青い橋梁
egochann
第1話
あの日の夕暮れをまだ忘れられない。
あのとき4人で見た夕陽の赤さはそれ以来二度と見たことがなかった。
同じような夕陽には何度も遭遇したが、同じ色でも心に響くものがまったく違っていた。
もう2度と戻らない時間。
あの日に戻って、またあのときに見た夕陽を見たいと思ってもそれは不可能なことだと分かっていたが、どうしてもまた見たいという思いがときどき襲ってくる。
遥か山の稜線のまだ上のほうに丸い太陽が黄色からオレンジ色に変わる寸前までの時間に私の目に映ったそのときの色を忘れられない。
山内も引地も、須藤も同じ景色を見ていた。
いや、見ていたはずだ。
40年以上も前のあの風景を忘れられないのはどういうことだろうか。
これまでの人生のある瞬間に突然湧き上がってくる思い。
どうしてだか分からない、それがいつだったかも分からない。
突然あの景色が浮かんできては消えていく。
国道246号線を用賀から川崎に向かうとき、多摩川を渡る。
そのときに鉄橋を渡った。秋の色が濃くなっていたころだった。
空気が乾いていた。
夕暮れ時の色が世界を染めていた。
山内は前を向いてただ黙って歩いていたが、私は引地と須藤と何か話していたことを覚えている。
何を話していたかはまったく覚えていない。
私は彼女たちと話しながらあの夕暮れの色を見ていた。
それが、脳裏にしっかりと根付いている。
これまでの人生のおりおりにそのときの光景が現れるのは深層心理そのものだろうか。
山内がなぜ黙って歩いていたのか、覚えていない。
怒っていたのか、それとも何か思いにふけっていたのか。
そもそも4人でいたことが不快だったのか、そのこともまったく覚えていない。
引地は長い黒髪を川から来る風でバラバラになるのを必死になって押さえていたこと、須藤はショートカットのヘアースタイルだったので、風のせいで髪の毛が川面に生えている草のように左右上下に乱れていた。
笑ったときに髪の毛が顔にかかって、口だけがむき出しになり、ハロウィンのかぼちゃのようになっていた瞬間の表情だけが記憶に残っている。
私が何か言うたびに須藤の口が横に広がり白い歯が見えた。
面白いことでも言っていたのだろうか。
そのとき引地は笑っていたのか。
引地の表情だけが思い出せない。
橋の中ほどに達したときに、会話が途切れ、私は遥か山の稜線を見た。
もう空のずっと上のほうは青が、藍色に変化する直前だったような色を記憶している。
橋梁の色が青かった。
塗装が青だったからか、目の迷いか分からない。
記憶のなかの色が青いだけだったが、それを真実とする証明はまるで無い。
青い橋梁を私たち4人が歩いていく。
その姿が妄想のなかに浮かんでいる。
4人が白い光のなかに向かっていく。
永遠と続く道をひたすら目的もなく歩いていくような感じがしたのだ。
あのときの4人は、それ以来二度と4人だけで集まったことはない。
それ以前もだった。
なのになぜその日4人が集まってあんなに思い出が残っているのだろうか。
私には謎だ。
高校生から大学生の時期は、人生でも一番長く感じる7年間だろう。
いろんなことが凝縮されている。
思い出せばきりがないほどの様々な思い出があるにも関わらずなぜあの日のあの光景だけが40年近く経った今鮮烈に思い出されるのだろうか。
旅で出会った人、どこかで偶然出会って、何らかの触れ合いがあり、そのことを思い出すことは多いのだろうが、あのときの4人は見知らぬ者同士ではない。
かといって、親しくしていた関係でもない。
深くもなく、浅くもない関係の4人が、その日だけ集まって、あの橋を渡っていたのだ。
それだけのことなのだ。
だが、私にはその時間こそが今までの人生のなかで煮詰まらないというか、整理がつかないというか、そういう時間なのだ。
特別に何かあったわけではない。
いや、むしろ何も無かった。
ただ、集まって、遊んで、帰っただけの時間の一コマが人生の振り返りで重い意味を持つなどということがあるのだろうか。
私は分からなくなっていた。
私は東京都の西にある町で生まれ、高校まで普通の公立校へ通い、現役で東京6大学のRという大学に入学した。
