画竜点睛を描く

 怖い。

 生まれついて目が見えないというのは、恐怖と不安が入り混じった暗黒の世界だ。

 光という概念がわからない。

 人間と妖の境界線もあやふやで、そもそも

 腕は二本で二本の足で立ち、歩く。自分がそう動いているのだからそれはわかるが、色だとか形だとか、周囲の人々が考えるまでもなく認知できているものが理解できず、自分だけが違う世界で生きている気がして、幼少期は怖い思いばかりをしていた。

「秋晴。おまえは綺麗な顔してる」

 自分を拾って家に迎え、秋晴と名付けてくれた大恩ある鬼道家の当主がそう言った。前触れもなく、唐突のことだった。

 無論、盲目には綺麗と汚いの差など理解できない。が、それは表面的なもので、当主が言った綺麗な顔は、意味合いが違っていた。

「おまえはよく笑うし、よく泣くし、よく困った顔をする。顔が生きてるんだ。他の奴らより、よっぽど顔が生きてる。今の奴らは死んだような顔をしたのばかりだ。嘆かわしい話だ」

 唐突のことだったし、何より子供にはなんだか難しい話だったのだけれど、今思えば、励ましていてくれたのかもしれない。

 ずっと恐怖し続けていた幼少期、自分の顔がそんなにも生き生きしていたようには、とても思えなかった。

「おまえは目が見えない分、人の気持ちがわかるんだろう。でなけりゃあ今日まで、うちのもんがおまえをここまで可愛がりはしなかったはずだ。取り入るのが上手いって話じゃない。人の心に寄り添い、語り掛け、理解しようとする在り方の話だ。誰にでもできる話じゃあない――秋晴、おまえは俺の知る限り、馬鹿が付くほど優しい人間だ」

 このときの嬉しさと、溢れ出た涙の熱さを、私は忘れることができない。

 盲目故に、ずっと理解し難かった。

 自分は果たして彼らと同じ人間なのか。何故自分だけ光が捉えられない。何故自分だけ、見るという動作がない。何故私の世界は暗闇で、皆の世界には色や形がある。

 私は、本当に人間なのだろうかと、子供ながらに悩み、思い詰めていたときだったから、人間だと断言してくれたことがとても嬉しかった。

 自分の目から溢れる雫の名が、皆の目から流れるものと同じ名だというのが、嬉しかった。

「妖刀……そんな奇っ怪なものと、おまえは戦うというのか」

「私でも救えるものがあるのなら、そのためにこの命を使いたいのです。何よりこの家にも、奴らの魔の手が及ぶのならば、私は我慢なりません」

 数年後、妖刀の存在を知って居ても立っても居られなくなり、壊刀団入団を当主に直談判するため、頭を下げた。

 盲目故に今の今まで温室で恵まれた生活に身を置かせてもらっていた者が、恩を忘れたかのように命を捨てに行くというのだから、縁を切られたって仕方ないとさえ思っていた。

 与えて下さった鬼道の

 が、当主は一言。

「秋晴。やっぱりおまえは優しい奴だ」

 それだけ言って、反対することはなかった。そして普段自室に飾っていた一本の刀を持ってきて、それを下さった。

「今はないが、昔この近くに寺があってな。そこに奉納されていた刀だそうだ。ここを任されたとき、村長が権力者の象徴として渡してきたものだが、持っていけ。年季は入っているが錆びてない。妖とやらに通じるかはわからんが、そこはおまえ次第だ」

「引き止めぬ、のですか」

「引き止めない。おまえは、私利私欲でそんなことを言う奴じゃない。おまえは、優しい奴だからな。だから、鬼道の名は捨てるな。目が見えずとも、心が狂おうとも、おまえはもう俺の家のものだ。だから、鬼道の名を持つ以上、すべてが終わったなら、この家に帰って来い。ここが、おまえの帰る場所だ」

 言葉は盲目の世界に広がる色、形だった。

 皆の世界は見えないが、皆には見えない世界が見えることを、当主は気付かせてくれた。

 心、感情、人が見えないものが見え、触れることができることに気付かせてくれた。何より、当主が自分の心に触れて、理解し、背中を押してくれた。

 自分もそんな人になれたなら――故に掲げた。

 心の鬼を心で斬る。これを以て慚愧とする。これを恥とは、何事か。


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「道を開けぇぇっ!!!」

 本丸御殿前での戦闘は、さらに過激さを増していく。

 合流した突入部隊を行かせるため、行かせんと立ちはだかる妖を次々と斬り捨てる。

 すでに六道剣の一人が率いた小隊の一部が突入していった。残りも行かせるため、溢れ出てくる妖を出てきた側から斬り捨てる。

 年を越す身を浄化するため、その身に溜まった一〇八の煩悩を掻き消すという除夜の鐘は、妖の発する阿鼻叫喚に掻き消されて聞こえることはない。

 だが、今を戦う団員らに一〇八もの煩悩はなく、目指しているものはただ一つ――勝利だけであった。

 そんな彼らを嘲笑うがごとく、城の瓦屋根の上から、男は浴びるかのように大量の酒を飲み続け、樽で数えて三つ目にもなる瓢箪ひょうたんを開けていた。

 男は――北庵治猛捕は、今日この日、このときまで、ずっと酒に溺れていた。酒を飲み、忘却し、強い己を取り戻そうとしていた。

 だが忘れない。忘れることなどできるはずもない。

 忌々しくも目の前に絶えず現実が突き付けられて――いや、片目が見えないままなので、否が応でも思い起こされるから、忘れることなど出来るはずもなかった。

 目の上のたん瘤どころではない。片目が見えないのだから、邪魔だとかそういう話ですらなく、斬り捨てることもできない。

 どこまでもいつまでもまとわり付いてくる現実が、半分しか見えない世界として在り続ける。忌々しく、鬱陶しく、腹立たしい。

 怒り、怒り、怒り。

 どれだけ酒を喰らおうと、どれだけ女を抱こうと、どれだけ人を斬ろうともこの心潤うことなく、怒りの炎で果てしなく乾く。

 まるで餓鬼にでもなったかのように、この体は絶えず渇きを訴えるようになった。

 やはりあの男を――あの盲目の剣士を殺さねば、この渇きが癒えることはないのだ。そうでなければいけない。そうであらねば、一体、この渇きの正体は、一体なんだというのだ。


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 城の屋根を見上げた団員らは、一瞬だけではあるが、それが妖を超えた異形の怪物だと、化け物だと見間違えた。

 そのとき聞こえた咆哮は、たった今対峙している、またはしていた妖の阿鼻叫喚とは違った覇気と怒りを含んでいて、とても人間が放ったとは思えなかった。

 唯一、それを人だと認識していたのは、見上げなかった鬼道だけであった。

「かぁいとおぉだぁぁんっっ!!!」

「なっ――!?」

 いつぞやの清水の舞台など比較にもならない高さから、躊躇なく飛び降りたことに驚き、思わず声が出た。

 飛び降りた勢いそのままに刀を振り上げ、全体重をかけて振り下ろした一撃は、石の敷き詰められた地面を割る。

 速度で言えばもはや飛び降りただなんて不格好な表現よりも、燕が獲物である虫を喰らうため、急降下してきたと言った方がしっくりくるか。

 ともかくそれに近しい形で、肩で風を切る速度を伴って飛来してきた一撃を、鬼道は紙一重で躱し、背中を任せていた篝の腕を取って、共に後退した。

 直後、二人が今いた場所を北庵治が斬り払い、飛んだ斬撃が妖の群れを両断する。

「ここにてお待ちを」

「鬼道殿――」

 篝の言葉を待たず、鬼道は北庵治の前に。

 獣のように唸る北庵治の隻眼は、執念と怨念の籠った怒りの眼光を向けて唸っていた。

「久方振りですね。虎の御仁」

「殺す、殺してやるぞ……俺の片目を潰したおまえは、必ずこの手で……!」

「気位が高いお人でしたからね。恨んでいるとは、思っていました。隻眼になって見る世界が変わり、大層困惑されたのでしょうね」

 まるで患者に語り掛ける医師。

 そう思えるほどに優しい調子と声音は、敵に向けられているとはとても思えないだろう。

 が、肝心の北庵治にはその声が届いていなかった。「殺す殺す」と唸るように連呼してばかりの猛獣相手に、鬼道は刀を向けて対峙する。

「己に誇りと自信を抱き、前へと進み続けることはとても難しいことです。人の道を外れていたとはいえ、あなたのその在り方だけは見習うべきだと思っていました。が、もはや見る影もないようですね」

