眼光後背に徹する必要なし

 慶応三年大晦日、子の初刻。

 作戦開始時刻まで残り半刻――約一時間まで迫ってきた。

 四人の六道剣がそれぞれ二十人規模の中隊を率いて、妖刀連合本部を一気に襲撃、一網打尽にする完全殲滅作戦。

 選ばれた団員はどれも、腕に覚えのある曲者揃い。覚悟を決めた面構えには凛々しさこそあったが、同時に怯えもあった。

 が、真の戦士とはそういうものだ。戦いに怯えない者などいない。死ぬことに恐怖しない者などいない。

 そんな者がいたとしても、それは単に頭の螺子ねじが外れた馬鹿であって、勇猛果敢な者とて命を惜しいと思うのは必至。誰だろうと関係なく抱く感情だ。

 故に、今ここに集った者達はこれまでの修羅場を潜り抜け、生き残ってきた。だから怯えること、緊張することは決して恥ではない。

「よくこの状況で食べられますね、鬼道さん」

 篝の率いる中隊の待機場所にて、鬼道は一人蕎麦を食っていた。

 皆が緊張でまともに食事も取れぬ中、一人黙々と、ゆっくりと味わって食べている。さすがに酒は飲んでいないが、それでも食事ができているだけ周囲の誰よりも肝が据わっているように見えた。

 が、篝には違って見える。

げん担ぎか、鬼道殿」

 隣に座った篝は食べるかと勧められたが、自身も緊張で食が細くなっていたため、遠慮した。

「大晦日ですからね。年越し蕎麦は食べておかないと。蕎麦のように長く生きたいですし、こうして噛み切ることで、悪縁を断ち切るという意味合いもあります。食べて損はありませんよ」

「貴殿らしいな」

――もしも篝殿が腹切りを命じられたなら、共に腹を切りましょう

 ふと、あのときの言葉を思い出す。

 問えば、盗み聞いていたことが露見してしまう。が、問わずには言われなかった。

「鬼道殿。私は、貴殿が共に腹を切ってくれるほどの逸材だろうか」

「おや、聞いていたのですか。お恥ずかしい。本人に聞かせるつもりは、なかったのですが」

 最後の一口を食べ終え、茶を啜る。

 ほんのわずかな間さえ、篝は落ち着いて待っていられなかった。

 何せこの戦いが自分にとって、もしくは鬼道にとっての最期の戦いとなるのかもしれないのだから。出来る限り、心残りも遺恨も後悔も、ないようにしたかった。

「この一年、あなたには随分とお世話になりましたね」

「い、いきなり何を……」

 鬼道も同じなのかと思う。

 いきなり日頃の感謝など伝えられると、何か鬼道の中で予感めいたものを感じているのではないかと身構えてしまって、篝は落ち着いて話せなかった。

 無論、鬼道もそれは心得ている。

「何、大晦日になって一年を振り返ることは誰にでもありますでしょう。今年は何かと大変な年でしたが、何より、あなたに会えた年でもありました篝殿。あなたといると、なんだか落ち着ける。それこそ、鬼道家にいるときのようでした」

「そ、それは嬉しいな。うん。嬉しいが、それって母親のような意味合いではなかろうな。貴殿には見た目などわからんだろうが、これでも私は貴殿より年下だぞ」

「ははは、確かに母親のようかもしれません。ただその場合、

「なっ、ぁ――!?」

 言葉が詰まり、全然出てこない。

 赤面している顔など盲目には見えないだろうが、明らかに動揺したことは声音でわかっているだろう。鬼道は優しく、篝の方を向いて笑っている。

「そこまで動揺して頂けると嬉しいですが、私は盲目。あなたには似つかわしくありませんね。失礼しました」

「き、貴殿……実は自分が異性に好まれていることを知っていないか?」

「私が? はは、まさか。好意を持って頂いているのは嬉しいですが、そういう異性に対してのものではないでしょう。考え過ぎですよ」

(鬼道殿……心の鬼を斬ると言いながら、何故恋心には疎いのか。私には不思議でならんよ)

 自ら蕎麦の器を片付けに行く鬼道の背中を見ながら思う。

 おそらく鬼道を見つけて「自分が片付けますよ」と言いよる女性団員の心の内すら、彼には見えていないのだろう。

 心の鬼を心で斬る、これを以て慚愧とする。

 信条が信条なだけあって、何故女心は読めないのか。わざと目を逸らしている気さえする。

 それとも誰か、心に決めた人でもいるのだろうか。

「篝様、そろそろ……」

「あぁ、わかった」

 いけない。今は作戦に集中せねば。

 自分は今、二十人の団員の命を預かっている身。失敗は許されない。例え多くの命を失ったとしても、必ずや成功させる責任がある。

 自分を信じ、腹を切るとまで言ってくれた同胞のためにも、必ず――


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「まさか城攻めをすることになるとは、入団した時には思いもしなかったな」

