画竜点睛を描く

戦場の篝火、盲目さえも眩む

 一八六七年、師走。

 坊主も走るほど忙しい年の末、表の歴史にも残るかの事件が起こった。

 近江屋おうみや事件である。

 同年霜月。江戸幕府十五代将軍、徳川慶喜とくがわよしのぶ公から明治天皇への政権返上――世に言う大政奉還。その立役者の一人、坂本龍馬さかもとりょうまが暗殺された事件だ。

 諸説あるものの犯人は不明。

 噂では幕府の息がかかった見廻組の仕業となっているのだが。


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「妖刀の仕業に違いないと、妖倒隊から報告が」

「やはりそうでしたか。見廻組は幕府の管轄。言わば我々直属の上司の中に、裏切り者がいるなどと、考えたくもないですね」

 壊刀団本部、男女共同寮。鬼道、篝の部屋。

 はらり、はらりと鬼道の髪が切られて落ちる。

 普段から結わえているから気付かなかったが、鬼道の髪はそこらの女よりも艶のある綺麗な黒髪で、生まれつき天然の赤茶髪である篝は羨ましさから吐息した。

 何せ羨んだところで、鬼道には自身の髪の美しさなどわからないのだから。

「お疲れですか?」

「いや、言い出したのは私だ。最後まで責任を持って切らせて貰うとも」

「そうですか、わざわざすみません。しかし篝殿はご家族の髪も切られるのでしょうか。随分と、手慣れてらっしゃるように思えますが」

「昔は妹の髪をよく切ったものだ。もう、随分と前の話になってしまうがな」

 篝の壊刀団入団のきっかけは、その妹を含めた家族を妖刀使いに惨殺された事件だった。

 その妖刀使いは彼女の関わるところのない場所で斬り殺され、妖刀もすでに壊刀団に回収されていたので、篝の復讐は行き場を失ってしまっている。

 が、その代わりとなる大規模作戦が決まっており、篝の戦意はそこに向けられていた。

「……坂本暗殺の犯人も、妹を斬り殺した妖刀使いと無縁ではなかろう。必ず一網打尽とする」

「妖刀連合、でしたか。手強いと聞いていますが」

「天下の六道剣がこの一年で二人も折られた。鬼道殿と対峙した北庵治なる剣客も、身体的特徴を綴喜が伝えたからなのだろうが、度々目撃報告を聞く。奴にやられた同胞も多い」

「えぇ、私があのとき退治出来ていれば良かったのですが……」

「あぁいや、すまない。鬼道殿を責めたつもりはないのだ。これは私の意気込みであってだな」

「わかっていますよ。私も、ずっともどかしかったですからね」

 はらり、はらり、

 篝の操るはさみが切り落とす鬼道の髪の本数に、この半年で北庵治の手に掛かったと思われる人の数は遠く及ばない。

 しかし人命一つにしたって、今の鬼道の足下に落ちる髪の山を集めたところで足りる価値では到底ないわけで、取り逃がしてしまった鬼道の歯がゆさ、もどかしさもまた、今切られる髪の量に及ぶことはない。

 故に未だ背負う責務は重く、髪が切られたとて軽くなるのは体ばかり。気分と責務は、未だ彼の両肩に重く圧し掛かっている。

 だからこのとき、篝は言葉選びを間違えたと後悔した。

「篝殿、もう、終わりですか?」

「あ、あぁいや、もう少しだ。すまない」

 止まっていた鋏を動かし、最後に少しだけ空いて終わる。

 背中に一本まとまって伸びていた髪が肩に少し掛かる程度までに短くなって、さっぱりした。それでも鬼道は結わえるのだが、馬のようだった髪が子犬のようで可愛げすらある。

 前髪も綺麗に整えられて、青年時代には美男子だったろう顔もよく見えるようになった。

「いやぁ、すみません、篝殿。お陰でさっぱり致しました」

「まったく。私が言い出すまで切らぬお積もりだったのか? 私もだが、貴殿も相当根を詰める性根だな、鬼道殿」

「仰る通りですね、言い訳もできない。私の髪を切るのは篝殿に任せた方が良さそうだ。今後も切って頂けますか、そこらの髪結床に行くよりさっぱりする」

「……そ、そう、だな。うん、手が空いていたら、うん、やってやろうかな」

「はい、お願いします」

(どちらだ?! 今のはどちらの意味合いだ?!)

