第3話
なぜあの3人と同じテーブルになったのか、はっきりとは覚えていない。
多分、先着順だったのだと思う。
4年生の送別会もかねていたので、4年生だけが固められて、そのなかに偶然同じテーブルになっただけなのかも知れない。
そのころはテニス同好会などというものは古臭いサークルになりかけていたので、だんだん人が減り、1年生は女子が3人だけという有様だったと記憶している。
それほど親しいわけでもない4人が同じテーブルに着いたので最初はぎこちない雰囲気だったことをはっきりと覚えている。
山内はどちらかと言えばおしゃべりなほうで、私が無口なぶん、彼は必死になって、その場を盛り上げようとしていた。
引地枝里は、2年生のときにテニス同好会に入ってきた子で、そのころはさらさらの黒髪がロングで清楚なお嬢様という感じであったが、少しだけ「お姉さん」になっていた。
目や鼻の造作が大きく、はっきりとした顔立ちだった。
美人というほどではないが、何となくモテそうな雰囲気のある女の子だった。
須藤杏は、ショートヘアのきりっとした美人だった。
眼光が鋭く、物をはっきりという性格だったような気がする。
話が盛り上がらないので、山内は就職活動について話の方向を変えた。
すると、女子たちは言いたいことがあったらしく堰を切ったようにしゃべりだした。
そのころは大卒の女性を採用する会社はまだ少なく、少ない求人に女子大生たちは懸命に食らいついていたのだが、だいたいが面接でメンタルをやられるらしい。
大企業も女子の採用は高卒か短大卒が主流であり、よほどのコネがない限り大企業への就職は難しかった。
だから、女子の大半、とくに文学部などは教師を目指す人が多かった。
「私は教師に向かないのよ。特に小学生なんか絶対に無理。とくに男の子。汚いし、乱暴だし」
須藤杏ははっきりとした口調だった。
「それで君はどこに決まったんだ」
私は少しムカッとしていたので愛想なく彼女に聞いた。
ぶしつけね、という顔をしたがすぐにほほ笑んだ顔になっていた。
「F広告よ」
「すげー大手じゃん」
山内が驚きの声を上げた。
「運ね運」
平然とした顔つきがまた憎らしかった。
「あなたはどこに決まったの」
須藤杏はやり返すような目つきした。
「俺はB銀行だよ」
「そう中堅ね」
「悪いね、君ほどの大会社じゃないもんで」
まあまあと山内が私と須藤杏の間に入ってきた。
「俺はE電機の子会社だよ」
「子会社でもあれほどの大手なら待遇もいいでしょ」
須藤杏は聞き返した。
「分かんないよ。君たちの初任給はいくらだい」
「手取りで15万円くらいかな」
この会話のなかに引地枝里はまったく入って来なかった。
「君はどこに就職するの」
私は微笑みながら聞いている引地枝里に聞いてみた。
「私は豊島区にあるN学園に決まったの」
「凄いじゃない。名門でしょ」
「そうだけど、私立だからいつ首になるか分からないし」
「公務員なら安定はしているわよね」
「親は絶対公立の教師になれなんて言っていたけどね」
「でも名門校だし、いいんじゃないの」
「女子高だからね、それにカトリック系だから厳しい規則とかあって」
「キリスト教の信者じゃなくてもいいんだ」
「信教の自由は憲法にも保証されてるし、そんなことで採用の基準にしていたら時代遅れだしね」
「それもそうか」
ふたりの女子はしゃべりまくって、男子のわたしたちはただそれを聞いているだけだった。
「そういえばみんな違う業界だね」
須藤杏が突然分かったような言葉を出してきた。
「もう会えなくなるんだから、今度の日曜日この4人で遊ばないか」
山内は突然提案した。
「いいねえ、私は就職活動で疲れ切って下宿でぼーとしている毎日だもの。地元に帰ることになれば引っ越しとか大変さしさ、その必要も無くなったしいいかもね」「俺もいいよ」
私も賛成した。
研修が始まる4月初めまでまったく予定がなかった。
アルバイトも一年前に辞めていたのだ。
「引地はどうよ」
須藤杏は肯定の返事を待つような威圧的な声で引地枝里につぶやいた。
「私もいいよ」
ぼそっとした声だった。
山内は目の前にある酎ハイを一口のんで、「レンタカーを借りて海に行かないか」私は3年生のとき免許を取っていた。
親が就職にも必要だろうと言って金を出してくれたのである。
「運転は任せておけよ」
山内はそう言い切った。
「あなた運転はしているんでしょうね」
「してるさ、兄貴が持ってるんだ。それにデパートのお中元やお歳暮の配達のアルバイトで軽トラも毎日運転していたから」
「今村君は免許持ってるの」
「うん、あるよ。でもまだそんなに運転する機会がない」
「じゃあ、山内君がメインに運転して、どうしても疲れて運転できなくなったら今村君に代わってもらうということでいいんじゃない」
須藤杏はお姉さんのように場を仕切っていた。
「それでいいよ。それまでに俺も親の車で練習しておくから」
「車はどうするの」
「レンタカーがいいんじゃない」
「そうだよ。兄貴なんか絶対クルマなんか貸してくれないだろうしさ」
「引地さんはどう思う」
「私もいいと思う。それに海を見たいと思っていたし」
「海ってどこの海?」
「湘南だろうやっぱり」
「そうよね」
「房総じゃないんだ」
「木更津で潮干狩りするわけじゃないんだからさ」4人は笑いあった。
