鞍馬の天狗の鼻を折る

 慶応三年、大晦日。佐天家。

「突入作戦?!」

「ちょっ! 声が大きいです、先輩!」

「あ、あぁぁ、ごめん」

 本部に戻った驚天一行は、佐天家にて年越し蕎麦をご馳走になっていた。

 本部に人が随分といなかったので怪しんではいたのだが、子の刻に江戸城に突入すると聞かされれば驚かざるを得ない。『寝耳に水』とは、まさにこのことである。

 何より、妖刀と壊刀団の長年の戦いに決着を着けんとする戦いに参加できないことは、歯痒くもどかしい思いがあった。

 が、一番反応するだろうと思われていたこの男が、意外にも薄い反応を示していた。

「どうしたぁ、蘭丸ぅ! たくさん食わないと大きく、なれないぞぉっ?!」

「でも、くじゅにいちゃんはみんなよりちいさいよ?」

「ちゃんと、食えなかった頃があったからなぁっ! だから俺のようになりたくなければ食え! 食って力を付けるのだ!」

「うん、ぼく、くじゅにいちゃんよりおっきく、つよくなる!」

「よぉし! いい子だっ! たぁぁんと食えぇぇぇっ!!!」

 まるで、甥っ子が可愛くてたまらない親戚のおじさん。

 だが驚天のお陰で、蘭丸に作戦の話は伝わっていなかった。

 蘭丸もあの男の息子だ。周囲に住む同年代の男の子より、物分かりもいい。

 だから妖刀を使う者達が江戸城にいると聞けば、想像するかもしれない。そこに、父親がいるかもしれないと。

「えびさんのしっぽもたべるの?」

「おぉ、食え食え! 俺は食うぞ!」

 そして、驚天の言う通りたくさん食べて眠たくなったのか、眠ってしまった蘭丸を布団に運んだ驚天は初めて、佐天(妻)に頭を下げた。

 蘭丸を起こさないためなのか、大声で喋ろうとしない。深々と頭を下げて、驚天は何も言わずに出て行ってしまう。

 三人は意図をめなかったが、佐天(妻)が声を押し殺して涙していることで、ようやく理解して驚天を追いかけた。


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 江戸城に着くと、江戸城敷地内が内乱状態だった。

 聞いていた作戦開始時刻よりだいぶ時間があったはずだが、決行時間を早める事態になったのかもしれない。

 このとき、四人は本部が襲撃されたことを知らなかったためにその程度の認識で、とにかく城門付近の激しい戦闘に視線を奪われていた。

 というのも、四人はこのとき江戸城後方の石垣を登り、塀の上にいたのである。世が世なら死罪さえもあり得る不敬だが、驚天に聞く耳などない。

 塀の上からどうやったら城に侵入できるのか、前までは佐天が考えているのだろうことを、ずっと考えて唸っていた。

「驚天さん、本気で乗り込むつもりですか?!」

「当然だ!!! あそこに佐天がいるのなら、俺は行かねばなるまい!!! 俺が行かずして、誰が行くぅっ!!!」

 だが塀から城までかなりの距離だ。

 驚天の妖刀・馬喰ばくろの能力で、身体機能を全開にしたとしても届くか否かという絶妙な距離。だが驚天にはそれ以外策がないらしく、妖刀を抜こうとしたのを三人で必死に止めた。

 そもそも、驚天が佐天の妻に頭を下げた理由が理解できた時点で、三人は驚天を追いかけるより前に準備はしていたのだ。それは、城への潜入方法に関してもだ。

(奴は必ず無茶をする。だから一緒に行く際は色々と準備が必要だ。それこそ、あらゆる方面で、あの馬鹿が無茶をすることを考えて、な)

 佐天がいつだったか、そう愚痴を零していたのをふと思い出す。思い出したからこそ、頭の回転が準備のへと回ったのだった。

 蔵臼が持ってきた鍵縄を投げて、本丸の瓦屋根に爪を刺して掛ける。数度引いて抜けないことを確認すると、塀にも引っ掛けて強く張る。

「これを伝って、あの屋根にとりあえず移りましょう。そのあとの潜入方法はあとで考えるとして――」

「おぉぉぉ!!! まるで佐天がいるようだ! でかしたぞ、日辻ぃぃぃぃっ!!!」

「しぃぃっ! 驚天さん、しぃぃっ! 気付かれたらこんな縄簡単に斬られます! 慎重に、だけど素早くいきましょう」

「よっしゃぁぁ!!! おまえら俺につづけぇぇっ!!!」

「え、いやあの! 驚天さ――」

 滑車付きの縄も持ってきたので、縄の部分を腰に引っ掛けて縄を手繰り寄せる形で進んで移る予定だったのだが、驚天は猿も驚く速度で縄を渡って、三人があっと言う間すら与えないまま渡り切ってしまった。

 おまえらも早く来いと、手を振る驚天を見た三人は苦笑しつつも、順に滑車と縄を使って城へと渡り切った。

「さて、ここからどうするかですが……」

 冷水は壁を叩く。

 とても破れるような硬さではないので、突き破ろうと助走の距離を付けようとしている驚天をまた止め、周囲を探る。

 下の屋根に飛び降りれば、壁に木枠の小窓があるのが見えた。

 かわやの換気窓だと思われる。そのため比較的小さいが、十六夜と驚天の小柄なら、通れそうなくらいの大きさだ。

 早速飛び降りて、我慢ならずに飛び込んだ驚天を今度はそのまま行かせ、木枠を破らせた。続いて十六夜が窓から中へ。

 読み通り、中は厠だった。ただし想像以上の酷い悪臭に、十六夜は吐き気を誘われる。

「十六夜! 俺達も別の道から侵入を試みる! おまえは驚天先輩を頼んだ!」

「わか、った……」

「十六夜! 大丈夫だ! 驚天さんにしこたま絞られただろ!? その成果、今こそ見せるときだぜ! 驚天さんにいつものあれ、言わせてやれ!」

「……うん」

 十六夜は驚天を追いかける。普通なら今更追いかけたところでずっと遠くにあるはずの驚天の背中は、厠を出てすぐそこにあった。

 かつて江戸幕府の中枢を担っていた江戸城。その本丸御殿には本来いないはずの妖の群れが驚天の行く手を阻んでいたのである。

 無論、妖程度では鞍馬の天才驚天童子に敵わない。

 だが妖の数が凄まじく、驚天一人では一歩進めてもまた二歩以上後退させられるくらいまでの圧倒的数量で押していた。

 驚天童子の、四肢に刀を携えた変則四刀流。

 単純計算でも一度に四っつの首を斬り落とし、四つの斬り傷を与えられる。

 それでも追い付かぬ量の妖が押し寄せて来ており、驚天は楽しそうではあったものの、一歩も進めていないのが現実であった。

「か、加勢……」

 加勢しなきゃ。

 そう思って刀を抜いて直後、十六夜は斬りかかった――と、十六夜自身も特に不思議に思うことなく斬りかかったものの、過去の彼女からしてみれば考えられないことだった。

 元々妖刀関連の事件の被害者であった彼女は奥手で、戦闘においてもその側面が強く出ることがあった。

 仲間が窮地に陥っていても、真正面から突っ込まずに横から回って、敵の死角から確実に仕留めるといった、己の恐怖と仲間を助けたい気持ちとで戦いながら動くような性格の持ち主であった。

 だが仕方ない。事件の被害者だ。自身も妖にされる危険性さえあったのだから、恐怖したってしょうがない。誰もがそう言って、彼女を責めることはなかった。

 だがその分だけ十六夜自身が自責していて、仲間の窮地に真正面から飛び込めない自分を責めていた。

 皆にとっては仕方ないことでも、自分から懇願したことなのだから頑張らなきゃいけないんだと、自分を責めていた。

 だが、驚天だけは違う言葉を掛けてくれた。

 鞍馬の道場で稽古をつけてくれている間も、何度も同じ言葉を掛けてくれたのだ。

――自信持て、十六夜! おまえは俺が知っている限り、最っ高に度胸のある奴だ! 最っ高の頑張り屋だ! そこまで頑張って怖いって気持ちと戦える奴、そうはいないぞ!!!

 義経流の基本闘法。

 自身の速度で以て相手の懐に入り込み、一撃を与える。

 それは今までの十六夜が出来なかったことで、故に今、驚天を助けるべく自ら驚天に襲い掛かろうとした妖の懐に飛び込んで斬り付けた彼女に叫ぶ。

「はっはぁぁ!!! 十六夜ぃぃっ!!! やっぱりおまえは最っ高に度胸のある奴だぁぁ! ぎゃふんと言いそうになったぜぇぇぇっ!!!」

「お褒め、頂き、こ、光栄……ですっ!」

 十六夜が加勢し、二人で次々と妖を斬り伏せる。

 そして偶然にも最後の一匹が重なり、二つの首を持った雉の妖が飛んできて、咆哮を上げた二つの首を同時に斬られて落ちたのだった。

「よくやったぞぉ、十六夜ぃっ!」

「は、恥ずかしい、で、す、きょ、きょきょ……」

 頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられて褒められる。

 子供と同格の扱いで褒められていることは残念だったが、褒められていること自体は嬉しくて困りながらもはにかむ。

 そこに都合悪く、他の出入り口を見つけた蔵臼と冷水が来て――特に蔵臼が――にやけているものだから、十六夜は無言で睨み、訴える。

 と微笑ましい光景が続くのも一瞬だ。何せ今いるのは、敵の本拠地なのだから。

「騒がしいと思えば、侵入者か」

「あいつ――っ」

 たった今にやけていた蔵臼の目つきも鋭くなる。

 現れたのは忘れもしない夜、取り逃がした妖刀使い――九十九寿白。

 冷水も抜刀し、九十九を睨む。二人にとって、奴は敵である以上に佐天を妖刀の道に引きずり込んだ者として認識されていて、勝手ながらに因縁めいたものを感じてすらいた。

「表の奴らは陽動だったのか。本命はおまえら少数精鋭の奇襲部隊……なるほど、あのとき斬っておけばよかった。特にそこのおまえの話はよく聞いてるぞ。とんでもない馬鹿だとな」

「口を――」

「よおぉぉぉぉぉとぉぉぉぉぉぉつぅぅぅかぁぁぁいぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!!」

 口を慎め、と言おうと思ったらより騒がしい口が叫んだ。

 初対面だった頃には猟奇的とさえ思った笑みを湛えて、驚天は憤怒の眼光を光らせていた。

「今俺を馬鹿と言ったのか! ば、か!!! と、言ったのかぁぁぁっ!!! 舐めるなよ小童!!! 俺を馬鹿だと言っていいのは、そこのそいつだけなんだよぉぉぉっ!!!」

 先に十六夜と斬った妖の首を取り、片腕で投げる。

 風を叩く音を鳴らしながら上階にまで飛んだ首は、さらに真っ二つに両断される。

 血を払った妖刀を収めて、そいつが、佐天が上階より颯爽と飛び降りてきた。

「佐天さん!」

「佐天先輩」

「……」

 三人はまったく気付けていなかったようだ。

 九十九は無論気付いていたが、殺されていた気配を感じ取る技能は四人の中で驚天が最も劣っていると勝手に思い込んでいたので、上階まで届かせる投擲力よりもそちらの方に驚いた。

 長年付き合いがあったからこそ鋭敏に働く感覚なのか、細かい部分は再検証の必要があるだろうが、ともかく九十九は驚天に対する評価を改めなければと自身の中の警戒心を上げた。

「りゅぅぅぅぅぅぅぅうのすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!! 久しぶりだなぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

