第2話
華澄との初体験初日は悲惨なものだったが、次の機会にはちゃんと出来た。
本当にちゃんとだった。
1回目のときは、厚い壁にぶち当たったような感じだったのに、2回目はするりと入ったのだ。まるで底なし沼に自分の一部が沈み込んだような感触だった。
私はしばらくそのまま動かなかった。
感触を楽しむというより、感動していたのかも知れない。
華澄は静かに目を閉じていいた。
眉間に皺が寄っていたので痛かったのだろうか。
私が少し動くと口が微かに動き、空気が漏れるような薄い声が出ていた。
そうだこれが性交なのだと思った。
こんなにもあっけないものだったのか、最初は何が起きたのだろうかと不思議に思った。
私は少し動くと急に下半身に電流が流れるような感じが襲ってきた。
そのまま私は果てた。
その果て方もあっけないものだった。
私は華澄に悪いことをしたような罪悪感に襲われた。
「自分だけでごめん」言葉には出せなかった。
華澄はしばらく目を閉じていた。
私は彼女の体から離れてうつぶせになっていた。
華澄の指が私のうなじを撫でていた。
「どうしたの、疲れたの」と言っているようだった。
私は言葉に言い表せ出来ない快感を味わったのに、彼女にはどんな悦びを与えたのだろうかと不安でならなかった。
華澄は起き上がってすぐにシャワーを浴びにいった。
彼女のなかに出したものがシャワーの水に溶けて彼女の体内から流れ出るのだろうかと想像すると、なんだか悲しくなった。
自分の子供たちが水とともに下水管のなかに消えていく。
私の子供たちが殺されていくような気がしていた。
それは悲しみというより怒りだったのかも知れない。
華澄との付き合いはそれからどんどん深くなっていった。
私はときどき華澄の家に泊まっていた。
私は実家暮らしだったので、それはごく自然の成り行きだった。
アパートは1DKで西武池袋線の江古田という駅から歩いて15分も歩くので都心に近い立地のわりにはそれほど家賃が高くないということだった。
私はバイトで遅くなると必ず泊まった。
彼女の部屋には私のインナーや歯ブラシが揃えられた。
彼女が買ってくれたものだ。
彼女はいつも夕ご飯を用意して待っていてくれた。
彼女の実家は地元で有名な食材の卸業を営んでおり、裕福な家庭であったので、仕送りも潤沢なものだった。
それで彼女はアルバイトをすることもなく、気ままな大学生生活をしていたのだが、心配なのはひと月に1回は必ず母親がやって来ることだった。
大事なひとり娘の部屋に巣くう悪者として自分が懲らしめられるのではないかという恐怖があったのだが、華澄はそういうところは鷹揚な女性で、何のことはない、実家に送る手紙に私との写真もつけており、両親もはなはだ寛容な性質だったのか、別に何のキツイ反応もなかったのだった。
だが、さすがに母親が来ているときは部屋には行けない。
華澄は平気だからというのだが、私としては変に彼女の親に認知されることを恐れたのだった。
つまり、親に会ってしまい、そこで彼らに私の存在が責任のあるものにされることを恐れていたのである。
彼女は一人っ子だったので、当然結婚となれば「お婿さん」ということになることは判り切っていることなので、それは避けたいという心理だったのだろう。
私にはほかにも兄弟がいたので、別に婿入りしても差し支えなかったのだろうが、私自身将来を縛られることを本能的に避けたのだろうと今となっては考えている。
大学2年生のときの思い出といえば華澄との出会いと交際ですべてが塗りつくされる。
私は授業に出て、アルバイトをして、たまにテニス同好会の付き合いをして、松野とも一緒にいて、華澄ともたまに学食で一緒にランチを食べてという生活だった。
3年生になると、授業をとる時間はさらに少なくなった。
木曜日が完全に1日空いていることになった。華澄はアルバイトもしていないので、木曜日は一日中私と過ごすことを希望した。
火曜日のバイト終わりに彼女の部屋に行き、そのまま木曜日は一緒にいて、どこかに出かけたりした。
山手線で東京駅まで行き、湘南電車に乗って茅ケ崎まで行って海をみたり、横須賀線に乗って鎌倉まで行ったりしたこともある。
そのころはまだ東京ディズニーランドは開園していなかったので、今になってみれば幸いだった。
華澄はそういうところが大好きだったからだ。
豊島園や西武園には何回もいった。
付き合って1年半も過ぎたころから私は彼女の性格に違和感を感じ始めた。
彼女は異常というほどの嫉妬心のある女性だったのだった。
2年生の春に出会い、3年生の夏休み前に華澄とは別れた。
華澄は、私を激しく束縛した。
私が華澄から離れているときは2時間ごとに電話をしないと怒られた。
別に機嫌を取るつもりはなかったけど、めんどくさいので、仕方なく公衆電話から彼女の部屋に電話を入れた。