卒業まじかの3月はじめ、山内と引地、須藤の3人と私はレンタカーを借りてドライブに行った。
まだ、冬の寒さが残る春の初めだった。
朝、9時に引地の住む多摩川の神奈川県に入ったところにある私鉄の駅に集合して、駅前にあるレンタカー会社の営業所に向かった。
当時、若者に人気だったホンダシビックを半日借りる予約をしていた。
運転は山内の役目だった。
営業所を出発して、国道246を東京に戻り、用賀で環状8号線を右折して、第3京浜に入って湘南を目指した。
まず、江ノ島まで行って、ランチを食べて、その後鎌倉に行って、鶴ヶ岡八幡宮に行き、小町通りを散歩したりして、午後3時にはレンタカーを返すという計画だった。
第3京浜に入って、約1時間半で江ノ島に着いた。
道が空いていたせいでもあったが、山内の運転も上手かったのだろう。
車中で何を話していたかはほとんど覚えていない。
女子2人は最初は元気にしゃべっていたが、30分くらいで大人しくなったと思っていたら、寝ていた。
私は、山内のナビゲーションをやるためにしっかりと起きていた。
山内がときどき話していたのを記憶はしているが、内容まではまったく覚えていない。
江ノ島に着くと、駐車場にクルマを止めて歩いて江ノ島に渡った。
空は快晴だった。
風は少し強かったのを覚えている。
長い髪の引地枝里は風のために髪が乱れるのを抑えるために後ろで縛ってポニーテールにしていた。
「引地さんはポニーテールが似合うね」と、私はめったに人を誉めないののだが、そのときの引地のポニーテールはきりっとした女性らしい美しさが出ていると思ったから素直に言葉に出したのだろう。
引地は微笑みを返しただけで、何も答えなかった。
須藤はショートヘアーのボーイッシュな髪形には似合わず、ミニのスカートをはいていたことを思い出した。
白くてすらっとした足は、それまでほとんどパンツ姿しか見たことがなかったので新鮮な感じがした。
江ノ島に渡ったら、小高い丘を登って飲食店がある一角に出た。
「まだ早いけど昼飯食べないか」
山内は運転をして腹が減ったのだろう。
お土産屋の奥にある店に入った。
お座敷があり、湘南の海を見渡せた。海の向こうには湘南の海岸線が見えた。
「きれいな景色だね」
引地は嬉しそうだった。
「うちは千葉県だからあんまり湘南の海は来る機会がなかったのよね」
食堂での会話はなぜかほとんど覚えている。
「俺は彼女と来たことがあるよ」
山内が突然カミングアウトした。
「今でも付き合ってるの」
引地が楽しそうに聞いた。
「1年のとき付き合い初めて、2年の夏休み前に別れた」
「うちの大学の子でしょ」
「そうだよ、社会学部の子だったな」
「いろんなところに行ったの」
「かなり行ったね、旅行だって行ったんだぜ」
女子ふたりは目を丸くして聞いていた。
「どこに泊まったのよ」
「軽井沢の民宿だったよ。そこにはテニス場があって、テニスができるから行ったんだ」
「へー、青春だね」
「君たちはどうなんだよ」
引地と須藤は顔を見合わせた。
「もう最後なんだから言ったらいいじゃんか」
山内は興味深々の様子だった。
もちろん私も興味があった。
人の恋話は聞いたことがなかったので聞いてみたかった。
「私はバイト先で知り合った人と付き合ったんだ」
引地がニコニコしながら言った。
「で、どうして付き合うようになったんだよ」
「あっちから誘ってきたんだよ」
「大学生か」
「早稲田の子だった」
「うちの女子は早稲田に弱いよね」
「場所が近いからそうなるよね」
私はその話をよく聞いていた。
早稲田の学生は高田馬場から近い大学の女子大生と合同コンパをしていると。
「学習院とかうちとか、川村の女子大生が早稲田の奴らの餌になっているんだよな」
山内が吐き捨てるように言った。
「餌とは何よ」引地は顔をこわばらせた。
「すぐに別れたのか」
「違うわよ。最近まで付き合っていたんだから」
「分かった同棲してしてたんだろ」
「してないよ、そんなこと」
「まあいいわ」
山内はあきれたような顔をした。
「山内は早稲田の連中に被害妄想を抱いているんだよ」
私は余計なことを言ってしまった。
もしかしたら、山内が付き合っていた彼女も早稲田の奴に横恋慕されていたのかも知れないと思って、背中に冷たい汗が流れた。
「分かれたあとに誰と付き合ったかなんて知らないよ」
「それもそうね、そんなこと気にしているのは未練がある証拠だからね」
引地が燃料を投下した。
「俺から振っただぜ」
女子ふたりは黙っていた。
ちょっと気まずい雰囲気は流れた。
すると、料理を運んできたおかみさんが窓の外を指さして、
「あそこに鳥が止まっているの見える?」
たしかに山の中腹の木に茶色い大きな鳥が止まっていた。
「トンビなのよ。餌をくれるのを見ているのよ」
「餌って、客が上げるのですか」
「窓から投げてごらん、下に落ちる前にトンビがさらっていくから」
おかみさんはどうだというドヤ顔をしていた。
考えてみれば野生の鳥に餌をやるなどということは今では禁止されているくらい悪いことなのにそのころはそんなことは気にもしていなかったのだろう。
私たちはラーメンをすすりながら、話を続けていた。
#4に続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます