大声は俚耳に入らず

 疎んでいた。羨んでいた。妬んでいた。

 道場にいようと壊刀団にいようと戦場にいようと、隣で注目を集める親友に。

 人としての常識を欠きながらも多くの功績を遺した親友は、道場でも壊刀団でも戦場でも注目を集め、親友はその注目と信頼にいつでも応えられる逸材だった。

 失敗してしまえ、などと考えたことはない。彼が失敗すれば、自分だけでなく無関係な人々の命まで危険に晒される。だからしくじるなと思うし、本人にも言う。

 だが同時、親友のように応えられない自分自身が情けなくなる。

 自分にも同じだけのことができるのならば、そもそも羨みもしないし嫉妬も抱かない。自分にはできないから、親友に頼らざるを得ないから嫉妬し、無力な自分に憤る。

 もしも手を伸ばして届く距離に力があるのなら、そのときは――


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


『コッケイダナ』

「黙れ妖刀っ……!」

 共に相手の刀を弾き、後退する。

 その最中にも相手の刀が刃を返しながら斬りつけてきたが、佐天は辛うじて身を捻って躱す。

 自身もまた返そうとしたがすでに敵は摺り足で下がっており、斬り返すには距離が足りなかった。懐に入るには近過ぎる、なんとも絶妙な距離感だ。

「妖刀連合、九十九寿白つくもとしろ

「壊刀団、佐天龍之介」

 互いに相手の間合いを計る。

 相手の剣術流派がわからぬ以上、無理に詰めるも離れるもいけない。早計は命取りだ。

 故に慎重に慎重を重ね、相手の間合いを計りつつ自身の間合いへと誘い込むよう疑似餌すら巻くが、相手もかなり慎重だ。疑似餌には食いつかず、絶えずこちらの様子を窺ってくる。

「九十九様、取引が破談となった今我々に用はありません。そこの男ももはや使い物にならない様子。撤退しましょう」

「女、口を挟むな。今、俺はこの男と相対しているのだ」

 最初こそ、男の目には何も感じられなかった。虚無だとさえ思った。

 だがこの九十九という男、口を開けば剣のことばかり。戦いにも独自の美学を持っているようで、驚天と重なる部分があった。

 言うまでもなく、驚天のように大声を張り上げるだけの馬鹿ではないだろうが、根本的な部分は似ているのかもしれない。だからこそ、佐天は相対して緊張していた。

「佐天龍之介。貴様は何故妖刀と戦う。なんのために刀を握る」

「俺の剣が人を生かすための糧となること、それが俺の本懐だからだ。貴様こそ何故妖刀を使う、九十九寿白。妖刀を握り、人々の安寧を脅かすことに悦を感じるか」

「何も感じぬ。感じぬからこそ、俺は刀を握るのだ。剣は俺にとっての命だ。しかしこの世は廃刀の時代へとなりつつある。何故刀を捨てる。何故自ら戦うことを諦める。俺達武士は、剣客は、幕府に守ってもらうほど弱い存在なのか?」

 誰もかれもが、そうではないだろう。

 幕府に不満を持つ者、自身の剣の腕に自信と誇りを持つ者、その他様々な理由で廃刀制度と幕府に対して不満を抱く者は少なくない。

 実際、廃刀制度を理由に剣術道場は存在意義を見失いつつあり、多くの道場が年々減少傾向にあり、佐天と驚天の義経流の鞍馬道場も例外ではない。

 今や剣術よりも学問を修めた者が高い地位につき、出世していく時代。武力ではなく、学力で食べる時代になりつつある時代の変化についていけず、憤り、焦燥する者達にとって、妖刀の存在はある意味救いであるのかもしれないが。

「俺達は戦える。例え身一つとなろうとも、異国が戦争を仕掛けて来ようとも、俺達には剣がある。妖刀の持つ異質な力は、異国の戦力にだって通じる。この国のためを思えば、妖刀は有効活用するべきだ」