「そうですね……私もです」

 狛村と綴喜の二人もまた、篝の率いる中隊に配属されていた。

 京都での一件以来、何かと組むことが多かったため、配慮されたが故の編成だろう。六道剣の中ではずっと新米の彼女を慮ってのことであることは、誰の目にも明らかだった。

 彼らが見つめる先に聳えるのは、これから襲撃する徳川の城。二六〇年近く続いた江戸幕府の政庁、江戸城である。

 そして、今から四年前に消失したとされる本丸御殿が、壊刀団の面々にのみ認識できていた。

 これもまた妖刀の能力なのだろうが、それにしたって四年もの間、誰にも気付かれることなく隠しきれているのだから恐ろしい話だ。

 同じ妖刀を持つ壊刀団以外、認識できている者は妖刀連合の他いないだろう。それこそ、幕府の中で妖刀連合と繋がりのある者くらいしか。

「なんか、この一年が今までで一番色濃い人生だったかもです」

「奇遇だな、俺もだ」

「……鬼道様が来てらしてから、ですかね」

「間違いない。あの人が本部に来てくれてよかった」

「狛村さんは、この作戦が終わったらどうなさるんですか」

「藪から棒だな。だが、そうだな……」

 この作戦が成功すれば、実質、壊刀団は解散である。

 戦う相手がいなくなるのだから、当然の終結。いつかは訪れるべき結末であり、何代にも渡って目指してきた終結だ。それを迎えられるのは嬉しいに違いない。

 が、解散となれば路頭に迷う者は多いだろう。

 この世はすでに、廃刀が進みゆく時代だ。いつしか刀を持っていることさえ、禁止される世の中になるかもしれない。

 そのとき自分はどうやって生きればいいのか、どうすれば生きて行けるのかわからないものは多いはずだ。何せ団員は皆、自らの剣の腕を世のために使いたいと集った者ばかりなのだから、逆に言えば剣以外に自負できるものは少ないわけで、二人も例外ではなかった。

「何も、思いつかないな。だから旅に出ようと思う」

「旅、ですか。私としては、もう仕事で日本全国回った気分です」

「俺もそうだった。が、伊能忠敬いのうただたかというお人が作った地図によると、俺はまだこの国の半分も歩いちゃいないそうだ。信じられるか? この一年だけでもあんだけ奔走したのにだ。だから、俺のまだ知らないこの国を見てみたい。そう、思うんだ」

「素敵、ですね」

「聞こえがいいだけだ。傍から見れば流浪人るろうにと変わらないだろうさ」

 二人のいる位置から、鬼道の姿が見えた。何か話しているようだし、邪魔はできない。が、ふと二人して同じことが気になった。

「鬼道様は、どうなさるのでしょうね……」

「さぁなぁ。鬼道家に戻られるんじゃないか? 立派なお家だそうだし、後継ぎにでもなるのかもしれないな」

 自分の行く末さえ定まらず、今日死ぬかもしれないというのに彼のことが気になるのは、やはり大恩人だからだろう。

 盲目に生まれて捨て子であったというあの人には、是非とも幸せになって欲しいと思うから気になる。

 商売をするにしろ剣の道に生きるにしろ、世間は不随の人間に対しての辺りは冷たい。だからせめて、理解ある人と添い遂げて欲しいものだが――

「鬼道様、唐変木だからなぁ」

「はは、否定できんな……」

 唐変木は変わり者、傾奇者を差す卑下の表現だが、二人に鬼道を卑下する気はない。ただ変わり者という意味合いではやはり否定し切れず、彼がどんな人と添い遂げるのか、そもそもその気があるのかなど、想像もできなかった。

