口に蜜あり言霊に毒あり
「おぉおぉ、壊刀団の連中があんなにうじゃうじゃと。さすがにこれだけ餌を撒き散らしゃあ、喰いつくってもんか」
「ひぃ、ふぅ、みぃ……小隊が二つ。一つにつき一二、三人程度、か。統率しているのは六道剣の君嶋白鷺と、見慣れぬ男……新しく六道剣になったのか。蝦夷であんたが殺した男の後任かもな、
女は一人、煙管の白煙を
自分の片腕を斬り落とした剣士の顔を思い出し、微笑を湛えた口で煙を吐く。肘より先のない腕を撫でながら、怪しげな引き笑いした。
「悲しいですね、悲しいですね。こうも容易く罠にかかるだなんて。これが天下の壊刀団だなんて、悲しいですね。まぁ天下と言ったところで私達と同じ裏組織。日の目を見ないのは同じなのですが、それでも悲しいですね。私達のような藪から棒の如く出てきた新人組織にこうも翻弄されるまで堕ちるだなんて……本当に、悲しいですねえ」
連呼しすぎて、もはや意味も希薄な「悲しい」は、彼女の口から白煙と同じくらい軽く出た。
実際、悲しいと言う彼女は悲しみなど微塵も感じておらず、燃え尽きて真っ黒に丸く焦げた刻み煙草を落とす彼女の口角は、これ以上なく柔い微笑を湛えていた。
六道剣と名乗っていた男に斬られた腕を押さえ、息を吸うように引き笑う。
「あぁ、あのときの剣士を生かしておけばよかったですねぇ。美味しそうな肉が転がってると、すぐについばんでしまって、堪え性がない。そう思いませんか、お二人共」
「あぁぁ……そうなんじゃないんすか? あんたはいっつも好きな物から食べてるしなぁ」
「否定はしない。だがあんたに我慢なんて似合わないだろ。『弱り切ったところを
「おや、あなた達はしょうがないとは言わないのですね。嬉しいですねぇ、私のことをちゃんと理解してくださっていると、嬉しくなってしまいますねぇ。堪え性はないけど殺し性はあるでしょなんて皮肉を言われたらどうしようかと、あぁしようかこうしようかと考えていたのに、なんと優しい人たちなのでしょう。お礼に後で何か奢って上げます。あ、何でも言ってみてなんて驕りは言いません。適度に、節度あるものを頼んでくださいね。頼みましたよ」
「あぁ、あんがとさん」
「考えておく」
二人は胸の内で安堵の溜息をつく。
蓮羽歌玄――こいつは組織内でも異常者だ。これ以上ない狂心者だ。
妖刀に取り憑かれておかしくなった奴は腐るほど見てきたし、自分達だって正常だとは言えないが、そんな自分達から見たって彼女は群を抜いて異常だった。頭一つ抜けていた。
彼女を相手に言葉選びを間違えると、敵味方関係なく殺される。
しかも線引きは彼女の中で行われるため、こちらではうまくやったつもりでも、彼女の判断で殺されることもある。仲間と言えど、最後の最後まで気が抜けない相手だ。
「で、あるならば? そろそろ出なければいけませんねぇ。いけないのでしょうねぇ。『弱り切ったところを集って殺す』蓮羽歌玄が弱っている人間を見つけたならば、行かなければいけませんでしょうねぇ。口答えなしで、食べ応えがあるといいのですがねぇ」
◀ ◀ ◀ ◀ ◀
君嶋の仕切る小隊は一時休息を取っていた。
被害状況としては最小限に抑えられている。最初に二人殺されてしまったが、その後は誰も欠くことなくここまで来れた。無論、現段階の話で油断はできないが。
とりあえず、現状周囲に敵の気配はない。応急処置程度しかできないが、怪我人の手当てをするには今しかなかった。
「君嶋ぁ」
此度の遠征へ行く者達を決める際、小隊一つにつき壊刀団医療部隊所属の団員を二名編成するのを基本として構成していた。
君嶋率いる小隊にも二人いたのだが、先に殺されたうちの一人が医療部隊所属の団員で、生き残った一人が応急処置のため奔走している状況だった。
「
「どうしたもこうしたもないわ――最悪よ。これ以上なくね」
医療部隊所属、戌亥
医療部隊所属ということもあって鳴無兄妹とも親交のある女性だが、気が強くて男勝り。傷口には唾でもつけておけなんてことさえ言いそうな人だが、鳴無(兄)が認めるくらいに医療の腕に優れた人材だ。
そんな人が最悪というのだから、小隊には緊張が走る。
元々嘘をついたり隠し事することを嫌う人であるし、腕も確かであることも重なって、彼女の乱雑な口調には本来あり得ないくらいの重量感があり、周囲に状況の苦しさを悟らせるには充分過ぎた。
「まず環境最悪! 妖が大量にいる森って聞いて覚悟してたけど、これは異常よ! どこもかしこも死体死骸死体死骸、細菌の温床だわ! 傷口腐らせて殺す気?!」
戌亥が憤る気持ちは、鳴無も理解できた。
森の奥へ進んでいく度、死体の腐敗臭が酷くなっていく感じてはいた。