「おまえとてわかるだろう、九十九。妖刀は誰の手にも握れるものではない。握った者の大半が理性を失い、喰われ、意のままに操られる。そして妖刀は日本の将来を見据えてなどない。ただ己の欲のままに暴れたいだけだ。そんな奴らに託してどこに、この国の未来がある……!」

「よくある話だ。弱肉強食。強ければ生き、弱ければ喰われるだけの話。それが今までの常識だったはずだ。何を躊躇う必要ことがある」

「時代は、変わるぞ。弱肉強食の掟は変わらずとも、その考え方が野蛮だと言い捨てられる時が来る。その始まりが廃刀制度だ。弱肉強食の考えは、否定されていく命運の中にある」

「だが現実は変わらない。そうだろう」

 冷水と十六夜が、黙って問答を聞いている。

 彼らも剣の道に進み、人々のために壊刀団の道へ進んだ者達だ。今の話に、何も感じないことはあるまい。むしろ佐天がどう返すのか、気になってすらいるだろう。

 周囲の野次馬も、何やら今後の日本について語りだした剣客の喧嘩に野次を飛ばすことを忘れ、見入り、聞き入っている。

 だがそれら一切の空気も流れも、千里先より駆けつけてきた駿馬からしてみれば関係あるはずがなく、ましてわざわざ両断するものですらなかった。

「なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁにをしてぃぃる、りゅうのすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!」

 雑踏を足蹴に順に踏み越え、高々と跳び上がって斬りかかる。

 斬撃を受け止めた九十九は息を呑む。

 高々と跳び上がってから落下の勢いを利用してでの斬撃など、着地のときに大きな隙を生むものだ。九十九はそのときを狙い、刀を振りかぶろうとした。

 が、天才は常に常識を打ち破る。

 跳び上がったときにか、両足に刀を握った驚天は、地に手をつけて逆さ立ちした状態で腰を捻り、斬り払う。

 胸座を掠められながら後退した九十九に息つく暇も与えまいと、驚天は畳みかけた。

 両手両足、四肢に絡みつくように蠢く刀が絶えず命を狙う様はまるで、妖が人を襲っているかのようで、九十九と驚天の戦いは一見、どちらが人の味方で脅威なのかをわからなくさせる。

 大声を張り上げて四肢に刀を携えた男が斬りかかる様を見て、自分達を護ってくれる側だと思う者は少ない――いや、いない。

 皆が怯えているのが見て取れる。心根のもっと深いところで、九十九の方が応援されている。

 当然だ。嬉々として人間離れした身体能力と、四肢に縛ったかのように掴んだ刀で以て人に斬りかかる姿は人間の動きではない。

 人間は自分と同じかそれより弱い相手になら同情もできるが、自分より遥かに強い異質に対しては激しい拒絶反応と畏怖を示す。そういう生き物だ。

 なのにそういう相手に命を預け、失敗すればこれでもかと責任を押し付けようとする。

 そう、なりつつある。

 自分の身は自分で護れ。そのために武器を取り、護身の術を磨け。それが大前提であった頃とは、随分様変わりしてしまったなと思う。

 佐天もまだ三十にも及ばない世間から見ても若輩者であるが、それなりの時間を生きているし、妻だって娶っている。それだけの時代の移り変わる様を見てきたが故に思う。

 九十九の言い分が理解できないことはない。同調も同情もしよう。

 それこそ剣を奪ったら何もできない男が目の前で戦って、人々から畏怖の目で見つめられていて、それが親友であるのだから。

「冷水! 十六夜! 蔵臼もいるな!」

 突如佐天が吠えたことに、ようやく追いついた蔵臼含めた三人は驚きながらも振り返る。

 直後、佐天が言い放った一言に十六夜はただ「へ」と一言、疑問符を浮かべながら漏らすだけで固まってしまい、冷水と蔵臼もまた動けなかった。

 さらに直後、驚愕の光景が三人の目の前で広がる。

 意気揚々と九十九に斬りかかろうとした驚天の背後から、佐天が斬りかかったのだ。

 反射的に剣撃を防いだ驚天はにぃっ、と口角を上げて刀を弾き、高く跳んで距離を取る。両足で掴んでいた剣を放し、一本を収めてもう一本を銜えると、獣の如く両手をついて体勢を低くし、身構えた。

「りゅぅぅぅぅぅぅぅのすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!! おぉぉどろいたぞぉぉぉぉっっ!!! 思わずぎゃふんと! 言ってしまったではないかぁぁぁぁっ!!!」

 驚天は笑っていた。

 事態を把握できてないのか、背後から確実に斬り殺そうとした友の一撃に対して笑っていた。

 もちろん、周囲の野次馬も三人も、佐天とて笑っていない。冗談などでは済まされない殺意の籠った剣撃を向けられて、笑える神経が異常なのだ。

 だが次第に、驚天の息が乱れてきた。

 ずっと高速で動き続けて、いきなり停止させられたが故の反動だと最初こそ思ったが、徐々に笑いが消え、震え、歯軋りを始め、そして叫んだ。

 狂気も混沌も何もない、純粋な怒りの感情そのままに。

「りぃぃうのぉぉぉぉすぅぅぅぅぅぅけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!」

 友の名前を叫んだ驚天は迷うことなく、佐天に斬りかかる。

 流派は同じ。先ほどと違って相手の手札は手に取るようにわかるし、対策だって知っている。

 対策は至って単純。、ただそれだけ。

 ただそれだけのことが初見の相手にはできず、佐天にはできる。ただ、それだけのことだ。

「皮肉だな、驚天。おまえは天才であるが故、天性の才能に任せるだけで敵の懐に入り、相手を斬れる。だがな、凡才は常に試行錯誤し、敵の懐にどうやって入るか、入らせないかを考えているんだよ。だから、俺にはおまえを止められる」

「止められる? だろうなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! 当たり前のことを言ってるんじゃあねぇぞぉ!!! りゅうのすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!」

 特別なことも特殊な体捌きも何もなかった。

 本当にただ、佐天は驚天を懐に入れなかった。それだけである。刀を駆使して体術を駆使して、ただ懐に入れない。それだけで、驚天の動きは驚くほど鈍った。

 驚天が懐に入れない瞬間など、それこそ彼に憧れる三人は見たことがなく、驚かされた。

 ただそれでも、驚天はただでは引き下がっていなかった。刀を握る佐天の指が、ところどころ罅割れたように裂かれて血を滴らせていた。

「そうだった。おまえは天才だったな、驚天」

「そんなことぁぁぁぁっ、どぉぉぉだっていぃぃぃぃぃぃぃぃぃんだよぉぉっっっ!!! どぉぉいぅぅぅぅぅことぉぉぉぉぉぉぉだぁぁぁぁぁぁっっ?! 説明しろぉぉぉぉぉっ!!!」

「おまえが説明を聞いて、理解できるのか?」

 低く、喉の奥を震わせて唸る。獣の如く唸って、睨んで、刀をより強く握り締めて、そして、笑った。珍しく、高笑いもせずにただ微笑を浮かべるだけに治めていた。

 そしてまた珍しく小さな声で、しかし明瞭に喋った。

「あぁ、そうだな」

「……じゃあ取引と行こう、驚天。俺はこの男と共に妖刀連合なる組織に行く。おまえは当然それを阻もうとするだろう。そこで――」

「っ――!?」

 三人と野次馬と、女は驚いていた。いや、女に限っては現実をただ受け入れ難かっただけなのだろう。

 何せ今の今までもはや空気と同化するまでに野次馬に囲まれたこの空間で、誰にも気づかれぬまま逃げようとさえしていたのに、突如自身の豊かに膨らんだ胸の谷間に、妖刀が突き刺さってきたのだから。

