第5話
大学を卒業してある都市銀行に入行した。
初めは東京の墨田区のある支店から始まった。
下町のど真ん中にあるごく普通の銀行だった。
入行したてのころは高度成長時代が終わり石油ショックなど戦後日本経済が最初に直面していた危機でもあった。
それでも、民間の会社に入ったもののなかでは恵まれた方だったと思う。
下町には多くの中小企業や零細企業があるが、私の入った銀行は比較的規模の大きい会社にしか融資はしなかった。
零細や中小は、地域の信用金庫が主な貸主だった。
最初は窓口の業務がスタートで、外回りなどの一通りの経験を積んでいった。
もちろん、2年ごとに支店を移動しながらである。
私たち大卒は中間管理職の候補だったので、あらゆる業務に精通していなければならなかった。
一番きつい最前線の外回りは高卒の人たちが担っていた。
入行して10年で支店長補佐に昇格した。
その間に叔父が勧めてくれる関東北部出身で女子大出の女性と見合いという形ではなく、紹介という名目で会わせられたが、私は彼女が背が高く、顔をどちらかといえば美人の部類に入ることなどから気に入って結婚することになった。
彼女は親の言いなりだった。
「結婚は親が認める相手としなければならない」という父親の絶対権力の元に育った女だった。
そんな時代だった。
昭和世代の終わりくらいなのだったろうか。
今ではまったく考えられないが、まだそういう封建的な部分が残っていた時代でもあった。
私は、恋愛結婚を望んでいたが、学生時代に付き合っていた宇田華澄と別れてからは彼女が出来なかった。
銀行では男女の付き合いは厳しく制限されている。
行内で恋愛するものもいたが、そうなると結婚せざるを得ない。もしトラブルになったら、地方へ移動させられるのならまだしも、下手をすると辞めることにもなりかねないのだ。
高卒の可愛い女性行員を見ると正直心揺さぶられることもあったが、私は自己保身が強かったので抑制する気持ちが勝っていたのだ。
新居は、京成線の駅から歩いて5分くらいの鉄筋のアパートだった。
鉄筋ならばマンションだろうということになるのだが、そんな上等なものではない。
公団住宅に毛の生えたようなぼろ鉄筋の建物で、アパートと呼ぶしかないような建物だったが、新居とするには分相応なものと私は満足していた。
結婚後、1年半を過ぎたころに妊娠が分かった。
私の両親は歓喜していたが、私はそれほどでもなかった。
実はもうそのころには結婚生活に希望を持てなくなったのである。
妻になった女が実はあまり面白くない性格だということが分かったからだった。
とにかくすぐに実家に行く。
専業主婦なので退屈だったのかも知れなかったが、それにしても頻繁過ぎた。
多いときには1週間に2度3度ということもあった。
家から電車を乗り継いで2時間はかかる距離あというのにである。
洗濯物などをして朝のワイドショーを見てから出かけるので帰りは午後8時を回ることもある。
私は空腹を我慢しながら妻の帰りを待つこともあった。
事前に遅くなるということが分かれば駅前のパチンコ屋で暇をつぶせるのだが、一度帰宅してから出かけるのも面倒なので、イライラしながら妻を待つのは精神的に良くなかった。
しかし、私はそのことで妻を非難したことはなかった。
ひとりで家にいるさみしさを分かってやるのも夫して当然だという思いがあったからだった。
しかし、やはりそれは間違いだったようだ。私はイライラを妻に対する怒りの感情を通り越して「冷めて」しまったのだ。
妻を「人として認めない」という方向に向かってしまったのだった。
子供が生まれる前だったのが最大の不幸だろう。
それから今日に至るまで私の感情は「冷めた」ままである。
離婚しよと思ったことは多分100回以上はあっただろう。
私が家出をして3日間くらいホテルに泊まったこともあるし、妻が子供を連れて実家に帰ったことも何度もあった。
だがそのたびに親戚総動員で私たちの仲介に入って、宥めて聞かせたのである。
私はそれに抵抗しなかった。
素直に家に帰った。
詫びたことは一度もなかったが、手を上げることも一度もなかった。
それが一線を越えないで何とか保ってきたことなのかも知れない。
結婚して10年たち、子供もふたりできた。男の子が上で女の子は下である。
当然ながら私は娘を溺愛した。
冷めた夫婦関係のなかで生まれた同性の子供より異性の子供の方が可愛いと思うのは多いことだと思う。
母親は息子を溺愛し、父親は娘を溺愛する。
そうして夫にない異性への思いを息子に向ける、夫は妻への愛情を娘に置き換えて溺愛する。
当然のことだと思った。
私たち夫婦は結婚して40年以上たった現在でも「冷めた」関係であった。
私のサラリーマン人生は入行した墨田区の入ったときとは別の支店で終えた。