改めて見渡してみれば人間も動物も問わず場所も問わず、大量の死体や死骸が放置されているのが見えて、それらが意図的に仕組まれていることもわかった。
森の中での戦闘において怖いのは、傷口から細菌が侵入することでかかる可能性のある、病の存在だ。
たかが病と侮ってはいけない。
当然の事ながら、病は伝染する。病原菌を持った人間がそのまま本部に戻れば、ねずみ算式に病原菌は繁殖、感染し、本部を内部から破壊していくだろう。
故に医療部隊に求められるのは現場での迅速かつ完全に近い傷の手当と滅菌処理であり、この森はそうさせないために多くの死体が放置――いや、設置されている状態だった。
医療に携わる者として、これ以上なく最悪の現場だ。憤りもする。
何より憤りを感じるのは、これらの環境を作り上げるためだけに命を刈り取って、妖として操ることもせずただ放置し、晒し続けていることだ。
命への冒涜だ。医学を学んだ者として、憤慨しないはずはない。
「それに何より物資不足よ。最初に殺された奴が持ってた薬品がほとんど使い物にならなかったせいで、まともに治療もできないわ……悪いけど、何人かはここで引き返して貰う。この小隊で医療を任されているのが私一人だけの今、反論は許さない。言うことを聞いて貰うからね」
と、戌亥による診察が行われた結果、小隊の大半が引き返すこととなった。
実際にもう戦闘不能なのは一人だけだったが、重傷まではいかずとも傷の多い数人と彼らを無事に送り届けるための要員も必要だったため、残ったのはごく少数となってしまった。
が、仕方ない。ここまで全員で百に近い数の妖を倒してきた。周囲に残っている数もそこまで多くないし、残りの面子でもまだ充分にやれる。彼らはよくやってくれた。
戌亥の診断に物申したそうにしていた団員も少なくなかったが、一番悔しいのは戌亥だった。
悪環境かつ物資不足とはいえ、帰還を命じるしかない自分の腕のなさに憤慨して、歯軋りをしていた彼女が一番悔しそうで、一番敵に対して怒っていた。
残ったのは彼女と鳴無、君嶋。そして二人の男性団員。
鳴無からみても当然という面子だけが、綺麗に残っていた。誰もかれも鳴無(兄)と付き合いの深い、妹から見ても実力のある団員ばかりだった。
まるで誰かがそう仕向けたかのように奇妙なまでに綺麗に、彼らと自分だけが残っている。まさか天国の兄が仕向けたのか――とはさすがに考えなかったが。ともかく奇妙な縁を感じてならなかった。
「戌亥はん、大丈夫ですか?」
「えぇ……問題ないわ」
酷く落ち込んで、疲れ切っている。こんなとき、兄ならなんて言うだろう。どうやって励ますだろうか。
彼女とは特別そこまでの接点があるわけではない。ただ兄と共に何度か同行しただけの仲だと思っていた。それでも今は兄もなく、同じ小隊で動くのだから気遣いだってする。
それに鳴無凛音という一人の剣客について共有できる仲であるのだから、ただの同胞ではあるまい。だから元気づけたいのだが、自分は言葉が喋れない。
だけどもし、こんなとき兄なら――
「「いいぬぬいい!! ににげげろろ!!」」
突如男性団員二人が同調し、声を重ねて警告しながら動く。
片方は立ち上がった戌亥の背を押して共に倒れ、もう一方は襲い掛かってきた何かを斬り伏せて二人を護る。
息の合った連携だ。目配せも短い指示もお互いなかった。互いに自分のやること、もう一人がすることをわかった上で行動しているようだった。
だがそれも納得できる。何せ二人は二卵性ではあるものの、れっきとした双子なのだから。
同じきょうだいでも、鳴無には兄とここまで巧みな連携が取れたことがない。そう思うと、ちょっと嫉妬してしまう。何せ自分には、これから挽回する機会などないのだから。
「大丈夫か、戌亥」
「えぇ、今回ばかりは礼を言うわ」
「兄者も無事か」
「見ての通りだ。が、何やら得体の知れないものを斬ったな」
戌亥を背後から襲ったそれ――それらは炭で焼かれたかのように真っ黒ではあったが、いなごのような生物であった。
ただ形状は酷似しているものの、いなご本来のそれより二回り以上大きい。いなごを佃煮にして食べる風習のある長野出身の
そもそもいなごであるのかどうかさえ、訝しむほどである。
「兄者、俺はこんなにも大きいいなごを見たことがない。これも妖の類か」
「待て、弟よ」
突如、兄が斬り伏せたいなごから黒煙が昇り、気化するように消滅し始める。
妖も命を絶たれると自然消滅するが、黒煙が発生するようなことはなく、兄弟含めてその場にいた全員が不意を突かれ、大量のいなごの死骸が放つ黒煙に視界と嗅覚、呼吸を奪われる。