 平静を装っていた篝だったが、内心はとても平静ではなかった。

 好意を寄せる殿方からの言葉だ、女心のまま素直に喜びたいが、早とちりというのもあろう。言葉自体はとても嬉しいのだが、早合点は恥ずかしい。

 と、篝は己でも自覚している高い気位と戦っていた。何せこのときの篝には、立場もあったからだ。

「お手を煩わせてしまってすみません。会議まで時間に余裕はありますでしょうか。会議に遅刻させるわけにはいきませんので」

「鬼道殿、ご勘弁を。本来はあなたがなるべきだったはずの座だ。私では力不足で、目眩すらしてしまう」

 と、壊刀団最強の六人を差す六道剣の称号を担う一角、篝夏希は目頭を押さえる。

 五ヶ月ほど前、森に大量発生した妖の群れを掃討するため、十数人規模の小隊を二つ派遣する作戦があったのだが、篝はそこで大きな戦果を上げ、そのときに重傷を負った他の六道剣と交代する形で任命されたのだ。

 無論、篝とて気位はある。むしろ高い方だ。

 しかし自分の剣こそ頂点であると意気込んでいた入団当初と比べて、世間を知り、他の剣客を知り、何より自分より上を知った今は尻込みさえしてしまう。

 それを悟られまいと奮闘し続け約五ヶ月。

 なんとか持っているものの、鬼道には見破られているのだろう。だから持ったとすら言える。

 この五ヶ月、鬼道にはよく愚痴も聞いて貰ったし何かと世話になったことを篝は自覚していたし、より好意を寄せるようになったことも自覚していた。

 もういい大人が何を、と戒めているものの、鬼道の一挙手一投足が気になって仕方ない。

 この大事な時期に感じる自分の中の女を、篝は斬り捨ててしまいたい気さえした。

「ははは、ご謙遜を。皆が認めたのです。あなたがこの壊刀団の篝火。団員らが目指す道標なのだと。少なくとも、私はあなたの篝火に付いて歩きましょう。盲目ですが、あなたがいる場所だけは明るくてとても眩しい。お陰で、見失わずに済むのでね」

 こういうことを恥ずかし気もなく言うから困る。

 心で以て心の鬼を斬ると言うのなら、乙女心も見知りおいていて欲しいものだ。篝が唯一、鬼道に持つ不満はそこだった。

「さて、では参りましょうか」

「き、鬼道殿、もう夜更けだ。外も冷えるので、羽織を」

 周囲からは鬼道の方が六道剣で、篝は付き人にさえ見えるだろう。

 あれこれと世話される鬼道だが、まとう雰囲気はもはや壊刀団最強の剣客と同格の風格と威厳を放っており、誰も弱者だとは見ていない。

 故に篝が六道剣に選ばれたことに意義を唱えた者は、実際少なくはなかった。


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「鬼道、おまえ腹の内はどうなんだ」

 六道剣会議は翌日の昼間まで長引いたものの、お陰で来年元旦に決行が決まっていた突入作戦の概要、その九割が決定した。

 会議が終わって鬼道と酒を嗜むのは、六道剣最強の男。

 名を、宮本小次郎みやもとこじろう

 名のある剣豪の名を二つも冠しておきながら、どうせなら武蔵と名付けて欲しかったと宣ってしまえるほどの実力者であった。

 もう四〇を超える団内の古株で、酒豪としても団内では有名だ。それに唯一付き合えるのが鬼道で、二人は何かと酒を酌み交わす仲になっていた。

「周囲は篝夏希の六道剣就任を焦燥だったと悔やんでいる。もしも本人の意思があれば、即座おまえに転がり込んで来るぞ。そんとき、おまえは受け入れるのか」

 さて、と鬼道は一息つくように一口、酒を口に含む。

 かれこれ瓢箪ひょうたんを五つばかり開けた二人だが、まだまだと言った様子。だがこのときはむしろ調子が遅いくらいで、鬼道の酒がほとんど進んでいなかった。

「次の六道剣なら、鞍馬の天才と名高い彼を推薦しましょう」

「あれは駄目だ。誰かを率いる器じゃあない。この大事な時に実家に帰る身勝手な奴だ。そもそも操る頭が抜けたんじゃ、使い物になるかも危うい。そんな奴を不用意には任命できんさ。だからおまえなんだ、鬼道」