受験では志望校に落ち、二次志望の学校に入れたので、そこそこ満足し、浪人しようなどという考えはまったくせずに、素直にRに入学したのだった。
入学式を終え、オリエンテーションが済むと、サークルに何か入ろうと思って、テニス同好会に入った。
理由はただひとつガールフレンドが見つかるのではないかという内向きな男が精いっぱい妄想のような考えで入っただけの話だ。
チャラいイメージしかないテニス同好会が、まさにそのとおりで、軽い野郎と、ビッチな女の子が多くて、予め予想はしていたとはいえ、あまりにも現実がそのとおりなので、すぐに辞めようかと思ったのだが、そのとき松野という同じ経済学部の男がいて、その男は群馬県の桐生市の出身で、とても大人しいそうな奴で、チャラい奴ばかりのなかで私と同様な特異な存在だったが、お互い惹かれあうように仲良くなり、そのために私はテニス同好会を辞めることはなかった。
テニス同好会という名称なのだが、実態はつるんで遊ぼうという活動だった。
私はほとんどその活動に参加していなかった。
1年生のときは、めいっぱい単位を取ろうと思って、ほとんど毎日朝から晩まで授業を受け、その後はアルバイトをしていたから、たまに週末にテニスをするくらいしか活動をしていなかった。
同じ学部の松野とは同じ授業を受ける機会も多いので、大学にいるときはいつも一緒にいた。
松野は奨学金で大学に通う古い言葉で言えば「苦学生」で、生活費はほとんど自分で稼がなくてはいかなかったので、私みたいに目いっぱい授業をとることはせず、留年せずに済むだけの必要最小限の授業だけをとっていたので、週に3回ほど一緒にいたということだった。
1年生は無事に済み、2年生に進学した。
テニス同好会は、まじめなサークルではなかったので、たまに郊外のテニス場でテニスをするくらいであったが、松野はほとんど来なかったが、私は大抵参加していた。テニス同好会であるから、当然女子のほうが多い。
私の目的は、ガールフレンドを作ることだったので、その結果はどうだったかと言うと、だれにも近づけなかったということだった。
近づけないというのは、話すことができないというような中学生か高校生のような可愛らしいものではなく、もっと肉体的というか、触れ合いというか、深い関係を持てるような付き合いのできる相手が見つからなかったというべきだろう。
いわゆる「よこしまな思い」である。それが達成できなかった後悔が1年生の反省点でもあった。
2年生になり、必修の単位の目途がたち、受ける授業の時間も1年生よりタイトな時間割ではなくなっていた。
そのころ同じ教室で隣同士になったある女の子と親しくなれた。
彼女は宇田華澄という名前の1浪して入った1歳年上の子だった。
そのとき受けていた教授の話し方が面白くて、私は何度となく宇田華澄の顔を見て笑いあった。
それ以来、彼女がひとりでいるときは必ずとなりの席に着いた。
最初は何のためらいもない顔を彼女はしていたのだが、2回になり3回になると、なぜ、自分のとなりにこの人は座るのかという疑問が持ち上がったような顔をしていた。
そこで、私は思い切って、帰りにお茶に誘ったのだった。
それが、初めての彼女ができたきっかけの話である。
華澄は、静岡県の出身で、豊島区のアパートに独り住まいをしていた。
しばらく、学校の行きかえりにお茶を飲んだり、映画を見たりしていたが、自然と彼女の部屋に行くことになり、割とスムーズに深い関係になった。
彼女も初めての行為だった。
私は、最初の行為のとき上手くできなかった。
誰でもが通る道だと思っていて、彼女に「恥ずかしい」などとは思わなかった。
その日は、午前中の授業を終わり、私は午後にも授業はあったのだが、彼女の部屋で昼食を食べようと誘い、彼女も暗黙になかで、その日が結ばれる日だということを覚悟していた風であったので、そういうことになったのだが、結局最終的な目的は達成できないという惨めなことになってしまった。
私は力尽き、ただ天井を眺めていた。白い天井に黒い染みのような点があった。
それが、私の無様な姿を笑っているように思えた。
彼女も何もしゃべらなかった。ただ、息遣いだけが激しかった。
#2に続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます