馬を鹿、馬鹿を神童

馬鹿は飼い殺せ、部下は教え殺せ、敵は斬り殺せ

 源義経みなもとのよしつねに剣技を教えた天狗が住むとされる鞍馬山は京都だが、鞍馬道場は盛岡藩にあった。

 義経が最期を迎えた衣河館ころもがわのたちも近くにあり、義経流道場を構えるには聖地と言っても過言ではない。

 強いて言えれば鎌倉にあるべきではあるが、兄の頼朝よりともに追われた身である義経の剣技を鎌倉に根付かせるのは世俗的に見てもあまりいい策とは言えず、結果この場所に置くしかなかったと思われる。

 そんな話に興味さえもないのだろう驚天に連れられて、蔵臼と冷水、十六夜の三人は鞍馬道場にやって来た。

 廃刀制度の影響だろう。三人が知る剣道場の例に漏れることなく、鞍馬道場の門下生と思われる者達は酷く少なく、驚天が扉を開けると全員が揃ってこちらを怯えた目で見るような子供ばかりであった。

「親父ぃぃぃぃぃっ!!! 帰ったぞぉぉぉぉぉっっっ!!!」

 門下生らと唯一対面する形で座っていた白髪の老人が、静かに立ち上がる。

 直後、足元にあった木刀を足で拾い上げると掌打で柄を叩き、打ち出した。

 空を切る木刀が逸らした驚天の顔のすぐ側を通過しさらにその背後にいた三人に飛んでいこうとしたが、驚天は見ないままに掴み取り、手を擦り切りながらも止めて見せた。

 さらに身を捻り、勢いをつけて木刀投げ返す。

 手刀で叩き落した老人に向かって門下生らの間を縫うように抜けて飛び上がり、踵落としを叩きこんだが、老人に受け止められて投げ返された。

 が、驚天は天井を蹴って再び肉薄。老人の背後に着地した直後に手刀を振るい、老人の防御を掻い潜って首筋へと届かせた。

「うむ、戦力外通告を受けたわけではないらしい」

「あぁっ、はぁっはぁっ、はっはぁぁっ!!! まだまだ老いてないな親父ぃぃっ!!! 久しぶりに、ぎゃふんと言ったぞぉ!!!」

 老体ながら驚天の動きに反応し、その場から一歩も動くことなく対応して見せた老人こそ、驚天童子、鞍馬九頭一の実の父、鞍馬天翔であった。

 今の短い攻防でさえわかった。驚天の溢れる才能は、完全に父親譲りなのだと。驚愕の余り入り口で固まっていた三人を見て、鞍馬は静かに吐息する。

「あれらを、鍛えて欲しいということか」

「あぁぁっ!!! さすがは親父ぃぃぃぃぃっ!!! 紛れもなく、そぉぉいぅぅことだぁぁ!!!」

「「「え……」」」


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「ごめんなさいね。息子も主人も手加減ができないから、疲れたでしょう。いっぱい食べてね」

 結局そのまま断れる雰囲気になく、他の門下生らと共に鞍馬に徹底的に鍛えられた三人は、鞍馬家にてご馳走になっていた。

 驚天の母、鞍馬いねの用意してくれた夕餉を食べて体力の回復を促す。

 普段よりずっと食べる量が多いのは、この日消耗した体力がそれだけ多い証拠だ。各々、倍近く食べていることを自覚しつつも箸が止まらない。

「でもよかったわ、あの子にこんな可愛い後輩がいたなんて。あの子少し変わってるから、都でやっていけるか心配だったの」

 おそらく母親には、壊刀団への入団を伝えていないのだろう。

 一体なんの仕事をしていることになっているのかわからないが、ともかく口を合わせておいた方がいいことだけは理解できた。

「ご心配には及びません、鞍馬さん。息子さんには我々とてもお世話になってまして、職場でもあの方の存在は良い風を巻き込んでくれる存在です」

「そう、よかったわ。でもあの子が女の子を連れてくるなんてねぇ」

 蔵臼の言葉で安堵した鞍馬(母)の矛先が、自分に向いて来たことに驚いた十六夜はお茶を噴き出しそうになる。

 しかも言葉の意味合いからして、十六夜を交際相手か何かだと思っている様子。十六夜は言葉を詰まらせ、返答に困る。

 実際、十六夜は驚天に思いを寄せてはいたものの、他の人に指摘されたことはなく、勘違いとはいえ初めてそんなことを言われて対応に困ってしまったのだった。

 場が硬直すると先を読み、冷水が割って入る。

「その、お母様。驚て――息子さんは少年時代、どのようなお方だったのでしょう。佐天先輩に聞いても、あまりいい話を聞かないと言いますか、その……気になりまして」

「佐天くんも元気なのね。そうねぇ。あの子はまぁ、犬猿の仲だったからねぇ」

「犬猿の仲?」

 三人共寝耳に水とばかりに驚かされる。

 今の二人の構図を考えると否定しにくいかもしれないが、それでも二人がそこまで険悪な仲だとは思えないし、そう見えたことがなかったからだった。

 佐天は難聴の驚天相手にずっと怒鳴っていたものの、喧嘩したり取っ組みあったりしているところを見たこともなかったのだった。

「九頭一は昔から剣道が上手で、周りの大人も一目を置いてたの。それこそ、大人にも負けないくらいにね。子供なんて、それこそあの子の相手をしたくもないって。でも佐天くんだけは何度も九頭一に挑んだわ。何度負けても、何度も何度も。しまいには道場の外でも取っ組み合いをしたりして、あの二人の喧嘩を止められるのは主人だけだったわ」

 驚天はまぁ、取っ組み合いの一つや二つするだろう。

 しかし佐天にはまったくそんな印象はなく、取っ組み合っている姿など想像もできない。そんなやんちゃな幼少期があるなどと、思いもしなかった。

「会うといっつもいがみ合って、お互い参ったなんて言うわけもないから皆困っててね。だけど道場から追い出すわけにもいかないから、なるべく二人を関わらせないようにしていたんだけれど……事件が起きてね」

「その事件に関しては聞いております。お兄さんが、その、弟さんを……」

 その話だけは佐天から聞いていた。

 蔵臼も冷水も十六夜も、初めから驚天相手に好印象だったわけではない。

 最初はやはり理解するなど難しく、分かり合えないとさえ思っていた頃だってあった。誰もが常人ならざる彼を最初から受け入れることなどできなかった。

 天才と狂人は紙一重だ。それを体現したかのような驚天の存在は、容易に受け入れられるものではない。

 だが実の兄に殺されかけた事件を聞いて、誰にも理解されない苦悩を抱く彼に同情する者、彼の才能にさらに嫉妬を抱く者、それでも懸命に己の道に生きる彼に惹かれる者、と現れ始めた。

 三人はそれらの中でも最後者であり、佐天もまたそうだったと自身で語っていた。

「韋駄のしたことは、私も許せないわ。でも同時、怖くなったの。あの子は剣ばかりが出来過ぎて、他には何もできない。難聴だから人と分かり合うだけでも難しいし、廃刀が進んでく中、あの子がどうやったらこの先生きて行けるのか、怖くなってしまったの――でも、今日あなた達が来てくれて安心したわ。あの子、ちゃんとやっていけているのね」

 驚天が三人をわざわざ実家に連れてきたのは、母を安心させるため――では、ないだろう。あれはそんな繊細な人間ではない。

 無論、母親のことだって気にかけているだろうが、今こうして四人で食卓を囲んでいる最中でさえ、父と共に道場でやり合っているほどの剣術馬鹿だ。

 様子が気になった三人は後片付けを手伝い終えると道場に向かい、衝撃の光景を目にした。

 義経流天才剣士、驚天童子。それが一人だけ豪雨に打たれたかのような大量の汗を流し、息も絶え絶えになって仰向けに倒れていた。

 父の方も汗を流し、乱れる呼吸を繰り返しているものの、倒れることなく立っている。

 休憩中なのか、たった今驚天が負かされた直後なのか、判断はつかない。だがその光景が三人にとっては衝撃的過ぎて、目に焼き付けんばかりに動けなかったことだけは事実である。

「……情けないな、九頭一。動きには切れもある。むしろより一層磨かれているし、速さも増した。おまえは義経流を間違いなく物にしている。なのに何故、

「あっはっはっはぁ……! やっっぱり、そうかぁぁっ……! 最近、なぁんか調子が悪いと思ってたんだがなぁ! 親父ぃ?! なんだと思う!? 俺は、その答えを得にここまで来たんだ!」

 初耳だ。

 三人は「面白いから稽古混ざっとけ!」としか言われてないので、てっきり自分達を鍛えるためだと思っていたのに。

 鞍馬は静かに乱れた息を整えながら、頬を伝う汗を手拭いで拭い取る。一挙手一投足に隙がなく、今襲い掛かられたとしても、持っている手拭い一つで返り討ちにしそうな気迫さえあった。

 息子が難聴であることは当然知っているはずだ。が、鞍馬は静かに、だが鮮明に言葉を濁すことなく言い切った。

「雑念が混じってる。それだけだ。それだけのことで、人は弱くなってしまう」

「雑念だぁ?! そんなものが、俺にあるってのか!!! 義経流の天才、鞍馬天翔自慢の次男坊、鞍馬九頭一様に――泣く子も脅かす驚天童子様によぉ!!!」

「……やはりおまえのことだったか。活躍は時折耳にしていた。が、同時に心配でもあった。妖刀などという存在に振り回されるほど、おまえは弱くない。おまえ自身は他の誰よりも強い。が、それだけでは強くあり続けられぬことに、おまえは気付いてしまったんだろう」