「ぐぉろぉぉぉ……!」

「来なさい。自信と共に己をも失った、悲しき獣よ」

 人間とは思えない咆哮で叫び、迫り来る北庵治という獣を迎え撃つ。

 大振りで、力任せに繰り出される剣撃は、受ける鬼道の眉間にしわを作らせる。

 実際、ただの刀では真っ二つにへし折られてしまいそうな凄まじい力と重さで繰り出されるので、相手が腕一本で振り下ろしている一撃に対して、両腕で握り締めている。

 そうしなければ刀が折られずとも、手から刀が飛んで斬られてしまいそう。故に必死に刀を握り、剣撃を受け続ける。

 怒りと力に任せて振り続ける剣の隙間を見つけ、縫うように払った剣が掠め斬るが、その程度では倒れない。

 北庵治の刀・酔虎すいこは生命から並外れた生命力を与える刀。掠めた程度の傷などすぐに塞がって、治ってしまう。

 それを防ぐための術はあるのだが――

「どうした!? 貴様の妖刀は死んでいるのか?! ゛あぁっ?!」

 繰り出された突きに肩を斬られる。

 傷は浅かったが、擦り切られる形になったのでかなり痛い。直後に襲い来る剣を受けるが、追撃の蹴りを躱し切れずに脇腹に思い切り受けてしまった。

 転げた先で鬼道に気付いた妖が襲い来るが、北庵治が妖の背後から妖ごと斬らんと刀を振り下ろしてきて、妖の首と共に鬼道は跳んだ。

 目に頼っていれば今の不意打ちにやられていたかもしれないが、元々盲目の鬼道に目隠しなど意味がない。

 敵が盲目だったことを失念し、いつもは通じる手で決めようとした己の甘さに、北庵治は思い切り舌を打った。

 対して鬼道は息が上がっている。

 北庵治の妖刀は治癒能力が目立つものの、真の能力は生命力の活性化。

 すなわち単純な膂力はもちろん、走力も体力も底上げされているわけで、人間を超えた力と速度で繰り出される剣に対応するだけで精一杯だった。

 それでも盲目の剣士が付いていけているだけ凄い話で、北庵治はそこが腹の立つ話であるわけだが。

「舐めてるのか……俺を、舐めてるのか!!! 何故妖刀を使わん! 何故この目を奪ったあの力を使わん! 俺を舐めているのか?! この俺を相手に、手を抜いて勝てるとでも思っているのか……何様のつもりだ貴様!!!」

 怒りに震え、吠える北庵治。

 それとは対照的で静かにかすれた笑いが、鬼道から漏れた。

「……私は、捨て子ですよ。ただ拾って下さった方が、私を優しい人間だと言って下さった。目が見えず、光を知らぬ世界に生きているだけの人間。それが私です。では、私もお尋ねしましょう。あなたはどちら様ですか? 先ほどから何に怯え、震えているのですか?」

「なんだと? 俺が、怯えて震えている、だと? この北庵治猛捕が、一体何に怯えているというのだ貴様!」

「私は生憎と、仏様ではありません。故に問わねばわからぬのです。あなたは出会ってからずっと、何かに怯えているようでした。妖刀に身を委ねても、酒に呑まれても、拭い切れない恐怖の根源は、あなたが自らを虎に見せなければならないほど恐れているものは、なんなのですか」

「黙れ……だまれぇっ」

 震えに乗じて刀が啼く。

 虎が威嚇をして唸るように、小刻みに震え続けている。

 だが、次第に音に覇気がなくなり、刀の震えが治まっていく代わりに、彼の顎が震え、歯を鳴らし、威嚇では隠し切れなくなった恐怖心に震え始めたかと思った次の瞬間に、ほんのわずかな間だけ、思考回路が停止したかのように停止して、直後、跳び掛かってきた。

「黙れぇぇぇぇぇっっ!!!」

 何が彼の脳裏を過ぎったのか、どんな光景が彼の思考回路を停止させたのかは想像できない。

 が、鬼道には黙れと叫ぶ北庵治の声音の中に、妖刀に身を任せ、酒に浸らなければ生きていけなくなるほどの恐怖が存在することだけを理解した。

 正体を探るだけの余裕も時間もない。今は畳みかけて来る剣を受けきることに集中する。

「俺は北庵治猛捕! 妖刀連合四天王が一角! 妖刀・酔虎の使い手、北庵治猛捕だぞ!? 俺が何に臆すると! 何に怯えるというのだ!」

 腕と脚の筋肉が思い切り膨れ上がり、筋骨隆々の巨躯となった北庵治が吠える。

「妖刀・酔虎、最終奥義! “遭舞猛虎あいまいもうこ”!!!」

 今までの比にならない速度と腕力で戦場を駆け回りながら、あらゆる方向から斬りかかってくる北庵治の剣撃は、もはや受ける度に腕の筋肉が泣き喚き、骨が叫ぶ。

 剣に掠め斬られただけで肉がすべて持って行かれたかのように激痛が走り、意識を持っていかれそうになる。

「おまえが怯えろ、盲目やろおぉぉぉぉっっ!!!」

『ご主人様!』

 鬼道の脇腹を斬り裂いた勢いのまま、背後に回った北庵治は振りかぶる。そのまま首を落としてやらんと、大木の幹並みに太くなった腕を振り下ろそうとしたとき、もう片方の腕にわずかな痛みを感じてその方を見ようとしたが、見えなかった。