「あぁ、相変わらず馬鹿なくらいに元気だな。おまえは」

 ふと、佐天が九十九に一瞥を配る。

 九十九は一瞬だけ躊躇したものの、驚天への警戒心を上げた際に鯉口を切った刀を収めた。

「そこの三人、俺と来い。二人きりで話があるそうだ」

「驚天先輩……」

 この状況での話題など限られてくる。

 驚天が話を聞いて揺らぐ質ではないとは思っているものの、相手は旧知の佐天だ。驚天の揺さぶり方くらい、いくらでも知っている気がして、冷水も含めて三人は怖かった。

 が、驚天は笑って顎で行け、と促す。三人は黙って頷いた。

「決まったか。なら、来い」

「驚天、様……ご、ぶ、うんを……」

 難聴の驚天に、十六夜の囁くように漏らした祈りが聞こえたとは思えない。

 が、驚天は行こうとする三人の背を順に力強く叩き、送り出した。

「奴にぎゃふんと言わせてこぉぉぉぉぉいっっ!!!」

「「「はっ!!!」」」

 九十九について行く三人の後姿を見送った佐天は、深く溜息をついた。

 刀の柄に手を置くが、今すぐに抜く気はないらしく、柄の先についた紐のほつれた部分を指先に絡めて遊び始めた。

「何とも言えない気分だ。俺が率いていた団員の背中を、おまえが押しているのを見るのは。だが見てこなかっただけで、今までだってずっとそうだった。だから、任せられた。だから、来ると思ってた。おまえならな」

「はっはっはぁぁ!!! 当然だろぉぉぉ、りゅうのすけぇぇぇっ! おまえがいるなら、俺が行くに決まってる!!!」

「そうだ。おまえはただ突き進むだけだ。それしかできない」

「……あぁ! それしかできなかったぜ、結局よぉ!」

 少し、言い回しが気に掛かる。

 まるで色々と試行錯誤をしたあとのような言い方が、佐天は気になった。

「俺なりになぁ、馬鹿な頭を回してぇ、考えてみたんだよぉ!!! おまえの言う、なんだ!? 日本のため?! この国のためだとか、異国との戦いに備えるためだとか! そんなことを宣っておいて、結局私利私欲のための奴は大勢いた! そればっかりだった!!! だが俺の知る佐天龍之介という男は違うんだよぉぉっ!!! だから考えた! なんでてめぇがそっちに行ったのか! 何が日本のためになるのか! 馬鹿なりに考えて、親父にまで答えを求めた!!!」

「――それで、答えは出たのか」

「あぁぁ、出たさっっっ!!!」

 羽織を脱ぎ、袖から腕を抜いて上半身を晒す。

 腰に戻していた四本の刀の内三本を捨てた。残ったのは妖刀・馬喰ただ一本。

「日本のため?! この国の未来のため?! 行く末を見越して?! 笑わせるなよ、りゅうのすけぇぇぇっ!!! おまえも私利私欲って奴で動いてただけだろぉぉぉっ!!! 鞍馬の天狗の鼻ぁぁ! この俺の鼻ぁぁっ! 叩き折りたいだけだろおぉぉぉぉっっっ!!!」

 佐天の遊んでいた指が止まる。

 深いため息をした後で自身もまた着物を脱ぎ、上半身を晒した。

「あぁ。この国の未来など、どうでもいい。妖刀連合は坂本龍馬と中岡慎太郎を斬ったそうだが、それで日本が変わるとも思わん。幕府も終わり、やがて新時代がやって来ることは避けられない。ならば、俺は俺のやりたいことをやるだけだ!」

「そうこなくっちゃなあぁぁぁぁぁ!!! それでこそ、俺の知る佐天龍之介って男だぜぇぇっ!!!」

 互いに一歩踏み込んで、構えた。

 いつ以来だろうか。懐かしさすら感じられる。

 こうして互いに向かい合って、闘志と殺意を向けあうのは。

「妖刀連合、四天王が一角!!! 佐天龍之介!!! 推して参る!!!」

「鞍馬道場、義経流!!! 一九代目、当主!!! 鞍馬九頭一!!! 来ませぇぇぇぇいっっ!!!」

 旧知にして竹馬の友。

 永遠の好敵手同士が、激突する。

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