支店長になれただけでも上出来な方だと思っている。
就職するまで気が付かなかったが、私は実はコミュニケーション障害だったのだ。それでも何とかやって来れたのは家族がいたおかげだった。
家族のために頑張ろうという気持ちが私を支えてくれた。
都内の支店を転々とする年月だった。
その間に同期のなかには本店にいって出世した奴も多くいる。
私は出世にはまったく興味がなかった。
というより銀行が嫌いだったのだ。
一日も早く辞めたかった。
もちろん家族がいるので、中途で辞めるわけにはいかなかった。
定年まではなんとか自分を殺しながら、騙しながら続けていたのである。
せめて娘が結婚するまでは続けて欲しいというのが妻の言い分だったが、娘がいつ結婚するのかなんて分からないし、昨今結婚しない女性も増えているのでそんなこと言ったら私は年老いてまで窓口サービスの契約社員になってまで定年後も働き続けるのかと思うと絶望的な気持ちになったものだ。
私はこのときだけは妻に抵抗した。定年で絶対に会社を辞めるし、雇用延長もしない。
すっぱりと銀行とは縁を切る、と宣言した。
じゃあ、暇になって一日中家にいるつもりなのかと妻に聞かれたら「俺が自分の身を削って建てた家だ。俺の勝手だろ」と昭和男丸出し根性で妻に言い渡したのだった。
働くことはけっして嫌いではない。
むしろ体を動かしているほうが精神的にも肉体的にも調子が良いことは判っているので、銀行、金融関係以外の仕事ならどんなつまらない仕事でも良いと思っていたのだ。
定年の日は春の陽が淡く薄い包み紙のように空を覆っていた日だった。
それ以外のことはたいしたことではない。
たしか誰も送りには来てくれなかった。
私は支店の裏口から逃げるように銀行を後にした。
新人研修を終えて初めて赴任した墨田区の支店の支店長が優しい笑顔で出迎えてくれたことだけを思い出していた。
私はそのまま家に帰った。
妻は出かけていなかった。
食卓のテーブルには「お父さん、長い間お勤めお疲れ様でした。定年おめでとう」と書かれた紙が置いてあった。
妻と娘の連名で書かれていた。
私はそれを持って寝室に行き、少し涙をこぼした。
目尻にすこし流れる程度だった。そんなものだった。
それから5年。
定年後、住んでいる区の人材センターで紹介された仕事を2年間した。
たいした仕事ではない、公園の清掃とか区民施設の清掃、いわゆる「掃除おじさん」だった。
妻は銀行員だったのだからもっとまともな仕事があるでしょ、と文句を言ったが私はそういう仕事が好きだった。
銀行員などと気取っていても所詮は「金貸し」だ。
中小企業のおやじさんたちに頭を下げられ、ときにはきついことも言わなければならない。
「貸しはがし」などもさんざんやったし、部下に命令もした。
そんな仕事につくづく嫌気がさしたのだ。
清掃の仕事は、人からみるとたいした仕事ではないのかも知れないが、みんなが使う公園や図書館などの施設をきれいにする仕事はやりがいもあった。
2年間はそれなりに楽しかった。
たが、63歳のときに病気をした。
「直腸がん」ステージ2だった。
内視鏡の手術でがんの部分を取り、経過観察ということで退院すると私の心にある芽が突然大地から飛び出すような勢いで生えてきた。
それが大学生活最後のあの景色だったのだ。
私は結婚を機会に千葉県に引っ越していた。
子供もできて一戸建ての家がどうしても欲しくなったのである。
千葉駅からバスで20分のところにある新興住宅地の中古住宅を20年ローンを組んで買っていた。
親の遺産の土地を売って頭金にしたので20年ローンも無理なく返し、ボーナスのたびに繰り上げ返済をしていたので買って15年で返済を終了した。
退職金でリフォームもして、子供たちが独立したあとも住み続け終の棲家とすることとしたのだ。
病気になり、私にもはっきりと自分の「死」が形となって見えてきた。
これまでの人生を振り返ることが多くなった。
幼いころからの記憶が断片的に脳裏に浮かんでは消えたりの繰り返しだった。
生まれた場所を訪れたり、卒業した小学校を見に行ったり、そんなことをして過ごしているうちに、私の心のなかで大きくなっていったのが、あの春の一日だった。同じ大学に通い、同じサークルにいただけの4人が一日だけ一緒に過ごしたあの日。夕暮れ時に見た、夕陽、多摩川の輝き、それが忘れられなかった。
大学を卒業して就職してからも思い出すことはあったのかもしれない。
しかしそれは一瞬のことで心には留まらなかった。
だが、今は私の心の大部分を占めている。あの日なぜあのメンバーだったのか、そしてあのときの仲間たちはその後どういう人生を送っていたのか、私は知りたくなったのだ。
#6に続く
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