「な、何、を――」

「何を? わからないか、女。おまえは贄だ」

「贄、だ……っ!」

「あぁいや、正確には身代わりか。俺がこちらに行く代わりに、おまえは逝くのだから」

 まるで果物が潰れ、果汁が噴き出したかのようだった。

 よくよく見れば、まぁ少なくともある程度の男に色目を使える程度には、女も比較的美しい外見をしていたからこそ、そう思ったのかもしれない。

 豊満に実った女の胸から流れ出る鮮血はその字の通り鮮やかな色をして、彼女の体から生気と共に流れ出ていく。

 こんなところで死ぬつもりなどなく、ましてやよくわからぬ男の策略のためにわけもわからぬままに殺される。悔しさもあり、憤りもあり、空しくもある。

 そこの妖刀に誑かされた長身男は生きているというのに、何故自分は殺されるのだ。理不尽だ。理不尽に過ぎる。

 だが結局その理不尽を呪う暇すら与えられず、鮮血と共に生気を失った女は何も訴えることができぬまま、命を使い果たしたのだった。

「代わりにその長身男と妖刀、この女の死体を持っていけ。本部には……まぁ、上手く言っておいてくれ」

「おまえは馬鹿かりゅうのすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!! 裏切るなら、他に言葉を残すやつらが! いるだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!」

「おまえに馬鹿などと言われたくないわ! だが! だが、そうだな……家内と蘭丸にも、なんとか上手く言っておいてくれ。おまえなら、蘭丸だって心を開くだろう」

「はぁぁぁ?! 俺がそんなぁぁ、口が上手いと、思うのかぁぁぁぁぁぁぁ?!」

「あぁ、思ってない。だからそれは冷水、十六夜、蔵臼。お前たちに任せる」

「そ、そんな佐天さん!」

「何、簡単なことだ。この日本を思う妖刀連合の思惑に佐天が乗ったと、本部にはそう言えばいい。それだけ言えばいい。それとその男と女の死体とで、お前達への嫌疑の目はなくなる。それが俺の最後の命令だ。敵の命令になるが、必ず果たせ」

 、と。彼の口から紛れもなく、自身の立ち位置を明確にする言葉が出た。

 三人の後輩は反応することも言葉を返すこともままならず、驚天すらも何も言わない。唯一反応したのは、敵という単語を味方として捉えた九十九だけだった。

「我々と共に来ると?」

「難しい話じゃあない。俺の腰にぶら下がっているこれなら、おまえ達の計画の方が居場所もあるし居心地もいい。そう思ったまでだ」

「そうか。なら、異論は挟まん。好きにするといい。この女然り、連合は私利私欲を満たそうとする者ばかりだ。腹に一物抱えた元団員くらい、抵抗もなく受け入れるだろう」

「それはいいことを聞いた……じゃあな、驚天童子。次に会うときは、殺し合いだ」

 冷水、十六夜、蔵臼の三人は戦慄した。十六夜に関しては腰を抜かし、その場に尻餅をつく。

 初めて、視線を向けられた。殺意の籠った、敵を睨む目だ。

 一瞥でありながら、頭にこびりつくような視線が寒気となって体中を駆け巡り、蛇に睨まれた蛙の如く動けなかった。動くことを、反論することを許されなかった。

 妖刀のせいではない。彼自身、佐天龍之介自身が持つ本来の覇気に、彼らは怖気づくことしかできなかった。

 それこそ唯一、大声を張り上げられたのは、彼だけだった。

「りゅうのすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!! おぉもしれぇぇぇっ! なんならそんときを楽しみに待ってなぁぁ! おまえに、ぎゃふんと言わせてやるぜぇぇぇぇぇっ!!!」

「言わせてみせろ、鞍馬の天才」


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 此度の騒動は多くの人々に目撃されたが、壊刀団と、警官らの中に紛れていた妖倒隊に行われた偽装工作によって、妖刀の存在は表に知られることなく済んだらしい。

 そして佐天の言った通り、妖刀を使っていた男と妖刀。妖刀連合とそれに繋がっていた女の遺体を持ち替えると、本部より四人には無罪放免が言い渡され、佐天と九十九をみすみす見逃した罪は問われなかった。

