身だから探しようもなくて」
これは意外だった。
あの日に集まっていたなかでは一番しっかりしていた印象の彼女だったのだが、いったい何があったのか。
「それではお兄様の代わりに私が杏さんをお探しします。勤めていた不動産屋の情報を知りうる限りで結構ですから教えていただけませんか」
「分かりました。たしか名刺をもらったので探してみます。後から電話します」
私は電話を一端切った。10分もたたないうちに電話がかかってきた。
「栄光不動産。住所は豊島区池袋です」
住所と電話番号を教えてもらった。
私はすぐに山内に電話をかけた。
須藤杏が連絡不明になっていることを告げると山内も驚いたようだった。
「確かに彼女はしっかり者だったように記憶しているが、何があったのかな」
山内も私と同じような感想を持ったようだった。
「とにかくその不動産屋に行って調べるしかないんだろ」
「そうだな、明日にでも行くか」
「土曜日だけど大丈夫かな」
「朝いちばんに行けばまだ客は少ないだろ」
私と山内は午前10時に池袋の西武線の改札口で待ち合わせた。
土曜日ということもあり、人は普段よりはるかに少なかった。不動産屋は東口の駅から歩いて数分の雑居ビルの2階にあった。
「うちの大学のある池袋に勤めていたなんてな」
「そうなんだ。しかも数年前まで勤めていたらしいんだから驚くよ」
「たまには大学にも行ってみたのだろうか」
「それはどうかな」
私と山内は、エレベーターに乗り不動産屋に入った。
ひとつのフロアに2軒の不動産屋があった。
巨大ターミナル駅である池袋にはこうした不動産屋が100軒以上はあるという。
中に入ると若い営業マンが挨拶をしてきた。
私は店長さんにお話しがあると告げると、若い営業マンは途端に表情を険しくして「店長、お客様です」と大声で言った。
衝立の向こうから、大柄の中年男性が姿を現した。
「私が店長の村上ですが」
大柄の男は40歳台後半で、がっしりした体形をしていた。
まるで学生時代ラグビーの選手だったような体つきだった。
「実は、私どもはここにお勤めだった須藤杏さんの大学時代の友人でして、同期会をやることになりましたが、須藤さんの連絡先が分からなくて、実家にお尋ねしたところ、実家とも疎遠になっていらして、ここにしか探す手がかりがありませんものですから」
店長は厳つい体格からは想像できないゆらい物腰が柔らかい人物だった。
「須藤さんですか、私がここの店長になる前から働いていた方でして、地元のオーナーさんからも信頼されている人で、私が店長をやるより須藤さんのほうが適任だと思ったくらいでしたから」
「どうして退職されたのでしょうか」
「表向きは一身上の都合ということでしたが、もうお歳だったので、悠々自適に過ごされたいと思っておりました」
「ここをお辞めになってから親戚の方も連絡が取れなくなっていると聞いたのですが」
「それは知りませんでした」店長の顔には明らかに驚いたような色があった。
「では、須藤さんのその後についてはお分かりにならないのでしょうか」
「まったく存じ上げません。新しい勤め先は決まっていないということでしたから」
「それでも申し訳ありませんが、親戚の方からも頼まれましたので私たちで行方を捜したいと思いますので、当時住んでいた住所がお分かりになるようでしたら教えていただきたいのですが」
「分かりました。ファイルに人事資料がありますので、プリントアウトしてお持ちします」
しばらくすると、須藤杏の住所と電話番号が書かれた書類を持ってきた。店長にお礼を言って私たちはそのビルを後にした。
#12に続く。
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