だが鳴無は捉えていた。黒煙が発生すると毒の可能性が即座に脳裏を過ぎり、息を止めていたため団員の誰よりも先に事態の把握ができた。
毒の可能性が浮かんだのは、医師の家系であったが故だろう。結果から言うと毒はなく、ただの煙幕だったのだが、そう考えたからこそ速く動けた。
煙幕の中より、不意を突く形で現れた女の剣撃を受け止める。女とは思えない馬鹿力に薙ぎ払われながらも銃撃にて牽制。銃弾は刀に弾かれたが、煙幕が晴れ、全員が体勢を立て直すまでのわずかな時間を稼ぐことができた。
「悪い鳴無妹! 助かった!」
「鳴無?」
大きく見開いた瞳の中で、小さく縮み込んだ瞳孔が嬉々として光る。怖いくらいに口角を歪ませて笑う口から長い舌を出し、妖しく唇を舐め回した。
「そうですかそうですか、そこの貴女は鳴無と言うのですかそうですか。もしや貴女、蝦夷にて落命した鳴無凛音と名乗った剣士の近親者か何かですか」
「なんやて?」
君嶋が反応する。同時に戌亥、牛越兄弟も刀に手をかけて構えた。
当の鳴無本人は声さえ出ないものの、刀を握り締める手に力が入り、爪が食い込んで血を流す。
刀と銃と、そして殺意と怒りに満ち満ちた視線を向けられた蓮羽は、心地よさそうにまた笑みを浮かべた唇を舐めた。
「あらあら、おまえは死んでおけだなんて痛快な一言を言いますねぇ。やはり近親者の方ですね? 見たところ妹さんでしょうか。お察しの通り、私は貴女から見て兄の仇。兄を殺した張本人に当たります。蓮羽歌玄と申しますと、一応は名乗っておきますか。恨みつらみの籠った感じで名前を呼ばれると楽しくなって、ついついすぐに殺してしまうので」
黙れ、と銃声が吠える。
脅威的反射速度で銃弾を弾いた蓮羽に対し、牛越兄弟が同時に斬りかかり、双子ならではの息の合った連携で攻め立てる。
片方が引いた直後に片方が押し、片方の危機に片方が割り込んで助ける。阿吽の呼吸と呼んでもいい連携攻撃で、休む暇も整えさせる暇も与えず攻め続ける。
だが再び、先ほど襲い掛かってきた巨大いなごの軍勢が飛んできて、兄弟と蓮羽の間に入って三人を遠ざけた。
さらにいなごの軍勢が体勢を変え、兄弟へと突っ込む。兄弟がいなごの軍勢に手間取る間に斬り伏せようと踏み込む蓮羽に君嶋が斬りかかり、逆に彼女をいなごの大群の中に押し込んだ。
牛越兄弟の斬ったいなごの死骸から噴き出す黒煙の中に、背中から叩き込まれた蓮羽は一瞬、方向を見失う。初手で見事不意をついた煙幕を、まだ二度目だというのに利用された。
「これはこれは、重畳ですね重畳ですね。対応と順応の早さたるや、さすがに壊刀団。妖刀相手に修羅場を潜り抜けてきただけはありますねぇ。
「遺言はそれでいいってことかしら?!」
煙幕の中で声など出せば、それを頼りに位置を把握できる。
悠長に長台詞を並べた蓮羽に、戌亥は友の仇を取るべく斬りかかって、血飛沫が弾けた。
「……お言葉を返すようですが、遺言は、それでよろしいのでしょうか?」
戌亥は斬った。目の前の蓮羽を斬り殺した。
それは間違いなく蓮羽であり、変わり身でも変装でもなく、先ほどまで仲間と剣戟を繰り広げていた蓮羽歌玄そのものだった。
が、その蓮羽を殺した戌亥を背中から刺したのも、蓮羽歌玄だった。
刀が引き抜かれ、その場に二度目の血飛沫が弾け飛ぶ。煙幕が晴れたとき、鳴無含めた四人は状況の理解が追い付かず、その場から動けなかった。
「いけませんねぇ、いけませんね。軽はずみな発言は避けた方がいいですよ? すぐに死ねと言うお方は自身もまた死ねと言われるのです。陰口だろうが表立って言おうが、言霊は取られるもの、奪われるもの。故にこうして、あなたは殺されるのです。私の信条をお教えしましょうか。『弱り切ったところを集って殺す』――私にはわかりますよ。あの男が殺されて弱り切った、あなたの心が。辛かったでしょう。悔しかったでしょう。苦しかったでしょう。ですが安心なさい。もう、死まいですから」
「戌亥ぃぃぃっ!!!」
力なく倒れ伏した戌亥から溢れる血が、みるみる血溜まりを広げていく。
その光景が、かつて兄が亡くなったときの光景と重なり、鳴無は震えた。
手が震え、顎が震え、脚が震える。
あのときはなかった無事を祈って名を叫ぶ仲間の声。敵の姿、それが握る仲間の血で濡れた刀。かつての慟哭を思い起こし、震え、奮い立つ。
次の瞬間、その場にいた誰よりも速く駆け出し、高く跳び上がって蓮羽へと斬りかかった。
「あなたも私に、死ねと言うのですねぇ?」
女同士の剣戟が立てたとは思えない鉄の衝突音が、酷く深く、重く響き渡る。
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