 だが無論、良いことばかりではない。残された佐天の妻と蘭丸は、壊刀団本部の監視下に置かれることとなり、以前よりもずっと窮屈な生活を強いられることとなった。

 それでも裏切り者の家族に対して行われる処置としては充分に寛大なものであったが、驚天が何かしら本部の幹部連中に口添えしたとは思えない。

 裏切られながらも結局最後まで、面倒ごとは一切残すことなく彼は去って行った。

 いや、は過剰な表現だった。

 寛大な処置で済んだとはいえ、彼の家族は檻の中同然の暮らしを強いられているのだから。

「お、奥様、だ、だだ、大丈夫、で、ですか?」

「えぇ……」

 十六夜に返事を返す彼女の顔色は、真っ青だ。

 旦那が突如裏切り者となり、自分達は彼に加担したと投獄されてもおかしくなかった。それを逃れても、今度は自責の念に駆られて眠れない日々。

 彼が裏切ったのは自分のせいではないか、彼にもっと寄り添ってやれたら結果は変わったのか。考えても意味のないを考え、息を詰まらせ、顔色が悪くなる。

 そんな佐天(妻)のことを慮って、蔵臼、冷水、十六夜の三人は定期的に佐天家に訪れている。わざわざ本部に掛け合って取らねばならない許可を毎度取って、仕事もあるので交代制で様子を窺いに来ていた。

 が、彼はいつもそこにいた。

「とぉっ!」

「そうだ蘭丸ぅっ! 腰を据えて! 深く! 底を叩くようにっ! 刀を下ろせぇっ!!!」

「りゃぁあっ!」

「そうだぁ! いけぇぇっ!」

 ここのところ、驚天は蘭丸に剣術を教えていた。

 教えると言っても素振りばかりだが、蘭丸自身は楽しそうだった。

 元々驚天のことは大好きだし、剣術を教えてと父親に頼んでも「まだ早い」と言われ続けていたらしくて、剣術を教えて貰えることに喜びを感じている様子だった。

「驚天さんのお陰です。あの子、父が裏切り者と知って泣き続けていましたから……なんであれ、あぁして笑ってくれるようになって、本当によかった」

「奥、さ、様も、おつら、ら、い、でしょう」

「……そう、ですね」

「どう、か、気を、つ、つつ、強、く……みすみす、見逃してし、しまった私、の、言える、せ、せり、ふ、では、ありま、せん、が……」

「そんなことはありませんよ。むしろ、ありがとうございます。あなた達も一緒に苦しんでくれるから、私はまだ、こうして強くいられるのです」

 そう、家族も辛い。彼を慕っていた仲間も辛い。

 だがもしかすると、一番辛いのは彼なのではないかと思うことがある。

 少なくとも十六夜は数度、絶えず自信満々に笑う彼の笑顔の隙間に、時折暗い影が差し込む瞬間を見ていたが故にそう思った。

「お、おつ、かれ、お疲れ様、です……」

「おおぉ! すまんなぁっ! 十六夜ぃっ!」

 汗を拭う姿はいつも通りだ。が、顔を拭う一瞬に、ほんの少しの陰りを見て、十六夜は胸が苦しくなった。

 自分を助け出してくれたときには、一瞬たりとも見られなかった彼の中の闇。見たくないのに、それでも見つけると見入ってしまう。

 不安になって、心配になって、なんと言葉を掛けていいものかわからなくなって、遂には逆に驚天に心配され、顔を覗かれ、声を掛けられてしまった。

「どぁ、゛い……じょぉ、ぶ、くぁ……?」

「だ、だだ、だ?!」

 異常な顔の近さに驚き、尻餅をつきそうになって腰を抱きかかえられる。

 まだ近い驚天の存在に十六夜は言葉を失い、火照る体の熱に負けて気まで失うまいと必死に堪える。

 そんな彼女を見下ろして笑った驚天は。

「十六夜! 付き合え!」

 とどめの一言にて、十六夜を気絶させたのだった。

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