 だがふと、狛村は思う。綴喜は鬼道のことをどう思っているのだろうかと。

 他の女性のように好意を寄せているのではないか。ならば、自分が嫁入りして鬼道を支えようとか思わないのか、と――

 どごぉぉぉっ、

 と轟く爆発音が思考を遮って、狛村だけでなくその場にいた全員を振り向かせた。


 ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「宮本様!」

「何事だ」

 城を観測していた者が走ってきた。

 城を観測していたその目で、音源を見たのだろう。顔面蒼白で息も絶え絶え、すぐに喋れそうにはなかったが、余程の緊急事態らしく整わないままに報告する。

「壊刀団本部が、妖刀連合の操る妖の大群に襲撃されました!」

「なんだと……?! 妖を率いている奴が誰かわかるか。あれらが理性を持っているとは思えん、指揮している奴がいるはずだ」

「妖刀使いは、初見で確認できただけで十人はおり。その中に、例の辻斬りも――!」

「隊を一つ、本部に戻す! 残りの部隊で準備出来次第すぐに作戦を決行! 江戸城を攻める! 全員に伝えろ!」

 本部襲撃の知らせは伝わった者全員を震撼させ、不安と動揺を誘発させる。

 元々死地へ赴く覚悟を決めていた団員でさえ、本部にいた友や想い人を思い出し、戦慄させられた。

 おそらく敵の思惑通りの状況だろうことに、部隊を総指揮する宮本は歯を食いしばって唸る。

 皆が浮足立ち、狼狽え、怯んでしまっている。硬く結んでいたはずの決意も覚悟も揺らぎ、緩み、何もかもが揃わない。

「宮本殿! 篝夏希部隊、行けるがどうする!」

「――行けっ! 突入しろ!」

「はっ!」

 本当は篝の部隊を本部への応援に行かせるつもりだった。

 が、こちらの襲撃が次から次へと後手に回ってしまうのも避けたい。

 相手が何か次の手を打つより早く、こちらが次の手を先んじて打てるようにするためにも、後手を取り続けたくはなかった。

 故に、最初に準備出来た部隊を行かせようと思ってはいたが、正直に言って篝の部隊が一番に準備できるとは思っていなかった。

「奴らの鼻っ柱、へし折って来い!」

 だが、仕方ないと思って送り出したわけではない。

 確かに他の六道剣と比べれば、篝は新米だ。だが周囲に実力が認められ、六道剣になったことには違いない。

 他より頼りなく思えてしまう面は否めなかったが、信じて見ようと思ったのだ。戦友のため、腹を切るとまで言った男の信頼を。

「篝夏希中隊、推して参る!」

 江戸城への突入許可はすでに、壊刀団を創設した江戸幕府より貰い受けている。

 幕府側も徳川家の説得にかなり苦労したそうだが、幕府も日本を護るためにできる最後で最大の大仕事とあって奮闘したようだ。

 江戸城本丸御殿の城門はすでに解放されていて、左右に妖刀使いが一人ずつ。そして門の奥には大量の妖が阿鼻叫喚の地獄を作って待ち受けていた。

「来たな……壊刀団」

「ここから先は、行かせねぇぞぉ!」

 二人の剣士が刀を抜く。禍々しき妖刀だ。今までに喰らった命の数は一見では計り知れない。

「十人ずつだな」

「なんだよ足りねぇなぁ。俺は二代目人斬り以蔵いぞうになるんだ……十人ぽっちじゃ全然足りねぇなぁ!」

 双方、同時に踏み込んで斬りかかってきた。二人での戦闘は初めてじゃないだろうことが、同時に踏み込んだ一歩だけでわかる。

「おまえは右、俺は左だ」

「おまえら名誉に思え! この二代目以蔵に斬られることをなぁ!」

 が、二人はさらに速かった。

 盲目故に視線で合わせることは不可能。掛け声もない。

 だが鬼道と篝の二人は同時に踏み込み、柄を握る。互いに対峙する敵の懐へと先に入り込み、深く吸い込んだ息を止めて――抜く。

「“妖炎脱鬼ようえんだっき”!!!」

「――“一筆掻ひとふでがき”」

 瞬殺。

 片方は切り口が発火して燃え、もう片方は血飛沫の代わりに墨が飛び散って妖刀が真っ二つに折れる。

 斬った瞬間どころか敵が地面に倒れる瞬間まで重ねた二人は、そのまま先行して妖の群れへと突っ込んでいく。

「全員、二人以上で組んで戦え! 背中の敵は友に任せ、目の前の敵を斬り伏せろ! 後から来る中隊に、道を作れぇっ!」

 篝の指示を受け、士気の上がった団員らが次々と斬り込んでいく。

 異形の怪物に立ち向かっていく彼らはただ、目の前の敵だけを斬り伏せ、斬り捨てる。背後には一切目を向けず、振り返ることなくただ前へと進む。

 背中には友がいる。今日この日まで、友に戦禍を潜り抜けてきた同胞がいる。

 振り返る必要はなく、自身はただひたすらに、目の前の敵を斬るのみと、一縷の恐怖に一瞬でも呑まれそうになる自分を鼓舞しながら命じ続ける。

 恐怖しない者などいない。が、全員が恐怖しているからこそ、皆で立ち向かうからこそ突き進める。

「――背中の敵は任せろ、ですか。よかった、助かりました」

 絶えず仏の微笑を浮かべる盲目剣士の、妖を斬り捨てたばかりの手がわずかに震える。

 だが篝が背後に来て互いに背中を合わせたとき、鬼道の震えはすぐさま治まった。

「あなたになら、安心して預けられる」

「それはこちらの言葉だ、鬼道殿。尻拭いは任せた。が、そちらの尻拭いも任されよう」

「はて、拭う尻なんてどこにあるのでしょう。生憎と盲目なもので。しかし――任せれました」

 背中合わせのまま互いに回り、目の前に来た敵を斬り伏せる。

 篝が斬った足音のない猫の妖が燃え、鬼道の斬った姿の見えない蜥蜴の妖が黒く染まる。

 預けた背中の友に不利な相手が来たと分かった瞬間に入れ替わり、斬り捨てた二人の阿吽の呼吸は団員らの士気をさらに高め、攻め込む勢いを増していく。

 眩い炎と漆黒の墨。相反する色を振るう妖刀が先陣を切って、壊刀団と妖刀連合の決戦は幕を開けたのだった。

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