俺とお前とシャーペンと
四方山次郎
第1話
俺とお前とシャーペンと、と向かいの席に座る宮西がはっきりとした口調で言った。本をめくる音と時おり聞こえるひそひそ話しか存在しない図書室内で発せられた意味不明な言葉。
数学の問題を眺めていた
「お前は俺より頭が良くて、シャーペンはお前より強い、そして俺はシャーペンより強い。みんな違ってみんないいってやつだ」
「シャーペンより強い弱いってどういうことだよ」
こういうことだよ、と言って宮西は自身のシャーペンを握ると親指に力を入れへし折って見せた。東は呆れて再度問題を解き始める。
「そんでお前はシャーペン折れないけど俺より頭いいだろ? 証明終了だ」
いいや違うね、と声に出さず頭のなかで否定する。
宮西はいつもこうだ、と東はうんざりする。東は頭がいい、と過大評価してくる。確かにテストの点数は宮西と比較し東のほうが数段上だ。だが、それでは測れない次元で宮西のほうが頭がいいと東は理解していた。
近所だったため、幼いころから一緒に遊んでいた宮西は、東から見て常にお茶らけており、テストの点数もあまりよくなかった。しかし、それはただ単に宮西が勉強に興味がなかっただけだと気づいたのは小学校を卒業してからだった。
「これ、ちょっとおもしろいかもな」
中学に入り、一緒にテスト勉強をしていたある日、教科書の必須要素外、コラムに書いてある有名な数学者が証明した理論を指さし、宮西はそう言った。
東はコラムの存在こそ知ってはいたものの、テストのことしか気にしていなかったため大して読んではいなかった。
「そんなに面白いのか?」
「ああ、なんかおもしれえ」
教科書をめくりコラムを読む東だったが、いまいち書いてあることがよくわからない。何が面白いのかと聞くと宮西は「わけわかんねえのがおもしれえ」と答えた。
その後も、テスト範囲を勉強する東の傍らで、宮西はそのコラムに関連することばかり読んでいた。
そのときの数学のテスト結果は、東が94点、宮西が90点だった。
「やっぱり東は頭がいいな」
順位表をニヤニヤ見ながら言った宮西の言葉が、胸を冷たく貫いたような感覚がした。
数学だけじゃなかった。国語、社会、理科、英語、いずれの教科でも負けはしないものの、今までより差が縮まってきている。
なぜだろう。
東は疑問だった。
いつもテスト勉強をしようと誘ってくる宮西だが、当の本人は数分もすればすぐに飽きてしまい、教科書の別の部分を眺めたり図書館の本を探しに行ったりしている。
点数自体は自分のほうが上だが、なぜだか宮西のほうが成果を出している、東はそんな気がしていた。
「今、お前なんの勉強してんの?」
「え? 理科だけど」
「じゃあ、なんで金子みすゞの詩なんか読んでんだよ。小学生のときに読んだやつだろそれ」
「いや、食物連鎖について読んでたらあの詩もなんか関係あったのかなって思って」
「関係ないだろ。『私と小鳥と鈴と』は食物連鎖じゃなくて個性について詠った詩だろ」
「でもみんないいってそれぞれに得手不得手があるってことだろ? それだったらこの三すくみもある意味ではそういうことになるだろ。食物連鎖ではそれぞれが役割を持っているからこそ成り立っているバランスがあるんだって」
そうなのか? と一瞬思ったが、認めるのが
「そうかぁ。面白いと思ったんだけどなぁ」
そのときの宮西の言葉が、なぜか東の心のどこかに引っかかった。耳元で羽音を鳴らす蚊のような
「なあ、真面目に勉強しないんだったら一緒に勉強しようなんていうなよ」
思わず、強い口調で声を荒げてしまった。周りにいた他の生徒の視線がこちらに集まる。
宮西は、ぽかんとしていた。
「ごめんって、そんなに怒んなよ」
「だったらちゃんと勉強してろ」
そう吐き捨てたあと、二人は会話なく勉強を続けた。宮西も教科書や参考書を開き勉強していた。
その時期の中間テストの順位は、二人同率であった。
宮西は「真面目に勉強したおかげだな」と笑ったが、東は笑えなかった。あの日以外も一緒に勉強していたが、結局真面目に勉強を開いていたのはあの時だけだった。
「今回はしばらく一人で勉強させてくれないか?」
中学二年の二学期、いつものように一緒に勉強しようと誘ってくる宮西に東はそう伝えた。
初めは「なんでだよ」と不満げだった宮西だが、最終的には納得してくれた。
「一人が大変になったらいつでも声かけてくれよ。俺一人じゃ勉強できねえんだから」と言いながら離れていく宮西に向かって「一緒にいても真面目に勉強してるとこなんてほとんどなかっただろ」と声を投げ掛けた。
晩御飯を食べ終わり、自室で一人勉強していた東だったが、時間がたつにつれ頭のなかは勉強以外のことが占められはじめていた。