まだ、そのころは携帯電話や電子メールはもちろん留守番電話もなかったので、アパートの管理人さんに託してもらっていた。
あまりにも頻繁に電話がかかってくるので管理人さんも迷惑そうだった。
華澄は私にテニス同好会を辞めろとまで言ってきた。
他の女の子と仲良くするのが我慢できないらしい。
現実は女の子とフランクに話すことなどまだ苦手だったというのに。
ただ、それだけ束縛されても私は華澄とすぐには別れなかった。
自分の性格ではすぐに新しいガールフレンドができるとは思えなかったのだ。
華澄それほど好きではなくなっていても、肉体の欲望のためだけに関係を続けてきていた。
華澄に合わせて好きな表向きを装っていたのである。
ところが別れは突然だった。
-好きな人ができたの。
その一言で、1年半の交際は終わった。
華澄が好きになった男がどんな男だったのかは未だに分からない。
学内で男と一緒にいるところを見なかったので、もしかしたら学外で何らかの知り合いになり、そちらに乗り換えたのだろう。
どうでも良かった。
私は、肉体的な欲望満たす相手がいなくなったというだけの話だった。
3年の後半になり、みんなそろそろ就職を意識し始めていた。
今のようにインターシップがあったわけでもなく、就活サイトで探したり、イベントがあったわけではない。
だいたいどんな会社に行きたいか、それとも公務員を希望するのか、教師になるのかとかいろいろあった。
そのころはまだ学生運動が盛んなころだったので、就職を希望する学生は「体制的」だと揶揄される時代でもあった。
私はいわゆる「ノンポリ」の学生だったので、政治的な活動は一切興味がなかった。
ただ、将来が安定している仕事に就きたかっただけである。
3年生の終わりころには就職課に出入りして企業の会社案内をむさぼり読んだ。
まだ高度成長が辛うじて続いていた時代だったので、他の学生たちは商社やメーカーに行きたかったようだった。
親友の松野はマスコミ希望だった。
郷里の新聞社に就職を希望しており、3年の秋ころから「マスコミセミナー」に参加していた。
当時はテレビより新聞社や通信社のほうが人気があった時代だった。
「マスコミは早稲田か慶応が有利だろ」
「うちだってけっこういるぜ。それに全国紙ならコネがないと入れないが、地方紙ならうまくいけば就職できるかも知れない」
松野は宮城県の出身だった。
東北の主要都市だから中央紙に負けないクラスの新聞社があった。
松野はその新聞社が第一希望だった。
私は、メーカーに行こうか、銀行に行こうか悩んでいた。
商社や公務員にはまったく興味がなかった。
4年生になり、本格的な就職活動が始まった。
松野は仙台に本社がある新聞社に先輩訪問という形で事前活動を始めていた。
私は、メーカーと銀行の会社説明会に参加していて、まだどこにするか決めかねていた。
採用試験の始まる6月になっていた。
私は銀行5社とメーカー2社を志望にした。松野の採用試験は6月の下旬である。彼は筆記試験対策で必死になっていた。
私は就職課の人に頼んで面接の練習をする毎日だった。
私たちふたりは就職活動には熱心なほうだった。
それが功を奏したのか、松野は希望どうり東北一の新聞社に合格を果たした。
3か月にわたる厳しい就職試験を勝ち抜いたのだ。
私は、大手の銀行から合格通知を受け取った。
メーカーは不採用だった。
私はそれが運命だったと感じた。
卒業まじかになって偶然華澄と遭遇した。
「信也君、どこに決まったの」
「T銀行だよ」
「私は実家に帰って家の手伝いをすることになったわ」
「そうか頑張れよ」
「あんたも元気でね」
その二言で華澄との会話は永遠の終わりだった。
卒業してから会うことは二度となかった。
実家に戻って親の経営する会社を手伝い、見合いまでいかなくても、だれか地元の優秀な男と結婚して、家庭を作ったことだろう。
そんなことしか思い浮かばなかった。
そして、テニス同好会最後の飲み会が2月に行われた。
そこでたまたま同じテーブルについたのが、山内政之と引地枝里、須藤杏だったのである。
彼らとはそれまでもテニスをした仲だった。
飲み会でも話したことはあった。
だが、山内は同じ経済学部にいたものの、彼にはほかに仲の良い友達がいて、授業で顔を合わせても挨拶するくらいな関係だった。
引地は文学部日本文学科、須藤は文学科歴史学科で女同士ということもあり、たまに遊ぶ仲だったようである。
このときの偶然が人生の終盤を迎えた私に深い記憶を刻む出来事の顔合わせになろうとはそのときは夢にも思わなかっただろう。
#3に続く
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