 新たな瓢箪の蓋を開け、鬼道の猪口ちょこに注ぐ。

 自分はそのまま瓢箪に直接口をつけ、ぐびぐびと喉を鳴らしながら酒を流し込んだ宮本だが、酒豪と言われるだけあってその程度で酔う様子は見られない。

「腕はもちろん、団員からの信頼もある。盲目の欠点も、篝がいれば問題ないだろう。どうだ」

 この話を、篝は偶然にも聞いてしまっていた。意図せず近場を通り、聞いてしまった。

 酒が入っているから二人に気付かれているかはわからないが、最上級の注意を払って忍び寄り、聞き耳を立てる。

 自分が不甲斐ないとは思っていたが、実際に鬼道がどう考えているのかを聞く最後の機会かもしれないと思うと、自制することができなかった。

「申し訳ありませんが、私は辞退させて頂きましょう。私ではあまりに荷が勝ちすぎる」

「謙遜か?」

「いいえ。仮に六道剣への昇格理由が私の功績だというのなら、それは過大評価というものです。私の功績は、決して一人で立てたものではないのですから」

 杖を手に、鬼道はゆっくりと立ち上がる。

 直後に吹き付けてきた風が切られたばかりの髪を撫で、子犬の尻尾程度にまで短くなった髪の尾を小さく揺らす。その精悍な後ろ姿に声を掛けることは、宮本でさえも躊躇われた。

「盲目の捨て子だった私は、一人で何かできたことがありません。身の回りのことでさえ助けが必要です。戦場においては猶更です。しかし戦場では、必ず一人で乗り越えなければならぬ局面がありましょう。団員を率いる者が、それを邪魔してどうします。率いる者は成長を見届けこそすれ、成長の場を奪うことはしてはいけないのですよ」

 雲が太陽の下に隠れる。

 光の有無がわからぬ鬼道に機会を見計らえるわけがなく、振り返りざまにわずかに開けた目の中で、光を映さぬ淡い虹彩が光って見えたのはまったくの偶然だったのだが、盲目であることを忘れた篝は咄嗟に隠れてしまった。

 威圧的ではなかったものの、背筋に一筋の冷や汗が通るような緊張感のある眼差しを初めて見て、宮本も黙ってしまった。

「それこそ、篝殿は私を手助けして下さる。そして私のいないところで真価を発揮し、六道剣の一角に選ばれた。つまりはそういうことなのです、宮本殿。例え普段は頼りなく見えようとも、戦場において篝夏希という剣客は『闇夜の提灯』――いや、戦場の篝火なのです。彼女がいれば戦場は士気に満ち、明るく照らされることでしょう。盲目の私でさえ、眩しく感じるほどに」

「そこまでの価値が、あの剣士にあるのか」

「生憎と、この目は盲目。価値を見出す力はありません。ただ篝夏希ならば、此度の元日作戦を任せられる。そう思わせるだけの信頼がある、ただそれだけの話ですよ。ですが、宮本殿。たった一年、それにも満たぬ期間で人から信頼を得られる人間が、果たして力不足と言い切れましょうか。結束する力は確かに強いですが、結束させる力は、それよりもずっと強いのですよ」

 流れる雲の切れ間より、太陽が顔を出す。

 不意の眩しさに目を細めた宮本は、仏の微笑で笑う鬼道の背後から後光が差しているように見えた一瞬で、酒を飲もうとしていた手を止め、開けたばかりの瓢箪の蓋を閉めた。

「……わかった。おまえがそこまで言うのなら、信用しよう。上からは俺が言ってやる。だが鬼道、わかっているな。おまえは今、信頼を置く同胞に責任を押し付けた。奴が何かしくじれば、表向きな責任の所在は奴しか問われんが、実際にはおまえにも責任が生じるぞ」

「えぇ、望むところです。もしも篝殿が腹切りを命じられたなら、共に腹を切りましょう。そのときは何卒、介錯を頼みます」

「はっ! 参ったなぁ……説得するつもりが、切腹の介錯を頼まれるとは。だがわかった。篝夏希の率いる小隊にはおまえを組み込む。しくじるなよ、おまえらは死ぬにはまだ若い」

「えぇ、もちろん」

 篝夏希は少女時代より男勝りで勝気な性格ということもあり、人前で泣くことがほとんど無かった。成人になってからは猶更だった。

 故にこのとき、話を盗み聞いてしまった篝は隠れるようにそそくさと摺り足でその場を去りながら、泣き顔を見られまいと顔を覆っていた。

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