 何せ、。一瞥程度に顔を向けた程度では、見ることも気付くこともできず、故に不意打ちを許してしまったのだった。

狐綴こてつ! 火力を上げろ!」

『言われなくとも上げる! だから折ってくれるなよ!?』

 炎の妖刀・狐綴が眩いほどに燃える。突如現れた眩さに、篝を捉えるため大きく振り返った北庵治は思い切り目を焼かれ、背けてしまった。

「妖刀・狐綴、最終奥義!!! “陽炎九尾ようえんきゅうび”!!!」

 本来は、九つの炎をまとった斬撃をほぼ同時と誤認させる速度で放つ連続剣技。

 しかし此度は九つ分の炎を一点――一刀に集中。一撃にすべての熱を込めて、大木の幹並みの太さと化した北庵治の腕を全体重をかけて焼き斬った。

 血飛沫が弾け、北庵治の絶叫が轟く。

 眩んだ眼が回復した北庵治は本能の赴くまま、怒りの矛先と刃の切っ先を篝へと変えて、振り被った。

「篝!」

 篝はとっさに身を屈める。

 北庵治の視界に一本に結わえられた彼女の毛先が広がったかと思えば、裏拳の要領で振り被られた腕から白杖が伸びて、彼女の髪を暖簾のように掻き分けながら迫る。

(たかが白杖で俺を止められると――?!)

 確かに、ただの白杖で顔面を殴打されたところで、今の北庵治を止めるには至らない。

 だが北庵治の顔を殴打する本当に直前で、白杖は真の姿を――妖刀・画龍の刀身を露わにして、殴打するのではなく、北庵治のもう片方の目を抉り切ったのである。

 刀を落とし、焼けるように痛む目を押さえる。もう片方の手はすでになく、北庵治には刀を握っていたその腕しか残されていなかった。

「背中を!」

「拝借!」

 篝の背を踏み台に、巨躯の北庵治に斬りかかる。

 彼の双眸を奪った妖刀は、黒い墨汁のような剣閃を描きながら、筋骨隆々の肉体を斬り裂いて、真っ赤な血飛沫を漆黒に変えた。

「ぐぅおっ……ぐぅおのおぉぉぉぉぉっっっ!!!」

「“画竜転生がりょうてんせい”」

 反撃を試みて伸ばされた腕、厚くなった胸板、肩から腹にかけてと次々に剣撃を叩き込み、全身に漆黒の墨汁を走らせる。

 妖刀・酔虎の能力が欠如、不完全となったため解除され、連撃を受けた北庵治は震えながら上を見上げて立ち尽くし、何か言おうとしていた。

「お、れ、は……きた、おお、じ……おれ、さ、ま、は……き、た、お、じ、の……き、た……」

 それが北庵治の最期の言葉だった。

 側腹部の出血が酷く、今の剣撃にて傷口がさらに開いたらしい鬼道はよろめきながらも刀を収め、振り返る。

 すでに息がないことはわかっているものの、最後の瞬間を自分と同じ漆黒の世界で過ごした男のすぐ側に座り込んで、深く息を吐いた。

「いくら強がったところで、いくら大きな力を得たところで、強くなったわけではなかったのです。だからずっとあなたは怯え、震えていた。私と同じで、戦いが怖くて仕方なかったのでしょう。あなたは頼るべきだった。仮初の強さを与える妖刀ではなく、自身のありのままを肯定し、共に恐怖と戦ってくれる……そんな、友を」

 江戸城本丸御殿前の戦線、これにて終結。

 大きな被害を受けたものの、彼らの奮戦のお陰で内部へ侵入。宮本小次郎の手によって、妖刀連合を操っていた黒幕が捕らえられ、すべての妖刀が回収された。

 かくして、此度の戦いを持って妖刀と壊刀団の永きに渡る戦いは終戦。

 役目を終えた壊刀団も解散。

 団員は、各々の道に進むこととなる。


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 時は一八六八年、十月二三日。

 新たな天皇の即位により、日本は明治と名を改め、新たな時代となっていた――

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