学校での宮西の言葉が、今までのテスト勉強中の言葉が、昔遊んでいたときの言葉が、混ざり合い、頭のなかでホッケーをするようにあっちこっちへ飛んで行く。
「……うるせえよ」
頭のなかでこだまする宮西の声に思わず独り言を口にする。
沸いてくる怒りでシャープペンシルを握る力が強くなるが、折れるほどの圧力は加わらず、ギチギチと音をたてるだけだった。
それがさらに東を苛立たせる。
俺のほうが真面目に勉強しているのに、なんでお茶らけているあいつのほうが成果を出しているんだ。
そう思わずにはいられなかった。
嫉妬、なのだろうか? と思いながらもそれを認めたくない気持ちもあり、それらが反発し合い、気づけば、頭のなかは宮西に対する言いようもない怒りで満たされていた。
テスト勉強には全く集中できずにいたそのとき、ブブブッとスマートフォンが振動し、思考が一瞬途切れた。タップして画面を見ると今一番関わりたくない人物、宮西からのメッセージだった。
『そろそろ一緒に勉強しないか?』
そのメッセージを見や否や、東はスマートフォンをベットへ投げ出した。怒りが走り回りどうにかなりそうな頭を
それから、東は気持ちを落ち着けるのに精一杯で勉強を続けることはできなった。
○○○
壁に張り出された期末テストの順位表を見ようと、生徒たちが廊下に溢れかえっていた。
互いの順位を健闘し合ったり馬鹿にし合っている生徒、第三者の順位を指差し褒め称えている生徒、様々だった。
東はすぐには結果を見ないようにしていた。
そのときのテストの手応えは散々であり、順位が下がっていることを確信していた。意を決して表を見据えるが、結果を見るとすぐに顔を下げた。常に10番以内をキープしていた東の順位は倍以上の数字を示していた。
宮西が今まで通りの、いや、今まで以上の成果をあげているとしたら……と考えると見たくない気持ちが膨れ上がるが、意に反して目は宮西の名前を探す。
すると、隣で聞きなれた声がした。
「どうだよ今回の成績は?」
顔を向けるとそこには宮西がいた。
「宮西……」
「一人で勉強するって言うからめちゃくちゃ順位上がってるかと思ったけど、いつもと同じくらい……か? やっぱり今回の範囲は難しかったのか?」
そういうわけではないんだが、と東は曖昧な言葉で濁す。
何度か逡巡したのちに「お前は?」と聞き返す。
「俺か?」とにかっと笑う宮西を見て、東は聞いたことを後悔した。
「俺はな、すげえぞ! 見てみろよあれ」
軽快な口調で言いながら指差した先は、東が探していた学年上位陣の順位、ではなく反対方向、つまり成績下位陣のあたりだった。
宮西は前回の成績が嘘だったかのように落ち、3桁の順位になっていた。
東は目を丸くする。
「……お前マジで勉強してなかったのか」
「仕方ないだろ。俺、集中力ないんだから」
「いや、集中力以前の問題だろ。机にも向かってなかったんじゃないかあの順位」
「だから言っただろ。誰かが一緒に勉強してないとダメなんだって」
なんの曇りもなく言う宮西を見て、東は頭の中の風船の口が開き空気が抜けるように、それまで頭を埋め尽くしていた黒い感情が吹き出していくような感覚を覚えた。
「お前、馬鹿だろ」
東は本心を口にした。今までごちゃごちゃ考えていたことが馬鹿らしく思えてきた。
宮西は、自分よりも頭が良くて、そして同じくらい自分よりも馬鹿だ。
「ああ、馬鹿だよ。だから一緒に勉強しようっていってんだろ。なのにお前は断ってばっかで」
宮西が笑顔を崩さずそう答えるのを聞いて、自然と顔に笑みが浮かぶ。
「そうだったな。……よし! じゃあ一緒に勉強するか、今日から」
「今日からか!? 嫌だよ、せっかく結果が出て清々したってのになんでまた勉強のこと考えないといけないんだよ」
「じゃあ俺がこの前見つけたうまいラーメン屋教えてやっから、食べたあとに勉強会な」
「お、言ったな東。俺の舌が肥えてるの知ってるよな? しょうもない味だったら約束はなしだぞ?」
「望むところだ!」
東は久しぶりに心から笑った気がした。
肩を叩き合い笑うなか、今なら自分は宮西に嫉妬していたと認めることができる、と東は感じた。また、今回と同じように宮西に怒りを募らせることがあるかもしれないとも思った。
でも、今だけは、今だけはあの陰鬱とした暗闇から飛び出せた喜びを宮西と共有させてほしい。
この先いつかきっと追い越されるときが来るだろう。
だが、だったらなんだと言うのだ。そのときになってもこいつはいつもと変わらず俺に絡んでくると、東は断言できた。
そしていつかそんな時が訪れたとき、遥か先に行ってしまった宮西を、笑って喜べるような人間になれたらと、東はそう願った。
俺とお前とシャーペンと 四方山次郎 @yomoyamaziro
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