「詰まんねぇんだ!!!」

 静かな夜の差し込む月光だけが明かりとなっている道場の中で、彼の言葉は驚くほど響いた。

 が、音量の問題ではない。彼の本心が、今まで聞いたことのない、誰にも語られたことのない胸の内が、独白されていく。

「昔はみんな、ただ強くなりたい! ただ剣を振るって、強くなりたいって!!! 誰もが思ってた! だが今は!!! やれ廃刀制度だ勉学だとあれこれ考えなければ前に進むことさえできなくなっていく! ただやりたいこと、求めることは馬鹿だと罵られる! 真っ直ぐ前を見て走って蹴躓く奴より、先のことを考えてちんたらと動かない鈍間を利口と呼ぶ! 俺にはそれがわからねぇ!!!」

 天才が故の苦悩なのかもしれない。

 誰だって、子供の時のような自由は成長と共に得られなくなっていくだろう。

 だが天才であった驚天は求めることができていたし、この先もそのつもりだった。が、自身が空回りしていることに気付き、佐天が裏切ったことが決定打となって、彼を困惑の渦に叩きこんでいたことに、三人は気付けなかった。

「奴はこの国のため、この国の未来を見据えてと言っていた! そんなものを護ってなんになる! 他人のために戦うこと、生きることは立派だ! 否定しねぇ! だがそのために自分自身を、てめぇの心を殺してどうする! 進みたい方へ進もうとしないでどうする! 現れた障害を超えようとしないでどうする! 俺と奴は同じ道、同じ剣を求めて生きていたはずだ、はずだったのに……っ、何故!!! 奴は自分自身を裏切ったぁ!!!」

「……それが、おまえの雑念だ」

 鞍馬は手拭いを投げ渡す。

 顔にかかった手拭いで自分の顔を拭う驚天の姿は涙を拭う姿にさえ見えて、三人は飛び出したい気持ちでいっぱいになったが、なんと声を掛けていいものかわからず、行けなかった。

「大政奉還が成された。この国の在り方は、おそらくがらりと変わるだろう。俺達剣に生きる者は、衰退していく命運さだめにあるのかもしれん。だから佐天くんの考えを否定はしない。が、おまえに謝らないといけないな。剣の道にしか生きていけぬ者に、育て上げてしまったことに」

「それだけは謝るなぁぁぁ!!! 俺は……っ、俺はっ!!! 韋駄ぁぁで――兄貴でさえぇぇっ、文句の言えねぇほど強い剣士になりたかっただけだぁぁ! 親父はそんな俺に応えてくれただけだ! だから、感謝してるんだ! だから謝るな! だから、教えてくれよ親父ぃぃっ……!!!」


「俺は!!! どうしたらいいっ!!!」

 初めて、驚天が泣いている姿を見た。

 いや、彼の涙は手拭いの下だろうし、何より暗くて見えることはない。

 だけど声は掠れ、多分涙しているのだろうなと察することはできた。それだけ真剣に悩み、悩みはてて、答えを求めにここに来たのだろう。

 彼の言葉には、自分には理解できない領域に手を伸ばしてまで、自分の下を去った友の考えを理解したい思いで溢れていた。

 それに対しての鞍馬の反応は――

「おまえにできることは、一つだけだ。おまえには、それしか教えられなかった。すまん」

 それだけだった。

 鞍馬はその言葉だけを置いて、道場を出ていく。扉で三人とすれ違ったが何も言わず、そのまま家へと戻っていってしまった。

 人けのない道場には一切の音源がなく、静寂と静謐に満ちた闇夜にかすかな物音程度、呑み込まれてしまっている気がする。

 騒音の権化と呼ばれる驚天童子でさえ黙ってしまうものだから、彼には似合わぬ静寂が流れ続けていた。

 が、十六夜がゆっくりと歩み寄って倒れている驚天の側に座り込んだ。

「きょ、驚天、様……」

 気配を察して、驚天は顔を覆っていた手拭いを取る。月明りの下、初めて見る泣き腫らした目が十六夜の唇を読もうと凝視していた。

「っ、っ、わ、私、に……稽古、付けてください、ませんか?」

「稽古だぁぁ……?」

「す、こし、は……気が晴れる、かも、しれません」

 手段は他にもたくさんあったかもしれないが、思いつく限りではそれしかなかった。

 本人も言っていたが、あれこれ考えるなど驚天らしくない。彼は快活に愚直に真っ直ぐに、剣を持って走っている姿がよく似合う。

 その姿に、十六夜含めた三人は憧れたのだから。

「俺達にも稽古付けてくださいよ! 驚天さん!」

「異なる流派を学ぶ機会にも、天才と称される方に稽古をつけて貰えるのも実に稀有な機会。是非ともこの冷水にもご教授ください、先輩」

 蔵臼と冷水もそれに乗る。

 少し迷った様子だったが、驚天は脚を上げ、腹筋の力だけで立ち上がると、側に落ちていた木刀を拾い上げて三人に向き直った。

「よぉしかかってこぉぉいっ!!! 三人まとめて、鍛えなおしてやらぁぁぁぁっっ!!!」

 その日の稽古は翌日の朝日が昇っても終わらず、鞍馬が戻ってきてもまだ、驚天含めた四人は剣を交えていた。

 生き生きと剣を振るい、部下を鍛える息子の姿を、鞍馬は静かに見守っていた。

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